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「すみません、奥様。大したおもてなしもできず……」
「いいえ、本当ならこちらにお邪魔する必要もないのですもの。毎回、無理をいって困らせてしまっているわね。いつも助かってるわ。ありがとうヘイズ」
この家には主人であるヘイズとその妻であるモナ、それとふたりの子供ニュールとミストが住んでいる。
ヘイズとモナは茶園で働く農民だった。
一時、ティルダたちにまつわる噂が原因で茶葉の売り上げが落ち込み、領地の運営が危ぶまれた頃、離れていく農民が多いなか、ティルダたちを信じて残ってくれていた夫婦だった。
ティルダがお礼をいうと、子供二人がティルダの手を取った。
「ティルダ様が来るとね、ご飯が豪勢になるの」
「うちとしては大歓迎だよ」
二人に両手を引っ張られ、部屋の中央に置かれたテーブルのところへ案内される。二人のうち、年長の男の子ニュールが椅子を引いてくれた。腰を下ろすと、台所から料理を運んできたモナが、慌てて子供二人を嗜めた。
「ティルダ様に失礼な口を利くんじゃないよ。ああ、レージュさんたちも座って座って。狭いところですがゆっくりしてください」
「一人じゃ大変でしょう、手伝います」
台所へ戻ろうとするモナを追って、レージュが奥の扉に向かう。
「俺も手伝いますよ」
エディがそのあとを追った。ブレニンは無言で椅子を引き、ティルダの正面に座る。
ティルダは自分の隣に座った女の子を見て、目許を和らげた。
「大きくなったわね」
ヘイズにいくつになったのか尋ねると、隣に座ったミストが口を開いた。
「六つよ。もう、読み書きだってできるんだから」
得意そうにミストが顔を上げるのを見て、ニュールがすかさず揶揄った。
「三文字以上綴りが並ぶと、間違えるけどな」
「もう! お兄ちゃん、すぐそうやって意地悪いう!」
眉を怒らせて頬を膨らませるミストの顔を、ティルダは見つめた。娘のリリアが王都に行ったのと同じ歳かと感じ入る。リリアはミストと比べると、もっと大人しかったように思えた。この子たちのように、兄弟姉妹がいれば、また違ったんだろうか。
きゃいきゃいはしゃぐ二人を見ていたら、ニュールが照れたようにティルダを見た。
「あ、そうだ。俺、ティルダ様が来たら報告しようと思ってたことがあって……」
そういうと、虚空に手をかざした。
一瞬、真剣な表情をしたニュールの手に、いずこともなく現れた縦笛が握られている。
ティルダのみならず、正面に座ったブレニンも驚いた様子でニュールを見た。ティルダが感嘆の声を洩らす。
「まあ、魔楽器ね!」
ティルダたちが暮らす王国サン・ヴァルファレナは魔楽国だ。
魔楽師と呼ばれる楽師たちが魔楽器を奏でることで、その恩恵にあずかることができる。
ティルダはニュールの手にした縦笛を見て、つきりと胸に痛みが走るのを感じた。
はにかんで笑うニュールの手前、もちろん顔に出すことはしない。
ティルダは柔らかく微笑むと、ヘイズに向き直った。
「国に届けは出したの?」
「ああ、ええ、まあ……。しかし、農民の子が魔楽器を発現したところで、なんの役に立つんだか」
ヘイズが困ったようにいうと、ニュールが挑むような顔つきで、ヘイズにくってかかった。
「もう少し大きくなったら、王都に行くんだ。ねえ、ティルダ様、騎士団では魔楽師を募集してましたよね? 十五を過ぎたら誰でも試験を受けられるんでしょう?」
ニュールが疑問を口に乗せたところで、台所からモナが顔を出した。
「またこの子は、そんなバカなこといって……行ったところで恥をかくのが落ちだろう。私は許さないからね」
モナが盆からテーブルに料理を移す傍らで、レージュがカトラリーを皆の前に並べた。エディが取り分けるための皿を配る。
「……息子を騎士団に入れてもいいと思うのなら、受けてみるべきだわ」
「ティルダ様もそう思う!?」
ティルダの推す声を受けて、ニュールが瞳を輝かせた。
「ええ。ヘイズ、もしニュールが入団試験を受けるなら、そのときは必ず連絡をちょうだい。ヴァレリーにいって、紹介状を書いてもらうわ」
王都から足の遠退いた貴族の推薦状が、どの程度役に立つかわからないが、ないよりあったほうがいくらかマシだろう。
ヘイズたち親子はティルダにとって、家族も同然だった。苦しいときにも支え合ってきた仲間だ。ティルダがこの親子にしてあげられることなんて、そう多くはないが、してあげられることがあるなら、なんでもしてやりたい。
「うちの子が騎士団にいったら、誰が茶園の面倒を見るんですか。ほら、ニュールもいい加減座って。せっかくの料理が冷めちまうだろう」
そういうモナの顔を見れば、満更でもなさそうだった。思っていることといっていることが食い違うのは、誰にだってある。
モナのいうことを真に受けたニュールが、唇を尖らせて席に座った。
食事を終えたら、なにか覚えた曲はあるのか訊こうかしら、と考えたところで正面に座ったブレニンと目が合った。
「……そんな話をする前に、伯母上は品評会のことを心配なさったほうがよろしいのでは? 今回の審査も落ちたら、伯父上に紹介状を書いてもらうどころの話ではないでしょうに」
「……もちろん考えてるわ。ブレニン、この話はよしましょう。レージュ、そこのお皿、取ってちょうだい」
レージュが料理の乗ったお皿をティルダに差し出す。皿を受け取ったティルダの耳に、本当にわかっているのだか、というブレニンのついた溜め息が聞こえ、わずかに生じた不安がティルダの胸を重くした。
ティルダたちが宿泊するために用意された寝室は、二階にあった。
男女で部屋が別れている。普段はヘイズたち夫婦と子供たちが使う二部屋を、それぞれ綺麗に整え、あけてくれていた。
ヘイズたち夫婦は、一階にある居間のソファで毛布にくるまり眠っている。子供たちは二階の納戸を片付け、干した藁を持ち込み、簡易ベッドを作って寝ているようだった。
ティルダたちが泊まることで迷惑をかけていることはまず間違いない。
それでも、ヘイズたち親子はティルダたちのことを温かく迎えてくれていた。
寝室に行く前、子供たちに部屋を譲ってくれてありがとうと声をかけると、納戸で寝るのは秘密基地みたいで楽しいからいいんだ、と明るい声でいっていた。
本当にいい子たちに育っている。
ティルダは一旦ベッドに入り、目を閉じたものの、なかなか眠気がやってこず、仕方なく寝衣の上から上着を一枚羽織って外に出た。考えてみたら移動中、馬車の中でずっと寝ていたのだから、眠気が遠いのも当たり前のように思えた。
外は暗かった。家の灯りは落ちていて、地面を照らすのは暈のかかった月だけだ。
暗くてよく見えない足元に注意しながら夜露に濡れた草の上を歩く。
ティルダの脳裏にニュールの手にした魔楽器が思い浮かんだ。それと同時、リリアのことを思い出す。
娘のリリアが力を発現させたのは、ミストと似たような年齢だった。
ティルダは手探りで首元の紐を手繰り寄せると、その先に繋がった香袋を取り出した。
複雑な思いでその表面をなぞっていると、後ろから声をかけられた。
「眠れないのですか?」
振り向くとレージュがいた。部屋から出てくるとき、隣のベッドを確認したらぐっすり眠っていたようだったのに。
レージュもまた寝衣の上から上着を羽織り、ティルダの隣に立った。ティルダの手にした香袋を認め、静かに尋ねた。
「リリアお嬢様のことを思い出されていたのですか?」
「……ええ」
香袋をきゅっと握ったティルダの目に、遠い日のできごとが浮かんだ。