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「――奥様」

 そう呼ばれ、ティルダは目を開けた。

 きらきらとした光が飛び込んでくる。

 窓の外に目をやれば、そこはどこかの屋敷の門前だった。

 ――どうしたんだっけ。

 膝に目を落とせば、ドレスのスカートが目に入った。自分の瞳と同じ色の空色の生地が気に入って、仕立ててもらったドレスだ。長手袋に包まれた両手がきちんと揃えて膝の上に乗せてある。


(ああ、そうだ。夜会に呼ばれていたんだわ)


 座席に腰かけたまま、馬車の窓から外を見れば、自分以外にも招待された客たちだろう。乗りつけた馬車が目に留まった。

 シーズンに入り、ヴァレリーと共に王都へとやってきたティルダは、招待された夜会に、産後初めて参加したのだ。

 隣にいたのは侍女のレージュだった。

 到着したので起こしてくれたらしい。御者のエディが外から扉を開けた。

 少し混乱しながらも、ドレスのスカートを持ち上げ、馬車から降りる。

 地面に足がついたところで、ぐにゃりと視界が歪んだ。

 気持ち悪さから目を閉じる。次に目を開いたときには招待された屋敷の広間だった。

 豪奢な調度品が囲むなか、煌びやかに着飾ったご婦人やご令嬢たちがそれぞれ輪を作って歓談している。

 自分もその輪の中に入ろうとして足を踏み出した途端、周りにいた人たちの視線が一斉に集まった。

 扇で口許を隠し、目だけを異様にぎらつかせた女性たちが、冷ややかに、あるいは嘲笑を滲ませて、ティルダへと視線を注ぐ。

 ひそひそと囁き合う声が、ありもしないティルダの不貞を咎めるように身を刺した。

 背中を走る悪寒がティルダを襲った。

 急に眩暈がし、立っていられず、近くにあったテーブルに手をかける。

 手をついたテーブルは、見慣れたものだった。

 え、と思い、よく見れば、テーブルは招待された屋敷のものではなく、タウンハウスの自室にあるテーブルだった。驚いたティルダは顔を上げようとした。そこでふと気づく。

 先ほどまで感じていた身を刺すような視線は消え失せていた。同時に、周りにいた人たちもいなくなっている。

 どういうこと――。

 疑問に思う間もなく、急に吐き気に見舞われた。胃が痙攣を起こし、身を屈めたところで横から声がした。


「奥様」


 声はレージュのものだった。さっと目の前に(たらい)が差し出される。

 ティルダは思い切り、盥に向かって胃の中のものをぶちまけた――はずだった。

 しかし、いくら吐こうとしても、出てくるのは胃液だけ。つんとした痛みが鼻を突き、口から酸っぱいだけの液体が滴り落ちる。

 胃のムカつきが落ち着いたところで盥から顔を上げた。

 そこに大きな鏡があった。鏡に映し出された自分の姿がティルダの目に留まった。

 身につけていたはずの空色のドレスはいつの間にか脱がされ、コルセットも外されていた。

 産後、半年ほどの期間を置いたティルダの身体がそこに映っていた。以前よりもラインが崩れているように思える。蒼い顔をして、盥にへばりついている自分の姿が、ティルダにはひどくみすぼらしく見えた。

 隠すもののないティルダの身体が残酷なまでに鏡に映し出され、ティルダは悲鳴を上げた。




「……さま、奥様!」


 ティルダは、はっと目を開けた。

 窓から差し込んだ夕日が、車内を赤く染めている。

 全身から噴きだした汗で、服がべとりと張りつくのを感じた。

 顔を上げると、レージュがティルダの手を握り、心配そうに覗き込んでいた。


「大丈夫ですか? ひどくうなされていたようですけど……」

 どうやら眠っていたらしい。ティルダは座席に身を起こすと、レージュの手を押し返した。

「平気よ。少し、夢を見ていたようね」


 ティルダは夢の内容を思い返し、嘆息した。

 あの頃、ティルダはまだ十七歳だった。産後初めて夜会に呼ばれ、顔を出し、王都にある屋敷へと戻ったあと、頻繁に見るようになった夢だった。

 あのとき自分が呼ばれたのは、夢で見たように(そし)るためではなかったかと、いまだに疑ってしまう自分がいた。

 あれから三年ほど、同じ夢を見てはうなされた。その後、数は次第に減ったものの、それでもときおり思い出したようにあの夢を見ては悩まされた。あまりに何度も見るものだから、ティルダは起きているあいだも克明に夢の内容を覚えていた。


(ここしばらくは見ていなかったのに……)


 眠る前、ブレニンとした会話がきっかけで見てしまったのだろうか。

 窓の外に目をやると、見える景色が静止していた。

 どうやら今晩、宿泊する場所へ着いたらしい。

 ティルダはレージュに促され、のろのろと馬車を降りた。

 そこは小さな山村だった。

 隣の家までが遠く、今いる場所からは家が一軒見えるだけだ。

 エディが家の者を訪ね、扉のところで話をしているのが見えた。

 事前に泊まることは連絡してある。

 家人の指示で馬を裏に繋いできたブレニンが、ティルダの横に立った。


「……やはり、うちには寄らないんですね」

「ええ」


 ティルダは首肯した。

 品評会は、サン・ヴァルファレナの王都から馬車で北に二日ほど走った場所に立つマルヴィルト宮殿で開かれる。

 マルヴィルト宮殿まで行くには、二つのルートがあった。ひとつはノリス領の南西、フィオリオ領を通って王都へ向かうルートで、もうひとつは、南東にあるブルムノア領を通って行くルートだ。いずれのルートを辿るにしても、一旦ビジリア子爵の屋敷を経由し、そこから南西に平野部を通ってフィオリオ領へ抜けるか、山裾に沿って南東に下り、ブルムノア領へ行くかしたほうが、近いし道のりも安全だ。休める場所も多く、馬車で走るのに適した道だった。

 しかし、ここ何年ものあいだ、ティルダは宮殿まで行くのに別ルートを辿るようにしていた。

 理由の一つとして、できる限りビジリア子爵と顔を合わせたくないことが挙げられる。


「ここから南東に山を越えて、ブルムノア領から行くつもりよ。これまでもそうしてきたし……ブレニン、あなたが私たちにつき合う必要はないわ。帰るなら今のうちよ」

 ブルムノア領にはティルダの生家もある。

 かねてより(まつりごと)での意見が合わず、対立することも多かったフィオリオ領を通っていくよりも、気が楽ということもあった。

 ティルダがいうと、ブレニンが肩を竦めた。

「護衛役としてついていく、と最初にいったはずですよ。まあ、伯母上は俺についてきて欲しくはないんでしょうけど」

「……はっきりものをおっしゃるのね。ついてきてくれるというなら、私は一向にかまわないわ」

「伯母上は相変わらず遠回しですよね。嫌なら嫌と、はっきりおっしゃればいいのに」

「…………」


 はっきりいったら、ついてくるのをやめるだろうか。


(そんなこと、ありえないわね)


 ティルダがどういったところで、この甥のことだ。好きにするに違いない。

 このことに関し、問答するだけ無駄と感じたティルダは、エディが家人と話し終えた頃を見計らい、ブレニンを促した。


「話がすんだみたいね。エディが呼んでるわ。私たちも行きましょう」


 ブレニンから視線を外し、泊まらせてもらう家の扉へ足を向けると、ブレニンも一拍遅れてティルダのあとに続いた。

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