優しくない優しい世界の底で見上げる男
誰もが個性を持っている。世界人工の八割は、燃える肌、海に溶ける体、腐食する血かはわからないが異能を持って産まれる時代だった。強い個性が当たり前だ。だがそんな世界で、個性がないということは、どの程度の価値を持てるのか、あるいはーー何でもないのではないか?という疑問は、無個性者の一人である、古賀優人を長年苦しめ続ける疑問だ。そしてそれにはまだ、答えはなかった。本が好き、泳ぎが好き、音楽が好き、そんなものは個性とは言えないと断じられる、そんな世界で個性のない男にすぎないとは、なかなかのハンディキャップ。
虐めは厳しい。炎で焼かれ、水が凍り、風が肌を切る。個性の強い人間にはそれが、当たり前に耐えられるものでしかない。だが優人にとってはそれは異常なのだ。どこの人間が焼かれ、凍り、切られ生きていけるのか。優人は個性というものを否定した。彼を形成したのは、『究極の無個性』だった。個性豊かな者たちはつまらないものと言う、機械にこそ心血を注いだ。大量に生産され、大量に消費され、素早く適応して見せ、多少の質など濁流が押し流す小石のように翻弄する、あるいはできる無個性の軍団だ。誰も守ってくれないのならーー優人が力になる。
究極無個性ロボット軍団が島国で最初に編成された。強い個性がなければ犯罪者ひとりの取り締まりもできなくなっていた、実質的な価値を失いつつある警察に大規模納品が始まりだ。警察所長は無個性で、優人のシンパではないが、個性の豊かな社会における無力に危機感を抱いていた。非常な処置として、政権や法律が規制と緩和を行ったり来たりを繰り返し……最終的には強い個性への対抗として無個性のロボットの地位を固めつつある。
優人は満足していない。だが、何も個性を全て殺したいわけでもない。社会の理想は無個性の集団にこそあるという理論に変わりはない。だが全てを無個性一色に染めるのは、『面白くない』ものだ。理想と、見たい世界は違うのだ。だから個性豊かな能力者が、非人道的な機械化至上社会に警鐘を叩いて、無個性を努力不足の怠慢と断定して、抵抗を見せるのも面白いと感じているのが、優人という男だ。100%はありえない、ならばこんなのは当たり前、その程度だ。だから個性を持つものを排斥するようなロボットを生み出してはいても、個性豊かな子供を支援するある種の矛盾に満ちた行為もやる。
小さな個性ーーそれは個性が溢れた時代で、およそ個性とは言えないようなものであっても、優人はそれを個性として見ていた。優人は無個性の男だ。個性を一つとして持ってはいない。両親には個性があった。兄弟にも。だが、優人だけが無個性で、『異常』だとして何度も病院に通わされた。個性の塾で、個性を開花させる為の時間を与えられた。優人が望んだことではない。だが優人に、どこまで自由があったか。両親の言葉は、両親が思っている以上に強制的な意味があって、優人を縛り傷つけていることには終始気がつくこちがなかったのだろう。
優人は今だに、『病気』として心配されていた。そこに悪意はないのかも知れない。善意なのだろう。だが善意が、優人の心を殺した。