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第五話 開戦

モクモクと煙が舞い上がる中ガラスが雨のように破片となって落ちる。

 ショッピングモールはもはや大混乱だ。

 人々は逃げまとい、スプリンクラーの水が見境なく噴き出している。

 そんな中、遥は一人ローブの男と対峙してした。

「あれを避けるとは流石勇者ハルカ」

 男は遥に称賛の声を与える。

「いやーあぶねえ。後少し気づくのが遅かったら死んでた。ところであんた、何者だ。この世界の住人じゃないよな」

 ローブの男を遥は睨み返す。

「ハルカ、大丈夫」

 ランジェリーショップの中からリリアがひょっこりと現れ遥の元へやってきた。

「リリアこそ、大丈夫か。あいつらは」

 遥はリリアに女子生徒たちがどうなったのかを聞く。こうなってしまった以上こちらの事情に巻き込むわけにもいかない。

「うん、みんなパニックになって逃げていったよ」

「そうか、なら安心だ。俺たちの戦いに一般人を巻き込むわけにもいかないからな」

 遥は女子生徒たちが逃げた事を知り一安心した。

 パチパチパチ。

 男は何ともかろやかに二人を見つめて拍手をしていた。

「これはこれは、勇者夫婦御一行様ではありませんか。まさか、嫁のほうもこちらの世界に来ていたとは、殺す手間が省けたというもの」

「お前が女神の言ってたこの世界の危機ってやつか。どうやら、俺たちを知っている奴らしいが、とっととその胡散臭いローブを脱ぎやがれ」

「いいだろう。もうこのローブも役目を終えた事だしな……とくと我の姿を見るがいい」

 バサッ。

 男はローブを投げ捨てるように脱いだ。

 長身から見えるは、角とサラサラの紫色の髪に陰険そうな眼鏡、そして人間にはない、悪魔の羽が男から生えていた。

 遥とリリアは隅から隅まで男の姿を視察する。

「……えっと、どちら様で」

 全く身に覚えがなかった。

「グウェ」

 男はその場でひっくり返った。

「私だ、私だよ。魔王軍幹部が一人、謀略の知将ラティス様だ。貴様ら、覚えとらんのか、散々お前たちをあちらの世界で苦しませたというのに」

 男、もといいラティスはむきになって自らの説明をした。

「……ああ、そういやーいたね、確かそんな奴、リリア」

「そうね。確かいた」

「おお、分かってくれたか」

「「ゲスだけど強い、ラティスって奴が」」

 二人の声が重なり合い、ラティスの勇者一行での呼び名を言う。

「くっ、ゲスだけど強いは余計だ」

 面倒な奴がやってきたものだ。ねちっこい奴は嫌われるよ。

「それで、俺たちになんの用かな。見たところ、観光に来たってわけじゃなさそうだけど」

「こちらが言わずとも分かるでしょうに、勇者よ。お前に復讐しに来たのさ」

 ラティスはお決まりのテンプレセリフを吐きながら遥に向かって殺意を投げる。

(そうですよねー)

 魔王軍の生き残りが来るとすれば遥を狙って来る以外ありえない。それよりも、

「どうやって、この世界にきた。ゲートは女神が管理しているはずだぜ」

 女神たちは世界のバランスを保つため、むやみやたらと世界と世界をつなげるゲートを開かない。そのため、悪しきものがゲートをくぐる事は不可能とされている。

「それは教えられません。どうせ、教えたところであなたはここで殴り殺されるのだからね」

「そうかよ」

(マズイ、マズイ、マズイーッ)

 遥は虚勢を張っていた。

 能力が使えない今の遥はただの人間でしかない。それに、戦闘能力皆無のリリア。この状況で戦闘になったら間違いなく終わりだ。

 遥は腰を落として、相手の隙を突いて瓦礫を拾う。

「なら遠慮なくいかせてもらうぜっ!」

 遥はラティスに向かって拾った瓦礫を投げつけた。

 瓦礫でも数秒は奴の注意を引くことができる。今、ラティスが能力を使えない遥を知ってしまえば辺り一帯は地獄の海へと変わり果てる。

 遥はなるべく建物壊したくない風を装いながら、リリアと共に逃げる。

「リリア、今のうちに逃げるぞ。奴にあれを使われたら、俺たちに逃げ場はない」

 事一刻を争う事態。

 遥はリリアの手を掴んで逃げようとするが、

「こんな瓦礫程度が目くらましになると思いましたか、勇者よ。私も見くびられたものですね」

 瓦礫をものともせずにラティスは破壊して、叫ぶ。

「エレメントシフト」

(しまった、使われた)

 遥は遅かれ早かれこうなる事を予期していた。最悪な結果として。

 周囲の空間が歪む。

 エレメントシフトはあちらの世界の誰もが持つ固有魔術の一種だ。

 自分の属性に適した世界を造り出し、使った術者は相手よりも数段に有利に戦う事が出来る。戦いにおいて、環境が物をいうあちらの世界ならではの魔術、いわば個人の持つ固有結界のようなものだ。

 次第に世界は構築され姿を現す。

「いでよ、私の世界【重力日々(グラビティデイズ)】」

 ショッピングモールだったはずの空間が、たちまち重力の世界へと変わった。

 こうなってしまえば、もう逃げ場はない。

 相手を倒すか、隙を突いて、こちらのエレメントシフトで世界を破壊して上書きする以外に逃げる方法はない。

 しかし、それは相手が強敵であるほど難しい事だ。隙を見せるなんて事は絶対にしない。

「どうやら、能力が使えないというのは本当らしいですね」

 遥がエレメントシフトを発動しないのを見て、確信したようだ。

「お前をここに送った奴に聞いたのか」

「……」

 無様な遥をあざ笑うかのようにラティスは無言で嫌らしく笑う。

(くっ、何から何までお見通しかよ)

「いいぜ、思う存分暴れてやろうじゃねえか。かかってきやがれ」

 ただの強がりだった。

 逃げ場はない。戦うしか、遥には選択肢がなかった。今はただの人間に過ぎなくても、勇者としての心は燃え滾っている。

「ハルカ……」

 後ろから心配そうにリリアは遥の震える背中を見ていた。

「フッ、威勢だけは勇者のようだ。だが、その威勢もここまでだ。魔王軍が受けた屈辱をここではらしてくれる」

 人差し指を突き刺してラティスはそこから遥に向かって重力弾を飛ばした。

(これくらいなら、まだ避けられる)

 と遥は所見で判断する。なまっているとはいえ、体術だけはまだしっかりと身についているんだ。

「そんな重力弾当たるかよ」

「落ちろ」

 ラティスがそう言った次には、遥の足が重力によって地面に縛られた。

「なっ」

「この世界の重さは全て私が支配している。まともに動けると思うな!」

 遥はそのままダイネクトにラティスの放った重力弾をくらう。

「がぁぁぁぁぁぁ」

 断末魔の叫びと共に遥は捻じ曲がるように横に回転しながら後方に飛ばされた。

 生身の人間ならこれだけで死んでもおかしくはない。

「さっき避けられたのはマグレかなぁ~」

 わざとらしく、ラティスはゴルフボールの行方を見るゴルファーのように眺める。

「ハルカッ!」

 リリアは遥の飛ばされた方向へ叫びながら駆け寄ろうと走る。

 だが……。

「おっと、君はこっちだよ。おとなしく旦那が、血みどろになるのを見ているんだ」

 リリアの全身に重力がのしかかった。

「きゃあああああ」

 そのまま、リリアはなすすべなくラティスに捕えられる。

「んんっ、がぁっ。ざけんじゃねえぞ。下種な戦い方しやがって、リリアを離しやがれ!」

 血をぽたぽたと落しながらも遥は立ち上がった。

 虫の息だ。能力の使えない人間はこんなにも無力で弱いものなのかと今更ながら感じる。

「下種ぅ……あははっ、下種。いいね、その響き、下種で結構。どんな手段を使っても勝てさえすればいいんだよぉ」

 どこまでも邪悪にラティスは遥を挑発する。

「この、度畜生がああっ!」

 遥は拳を握りしめラティスに向かっていく。

「リリア、今すぐ助けてやるからな」

「はいはい、うるさいよ。ゼロ」

 遥の身体が浮いた。ラティスは遥の周囲の空間を無重力にしたようだ。

「落ちろ」

「がはっ」

 遥は一気に地面にたたきつけられた。

「いいね。いいね。最高だよ。その表情、もっと見せてぇ、レロレロレロレロ」

 舌を出しながら、ラティスは変顔する。完全に調子に乗り始めた。

「ハルカァァァァ」

 そんな中、捕らわれのリリアは遥を見て泣き叫ぶことしかできない。

「うるさい雌だなあ」

 バリッ。

 と、ラティスは何の迷いもなくリリアの制服を引き裂いた。白いレースの下着とリリアの透き通るような白い肌があらわになる。

「……ぁ」

 かすれた声が、リリアの口から絞り出された。肌がひんやりとした外気にさらされて、自分がこれからどういう末路を送るのか想像するだけでも恐ろしく、怖く感じる。

「綺麗な肌だねえ。やばい、舐めたくなってきた。あれぇ? どうしたのかなあ、急に押し黙っちゃって」

 ジュルリと音を立てて、ラティスはリリアの耳元を舐める。

「ひゃっ!」

「てめぇ、ラティスゥゥゥゥゥ!」

 殺意をむき出しにしながら遥はラティスに向かって叫ぶ。

「おっと、怖い、怖い。そんなに嫁が私の毒牙にかかるのが怖いのかい?」

 ラティスは遥が抵抗できない事を知ってか余裕ぶっている。憎い。

「だけど、私は君をこの場では殺さないよ」

「な……に……」

「もっと君には絶望を味わってもらわないと」

 遥に対しての憎悪と憎しみがラティスから溢れんばかりに出てくる。まるで、蛇口の壊れた水道のようだ。

「いいか、君を半殺しにした後、我々魔王軍はこの世界を蹂躙する。そして、君の世界を征服し終えたら、魔王様復活と共にこの世界を魔王様のエレメントシフトで黒に染めるのさ」

 絵にかいたようなシナリオをラティスは淡々と遥に語って聞かせる。

(魔王が生きてる)

 その事に遥は敏感になる。

「そして、フィ、ナーレに勇者お前を殺す。自分の世界が終っていく様を眺めながら、終わりを迎えるのだ」

 もしもそんな事になってしまったら、遥の心は壊れるだろう。

「魔王が生きてるなんて、なんて悪い夢だ、ケッ」

 遥は皮肉交じりに血の混ざった唾を飛ばす。

 あれだけ頑張って、魔王を倒したと思ったのに、全て水の泡だ。殺し損ねた遥のミスではあるが、今となってはもう取り返しがつかない。

「まだそんな、戯言を言う力があるか……だが、そろそろ終わりにしようか」

 ラティスはリリアを抱き寄せて顔を近づけた。

「おい……何をする気だ」

「何をするだって? 君が想像している事だよ」

 ラティスはリリアに向き直る。

「やっ、やめて」

 リリアは声を出しながら抵抗する。ラティスがこれから何をするのかリリアにも分かる。

 だが、それだけは絶対に阻止したい。

 どうしようもなく、唇が震える。これから、我身が汚されるという悲嘆に耐えられない。初めては遥に捧げたかったという願望の理不尽な終焉にリリアはボロボロと涙をこぼす。

「それだけは……やめて、ハルカが見てる前でそんな」

「ぎゃははははっ。そう言ってもダメだよ。これは儀式なんだから、ひゃはははっ」

 腹を抱えるくらいラティスは笑うと、冷酷な目でリリアを見下ろす。

「ここまで来たら、私も引っ込みってのがつかないものでねえ。人間の女とするのは少々嫌だが、勇者を苦しめることができるのなら大歓迎」

 ラティスは自分の唇をリリアゆっくりと近づける。

「やだ、やだぁ、助けて……助けて、ハルカァ」

必死なってリリアは遥に助けを求める。だが、遥は重力の檻に全身を捕えられ動くことが出来ない。

「ちくしょう……」

 どうすることもできない遥はただ呆然と目の前で起こる事態を眺めるだけだ。

「最っ高! ではいただくよ」

「嫌ぁあああああああああーッ」

 紳士的にラティスはリリアの唇を奪った。


 ブチッ……と何かが切れる音がしたようだっだ。

 遥の目の前でリリアの唇がゲス野郎に奪われるのを見て、導火線が燃え上がり一瞬にして消え落ちるように理性という紐が外れた。

 リリアとの思い出が遥の中で泡のようにふわふわと浮かび上がってくる。

 そうして、今、遥の思いが声になって出てくる。

「殺す……殺す、殺す、殺す、殺す。ラティスゥゥゥゥゥ! 貴様は生かしちゃおけねえ、この世で最もやってはいけない事をした」

 重力を無視して遥は立ち上がる。

「あはっ、いいよ。その顔、その顔が見たかったんだぁ、ねえ、今どんな気持ち。愛する妻の唇を敵に奪われて……」

 顔を紅潮させながらラティスはねっとりと遥を煽り立てる。

「くそがぁぁぁぁっ」

 重力の重みなどなかったように遥はラティスに向かっていく。

 リリアはというと唇を奪われたショックで放心状態だ。

(待ってろ。今すぐ、そのゲス野郎の手をどけてやる)

 鎖を解き放たれた獣のように、遥は殺意をむき出しにしてラティスに向かっていく。

「遅いよぉぉぉっ」

 向かってくる遥に対してラティスは遥の腹に蹴りを入れた。

 重力の重荷が暴走状態で感じなくなっているが遥の動きは遅いままだった。

「がっ!」

 遥は地面に転がる。ラティスはそんな遥の胸に足を乗せ、優越感に浸った。

「無様だねえ」

 とうとう遥の身体は動かなくなる。

「これで終わりにしよう。安心したまえ、殺しはしないよ。殺してしまっては意味がないからね」

 そう言って、ラティスは遥に向かって手を掲げる。

「ゼロ」

 遥の身体が無慈悲に浮く。

「ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ、ゼロ」

 連続で無重空間をラティスは作りだし、遥を空高く浮きあげる。

 そうして、遥の身体は高層ビルくらいの高さまで到達した。

「そこから、落ちる景色はさぞかし、絶景だろうね」

 ラティスは掲げていた手を下ろした。

「落ちろ、【重力降下(グラビティゼロ)】ひゃはははっ」

 遥の身体がジェットコースターの勢いで落とされた。

 そもまま、遥の身体は勢いよく地面と激突してめり込む。

 落下地点の辺りは血痕が散布される。

「おや、私としたことがつい本気を出してしまった。死なないでくれよ」

 その言葉を最後に遥の意識は消失した。


 血みどろになった遥を見て、リリアの意識は覚醒する。

「ハ……ルカ……」

 喉の奥からかすれた声を絞り出す。

「ねぇ、ハルカ起きてよ、ねぇ。こんなやつはやく倒してよ。立ち上がってよ」

 泣きじゃくりながら、リリアは遥にエールを送る。

 だが、リリアの応援むなしく遥は気を失って起きることはない。

「無駄だよ。そいつは私の魔法で立ち上がる事なんてもうできやしない」

 希望を断ち切るが如くラティスはリリアに現実を突きつける。

 リリアはラティスを睨む。

「怖いなあ。可愛い顔が台無しだ」

「あなたに可愛いと言われてもちっともうれしくない」

「まだ、そんな抵抗する気力が残っていたとは、流石……魔王様を退けた勇者一行の一人だ。だけど、その威勢がどこまでもつかな」

 ギュッとラティスはリリアの腕を握りしめる。

「いっ……必ず、必ずよ。必ずハルカがあなたを倒す」

「そうか、その時が来るのを楽しみにすることにしよう。それまでに、君を存分に痛めつけるから覚悟してね」

 ラティスの手が身じろぎするリリアの手に伸びていく。

 その時だった。

「その子から離れなさい」

 上空から声がした。

 眩い光を放ち、銀色の髪をなびかせた女神が降臨した。

「セリア様っ」

 リリアの希望にこたえるように女神セリアが現れた。

「ようやくご登場か、世界の理を管理する女神」

「その子を離しなさい。三度目は言わないわよ」

 いつものおちゃらけた雰囲気を消して女神セリアはラティスを心無い目で見下ろした。

「勇者を壊せば現れると思ったが、案外早かったね」

「そこで寝ているクソ人間はどうでもいいのよ。リリアちゃんの唇を強引に奪った罪は重いわよ」

「まるで見てきたような言い方じゃないか。もう少し手前で、出てきて助けてやってもよかったんじゃないかなあ」

 女神に対して恐れおののくことなくラティスは挑発する。

「ああ、でも、できないのかぁ。この世界で、あなたが力を使うと世界のバランスが崩れて一気に崩壊するから」

 何もかも知っているかのように、ラティスは女神の秘密を軽々と口にする。

「……」

 冷や汗をかきながらセリアは黙る。

「どうやら、図星のようだね。何もかも計画通りに進むってのは気分がいいよ」

「この、クソ」

 セリアはぼそりと悪態をつく。

「勇者を殺したら次はお前だ。全ての元凶であるお前を殺せば全世界は我らのものだ」

 拳を握り、女神に向かって悪の波動を送る。

「そう、それは良かったわね……でも、そう上手くいくかしら」

 まだ、パンドラの箱の希望は残されているというように女神は祈り続けていた。

(はやく起きなさい。クソ人間)


 ポツンと、雨粒がため池に落ちる音が聞こえた。

 遥は暗闇の中で倒れ伏していた。

 体中のあちこちが痛くて動かない。

「あれっ、俺どうしてたんだっけ」

 なんでこんなにも身体が重く感じるのかと自分に問いかける。

「確か……俺はリリアとショッピングモールにいたはずじゃ」

 今にも消えそうな声を出しながら、自問自答して記憶をたどる。

「ああ、そうか思い出した。俺はラティスの奴に殺されたんだ」

 意識を失うまでの記憶が脳裏にフラッシュバックして遥の頭に流れ込んできた。

 殺されたというのに何ともあっさりとしている。

「ごめん、リリア」

 遥は嫁の事を思って、一言謝った。

「ツンツンツンツンツンツン」

 助けられなかった後悔がこみ上げてくる。ラティスに唇を奪われた顔を思うだけで腹立たしいことこの上ない。

「チクショウッ!」

「ツンツンツンツン、ねぇ起きてる?」

 どこからともなくアホの声が聞えるがこれは幻聴だ。

「リリアを残して死ぬなんて、俺は何て、最低な野郎なんだ」

 約束を果たせなかった。必ず守るという約束を、あれだけ誓ったのに。

「ツンツン、ねぇ、起きてるんでしょ。返事くらいしてよ」

 幻聴がうるさい。

「ここで俺は終わっちまうのか……」

「ちょっと、何一人でたそがれて、自分語りしてるのよ、気持ち悪い。そんな元気があるなら、さっさと起きてよ」

 幻聴が遥の声にツッコミを入れてきた。

「言っとくけど、あんたの声丸聞えだからね。あとで笑いのネタとして録音してるから」

「俺は死んだんだ。だから、もう……」

「そうまでして起きないというなら引っぱたくわよ。親のすねかじって生活してるニートのような寝方して」

「俺に戦う力は……」

「それじゃあ、行くわよ、せーのっ!」

「人の深層世界に勝手にはいってくんじゃねぇ、このアホが!」

「ブヘッ」

 遥は女神セリアを殴り倒しながらやっと起きた。

「痛―い。女神に対してなんてことするのよ。慰謝料払って」

「払うか。土足で人の心に入ってきやがった奴が何を言うんだ」

「人の心、何言ってるの? ここは、生と死の狭間よ、ププッ、おかっしー。あんた、そんなこと考えて寝てたの」

 女神は頬を膨らまして腹を抱えて笑う。

「そんなのはどうでもいい。俺はもう死んだんだ……」

 どうしようもない現実が遥を襲う。リリアを救えなかった痛みが胸にこみ上げてくる。正直言うと、世界の危機なんてどうでもよかった。リリアさえ守る事が出来れば、だけどそれもむなしく散った。

「死んでないわよ」

 重い顔をしている遥に呆れた顔で女神が答えた。

「はっ?」

「言ったでしょ、ここは生と死の狭間だって、あんたはまだ、かすかに生きているの」

 いつの間にか、女神は突然出てきた椅子に女王様のように座り込んで遥を見上げていた。なんかムカつく。

「この場所はいわゆる、選択の場所なの、俗世を捨てて新たな世界へ転生するか、生きるかのね」

 いつものセリアらしくない口調で遥に問う。

「さぁ、選びなさい。転生するか、生きてリリアちゃんを助けるか」

 何とも魅力的な選択だ。ネット小説で読んだ、チートスキルを最初から持っていて俺つえー展開が目の前にある。

 だけど……。

 遥は踏みとどまる。

「初めに言っとくけど、転生して俺つえーなんて考えない事ね」

 遥の思考を読んだように女神は忠告する。

「あんたが転生するのは人間じゃないわよ」

 人間じゃない。となると、ゴブリンや人狼か、それでも変わりないからいいけど。

「あんたが転生するのは、犬の糞よ」

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 暗闇を晴らすくらいの大声で遥は叫び散らした。

「なんて物に転生させやがんだ。この鬼畜アホ女神」

「だって、なんに転生させるかは私が決めていいんだもん。あなたに、選択権なんてないわ。死んで転生を選ぶろくでなしなんだから」

 逃げ場のない正論を女神は開き直りながら言った。もはや、生きることを選ぶしか遥に選択の余地は残されていない。

 というより、最初から遥の答えは決まっていた。

 生きる、そしてリリアを助ける。

 遥は覚悟の灯った目で女神を見る。

「どうやら、決まったようね。あぁあ、転生して犬の糞にでもなってしまえばせいせいするのに、担当代わってくれないかなあ」

 などと、冗談を言いつつ女神は遥に詰め寄る。

「いい、あんたの能力を解き放つ方法は……」


「さてと、そこをどいてくれるかな、女神セリアよ」

 親しみを込めて、ラティスは女神の本名を言う。女神の後ろにはボロボロになった、遥の身体がある。

「そこのボロぞうきんをかたずけないといけないんでね。私の重力もあなたに対しては効かない。で、どいてくれると助かるのだけど」

「どかないで、セリア様」

「うるさい、黙れ、この雌がぁ。多少、多めに見てやったが私もそろそろ我慢の限界だ」

 ラティスはリリアの頬をぶった。

「本性を現したわね、この外道が。あんたなんかにハルカは負けない。絶対、私を助けるから。だから、ハルカ起きて!」

 重力の空間を蹴散らす声でリリアは遥に向かって叫んだ。反響して、周囲に響き渡る。

 …………。

「どうやら、起きないようだな。さて、私は……」

「ハルカッ」

 リリアが女神の後方を見て顔を明るくする。

「何っ!」

 慌てた様子で、ラティスも女神の後方を見た。

「信じられない、あれだけの攻撃をくらってまだ立ち上がるなんて……」

 悪い夢でも見ているかのように目を震わせながらラティスはその光景を目の当たりにしていた。

「聞こえている!」

 リリアの声に答えるように遥は返事をして立ち上がっていた。

「ありがとな、アホ女神。時間を稼いでくれて」

 遥はのろのろと歩き、女神の肩に手をやってお礼を言う。思えば、女神にお礼を言うのは初めてかもしれない。いつも、余計な事しかしなくて迷惑極まるのに、今回ばかりは助けられた。

「そんな……バカな事があってたまるか」

 冷や汗をかきながらラティスは後ろに後ずさる。

「リリア、待ってろ。今助けてやるからな」

 ゆっくりとだが、遥はゾンビが這うようにラティスに近づいていく。

「くっ、来るなあああーっ、この死にぞこないがぁ」

 慌てふためきながら、ラティスは重力弾を遥に向かって飛ばし、攻撃する。

 だが、重力弾は当たるが、遥の進撃は止まらない。

「落ちろ、落ちろ、落ちろ、落ちろ」

 遥の周りを重力でラティスは満たす。それでも、遥は止まる事をしない。普通なら、倒れ伏してもおかしくないような、重みを遥は耐えて歩いてくる。

「止まれ、この化物が!」

 徐々にラティスと遥の距離が詰まっていく。

 とうとう、遥とラティスの距離がゼロとなる。

「歯ぁ、食いしばれ」

 遥は拳をラティスに向かって振るう。

「ひぃぃっ」

 ラティスは遥の勢いに恐れおののきリリアを離して後方へと尻餅をついた。

 遥の拳は当たらず、その勢いのまま遥は倒れる。

「ハルカッ」

 ラティスの手から離れたリリアが遥を抱きとめる。

「はっ、ははっ、脅かすなよ。もう虫の息じゃないか」

 砂ぼこりを振り払いラティスは起き上がった。

「貴様らに勝機はない。潔く諦めるんだ」

「黙って! 私たちは諦めたりなんかしない」

 リリアはラティスの言い分をかき消した。

「ハルカ、私の力をあげる」

 遥を真っすぐ見つめていたリリアが、遥の唇に唇を合わせる。


 キスをした。


 ラティスのキスをなかったことにするように、濃密にリリアの舌が遥の舌に絡んでくる。

 霧散しかけていた遥の意識が戻る。

 リリアは遥の頭に腕を回しがっちりと固定して離さない。

 光の粒子が踊り狂って二人を包み込む。

 ドクン、と。遥の体内に莫大な魔力が溢れ出す。

 痛みが支配していた身体が嘘のように消えると同時に、感覚が鋭敏になるのが分かる。それが、熱となって全身にポンプのように行きわたる。

 まるで、灼熱の炎に包まれているみたいだ。

 そうして、熱が生み出す膨大な魔力が遥の力となる。

(はやく言えよな。アホ女神)

 心身ともに回復していく。糸の切れたはずの身体が動く。

 この奇跡的現象はリリアの能力にある。

 リリアは一切魔法を使えないし、誰もがもつ固有魔術エレメントシフトもない。戦闘においては何の役にも立たない。

 が、生まれながらリリアは莫大な魔力を体内に宿していた。

 その体内の魔力を別の誰かに与えることの出来る、強力な魔力増幅装置なのだ。

 与えられた魔力は何十倍も跳ね上がり、力となる。

 力のない人には与えられないと遥は鷹をくくってが、どうやらその考えは違っていた。

 遥の魔力の蓋をこじ開けるためにリリアはこの世界に召喚された。

「がぁっ!」

 がっちりと固められた、リリアの腕が緩まり、遥からリリアは離れた。

「後は任せたよ、ハルカ」

 本人曰く、魔力を直接与える行為は体力をかなり消費するらしく、リリアはしばらく動けなくなる。

「ああ、反撃返しだ。エレメントシフト」

 遥が固有魔術を展開させる。

 暴風が吹き荒れ、重力の空間を破壊して再構築していく。強引だが、今の遥の魔力ならばどうって事はないだろう。

風が一気にはじけ飛び、清らかな澄んだ世界へと変わった。

「これがお前を倒す舞台だ、ラティス。【祝福の(ブレッシングウィンドウ)】この世界の空気(かぜ)は全て俺の味方だ」


 世界の改変が終った。

「エレメントシフトで私の世界を破壊したくらいでいい気になるなよ。その力長くは持たないのだろう」

 眼鏡をクイッとあげて遥の力をラティスは分析した。

「流石、知将だけあって、洞察力だけは鋭いな」

 この世界ではリリアの力なしでは遥は能力を使う事は出来ない。リリアの魔力を借りている状態にあるのだ。

 それはすなわち、リリアの力を使い切ってしまえば、遥は元の能力の使えない人間に戻ってしまう。

「今のエレメントシフトでかなり持っていかれたんじゃないですか。強引に私の【重力日々】を破ったのは得策じゃなかったというもの」

 確かに、ラティスの言っていることは正しい。エレメントシフトを強引に破るのに必要な力は普段使用するエレメントシフトの倍の魔力を使う事になる。

 だが、

「お前を倒すには、十分すぎるくらいの魔力だよ」

「そうですか、なら私はあなたの魔力が尽きるまで逃げればいいわけですね」

 相変わらず、汚い戦い方をする。

「それが上手くいけばいいけどな」

 立場が逆転したように遥はラティスを挑発した。

「ほざけ、エレメントシフトを破っただけで調子に乗るのはここまでです」

 ラティスが翼を羽ばたかせ、上空へと飛んだ。

「おしゃべりは終わりです、落ちろ、【重力の(グラビティプレス)】」

 遥に向かって、重力の弾が雨のように降り注ぐ。

「んじゃ、俺もいきますか。天空をかける一振りよ、今こそ俺にその力を示せ」

 遥の周りに風塵ができあがり、ドガァァーッ、と音を立てて重力弾が消滅する。


「展開【暴風の(テンペスタ)】これでお前を叩き斬る」


 風を纏った、日本刀にも似たような細剣が顕現した。

「落ちろぉ」

 ラティスは相も変わらず、重力弾を飛ばして遥に攻撃する。

「さっきから攻撃が単調だぜ。【風の加護(ウイングブースト)】はぁぁぁーっ」

 身体能力を底上げする風の魔法をかけ遥はラティスに向かっていく。

 ラティスの上空をとり遥が【暴風の刃】を振る。

「ゼログラビティ」

 だが、遥の剣は躱される。

「はっは、あなたの身体能力はそんなものですか」

 まるで瞬間移動したような動きにラティスが変わる。重力を調整して、加速と減速を上手く利用しているのだろう。

「当たらなければどうってことない。それと、そんなに力を乱発して大丈夫かなあ」

 思ったよりも厄介な相手だ。あっちの世界であったなら魔力切れを心配せずに戦えるのに、こちらの世界ではどうも勝手が悪い。

 遥はまだ、自分の世界での戦い方に慣れていなかった。

(消費が激しいな)

 こんなにピーキーな力をあっちの世界では心配せずに使っていたとなると恐ろしく感じる。異世界ってすごい。

「さぁ来いよ。どうせ、追いつけはしないがな」

 法則性を無視してラティスは縦横無尽に飛び回る。

(誘われているな)

 大方下種な戦法でも考えているのだろう。しかし、遥は迷わずラティスの下法にのった。

(馬鹿め。きさまの動きは手に取るように分かるぞ、剣を振り空振りして止まった時が最後だ)

 ラティスは重力を操作して遥との距離を徐々に縮めていく。

 ラティスの背後に遥の剣が振りかざされる。

「もらったぁー」

 シュパンと空を切る音が聞こえた。遥の攻撃は空振りに終わる。

 ラティスは高速で遥の後ろをとると手をかざし、遥に狙いを定める。

「終わりです。落ちろ」

 遥の周りに重力が集まり身体を押しつぶす。

 だが、

「お前の世界だったら、これで終わっていただろうな【足風速(ラピッド)】」

 重力が遥の身体に届く前に遥は魔法を唱えた。

「消えた……」

 遥が一つの魔法を唱えた瞬間、ラティスは遥を見失った。

「馬鹿な。どこだ、どこにいる」

 辺りをきょろきょろとラティスは見渡す。

「ここだよ」

 ラティスの耳元で遥の声がした。

「【風の正拳(ゲイルフロッツ)】」

「ぶへぇ」

 ラティスの綺麗な顔に遥の風を圧縮した拳が入った。

「悪いな、お前の眼鏡割っちまって」

 遥はラティスのはるか上から見下ろす。

「ケッ、大したことないですよ。予備がありますので」

 口元の血をぬぐうと、ラティスはポケットから眼鏡を取り出し割れた眼鏡を捨てた。

「用意周到かよ」

「うるさい、私のトレードマークを壊した代償は払ってもらいますよ」

「まぁ、いいや。お前の攻撃はこれから先、俺には当たらないからな」

 堂々と遥は宣言した。

 遥の足元を見ると、小さな竜巻が出来ていた。

「それが、私の攻撃をかわした原因ですか」

「ああ、言っただろ、この世界の風は俺の味方だって」

足風速(ラピッド)】は遥のエレメントシフト【祝福の風】と並行して使う魔法だ。

 その効果は、周囲の風を足に集中させ激風を起こし、爆発的にその風を蹴り上げることによって、機動力をあげる魔法。

 この世界では遥は弾丸の如く動けるのだ。

「そうですか。でも、そろそろ限界何でしょう」

 ラティスは遥の魔力切れが近いと悟っていた。

「流石にバレてるか」

「エレメントシフトにかすかな歪みが生まれていますからね」

「本当に憎たらしい敵だよ、お前は。こっちの世界じゃなかったら、とっくに終わっていたのにな」

 皮肉気に遥は己の限界を恨む。

(持ってあと数分ってところか)

「さぁ、どちらが地面に落ちるか白黒つけましょうか、落ちろ!」

 ラティスが先制してきた。遥は空を蹴り上げ避ける。

「落ちろ、落ちろ、落ちろ。今度は見失いませんよ」

 遥の動きを予想してラティスは重力の壁を浴びせる。

 そのラティスの破天荒な攻撃に遥は防戦一方となる。

「こちらはまだ、たっぷりと力を使えますからね」

 この世界でのラティスの有利性が味方している。

(俺の限界が分かって、近づけないために乱発し始めたか。こりゃいよいよ、マズイかな)

「逃げるばかりでは倒せませんよ」

 ラティスは逃げ惑う遥を見て笑っていた。

(逃げろ、逃げろ)

 ただやみくもにラティスは遥に攻撃をしているわけではない。策があるのだ。

 遥がラティスの攻撃をよけた時、ラティスの作戦が完了した。

 遥の動きが止まった。

「出来た、重力の檻が」

 縦横斜め下に重力の結界が遥を包み込んでいた。

 ラティスは遥の機動力を潰すために乱発に乗じて檻に遥を誘っていたのだ。

「これで逃げられまい」

 遥と並行して一直線先にラティスが構える。

「これが、私の最大級の技【暗黒の(ブラックホール)】消し飛べ、勇者ぁぁぁぁっ」

 遥の身体を簡単に飲み込むほどのマイクロブラックホールが出現した。

 吸い寄せられるようにブラックホールは遥に近づいていく。

「お前はもう逃げられない。飲み込まれて消えてしまえ」

 万事休す……かと思われた。

「はっ、お前が最後に俺にとどめを刺そうとするのくらいお見通しだよ」

 軽く鼻で遥は笑う。

「この生意気な口が、逃げ場はもうない」

「逃げ場? 逃げ場ならあるじゃねえか」

「なんだと……」

「目の前になっ【足風速】」

 遥はマイクロブラックホールに向かって飛んでいった。遥の一直線先には重力の檻はない。あるのは、勝利の道だけだ。

「自らブラックホールに飛んでいくとは、滑稽極まりないぞ、ははっ、あははっ」

 遥の自殺行為を見て、ラティスは慢心して笑う。

「ようやくこの【暴風の刃】に全ての風が溜まったところだ」

 マイクロブラックホールに向かって遥は剣を振り全ての風を放出させる。

「くらえ【風拳の呼応(ゲイルブラスト)】俺の世界じゃそんなものただの丸い球でしかない」

 莫大な量の圧縮した風の破城槌がブラックホールを消し飛ばした。

「なにぃぃぃぃっ」

 殺しきれない風の威力がラティスを風に流される麦わら帽子のように後ろへと飛ばす。

「これで終わりだ。うおぉぉぉぉっ!」

 限界を超えて、遥はラティスの身体を上段から叩き斬った。

「魔……王、さま……」

 ラティスは天を見上げながら、そう最後の言葉を残して落ちていった。

 後には清らかな風のだけが残されていた。


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