第三話 世界の案内(デート)
遥が目を覚ますと頭上には天使がいた。
「おはよう、ハルカ。よく眠れた」
天使じゃなく、昨日遥の世界に召喚されたリリアだ。
「おはよう~」
うつろな目で遥はリリアを見つめる。起きたばかりでまだ、頭が働かない。
(おかしいな、確かに俺は床で寝ていたはずなんだが……それに頭の位置が少し高いような)
遥はそーっと頭の位置を確かめる。
すると、ふにゅっとしたものに遥の頭が乗っている事に気づく。
「ひゃっ」
リリアの身体がビクッとなる。
「もう、ハルカったら急にさわらないでよ」
(さわる? 一体何を、俺は床で寝て……)
まだ自分の置かれた状況が分かっていない。しかし、徐々に遥の脳は活性し理解した。
「膝枕されてる」
遥は自分がどうなっているか口にして、飛び起きた。
「うふっ、ハルカったら大げさねえ、膝枕くらいで」
「膝枕って、男が女の子にされたい事ランキングベスト三には入る行動だよ」
「だって、ハルカ床で寝てて痛そうにしてたんだもん。だから、膝枕。どうだった私の太ももの感触は」
普通女の子って膝枕の感触を聞いてくるものなのか、と遥は思ったのだが、
「大変ふかふかで気持ちの良いものでした」
リリアの魅力に負けてつい感想を述べてしまう。
「良かった。ハルカが気持ちよくないとか言ったら私どうしようかと」
「膝枕してくれるだけで我々の世界ではご褒美です」
「やだ、ハルカたらおだてても何も出ないわよ」
二人はにこやかに笑いながら朝を迎えていた。
だが、そんな二人の様子を遥の部屋のドアの隙間から二つの目がハイエナのように見ていた。
遥もリリアもその視線に気づかないわけがない。
あっちの世界では奇襲を何度も受けたのだ。ちょっとやそっとの殺気を見逃す二人ではないのだ。
「ハルカ後ろ」
「ああ、分かってる」
遥は頭を抱える。もう誰が遥とリリアを見ているのか目星はついているのだ。
遥は振り返りドアの目を見つめる。
「親父も母さんも」
「ジー」
いい加減にしろと言おうとしたのだが、あまりにも食いるように両親が見つめていたので言葉を遥は失う。
「朝からお熱いねえ」
「昨晩はお楽しみだったわね。うちの壁は防音だから、母さんたちは何も聞こえてないわよ」
ありもしなかった事を次々に述べていく両親。
「親父も母さんもそんなアホやってないで、さっさと仕度しなよ。今日はまだ平日だよ」
「あら、いけない」
そう遥が言うとわざとらしく言葉を残して消えていった。
「はぁ、性格変わってもうちの両親めんどくせえ」
ため息とあきれ果てる声を漏らし遥は首を落した。
「オオー!」
声をあげたのはリリアだった。
彼女は青い瞳を輝かせて、キッチンのそれを見つめている。
「これは、魔法ですか? だけど、呪文はなかった……まさかハルカお母様は詠唱せずに魔法が使える魔女」
興奮を抑えられないリリア。当然と言えば当然なのだが。
「あらあら、大げさねえリリアちゃん。魔法だなんて」
と遥の母親が頬に手を当て苦笑した。
「リリアちゃんの世界にはガスコンロはなかったの」
「ありません。こんなとげとげした丸いところから火が出るなんて代物私たちの世界には、魔法でないというならこれは何なんでしょう。火の精霊さんを使役しているのかしら」
リリアは不思議そうにガスコンロを見返してはぶつぶつとなんだかつぶやいていた。
「火の精霊とかはよく分からないけど、ガスコンロは一家に一台あるものよ」
「なんと、それは便利ですね。私たちの世界は木を燃やして食事を作るのが一般的ですから、ハルカの世界は私たちの世界のはるか上の文明を築いているのね」
勉強熱心にリリアはガスコンロを観察していた。
「まあ、あっちの世界には家電そのものがないからなあ、リリアが驚くのも無理はないよ」
遥が大まかにリリアの世界や素性を両親に話していたが、まさかここまでとは思っていなかったらしい。
リリアはあっちの世界では身分の高いお嬢様なのだが、料理が得意なのだ。冒険をしていた時はいつもリリアの料理をみんな美味しいと言って食べていた。
そんな事もありリリアは自分が給仕されるのが落ち着かない。
なので、キッチンに行き母さんの手伝いをしはじめたのがきっかけである。
「お米が形の変な箱の中でふかふかと」
炊き上がった、炊飯器の中の米をみてリリアは感動していた。
「おにぎり出来る?」
「はい、できます」
そう言ってリリアはぎこちなくしゃもじを使い、米をとり握りはじめた。
ともあれだ。
「これだけあれば十分ね。リリアちゃんも座って食べてね」
「はい、お母様」
うむ。
リリアが炊事する姿は何度も見てきたが、日本のシステムキッチンで料理する姿はなんか違うというより見ているこっちが恥ずかしくなってしまう遥である。
自分のお嫁さんと母親が仲良く台所に立っているとなんだが微笑ましい気持ちになってくる。
「ところで、どうして遥なんかとリリアちゃんは結婚したのかしら、遥なんて勇者だか何だか知らないけど将来不安よ」
朝の食事の雰囲気を壊すように低い声で遥の母親が言ってきた。
「……」
自然と場が凍り付く。
「そんなことないです」
すると、リリアが力説し始めた。
「ハルカはとっても立派です。私の世界、いえ私たちの世界にはなくてはならない大切な存在なのです」
両親は目を細めて遥を見つめる。
「息子」
「なんだよ、親父改まって」
「お前、やばい薬とか持ってないよな、催眠術を覚えているとか」
「一体何の話?」
「どんな手を使ったのよ。こんなかわいい子があんたの嫁になるはずがないじゃない。洗脳なの」
鬼気迫る感じで両親は遥に顔を近づけてくる。
「するかっ。どんな手を使ったわけじゃないし、俺とリリアは愛し合っているから結婚したんだ」
食卓を叩いて遥は怒鳴る。
(どんだけ信用ないんだよ)
洗脳する薬や魔法はあったけど、そんな薄い本ネタに使われるような物一切使用しておりません。
「それよりも、親父はさっさと会社にいったら、電車の時間だよ」
「そうだな。じゃ、いってくるわ」
遥は早々に父親を退散させることに成功した。
「ところで遥、学校はどうするのかなあ」
遥が油断をしている隙に母親が突っ込んできた。
(この母親侮れん)
「遥も学校行く時間じゃないのかなあ」
「えっ、ハルカ学校に行っているの」
ツーサイドアップの髪が跳ね上がり、リリアは興味津々に遥を見つめる。
「ああ、うん、まあ」
遥は曖昧な返事で返した。
遥は学校に行く気なんてさらさらない。なぜなら、今はこの幸せな時間を終わらせたくないからだ。
その障壁となっているのが母親だ。
「遥も出ないと遅刻しちゃうわよ」
笑顔をつくりながら、遥を威圧する。何とも恐ろしい。
ここは覚悟を決めるしかないと思い、遥は真剣な顔つきで母親を見る。
「きょ……今日はサボるよ、リリアもいる事だし」
「えー、遥の学校リリア見たかったなあ」
リリアは残念な顔をしているが、母親は無言のまま笑顔で硬直している。
「リリアには、この世界の事、案内したいし……」
「……」
音ない空間に入り込んだような気分になり緊張感が張り詰める。
時間がこくこくと何秒にも進んでいく気がする。
冷や汗の粒がぽとりと食卓に落ちた。
「だよねー。リリアちゃんを置いて学校行くなんて言ったら、遥のあれを包丁でそぎ落とすところだったわ、あはは」
「それ、笑えない冗談」
何はともあれ母親を説得させることには成功した。
すると母親はエプロンのポケットから何かを取り出した。
「じゃあーん」
二枚の紙切れを遥とリリアに見せつけた。
「何それ」
「ここに二枚の映画のチケットがあります」
「で」
「ハルカ映画って何?」
リリアは遥の母親が取り出したものに興味津々だ。
「あなたたち、デートしてきなさい」
人々が行き交うスクランブル交差点。
入り組んだ駅を抜けると、目立つように犬の銅像が待ち構えている。
若者の街渋谷、二人はそこに来ていた。
「リリアとりあえず、その緑のカードをなくすなよ、なくすと電車に乗れなくなるからって聞いてねえし」
「はぁ~ ここがハルカの世界の都市、人がいっぱい」
辺りをきょろきょろと見渡しながらリリアは遥の声を無視して、その光景を目に焼き付けていた。
「ったく、リリアのやつ」
遥はリリアに近づくと強引に手をつないだ。
「ほら、行くぞ。危なっかしいから、手を繋いどいてやる」
少し顔を赤らめながら遥はリリアに世界を案内し始めた。
二人が渋谷にいる理由は一時間ほど前の事である。
映画のチケットをひらひらと揺らしながら見せびらかすように、母親が遥にデートしてきなさい、と言ってきた。
「ででで、デートだと」
「そうよ、なんか問題があるの、あなたたち夫婦何でしょう」
なんも心配ないというように母親はデートを強要してくる。
そんな母親に対して頭を抱えながら遥は言う。
「あのな、母さん、俺はリリアに世界を案内するために学校を休むんだ。それがどうして、デートになるんだよ」
「案内もデートも変わらないじゃない。男と女が二人で出かければそれはデートよ」
半ば強引な理論で母親は遥を納得しようとする。
「それとも、あなたたちデートもしないで結婚したの」
「……」
「……」
遥かとリリアはお互い見つめ合って無言になる。
あっちの世界では、日常が戦いのさなかだったので、休む時間などほんの少ししかなかった。なので、二人はデートと言われる、カップルがするようなことを一度もしたことがなかった。
「まぁ、本当に!」
オーバーリアクションをとりながら母親は驚く。
「それならなお更、デートする必要があるわね。善は急げよ。デートは三十分後、早く仕度しなさい」
「えっ、えっ、ハルカどうしよう。私、デートなんて……」
母親の勢いにリリアは戸惑ってしまう。
(悪いリリア。こうなった母さんを止めるのは無理だ)
遥は心の中でリリアに謝り、母親の行動に従う事にした。
「それよりも、母さん一つ聞いていい」
「何かしら」
「なんで映画のチケットがエプロンのポケットの中にあるの」
「お母さんのエプロンの中には何でもあるのよ」
(猫型ロボットの四次元ポケットかよ)
「あっ、はい」
遥はそれ以上追及することなく、リリアを連れてデートに行くことにした。
「いってらっしゃい」
玄関でにこやかに手を振る母親の洗礼を受けて二人はデートに向かった。
何はともあれ、こうして二人は渋谷も街中を歩いていた。
「映画までは時間があるし、それまでにリリアの服を買うか」
リリアの来ている服はあっちの世界のものだ。コスプレと思ってしまえば楽なのだが、目立ってしまう事には変わりない。
それに、こちらの世界にしばらくいるのなら着たきりスズメでいるのは何ともかわいそうだ。
「服を買うの?」
リリアはいらないとでもいうように立ち止まる。
「買わないとこっちが困るんだよ」
「ハルカが困るの」
「うん、そう」
「でも、お金、私持ってない、よ」
恥ずかしそうに、もじもじしながらリリアは言う。
(そっちの心配をしてたのか)
向こうの世界でも思ったがリリアは遥に対して少し遠慮がちなところがある。遥に心配かけないように振る舞う気持ちは分かるが、それではかえって遥が気になってしまうのだ。
「心配すんな。服の一つや二つどうってことない。俺が買ってやるよ」
「ほ、ほんとに……」
「ああ、だから気にすることはない」
「分かった、私、ハルカに可愛いって言ってもらえるような服を探すね」
金色の髪を揺らしながらリリアはあちこち見ながら走っていった。
リリアはあまり考え事をしないタイプだ。自分の思ったことはすぐに口にするし、すぐ行動する。
普通の人からしたら子供に見えるだろうがそこがリリアのいいところで、遥はそんなリリアが好きなのだ。
「待てよ、リリア」
遥もリリアを追いかけるように、ショッピングモールのショーウインドウが立ち並ぶ道を走っていった。
数分後、リリアは華やかな少女向けの服飾店を見つけて、動きを止めた。
ガラス越しにディスプレイされた今季の流行りの服をリリアはじっと見つめる。
「気になるのか」
「あっ! ハルカ、いやちょっと」
リリアはディスプレイから顔をそらしながらも、目は服から離れていない。
「リリア、入ろう」
遠慮していたリリアの手を引いて遥は店の中に入った。
「いらっしゃいま、まぁ」
店に入ると、奥から出てきた店員がリリアの姿を見るなり言葉を崩して目を丸くした。
リリアは誰がどう見ても美少女だ。先ほどから、道を歩いていたがリリアに向けられる羨望のまなざしが絶えなかった。
行く先々でこれなので遥は慣れてしまい、構わず窓側のディスプレイされているマネキンに近づいた。
「リリア、これ着てみてくれ」
「……この場で脱げっていうの、ハルカったら大胆」
顔を赤くしてリリアは恥ずかしながらも服を脱ぎだした。
「違がーう。試着室あるから、ここで脱がないで、ここでリリアが脱いじゃうと俺が死んじゃう。すみません、この服一式試着したいんですけど」
「えっ、あ、はいはい、少々お待ちを」
遥とリリアのやり取りに目を奪われていたのか店員は一歩遅れて我に返って動き出した。
「お客様どうぞこちらへ」
店員に案内されるやいなやリリアは試着室へと入っていった。
しばらくすると、カーテンが引かれた。
「こ、これで、いいの、かな、ハルカ」
遥はその可愛さに目を奪われる。
そこにいた、店員さんさえもがポカンと口を開けたほどだ。
フリフリの青と白のチェック柄の肩つきのワンピース。肩の部分には可愛らしくリボンが施されている。
触れてしまったら消えてしまいそうな、真夏の妖精がそこにはいた。
リリアは普段から元気のいいイメージがあるので、清楚な感じの服を着るとこんなにも大人びて見えるのかと目を疑うほどだ。
「うん、すげー似合ってる」
遥は思ったままをリリアに伝えた。
「そ、そうかなあ、やっぱり私くらいの美少女だとハルカの世界のものでも似合うって事かしらね、あはは」
軽く苦笑しながらリリアは偉そうにする。
だけど、そんな態度をしても彼女は可愛いので、店員さんも多少尊大な態度をとっても嫌味に感じない。
「お客様、よろしかったらこちらもどうでしょうか」
遥とリリアが見つめ合っていると、店員がすかさずほかの服も進めてきた。
すると遥は何かに気づいたのか、
「この服なら髪型もいじってもいいじゃなないかな」
服を店員からもらうと遥は片手を伸ばしてリリアの髪を触る。
「ひゃっ、ハルカいきなり」
リリアは驚いたように身を試着室の奥によせる。
その時だった。
「あっ、やばい」
リリアが試着室の奥に身を寄せたことで自然と遥の手も奥へと吸い寄せられるようにリリアの髪を追っていた。
その事により遥の足が試着室の段差につまずく。
あわてて遥はカーテンを掴むがするりと手から抜けて、試着室の中にいるリリアの胸元に向かってダイブした。
「やわらかい」
(じゃない)
遥は速やかにうずめていた顔を仰げる。
胸に顔をうずめられながら押し倒される格好になってしまったリリアが顔を赤らめながら恥ずかしそうに言う。
「そっ、そんなに、私と、したっ、したいの。やっぱり、男の人ってエロイことをするときに限界を突破した力を発揮するの」
「違うから。いや、あー、うー」
否定するが冷静に考えると一概には否定できないと遥は思ってしまう。
「で、これからどうするの」
先を求めるような顔をする、リリア。
「えっ、どうって……」
(落ち着け、俺。この場合のどうってのは、どう切り抜けるのかであって、このまま作業続行する事ではない、はず……)
「まさか、ハルカこの状況を偶然で済ませるわけないよね」
(そっちですよねー、はい分かってました、よこしまな気持ち考えてごめんなさい)
遥は深呼吸する。
「ご、ごめん」
店員の注目の的になりながらシーンっと遥の声が試着室の一室から響くのだった。
「ワンピースも似合うけどリリアにはそっちも似合うな」
一通り買い物を終えると遥とリリアは飲食店が立ち並ぶエリアへと来ていた。ちょうど、お昼時なので何か食べようと足を運んでみたのだ。
「えへへっ、そうかなあ」
遥に褒められてリリアの顔が緩くなる。
今、リリアが着ている服は、オフショルダーの明るいカットソーにフリルのスカートといったなんともリリアらしいスタイルだ。
ちなみに、お尻の部分まで落とした紐の長いレザーリュックが彼女の可愛らしさをより引き立てている。
中身は何も入ってないけどね。
「ハルカ、一体何を食べさせてくれるの」
期待のまなざしでリリアが目を輝かせる。
「何を、ねえ……」
遥はここで失敗したと感じる。
(しまったあー。どういった店に案内すればいいか考えてなかった)
リリアはあっちの世界の住人だ。遥の世界の食べ物なんて知るわけがない。
普通のデートなら、何食べようか、と自然に言えるのだが、相手がリリアだと話にならない。
(やはり無難なファミレスか。それとも、最近賑わっているというステーキ屋か、いやいやいや)
思いつく限りの店を想像してみたが、どれもリリアに対して失礼だと思い、一旦忘れることにした。
遥は歩きながら携帯端末をとり、口コミサイトを見る。
だが、近隣のページを見て遥は唖然とする。
(どれも高級店ばかりじゃねえか。いや流石にこれはちょっと、リリアがいくらお嬢様だからといってもなあ)
夢の国お値段の話じゃない。一般的なランチの予算と比べれば桁が二つは違う。
それに、予約なしで入れるようなお店じゃない。
リリアの口に合うものと考えてサイトを開いたのが間違いだった。
(よし、ファミレスにしよう。あそこなら、何でもある)
無表情を作り、遥は原点回帰した。
携帯をポケットにしまい、
「リリア、行くぞ」
そうして振り返ると、そこにリリアの姿はなかった。
「あれ……」
きょろきょろと辺りを見回してみると、少し戻ったところに小さなリュックがたたずんでいた。
「あれだけ、俺から離れるなって言ったのに、急にいなくなるから驚いちゃったよ」
ほっと一安心してリリアに声をかけると、
「はわあー」
リリアはメニューが並ぶ立て看板に釘付けになっていた。
「あのお、リリアさん?」
尋ねるように声をかけると、リリアが勢いよく遥の方を向いた。
「ハルカ、ここがいい。お昼はここにしよう」
「ここって」
リリアが見ていたのは、全国展開されているラーメンチェーンだった。
遥の口コミで見てたようなお店と違ってリーズナブルな価格。さらに、ラーメンは日本の食文化、いやもはや日本料理でいいようなものだ。異世界出身のリリアにはぴったりな食べ物だった。
だが、遥は不安がよぎる。
「俺は構わないけど……本当にここでいいの」
ラーメン店と言えば暑苦しいというイメージがあり、とてもデートで来るような場所じゃない。
普通の女子とデートした時、ここで昼食にしようと言ったら、「……はぁ、ラーメンですか」とテンション下がり気味の冷たい目をされるだろう。
「ここがいいの、このスープの中に……」
リリアは、どんぶりに乗ったラーメンから目を離さないでいる。どうやら、スープの中に肉や小麦粉を固めた細長い棒が入っているのが物珍しいようだ。
「リリアがいいって言うなら、じゃあ、ここにしようか」
遥が先頭に立ちリリアを案内するようにのれんをくぐった。
「へい! お待ちどう。とんこつラーメン二つお持ちいたしました」
ふかふかと湯気を上昇させながら二人の前に注文したラーメンが運ばれてきた。
「わぁー、何とも食欲のそそる香りね」
鼻で湯気を吸いこみリリアはラーメンの臭いを堪能する。
「これが、ハルカの世界のソウルフードなの」
「うん……そんなものかなあ」
本場のラーメンと日本のラーメンは事実上別物だ。だから、日本の文化が作り出した食べ物で間違ってはいない。
「ささ、どうぞ冷めないうちに」
などと言いながら遥はリリアに食べるようにすすめる。
「うん……むっ」
割りばしを使いこなしリリアは一口ラーメンをすする。
「どっ、どうお、リリア?」
「む……む……ぅぅううう~ 美味いッ!」
「よかった、リリアの口に合って」
「ハルカこのラーメンという食べ物は素晴らしいわ。スープに絡んだ麺との相性、何よりこの歯ごたえ、付け合わせの野菜とお肉完璧よ」
リリアのはしの動きが止まらない。はしたなく、音を立てながら、リリアはラーメンをむさぼり食っていく。
女の子がこんなにも豪快に食べるなんて、見る人が見たら目を疑うだろう。
だが、リリアほどの美少女が食べるとそうでもないらしい。
「おっ、お嬢ちゃん、いい食いっぷりだねえ。おじさん、サービスしちゃうよ」
と、店員さんがチャーシューをリリアのどんぶりに数枚入れてくれた。
「ありがとうございます」
「いいってことよ。こんな可愛らしいお嬢ちゃんにうちのラーメンを食べてもらってこちらこそありがたいよ」
「そんな、可愛いだなんて」
微笑み返しながら、リリアはもぐもぐとラーメンを食べていった。そして、数分もしないうちにリリアのどんぶりは空っぽとなる。
「美味しかったあー。みんなにも食べさせてあげたいなあ。ハルカの世界の料理」
向こうの世界にいる仲間たちの事を思ったのか、リリアは自然とそんな独り言をつぶやいていた。
「いつか、食べられるさ」
遥はリリアの笑顔をみてそう返していた。
いつかきっと、この世界が平和になって、リリアがあっちの世界に帰還するときにはラーメンの作り方ぐらいは覚えているだろうから……。
太陽がさんさんと照り付ける午後。
高層ビルが立ち並ぶオフィス街から少し離れた小さなビルの屋上でそれは起こった。
バチバチバチバチッ。
と、音を立てながら、一つのゲートが開いた。
そのゲートの中から一人の男が飛び出してきた。
男は全身が黒で覆い潰させたような肌の色をし、禍々しさの象徴というべき鋭い角と翼を生やしていた。
「ここが、やつの世界」
誰かに尋ねるように男は訊く。
すると、ゲートの奥から、
「そうだよ。君が探している人物のいる、故郷さ」
まだ、声変わりしていない子供声が男の耳に届いてきた。
「そうかですか……」
男は納得したのか、一言つぶやくと辺りを見回した。
「何とも、平和ボケした世界。戦場の声がないようですね」
遠くからまちゆく人々の顔を眺め男は軽く口を吊り上げる。
「これからどうするの」
「聞かずとも分かりますよね」
憎悪が口から漏れ出すような声で男は言った。
「そうだね、聞いた僕が間違いだった」
笑い声を出しながらゲートの声は男に謝った。
「ここに連れてきたことに感謝します。ここからは勝手にやらせてもらいますよ」
「ちょっと待って」
「まだ、何かあるのですか」
ゲートの声が男のいく先を止めると男は少しイラッとしてゲートを睨み付けた。
「いやね、最後にこれを渡しておこうと思って」
すると、ゲートの奥からローブと指輪が出てきた。
「これは」
男は出されてきた物を手に取るとまじまじと見つめる。
「僕からのささやかなプレゼントだ。この世界は、君のような異物を受け入れるようには出来ていない。直ぐにでも炎上の的になるだろう。だからそれを着ていった方がいい。人払いのローブだ。それと、指輪は女神の監視を逃れることができる」
「ありがたく使わせてもらいます」
男は指輪をはめローブを着ると、都会の闇へと消えていった。
「バイバーイ」
ゲートの声は男が消えていくのを見終わると、
「これで、役者と舞台は整ったね……」
意味深な言葉を募り始まりの合図を告げる。
「さあ、ゲームスタートだ」
「うぅぅん。わーん。いい話だったよー。最後、記憶を失って過ぎていく時間の中、お互いが交差して名前を聞く瞬間。悲しい終わりにならなくて本当によかった」
映画を見終わった遥とリリアは近くのカフェでお茶をしていた。
そこで、遥は先ほどから、リリアの感想を相づちを打ちながら数分くらい聞いていた。
なにせ、映画を見終わった後のリリアは涙でいっぱいになって、席を立とうとしなかったのだ。
それを無理やり、遥が引っ張ってやっとこのカフェに連れてきたのだ。
遥たちの見た映画はこの夏大ヒットのアニメーション映画だ。感動的なラブコメで、若い人たちに大人気、それを反響に年配の方も多く見るようになった。
遥自身もいい話だと思い、もう一度見たいと感じるほどだった。
「ハルカの世界は凄いね。あんなでかい画面に別の世界の物語を映し出すことができるって、私たちの世界の魔法を軽く超えてる」
映画の事を別の物語って表現するのはいかにも異世界人らしい。
「あの二人はどうなったのかなあ。きっと私たちみたいに結婚して、子供を作って幸せに暮らしているのかなぁ。他人の世界を勝手に除くのは気が引けたけど」
映画の後の物語をリリアは想像して独り言のように遥に言ってくる。もう、日本のアニメにどハマリだ。
「そうだね。でも、別の世界の物語じゃなくてあれはこの世界の人が作ったものなんだよ」
感動しているリリアには悪いが遥は真実を告げた。
「ええっ! あんな綺麗な世界がハルカの世界にはあるの」
リリアは驚きながら、テーブル越しの遥に顔を近づける。
「そうじゃなくて、なんて説明すればいいのか……あれはね映像っていって、原作のあったお話を元に専門の人たちが駆使して映像にしてあの巨大なスクリーンに流しているんだ」
「じゃあ、本の物語を映像にしてるってことでいいのかな」
「簡単に言えばそうなるのかな」
「なんて、素晴らしい世界なの。その技術を使えば多くの人に物語を知ってもらえるわね。ハルカの世界の人たちは神様のような魔法を持っているのね」
「キャラクターからしたらそうなるね……」
無我夢中になって話すリリアに遥はもうたじたじである。リリアの世界からしたら珍しいもので溢れているから仕方ないんだろうけど。
「それにしてもあの学校の制服可愛かった。私も着てみたい」
「あはは、着れるといいね」
リリアは映画を見てヒロインの着ていた制服が気に入ったらしい。リリアの制服姿を想像すると、凄く可愛いのだが、学校に通わないと着れることがまずないので残念だ。
コスプレ用のを買えばとも思ったが、あれは実際の制服と比べるとちゃちなのでやめた。
「ハルカ、そんな事絶対思ってないでしょ。そんな返事してた。私の制服姿見たくないの?」
「いやいや、みたいみたい。リリアの制服姿みたいよ」
「ホントに」
「ホントホント」
(リリアの制服姿なんてみたら、俺のリビドーが解放されてやばい事に……)
「良かった。ところでハルカ、あの映画みたいに、他にもこの世界の映像作品? はあるの」
「ああ、うん、いくつかあるよ」
何とも曖昧な返事で遥は返した。
「なら、私それが見たい。あっ」
静かなカフェに可愛らしい女の子の大声が響き、リリアは慌てたように口をおさえた。
外国人も異世界人も日本の好きなところは一緒らしい。
緑の高架をくぐると、そこはフェスティバルだった。
リリアは目の前から永遠と続く大通りを見てやりながら両手を広げて言う。
「アキハバラーッ! 私は、帰ってきた」
昨日、帰る前にレンタルショップで借りたアニメdvdの影響だろうか、リリアはなんのためらいもなくやってのけた。
「リリア、ちょっと恥ずかしいよ」
遥はリリアの行動が恥ずかしすぎて少し離れたところから声をかける。
「えー、ハルカなんで? アキハバラにきたらみんなこうするんじゃないの」
「それは、アニメの中だけだから」
(ちなみに核爆弾も落とさないよ)
「そうなの? うーん、残念」
「そこ、残念がらなくてもいいからね。言わないのが普通だから」
昨日見た映画で、リリアは日本のアニメにハマッた。なので、今日はそんな日本のアニメーション二次創作が溢れる秋葉原を案内することにした。
しかし、開始からこれだと遥の身が持たなそうだ。
「ねえ、ハルカはやくいこうよ。ハルカがいないと私、道分からないよ」
などと言って、リリアは遥に近づくと手をつないで強引に遥を歩かせた。
良くも悪くも雑然とした通り。
雑踏は好きな方に歩き、人々は己の好きなものに向かって一直線。アニメやゲーム、マンガといった看板が目立ってきた。
その事もあり、リリアはあまり目立つ様子はない。髪の色の事もあるがきっと、アニメ好きの外国人が観光にやってきたのだと、みんな思っているのだ。
存在感のある、焼肉屋のビルをしり目にして、遥たちは改めて秋葉原の中央通りに足を踏み入れた。
「ハルカあそこ、あそこ」
と、はしゃぎながら髪を揺らすリリアは指をさして前を歩いていた。
彼女が指をさしているのは、青色を基調とした縦に長いビルだ。
そこは、数多くのアニメのグッズが並ぶ初心者オタクならだれもが知り足を踏み入れる、まさにオタクの登竜門というべき場所だ。
二人は早速、正面の空いている扉から足を踏み入れた。
扉をくぐるとそこは夢の国だった。
数多くのアニメ関連の雑誌が並び、手前には発売されたばかりの新刊が山のように置いてあった。
二階三階に行くと、一階よりも更にマンガやラノベと言った二次創作書籍が積まれていた。
「すごい、これ全部ハルカの世界の本なの。私たちの世界の書籍なんて目じゃないくらいあるわ」
驚き目で、リリアは多くの本を見ては嬉しそうに笑っている。
それもそのはずだ。あっちの世界は印刷技術が発展してないので本の数に限界がある。印刷技術を持っていけば日本と同じくらい発展するとは思うが、あのアホが禁則事項とか言って許すはずがないだろう。
「ねぇ、ハルカこれ買っていい?」
リリアは一つのマンガを棚からとって遥に見せびらかした。
マンガの表紙には、昨日リリアが見ていたアニメのヒロインが描かれている。リリアに見せた、dvdのアニメがえらく気に入ったみたいだ。
遥はそっとリリアにつぶやく。
「いいよ。リリアが好きなら買えばいいさ」
「やったー」
リリアは跳ね上がりうれし顔をする。その顔がなんとも、微笑ましい。
それからリリアは、気に入ったマンガをいくつか取り出してレジへと持っていった。
マンガをぱんぱんに積んだ袋はとても重いので遥が持つ。
両手にマンガの詰まった袋を持って遥は思う。
(以外とこれきついな)
だが、きつい顔をリリアには見せない。
二人は階段を上がって、アニメの関連グッズのエリアへと行った。
そこでも、リリアは多くのグッズを買いあさり、遥の腕を締め上げる。
そして、ようやく買い物を終えて、その場を出た。
「な、なあ、リリアそろそろ昼食にしないか」
昼食にはまだ早い時間だが遥が言ってきた。
遥の腕はもう、リリアの買い物によって限界だった。もう一荷物積まれると、ビルが爆弾で簡単に崩れるように地面にひれ伏すレベルだ。
だが、リリアはそんな遥の緊急信号を聞いてはいなかった。
「ハルカ、あれゲーセンよね。行ってみましょう」
と言って、すぐさま信号を渡って、リリアはゲームセンターへと一直線。
(ああ、これ、非常にまずい)
遥はそう感じながらも重い荷物を振り子のように振って、リリアの後を追いかけていった。
ゼェーゼェーゼェーと遥は息を切らしながらもゲームセンターへとたどり着く。
(死ぬ、これマジ死ぬ)
リリアの姿は見当たらない。二階にでも行ったのだろうか。まあ、一応、お金は持たせてあるのでクレーンゲームでもやっているはず。
ゲームセンターでは、今が旬のグッズやヌイグルミ、フィギュアがクレーンゲームとして置いてあるのが特徴だ。
とあるゲーセンでは莫大的な人気を誇るアイドルアニメ一色になっているところもあるが、どこのゲーセンも形体は変わらない。
しかし、これが簡単には取れるものではない事を遥は知っている。
ゲームセンターの景品はゲーセンにとって命といっても過言ではない。簡単に獲れてしまえば採算が取れずにその店はたちまち赤字になってしまう。
なので、ゲームセンターの店員はあの手この手と卑劣な手段を使ってくる。
配置をなかなか取れないような場所にしたり中にはアームの力を弱くして取れないようにする店がザラである。
それでも、客は諦めない。どうしても欲しいから。
取れそうで取れない、あと少し、あと少し、と思わせ客に金をどんどん投入させていく。遥も昔はこの手口に相当やられて、財布の中身が薄くなったものだ。
「ここにはいないとなると二階かあ。二階の方がリリアの好みのものが多いからなあ」
エスカレーターで遥はリリアがいるであろう二階へと行く。
「あれっ……ここにもいない」
二階で景品が取れずに泣きついてくるかと思ったのだがリリアの姿はなかった。
(となると、三階か)
三階からは一、二階と比べ、シューティングゲームやメダルゲームが多い。
「リリアの好みに合わないような……」
そう思いながらも遥は三階へ行くエスカレーターに乗った。
三階に行ってもリリアの姿は見当たらないので遥はそのまま四階へと続くエスカレーターに吸い込まれるように乗る。
「エイッ、ヤッ、ソコッ」
タバコの匂いが充満する四階にリリアはいた。
カチカチカチカチカチ、とレバーの音を立てながらプレイヤー同士がキャラを動かしている。
「あー、また負けたー」
リリアは椅子に座りながら画面を見て悲し気な表情と悔しさの両方を出していた。
「もう一回」
と、コイン入れに再び百円玉を投入。
すると、可愛らしい女の子が出てきて、リリアはその子を操作して、対戦相手と思われるプレイヤーと勝負していた。
リリアは格闘ゲームをしていたのだ。
「ありゃりゃ」
頭をかきながら、遥は気づかれないようにリリアの後ろへと行く。
リリアのプレイしている格闘ゲームは同文庫のキャラクターたちが集まる、対戦型格闘ゲームだ。
主人公がメインではあるが、可愛いヒロインも参戦している。
リリアがプレイしているキャラは昨日借りてきたアニメのヒロインだった。
アニメでは強気な部分もあるが、逆に女の子らしい部分もあって格ゲーには向かないと思っていたのだがこうしてみるとそれなりに様になっている。
(製作者の愛が伝わります)
遥はしばらくリリアのプレイを見ていた。
「エイッ、ああそこー」
遥は愕然とした。
(弱すぎる)
格ゲー初心者にはありがちなのだが、ジャンプして敵に突っ込んで行ったり、遠距離攻撃ばかりしかしない。
さらに、覚えたてのコンボしか使わないといった格ゲーあるあるをリリアは全てやってのけていた。
(今時、小学生でもこんなプレイしないよ)
と、思っている間にリリアのプレイしているキャラの体力ゲージがゼロになった。
「また、負けた……」
負けたショックでリリアは卓にうつむく。
そして、再び財布から百円玉を取り出すと投入口に……。
バシッ。
「ハ、ハルカ」
遥はリリアの腕をつかんで、コインを入れるのを止めていた。
自分でもなんでこんなことしているのか自然なくらい遥は不思議だった。
「離して、ハルカ。コイン入れないとこいつ倒せない」
(コインをいくら入れようと、リリアじゃ一生かかっても倒せないだろうなあ)
遥は笑い顔をつくり、リリアからそっとコインを取った。
そして、ゆっくりとリリアの座っている椅子に座りかける。
「ちょっと、ハルカ、何」
リリアは困惑するが、遥は何事もなく椅子に座る。
「少し、黙って見てて」
遥はそう言って、投入口にコインを入れた。
(格ゲーをやるのは久々だけど何とかなるだろう)
何かのスイッチが入ったように、遥はレバーとボタンの感触を確かめる。
コインを入れてキャラクターを選択し数秒すると対戦画面となる。
まるで、世界が変わったような気分だった。
相手の動きに乗じて、カウンターを繰り出す。隙ができたらコンボを決めてたたみかける。最後は大技でフィニッシュ。
(相手の動きが手に取るように見える)
遥は何かに憑りつかれたかのように格闘ゲームをプレイする。
周りの声、ピコピコとうるさいシューティングゲームの音、何も聞こえない。
「ハルカ、凄い」
リリアの声が横から聞こえると、遥は現実に戻された。
画面を見ると、体力ゲージパーフェクトのまま遥が勝利していた。
「あ、あはは……」
遥はどうしていいか分からず笑いでごまかすことにした。
どうやら、無我夢中でプレイしていたらしい。
「ねぇ、ハルカどうやったの。あの動き、人間業じゃないよ」
「さぁ、分からないな」
自分でもどうしていたのか記憶にないのでそう答えることしかできない。
「そうなんだ……」
期待していた答えと違ったのかリリアは上の空だ。
「それにしても、ありがとう。べーっだ」
リリアはお礼を言うと画面に向かって舌を出した。
遥が格ゲーに挑んだのは多分、リリアがこれ以上負けるのを見ていられなかったかもしれない。
すると、反対方向からだろうか人がやってきた。
シャツにジーパンといった普通の格好の青年だった。
「あのう、プレイされていた方ですか」
青年は画面を指さし遥に聞いてきた。
「あー、はいそうです」
遥は青年が反対側で対戦していた人だと気づく。
「何か、用で……」
「ありがとうございました」
遥が事情を聞こうとしたら、青年は首を下げてお礼を言う。
綺麗なお辞儀だ。今の時代、こんな綺麗なお辞儀をする若者は珍しい。しかも、ゲーセンで。
「…………」
唐突の事だったので遥は言葉を失う。
「すみません。驚かさせちゃいました」
「……こちらこそ、反応に困ってすみません」
「ああ、いえいえ。それにしてもあなたのプレイは最高でした。まるでこちらの動きが分かっていたかのような……」
青年は数分間熱く遥のプレイを語ってくれた。
それほどに、この格闘ゲームの思いが強いのだろう。
青年が遥の事をまくしあげていると、ぞろぞろと他の外野が集まってきた。
「ちょっといいかな」
「何です」
「俺たちまだ。用事があるんでここでお暇させていただきます。キャラは自由に使っていいんで、さようならー」
リリアの手を引いて遥は逃げたすようにその場を後にしてゲーセンを出るのだった。
ゲームセンターを出ると本の重さとリリアの手の感触が伝わってきた。
「危ない、またさらし者にされる所だった」
遥は異世界帰還の事件以来、目立つことを一切しなくなった。全裸男と特定されてしまえばまた注目の的だ。そのくらい、あの事件は遥にぬぐいきれないトラウマを植え付けていた。
「大丈夫? ハルカ」
汗びっしょりな遥を心配してかリリアは声をかける。
「ああ、心配ないよ」
「そっ、不安なことがあるならいつでも言ってね。私、待ってるから」
遥の手をほどいてリリアは遥の前を歩いていく。
「……あっ、待って、リリア」
思考が数秒間止まって、遥は再びリリアを追って動き出した。
「さっきから、気になっていたんだけどハルカ、この世界のメイドは常に出歩いているものなの? 主は一緒じゃないのね」
昼食を終えて、大通りを歩いているとリリアはそんな事を言いだした。
客引きメイドの事を言っているのだろう。
忘れているだろうが、リリアはあっちの世界では位の高いお嬢様だ。
彼女の屋敷にもたくさんのメイドがいたことを覚えている。
しかし、リリアの屋敷のメイドとアキバのメイドとでは天と地ほどの差がある。
「あれは、メイドじゃないよ。メイドのコスプレをしたバイトのお姉さんだ」
「メイドじゃないの。コスプレってバイト?」
小鳥のようにリリアは首を傾げた。
その仕草は悶えるほど可愛いのだが、それはさておくとしよう。
「あれは本物のメイドさんじゃないんだよ」
そう、本物には程遠いのだ。リリアの家で見た本物のメイドは主の為に忠誠を誓い情に熱く、それにして強い。
家事も完璧なのは忘れずに。
それに対してアキバのメイドは金を払えば何でも解決という何ともお手軽なメイドなのである。
家事をするどころか、情にも熱くない。
金の分だけ働く。なんとも薄情なやつらなのだ。
「そうなんだ……」
などとリリアは妙に驚く。
「まあ、いいわ。ハルカ、帰ろう。私、疲れちゃった」
リリアがそう言うので、遥は何も言わず駅へと向かっていった。
赤い空が影を伸ばす中、ガタンゴトン、ガタンゴトンと電車が揺れる。
リリアは、夕焼けの風景を窓に手を突きながら見ていた。
こんなはしたない恰好をされるのは横にいて恥ずかしいのだが、電車の中は人が少なく遥とリリア二人だけの空間になっていた。
(リリアにとっては物珍しいものばかりだし今はそっとしておこう)
とそんな事を遥が思っていると、リリアが、
「大きい街だね。建物全部が城みたい」
都心に立ち並ぶ高層ビル群を見ながらリリアはささやく。
「あっちの世界じゃあ城なんて、国に一つあるようなものだしね」
などと言いながら、遥はあっちの世界と自分の世界の違いをかみしめる。
リリアから見れば高層ビルはとてつもないものだろう。城級の建物がわんさかあるのだから驚きだ。
「まるで永遠と壁が並んでるみたい。何かと戦う防壁のような……」
「ん……」
そこで、遥はおかしなことに気づく。
「ねぇ、ハルカ。あの建物は何かと戦う為に作られたんでしょう。一体何と戦ってるの」
魔王と戦っていたのが長いせいかリリアの頭からは戦場の記憶がまだ残っている。だから、ビル群を戦いの道具と勘違いしているのだろう。
遥は一言で否定する。
「いや、違うから」
「あんな風に巨大な壁を作らないといけないというのに、壁と壁の間には隙間があるのね。という事は、巨人が攻めてくるのね。喰われたり、進撃したり、するのよね」
遥の言葉を無視して、わくわくをおさえられない子供のようにリリアは想像力を働かせていた。
昨日見たアニメにそういうのもあったなと遥は思い出す。実際に巨人なんていたら、こんなのんきに電車なんて乗っていられない。
「しません」
「えー、巨人いないのー。首をスパンと斬りたかったのに」
剣を振る動作を見せながらリリアは何ともがっかりする。てか、巨人を狩りたかったの。
アニメの影響がここまでとは、恐ろしいジャパニメーション。
「そんなのいたら、今頃セリア様が誰かを派遣って、あっ……」
遥は唐突に思い出した。
(そうだ、リリアはこの世界の危機であのアホが送り込んできたんだった)
リリアとのデートが楽しくて遥はそんな事すっかり忘れていた。
(そうだよ。今はこの世界の危機なんだ。にわかには信じがたいけど)
事の重大さを再確認して遥の顔が険しくなる。
「ん、どうしたの、ハルカ、そんな難しい顔をして」
遥の前にひょっこり顔を出してリリアは顔色を窺ってくる。
「いや、なんでもない」
「そっ、ならいいや。それにしても平和な世界だね……」
故郷の事を思っているのかリリアの目はわずかにうるんでいるように見えた。
「セリア様の言うような世界崩壊なんて本当に起きるのかな」
「ブヘッ」
遥はむせて噴き出した。
「ちょっと、ハルカ大丈夫?」
慌てた様子でリリアは遥の背中をさすった。
(何、リリア、エスパーなの。俺がそういう事考えてるのバレてた)
「けほっけほっ、もう平気だ。ありがとうリリア」
呼吸を整えて遥は楽な姿勢で腰かける。
世界の崩壊なんてきたらリリアだけじゃどうにもならない。呼び出すなら、グライリックやウェイン、戦闘にたけた連中を送り込むだろう。
(一体、あのアホは何を考えてリリアを送ったのやら)
先が思いやられそうで不安になる。
「ったく、なんでリリアが来たんだか……しまった」
何も考えてなかったわけじゃない。思ってたことをつい口に出しただけなのだ。
ゆっくりと遥はリリアに首を向ける。
「うぐっ、うぐっ」
リリアは涙を目じりに溜めていた。
(やっぱり)
「そんなに私が来るのが嫌だった。そうだよね、私なんかが来たらハルカ迷惑だもんね」
腰掛に足をのせながらリリアは体を丸めでうつむいた。
そして、タイミングが悪く帰宅ラッシュのサラリーマンが多く乗る駅のドアが開いて、ぞろぞろと人が押し寄せてきた。
更に、先頭で乗ってきたサラリーマンにリリアが泣きながらうずくまってるのを見られてしまい……。
「えっ、あっ、そういうんじゃないんです」
手振りは振りをしながら、遥は泣くリリアをテンパりながらもなだめた。
(俺の不注意が招いたこととはいえ、不幸だ)
楽しさでいっぱいだったはずのデートが一気に冷めてしまった。
電車を降りて、帰路を歩く。
「さっきはごめん。そういうつもりじゃなかったんだ」
リリアを前にして遥は後ろで頭を下げて謝る。
「ただ、世界の危機なのにリリアだけじゃ不安かなと思って……戦闘になるんだったら、ウェインやグライリックを連れてきた方がよかったんじゃないかと」
ごまかすことをせず、遥は正直にリリアに伝えた。
「そう……だよね」
重い空気を醸し出しながらリリアは口を開いた。
「私は戦闘になったら、何もできないもんね。あはは、悔しいな。ハルカの嫁なのに。ウェインたちの方がハルカの役に立ってて」
これはいわゆる嫉妬だ。
リリアの方がずっと遥の近くにいるのに、頼られてるのはリリアじゃない。そんな遥の気持ちを知ってしまって心が痛い。
「私、来なければよかったのかな。ハルカの世界」
思いつめればとことん思いつめてしまうリリアはマイナスな発言を深い心の奥底から漏らしていた。
だが、
「そんなことはない!」
近所迷惑になるくらいの大声で遥が叫んだ。
「えっ……」
驚いてリリアは遥に振り向く。
「そんな事ないよ。俺、リリアがいない間の日常はとても辛かったし、何度もリリアの夢を見た。あっちの世界に帰りたいとさえ思った。それでもこれが現実なんだといつも心に釘を刺して学校に行ってた。リリアのいない日常は俺にとって……」
「もういいよ、ハルカ。そんなに自分を追い詰めないで」
リリアが遥の手を握ってきた。
「いや、言わせてくれ。そんな時、リリアが来て俺はほっとしたんだ。心の闇が一気に吹き飛んだ。だから、リリア、リリアがいるだけで俺はいいよ。何もしなくたっていいから、リリアはそのままでいて」
遥はリリアの手を引っ張ると抱き寄せた。
「うん、ハルカ、私もごめんね。ハルカの気持ちをくみ取ってあげられなくて、自分の世界の危機って言われたら誰だって不安になるのに」
遥とリリア、今は逆の立場なのだ。
あっちの世界では魔王が暴れてリリアが不安になっていた。今は遥の世界が危機にさらされて遥が不安になっている。
「でもねハルカ、それでも私は信じているよ」
遥から体を離してリリアは前を歩く。
「ハルカならきっと何とかしてくれるって」
「俺は今力が使えない」
「それでもハルカやるよ。だってハルカは……」
くるりとリリアは回転する。
「私の英雄だから」
そのリリアの笑顔は赤々と燃えたぎる夕焼けよりも輝いていた。
遥はその時、例え世界が終ったとしても目の前の彼女だけは何としても守ろうと心に誓った。