第四十四話 他が思う故に我あり
僕は誰なのだろうか?
あの夢を見た後からよくそう考えるようになった。みんなはきっと僕を『ノエル・テスタロッサ』だって答えるだろう。
なら、僕は? 『草薙圭一』? それとも『ノエル・テスタロッサ』? それとも……
僕は何て答えたらいいのだろうか……
「……エル、ノエルってば!」
呼ばれたのに気づいてはっとする。
「どうしたの? ボーっとしてたけど」
はやなさんが心配そうに僕の顔を覗き込む。
「ごめん。ちょっと考えごとしてた」
僕はポリポリ頬をかきながら答える。ちょっと考えごとに潜りすぎたかな?
「ならいいんだけど」
はやなさんはそう呟くと、表情を弛ませる。
「でも、お兄ちゃん喜んでくれるかな?」
幸せそうに笑うはやなさん。
実ははやなさんはもうすぐ来る一馬さんの誕生日にケーキを焼こうと計画し、うちで練習しているのだ。
僕は助手兼試食係り。アルトはリビングでケーキの完成を待っている。あと、朱音さんは今仕事だからいない。できたら一番意見を聞いてみたい人だったのに。
はやなさんがカチャカチャとボウルの中のクリームを泡立てる。
「ふふふ〜」
はやなさんは幸せそうに頬を弛ませる。きっと頭の中で完成したケーキに一馬さんが喜ぶ姿を浮かべているのだろう。
なんというか……
「お兄ちゃんが好きって漫画とかの中だけだと思ってたよ」
つい呟く。
そう、はやなさんは一馬さんのことが好きなのだ! 正直聞いたときは驚いたよ。
「む〜、だって、好きなものは好きなんだもん」
はやなさんが少し頬を膨らます。
だってさあ……日本は近親間の結婚とかは禁止だよ? あえて言うなら『両親』『祖父母』『叔父・伯父』『叔母・伯母』『兄弟姉妹』はアウト。セーフなのは従兄弟から。
え? なんでそんな細かいこと知ってるか? 漫画に乗ってたの覚えてただけだよ。
「それに、そもそもお兄ちゃんと血は繋がってないもん」
……え? なにその突然の爆弾発言?
「そ、そうだったんだ」
「うん。死んだ私の親と友達だった今の父さんが引き取って育ててくれたんだよ」
ふ、ふーん。なかなか複雑そうな事情のようで……顔立ちが似てると思ってたけど一緒に暮らしてるからかな?
僕はそう結論していたら、チンと音が鳴った。
で、只今焼き上がったはやなさんのケーキを試食しています。
うん、スポンジは柔らかく、クリームも甘すぎず。かなりおいしい。初めてにしては相当なできなんじゃないか?
「おいしいよ。これなら大丈夫だと思う」
「そう? よかったあ」
安心したようにはやなさんが笑う。アルトも満面の笑顔でおいしそうにケーキを食べている。
はやなさんも食べてみていたけどやっぱり他の人の意見も聞きたいらしい。
「はやなおねーちゃんのケーキすごく美味しいよ!」
アルトの感想にはやなさんはありがとうと頭を撫でる。
僕はそんなはやなさんが少しほほえましく、こんな風に思ってくれる相手がいる一馬さんが羨ましく思えた。
僕は……どうだろ? 僕には好きな相手ができる気がしない。男を好きになるのは一生無理だろうし。例えできても本当のことを話したらどうなるだろうかと考えてしまう。
だから、僕は少しだけ真っ直ぐに人を思うはやなさんが眩しかった。
「じゃあ、また明日ノエル」
はやなさんを見送りに家を出る。
「うん。また明日」
「ばいばいおねえちゃん!」
僕とアルトは手を振ってその背中を見送る。だけど……
「はやなさん!!」
つい呼びとめてしまった。
少し彼女に聞きたいことがあるから。
「な、なに?」
驚いたのかはやなさんの顔には一条の汗。ちょっと声が大きかったかな?
でも、僕は少し悩んでから、意を決してはやなさんに聞いてみた。
「あのさ……僕って誰なのかな?」
はやなさんは僕の問いに不思議そうに首を捻って答えてくれた。
「誰って、ノエルはノエルでしょ?」
そう、だよね。そうとしか言えないか。
予想通りの答え。別に予想の斜め上の答えを期待していたわけじゃないけど、それでも……
「うん、ありがとう、ごめんね変なこと聞いて」
僕が謝ると、いいよとはやなさんは笑って今度こそ帰った。
「え? 君が誰なのか?」
数日後、僕は訓練中に朱音さんに聞いてみた。なんとなく聞きたくなったのだ。朱音さんならなんて答えるのか。
朱音さんはうーん、と考えると、
「ノエル……かな? 正直、私は『草薙圭一』っていう君との接点が全くないからそうとしか言えないから」
まあ、そうだよな。別に変な答えを期待してたわけではないけど。
そんな僕を見てて朱音さんは一度大きく息を吐いてから微笑みます。
「ノエル、『我思う故に我あり』って言葉知ってる?」
朱音さんの突然の問いに僕は首を振ります。なんだろう突然。
「昔の哲学者が言った言葉でね、たとえ世界の全てが虚構であったとしても“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明であるていう言葉なの」
朱音さんはそう説明してくれる。
どうも僕が悩んでいることを朱音さんは見透かしていたようだ。確かに思ってるときは僕なのかもしれない。でも、そういうものが欲しかったのかな? また暗い顔で押し黙ってしまう。
だけど、朱音さんはまだ続けた。
「でも、私は、ううん、私たちはこうも思うの『他が思う故に我あり』」
『他が思う故に我あり?』
「どういうことですか?」
よくわからない言葉、さっきのは全てが虚構ならという前提だった。なら他人だってその言葉においては虚構って考えるんじゃないのか?
「さっきの言葉は自分以外のすべてを疑った言葉、でも、それじゃ寂しいでしょ? 他の人が虚構なんて」
そう言って朱音さんは笑う。とても綺麗なとても素敵な、そして、とても不敵な笑みを浮かべて。
「だから私と、私の旦那は考えたの。お互いを思えるなら、または思い出に残ってるなら自分はその思いや思い出の中に存在してるんだってって。だから『他が思う故に我あり』」
朱音さんは楽しそうにステップを踏みながら僕に笑いかけてくれた。
「そして、それは君にも当てはまるよ。私が君を思うなら君は私の中に存在する。アルトちゃんの中にも、はやなちゃんの中にも、アグニの中にも」
そう言って朱音さんは僕の胸を差す。
「だから、君がどうなろうと、私たちの中では常に君は君だよ」
僕は一度指さされた胸元を見てから顔を上げる。それから笑う。
朱音さんのいうことはよくはわからなかった。
だけど、今はそれでいいだろう。そう思えたから。
少し、哲学ぶった回でした。
いや、これは単なる感傷か。
それでは、ここまで読んでいただいた方に感謝を。