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短編集

悪役令嬢は毒草を愛でる

作者: 八木愛里

 この世界が乙女ゲームの世界だと気づいたのは二ヶ月前。

 第二王子のシリウスが外国からの留学を終えて、王立スターダスト学園に四月の新学期から転入してきたときのこと。


 一度目にしたら忘れられない端正な顔だった。

 さらりと音を立てて目元にかかった金髪と、その奥にきらめく碧い瞳。

 同級生の黄色い歓声を上げるのと同時に、音がどこか遠くに聞こえて記憶が遡っていく。




『ねぇお姉ちゃん。仕事ばっかりしてないで少しは遊んだら? 乙女ゲームでもしてさ』


 仕事帰りの疲れた顔をしている私――栄子に妹が駆け寄ってきた。


『心配してくれてありがとう。私ってゲーム向いてないのよ。プレイして面白かった場面とかあったら教えてよ』


 栄子は連日の残業を隠すように笑顔を作った。

 妹は周囲には隠していたが、重度のオタクだった。プレイ内容を聞いているだけでも臨場感があって、ゲームをやりきったような感覚になるのだ。


『無理はしないでね。こうやってお話できる時間を楽しみにしているんだから』


 その妹が、テレビ画面一面に映し出して見せてきたのが第二王子のシリウスだった。


 美しさに一瞬目が奪われたが、所詮は作り話の世界。割り切って妹の話を聞く。


 ――題名は「ときめき王立スターダスト学園~恋のキスは突然に~」だった。

 物語の始まりは第二王子のシリウスが留学から戻ってきて、王立スターダスト学園に転入してくるところから始まる。


 主人公のステラは卒業までの一年間に親交を深めて王子の婚約者になることを目指す。その間に悪役令嬢から恋の行く手を阻まれるが、悪事を断罪することでシリウスとの距離も縮まる。


『とくに王子様にキュンキュンするポイントがあって……』

『どんなところ?』

『それは――』


 妹がどんなことを言っていたのか忘れてしまった。妹と趣味や嗜好は合わないことの方が多かったので大したことはないだろう。


 ふと、画面の端に写っている腰までの長さの黒髪に、深く青い光を宿す瞳の少女が脳内に浮かび上がる。


 ――私にそっくりだ。


 そして自分の立ち位置が瞬時にわかった。主人公の恋路を邪魔し、悪事が暴かれて最終的には修道院送りにされる運命の悪役令嬢だと。


 前世では、大学の研究室の助手をしていた。研究分野は薬草だった。


 薬草に興味をもったきっかけは身近な毒だった。アジサイの葉に毒があることを知り、さらにアジサイが古来の日本に伝わった由来が薬草としての役割だったことを知った。薬と毒が表裏一体の関係ということが面白いと感じた。


 研究室では先生と生徒との関わりはあったが、研究に没頭できることはコミュニケーションが苦手な私には嬉しいことだった。



 * * *



 悪役令嬢――ロゼリア・スカーレットは王立スターダスト学園の移動教室の合間に、しゃがみこんで生えている草の観察をする。数枚を採集して、いそいそとカゴの中へ入れる。

 その様子を貴族の令嬢達が見て、ひそひそと話をする。


「草の何が楽しいのでしょうね」

「噂によると毒草を採集して護身用に持っているというらしいわ」

「まあ怖い」


 悪役令嬢を見なかったことにするかのように、急ぎ足で令嬢が消える。


 ロゼリアはフッと息をついた。

 直毛の黒い髪の毛に、意志の強い釣り目、意地悪を言いたげに歪んでいる口元。

 何を言ったところで、端からは高飛車な要求をしているようにしか見えない。


 毒草といえども使い道はある。独自の培養をすれば良薬にも変わる。

 誕生日に両親を説き伏せて、研究セットを購入してもらってよかったと実感した。


 ロゼリアは断罪イベントを回避するための秘策として、侯爵令嬢のステラとの関わりを極力減らし、存在感を消すことにした。


 ステラの恋路を邪魔することなどありえなかった。第二王子のシリウスを見ているよりも草を観察している方が遥かに楽しいのだから。しかし、万が一のことを考えて、彼らの視界に入らないようにして接触を避けるようにした。


 また、研究に没頭していれば、素の状態で存在感は消えていった。草を見て喜んでいる姿は周囲からは奇怪でしかなかった。


 第二王子のシリウスとステラは要注意人物だったのに、どうして接触することになってしまったのだろう。


 学園の裏庭にはバラ園があった。庭師によって整えられているバラは、アーチのような形で通行人の目を楽しませている。


「痛いわ!」


 腕を押さえた令嬢がいた。バラの刺で擦り傷があった。


「大丈夫ですか?」


 ロゼリアは咄嗟とっさに駆け寄ると、鞄の中に常備してある薬草を取り出す。元は毒草だったものだが、培養したことで体に良い成分だけを残したものだ。


「これを塗れば、痛みが収まります。化膿止めの効果もありますから」


 令嬢が顔を上げると、可憐な面影だった。しかし、ロゼリアの姿を見ると、恐怖に顔が歪む。

 同時に、この令嬢がステラだということを思い出した。


「きゃあああああ! ロゼリア・スカーレットに毒を盛られる!」


 ステラは大声で叫びだした。


 ロゼリアは呆然とすると同時に嫌な予感が頭によぎった。

 叫び声を聞きつけて人が集まってくる。


 ステラの信望者の男子生徒によって、両腕を捕まれる。

 捕まれた拍子に男子生徒の爪が食い込んで腕に傷ができた。


「何事だ!」


 第二王子のシリウスが人の輪の中から現れた。ステラとロゼリアの二人の姿を見て、ステラの方に「何があった?」と優しげな声で聞いた。


 シリウスは完全にステラの味方だった。ロゼリアは悪役で、何を言っても信じてはもらえないだろう。


 接触することを避けていたというのに、一瞬ですべてが水の泡だ。


「怪我をしたところに、毒草を渡されて……殺されるところでした!」


 涙ながらにロゼリアを睨みつけてくる。


「そうか……」


 ステラに視線を落としていたシリウスの視線がロゼリアに向いた。

 間近で見るのは初めてだった。


 切れ長の青碧せいへきの目が鋭く細められる。鼻筋が通り、彫刻のように美しい顔立ちだった。


 ロゼリアの肩がびくり、と飛び跳ねた。

 断罪された後には修道院送りという言葉が脳内に駆け巡る。修道院へ行くことよりも、毒草の研究を続けられるのかという不安でいっぱいになる。


「検証もせずに決めつけるのは浅はかだな」


 シリウスが言い放った言葉を聞いて、ステラが訳がわからないという顔をする。


 検証という言葉が好きだな、とロゼリアは他人事のようにぼんやりと考えた。


「そうだろう。ロゼリア伯爵令嬢?」


「……え? はい……」


 ロゼリアに同意を求めるように言ってきて、思わず返事をしていた。話の方向が思わぬところへ向かっていく気がした。


「その草が毒ではないと証明できるならば、ロゼリア伯爵令嬢は嘘はついていないということだ。証明してみせよ」


 証明という言葉も自然と理系心をくすぐる。


「あ、はい……。それは簡単なことです」


 ロゼリアは草を取りだして、ステラの信望者の爪が食い込んだときにできた腕の傷の上にのせる。


 ピリと一瞬感じる痛みは、傷を消毒してくれる成分由来のものだ。その後は痛み止めの成分が入ってきて、傷のうずきは収まる。


 ロゼリアが草をはがすと、傷はきれいになくなっていた。


 見守っていた生徒達は驚きで目を見開く。ステラも信じられないと顔色が変わった。


「ロゼリア伯爵令嬢が嘘を言っていないことがわかった。ステラ、何か言うことはないのか?」


「も、申し訳なかった……わ」


 視線を外して悔しげに言った。それもそのはずだ。王子の前で自尊心が傷ついたのだから。


「誤解があっても仕方のないことだと思います。許します」


 その辺に生えている草に薬効があるとは誰も知らないだろうから。王子が信じてくれたのは気まぐれなのかもしれない。


 シリウスは視線を横へ流すと、その先にいたステラの信望者の男子生徒は肩をびくりと震わせる。

 何が言いたいのかわかっているな、という鋭い視線だった。


「す、すまなかった……。腕に怪我までさせて……」


 男子生徒は鋭い視線から逃れるように、深々と頭を下げた。


「ステラ侯爵令嬢を守ろうとして行動したのですよね。許します。……でも、正義感は素晴らしいけれど、よく考えて行動した方がいいのではないかと思います」


 ロゼリアは男子生徒を見つめて言った。

 男子生徒はきつく閉じていた目を開けると、驚いたようにロゼリアを見た。


「これで、解決と。ギャラリー解散!」


 シリウスが手を数回叩くと、生徒たちは散っていく。


「ロゼリア伯爵令嬢」


「はい、他に何かご用でも?」


 シリウスに話しかけられて、使い終わった薬草をカゴに入れる手を止めて顔を上げる。


 見物人はいなくなって、中庭にはシリウスと二人きりになっていた。


「君のことが気に入った」


「はあ……」


「何だその迷惑そうな顔は」


 ロゼリアの反応が鈍いことを見て、若干苛ついたように言う。


 シリウスには興味がなかった。この生活の平穏のためには避けるべき存在だった。


「決めた、ロゼリアを婚約者にする!」


「理由をお聞きしても」


「しいて言えば、俺に興味がないところかな」


「はあ……」


 王子という生き物はナルシストにできているのではないかと呆れた。


「きっかけは、俺に対しても他の誰に対しても反応が薄いと思ったことだが……。道端の草を嬉しそうに抜いている姿を見ていたら目が離せなくなっていた」


 ロゼリアの髪を一房、指にからめ取る。


「ということでよろしく」


 髪の毛をどうするのかと思ったときに、シリウスは長いまつげを伏せて、すくった髪の毛に口づけた。


 ――王子様ってね。好感度が高くなっていくと、色んなところにキスするの。ほっぺとか、おでことか。見てるとキュンキュンしちゃうんだよね。


 前世の妹の声が蘇ってきた。

 まさに目の前の光景だ。


 ロゼリアとしての冷静な自分がいたはずだったのに、シリウスから目が離せなくなっていた。


 髪の毛を口から離すと、至近距離で「なに?」と聞いてくる。


「ど、どうしてキスを」


 前世での男性経験は無に等しかった。

 しどろもどろになってしまう自分が急に恥ずかしくなった。


「だって可愛かったから」


 シリウスの発言には破壊力があった。ロゼリアは唇をわなわなと震わせる。


 ロゼリアの素直な反応に満足そうに微笑むと、「また明日ね」と手を上げながら言って去っていった。



 * * *



 中庭を抜けたところで、シリウスは道端に生えている草に視線を落とす。


「ロゼリアの作った薬草が、本当に効果があったとはな……」


 シリウスは学園内でのトラブルに対処するべく、ロゼリアの毒草を集めているという噂の真相について調べ上げていた。


 報告によれば、毒草から独自の培養をして、傷を治す効果のある薬草を作り出しているとのことだった。


 実証の機会を与えたのは、薬草の効果を確かめるためだった。


「……面白い」


 独り言のように呟いた後、何事もなかったように教室へ戻っていった。

※アジサイの葉には有毒成分がありますので、間違っても口に含んではいけません。

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