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妄想論

面白いって言葉の難しさ

作者: とびうお君

 なろうの謎が少し解けたかもしれない。アニメ漫画の読者(ラノベも同等)は独特の非ラノベ系の読者と違う癖がある。それは実写でも一部通じる。長寿番組の存在になる。私はこれをリゼロのレムから読みときたい。私はなろうは多様性とかあまり重要じゃないと書いてきた。大事なのは選択や機会になる。誰かがそれを選び出せば良い。


 それが不十分な時どうするか?で保守的に受け手は選択しがちになる。そこにこれも関わっている。受け手が望むものって一定の好みがあり、難しいのはこれに飽きる事が複雑に絡み合ってる。飽きていても、外れる事を嫌えばそんなに忌避されない。これは受け手のばらつきによって決定する。人はそれぞれ違う。だからそれをこうだと1つの受け手像を考えてもまとまらない。


 それらを知的に扱うためには数しかない。リゼロのレムがまだ始まらないのかだが、それらと長寿番組やなろうのテンプレが関わってくる。長寿番組もあれはテンプレで、なろうはそれを変化させているのである。根本は全く同じ。飽きると一定の変化し無い好みの両立がなろうと言う理想像になる。これは過去プログラムピクチャーと言うもので説明されていたと思う。


 とにかくなろうで批判に回る人はものを知らない。今に始まった現象と過去あった現象をきちんと分けられない。これは昔からあって、今現在の長寿ドラマも似たようなものだって話しになる。例えば水戸黄門は終ってしまったが、あれは何故か?で今と昔を分けて考えないからになる。あれは1つの番組の問題じゃない。多分時代劇全体が衰退傾向にある。


 若い世代の好みと時代劇がマッチしてない。単純に水戸黄門がワンパターンで飽きられたと見てない。なろうも当然同じようになると飽きられるより先に読者が死ぬ…。ここがポイントで時代劇をまとめてセットで見るとなろうとほぼ同じなのが分かる。水戸黄門って1つの番組で見るとなろうと比較しても見えてこないが、時代劇全体で見るとなろうととても似ている。ほぼ同じ歴史を辿ると見ている。


 ただゲームを通じて西洋風ファンタジーが次世代にも繋がっていく気がするので、時代劇とは全く違う未来になる可能性も凄く高い。そうなると、作品そのものなんてどうでも良い。時代劇と若い世代の関係だけになる。それは作品がすべて決めるわけじゃない。


 同じ好みと変化の両方を満たすと、作品1つで見るのではなくて様々な似たような好みに訴える作品が細部を変化させる事で増加していく。それはすでに過去にあった事。エッセイではまだ触れてなかったと思うが、私は世界観全体の刺激じゃないと書いてきた。一度だけ、異世界ファンタジー世界についての刺激について触れたが、実際は何故いつも同じ世界観なのか?で変化するポイントを見る目が間違ってるからになる。


 世界観全体の変化を見ても意味が無い。だが多くの批判者はここを批判する。テンプレは同じにあらず変化させる部分が違うのだ。これが水戸黄門を1つの作品で見るのじゃなくて、時代劇全体で見ればなろうの現象を読み解けるといった部分。関心の無い人間には、この細部の違いの変化の面白さが分からないってのが一番大きいんだ。


 根本的に好きでもないのに大きな物語全体の中の個性で作品を見てしまうからなろうのツボが分からない。はっきり言って批判者の言及は多分全くの無駄だと私は思う。だって何度だってこういった現象を過去から繰り返してるのだから、それは人間の性質で、馬鹿馬鹿しい特殊な事では無いから。


 まだレムが繋がってないが、私はレム推しでエミリア要らないって視点すごく分かる。話の中心で一番リゼロで面白かった部分を支えたヒロインよりエミリアをメインヒロインで持っていこうとしても、そんなの受け入れられない。そこでリゼロは一定の好みを創ってしまったから。作者がどれだけ物語としてのエミリアメインヒロインの意味を描いていこうとし、かつそのための伏線を早くからばら撒いていても、それが面白さとして機能して無いってが問題なんだ。


 伏線と言うのはまさにそこに問題がある。非ラノベ系ラノベ以外の小説の作法が大半漫画アニメで役に立たないのはこれが大きい。そこで時代劇に戻る。受け手が望む一定の好みとは別のジャンルぐらいエミリアをメインヒロインにおいた全体の流れは機能して無い。エミリアメインヒロインと言うのは、本筋ではあるが、一度得たレムが中心の面白さに対して比較するとリゼロの面白さとしてはいつか機能するとしてもそれを納得させるのは並大抵の事じゃない。


 だって全く別のジャンルに近いんだから。変化と変化し無い好み、この両立が出来てない。変化が先に立ってしまっている。作者が陥りがちなのは、作者は大体なろう批判者に近い。物語りなれしてる人が多いからになる。根本創作者は保守的な人間が少ない。読者の保守的な部分の心理と真逆ぐらいに動く。言って見れば多分作者はエミリアメインヒロインの流れの方が面白いんじゃないか?と見てる。


 じゃどうすればよかったか?なら多分リゼロはレムの悲恋として閉じてしまうのが手っ取りはやい解決方法なのだろう。だって振られるからレムは魅力的なのだから。作者もそれを面白くて書いてるのが手に取るように分かるのだから。まあ私はリゼロをレムの物語じゃなくて、あくまでスバルの異世界物語として楽しんでるので一切継続に不満は無いのだけど。


 エッセイではまだと思う、以前から書いてる事だが、こういったヒロインの扱いは大半が描写が多くてかつそれによって魅力的になってしまったヒロインが悲恋に終わる事に受け手は不満を抱く。これは恋愛物以外にも適用できる。全体として構成された物語はあまり漫画アニメにとって重要では無い。


 これをテンプレにも適用すると、物語全体の中の個性的な面白さよりより、多数の受け手は選択せずにすむ自分個人の好みを選ぶ事が多い。それ当たり前じゃないの?となるが、これが数によって決まると見ている。大体前者は少数派になる。物語マニアの面白さはその他の人々とずれる。その典型例が物語マニアである作者の面白さと大衆的アザーな人々である読者の面白さがずれる点。


 漫画アニメの特徴が分かり易い絵で語られる事が多いが、実際重要なのは私はそこじゃないと分かってきた。漫画アニメは非ラノベ小説に較べて大衆的な好みに沿うように創られている。そっちが実はとても重要で、何故漫画アニメが面白いと言うシンプルな言葉で多くの人が語るか?と言うとここになる。


 自分の価値をいちいち考えなくても自然と作り手がそれにあわせてくれているからになる。ただ昨今は一般層の崩壊でその最大公約数がかなり小さくなった事だけ過去との変化になるけれども。過去のような単純なマジョリティを想定するのではなく、数の規模さえ意識すればまだまだコア層とライト層の違いは使える概念になる。


 私は以前からこれらを熱心に書いてるのは、実は隠された面白さの方が大事だと思っていたから。これは表面的には分からない。なんとなく受け手の好みに沿った形で創っていたら勝手に形成されたもので、多分明確に意識できてる人は少ないと思う。根本的に何故漫画アニメは面白いのか?で面白いと言う言葉は実に厄介。


 それは人それぞれが違う意味で使っていて、その顕著な例がこれになる。実際は選択の時にスコッパー的発掘をし無い人々には傾向があるからになる。それは求めているものが違うから。スコッパーもテンプレを発掘するよ?それはどうか?と見ている。彼らはまだ多くの人に評価されてないテンプレを発掘してるだけで、根本的に多数派と行動原理がずれていると見ている。


 私が何度も作品の内容より重要なのは選択や機会だと書いてきた。実際の価値はそこにあるから。選ぶという行為が嫌いなわけじゃない。自由の不便なんて哲学を展開する気は無い。大事なのはそこじゃない。外れリスクに対する感情が違う。それを多数派は保守的だの一言で片付けられる。スコッパーと根本的にリスクの部分で感覚が違う。探す行為そのものが目的化してる人間と同様な行動を取れるわけが無い。


 面白い物を見たいと言う感情より、面白くないものを避けたいって感情が上回る。これが物語に対する数多くの受け手の大衆心理だと思ってる。そこには面白いって言葉に物語マニアには無い別の感情が混じっている。何故か?物語マニアほど物語が好きじゃないからになる。人間は好きなものほどリスクを取る。


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