第80話 狩りをする者
カディシュ平原に展開した魔族軍本隊の天幕に進攻部隊を預かる将軍たちが集まっていた。イオン宰相、ディミトリエ将軍、イレアナ将軍、それぞれが1万以上の将兵を指揮している。それでも国境線の砦を落とすまでに5日あまりの時間がかかっていた。峠には大軍を展開する余地がなく、戦力差を活かせなかった形になる。だが、カディシュ平原ではその強大な兵力を遺憾なく発揮できるだろう。
「リュドヴィート、アルフレート、両名ともよくやってくれた。セレーキアを陥落させただけでなく、カディシュまでの進軍速度も見事と言うしかない。セレーキアの街にいた10万とも言われる住民を確保できなかったことは痛恨の極みではあるが、そなたらの活躍によって侵攻した地域で少なくない住民を捕らえておる。この侵攻の目的は最低限確保できたと言えよう」
イオンの顔には幾分、安堵の表情がうかがえた。皇帝から勅命を受けたのだ。大軍を率いておいて何の成果も上げられなかったでは済まないところだった。このまま軍を退いても構わなかったが、この先は面子の問題となっている。今回の進攻作戦の前に陽動として行われた軍事行動においてカンテミル家はかなり大きな成果を上げていた。
――カンテミル家に突出した権力を持たせないためにも、さらなる成果を求めなければなるまい。
「しかし、まだ十分とは言えない。我々は今、人族の領域に深く進攻している。この機を逃すわけにはいかないのだ。ここで奴らを叩き、冬に備えて薪を集めなければならない」
いつもは皇帝の影として付き従っているイオンも全軍の士気を上げるために将軍たちの前で熱弁を振るった。
「わかっております、イオン宰相。数の上では多少の不利もあるでしょうが、我らとて人族に後れを取ることを良しとしていません。わたくしとイレアナで両翼から攻め立てて中央に押し込みましょう。そこをあなたの虎の子の部隊で止めをさせば、天秤はこちらに傾くに違いありません」
ディミトリエの策は単純なものだ。だが、兵力で劣る魔族軍が戦況を優位に進めることは、困難を極める。何か状況を覆す策が無ければ人族の優位は揺るがないだろう。
「ならば二人にはそれぞれ2万の兵を与えよう」
「2万ですか……」
ディミトリエの顔が曇った。
「どうした、不服かね?」
「いえ、それでは中央でイオン宰相が率いる本隊には1万しか残りません。両翼で勝利したとしても本隊を抜かれてしまっては勝てるものも勝てません」
「ドラゴシュ卿の懸念はもっともだ。私自身は両将軍ほど戦闘に長けていない。よって本隊は動かないこととした」
イオンは何でもないことを伝えるように言い放った。ディミトリエとイレアナの二人は虚を突かれて目を丸くした。
「い、いや、お待ちください。本隊が動かないとなると、両翼は突出し過ぎて敵軍の中に孤立します」
ディミトリエはイオンの意図を探ろうと必死に言葉を紡いだ。
「中央を抜かれるよりはマシであろう。そこは両将軍でなんとかしてくれ」
「なんとか、ですか……。わかりました、そこは我々でなんとかしてみせましょう。しかし、本隊を抜かれてはどうしようもありません」
「そうだな。そこでこの小高い丘に野戦築城を行う。トロールどもに塹壕を掘らせて迎え撃つこととしよう」
イオンは机の上に広げられた地図の一点を指差した。カディシュ平原のセレーキア側に位置する丘だ。
「敵からこちらへ攻めてくると考えておられるので?」
「こちらは攻めてきても攻めてこなくてもどちらでも構わん。待ち続ければ良いのだからな」
補給をほとんど必要としない素体での戦闘では継戦能力に格段の差があった。
「イレアナ、何か意見はある?」
ディミトリエはこれまで発言を控えていたイレアナに振り返った。
「私から進言することは何もない。やることはこれまでと同じだ」
腰に佩いた剣の柄を手で触れてイレアナはディミトリエに鋭い視線を送った。
「わかりました。その線でいきましょう」
ディミトリエはイオンに頷いて見せる。
「勝利を皇帝へ」
イオンの重く低い声が響き渡ると、天幕の中の者たちは一斉に唱和した。
第4師団の天幕へ戻ったイレアナは、先遣隊を率いたリュドヴィートとアルフレートを呼び出した。
「イオン宰相からもお言葉を賜ったが、両名ともよくやってくれた」
質実剛健を旨とするイレアナにしては珍しく花もほころぶような笑顔だ。直属の部下たちが上げた戦果に満足しているのだろう。
――いつもこの笑顔なら嫁の貰い手もすぐに見つかるだろうに。
リュドヴィートは上官に対してかなり失礼な感想を抱いていた。だが、頭の中と口から出た言葉はまったく異なったものだった。
「はっ、お言葉をいただけるとは、ありがたき幸せ。これまでの苦労が報われた思いです」
旧友の言葉を聞いてアルフレートは眉を一瞬だけ動かした。確かに今回の作戦を立案したのはリュドヴィートだ。だが、その後がいけない。全ての面倒な交渉事をアルフレートに任せて彼は遊び歩いていたのだ。どこで苦労したのか問い質したくもあったが、アルフレートは口を噤んだ。
「最初に作戦の内容を聞いたときには、突拍子もないことを考えるものだと内心笑っていたのだがな。今は私自身の浅慮を笑ってやりたい気分だよ」
イレアナは開けっ広げに自身の判断が誤っていたことを認める。だが、彼女はそんな突拍子もない作戦の実行を邪魔しなかった。むしろ二人が本気で取り組んでいることを知って、助力していたぐらいだ。イレアナの指揮下でなければ、二人の立案した作戦は日の目を見なかっただろう。
「いえ、リュドヴィートの頭の中が突拍子もないことは昔からです」
大真面目な顔をしてアルフレートは旧友をこき下ろした。リュドヴィートは呆気に取られて二の句を継げなくなっている。
「ふっはははは。なるほど、貴君らはとても仲が良いのだな。羨ましくもあるぞ」
腹を抱えて笑うイレアナは、目じりにこぼれた涙を指でふき取った。これほど彼女が感情を露わにした様子をアルフレートは見たことがなかった。いや、怒りだけは常に感じていたなと心の中で訂正した。
「ところで我々、第4師団は左翼を受け持つこととなった。二人にもこれまでと同様に部隊を率いてもらう」
「了解しました」
リュドヴィートとアルフレートが深々と頭を下げる。
「そうだな。リュドヴィート、何か突拍子もない策はないか?」
イレアナは少しいたずらめいた笑みを浮かべる。
リュドヴィートは顎に手を当てて何かを思いつくと、言葉を紡ぎ始めた。
「……ふむ、兵の空輸には敵も対処してくる可能性があります。しかし、嫌がらせぐらいなら何とかなるかもしれません。その対応がお粗末なら空輸による後方の撹乱も可能でしょう」
敵の慌てる姿を想像してリュドヴィートは口の端を歪めた。
「なるほど、貴君がどういう男か少し理解できた気がするな」
イレアナの返事はリュドヴィートの予想の斜め上をいくものだった。
「私がでありますか?」
「いたずらっ子だよ。仮面を被っているときより、よっぽどいい笑顔をしていたぞ」
リュドヴィートの本性を看破してみせたイレアナはとても楽しそうに見える。
「は、はあ……」
イレアナとアルフレートに笑われてリュドヴィートは頭をかくしかなかった。




