第8話 模擬戦の行方
放課後になってナヴィドは素体に魂送して、訓練場で対戦相手を待っていた。周囲には噂を聞き付けた同期たちが、興行を見に来た観客のように勝負の行方を予想しあっている。大方の予想はナヴィドの敗北だ。生徒同士は常に訓練で何度も模擬戦を行っているだけに、実力にはシビアな目を持っていた。それだけ対戦相手とナヴィドには実力の差があった。
訓練場は全体が魂送陣で覆われている。ここでの死は素体から元の身体に戻るだけで何かを失うことはない。生徒たちが相手に気兼ねなく戦いに集中できる環境が整っていた。それ故に模擬戦は実戦さながらの激しさを増すことになる。
「よう、待たせたな」
対戦相手のシアバッシュが訓練場に現れた。実力差があるといっても油断した様子はない。シアバッシュは最初から全力で勝利をもぎ取るつもりだった。
「いや、時間通りだ。始めるか?」
「いいぜ、こっちはいつでも準備はできている」
二人が頷くのを確認して審判役を買って出たリーンリアが右手を振り下ろした。
ナヴィドは先手を取って攻撃を仕掛けた。手傷を負わせようと、最小限の動きで剣を何度も繰り出した。シアバッシュはその動きを見極めて剣と盾を使って受け流す。普段はすぐに熱くなる性格だが、戦いでは瞬時に冷静さを取り戻すことができる。これがシアバッシュの強さの秘密だった。
――ったく、嫌な目で見やがる。
表情を変えずにこちらの動きを観察するシアバッシュの不気味な雰囲気にナヴィドは飲まれていた。どこから攻撃しても余裕をもって防がれそうに思える。シアバッシュの鉄壁の防御にナヴィドは突破口を見つけられない。
「大口を叩いて、そんなもんかよ。期待外れもいいとこだ」
「言ってろ!」
ナヴィドは大きく振りかぶって渾身の力で剣を横薙ぎに払った。シアバッシュは軽くバックステップをしてかわすと、初めて攻撃に転じた。連続して振るわれた剣をナヴィドは辛うじて盾で防ぐと、大きく下がって体制を整えた。シアバッシュは追撃せずに元の位置に戻っている。
――どこまでも嫌味な奴だな。調子に乗って隙でも見せてくれればいいのに。
この勝負は長引けば長引くほどナヴィドにとって不利な展開だ。二人が引き出せるマナの量には大きな差がある。長期戦になればナヴィドはガス欠を起こして戦えなくなるだろう。だが、シアバッシュの戦い方は徹底していた。無理な攻撃はせずにナヴィドの攻撃を防いで、確実に勝利を手にするつもりだろう。問題は相手の出方がわかっていてもナヴィドの取れる手が限られていることだ。
「……ナヴィド」
リーンリアがナヴィドの不利を察して不安そうな目で見つめている。審判役だと何度も言い聞かせたはずなのに、動揺が表に出てしまっていることにナヴィドは苦笑した。
――少しは相棒のことを信用しろって。
ナヴィドは上段から剣を何度か振り下ろした後、急に姿勢を低く変化させてシアバッシュの足元を狙った。
「バカが、そんなことは、やられ慣れているんだよ!」
シアバッシュは盾を地面に突き刺して足元の攻撃を防いだ。長身の者は足元が弱いと思われがちだが、シアバッシュの視野は広く、初動だけで相手の攻撃の意図を見切っている。おまけに模擬戦で何度も足元を狙われていたので、対処も手慣れたものだった。
誰の目から見てもナヴィドの不利は明らかだった。気の早い観客からは落胆の声が挙がっている。負けることは確定事項にしても、もう少し見せ場を作って欲しい。盛り上がりに欠ける試合内容に観客の一部からはブーイングも起こっていた。
ナヴィドは周囲の様子を気にすることもなく、シアバッシュの動きを目に焼き付けていた。足の運び、息遣い、重心の移動、動きの癖、頭の中でシアバッシュの動きがイメージとなって固まっていく。
少し引いたナヴィドが盾を前面に押し出して体当たりをしてきた。シアバッシュも体格では負けていない。足を踏ん張って盾でナヴィドの突進を止めた。ナヴィドは盾を手放すと、剣を両手に持ち、身体を横に回転させてシアバッシュの脇をすり抜ける。体を入れ替えると同時に横薙ぎの一撃を叩きつけた。
しかし、その動きもシアバッシュは見切っている。軽くバックステップをして、剣の間合いから離れた。その時、着地した足が何かを踏んで滑った。シアバッシュはの身体が大きく傾ぐ。
「っなんだ?!!」
シアバッシュが足元に目をやると、そこにはナヴィドが手放した盾が置かれていた。瞬時に状況を悟ったシアバッシュはなんとか体勢を立て直そうとするが、ナヴィドがその隙を見逃すはずがない。体重が乗った重い剣をまともに受けて、シアバッシュの剣は吹き飛んだ。さらに焦って引いた足が地面を捉えられずに、シアバッシュは仰向けに倒れた。
「お前の負けだ、シアバッシュ」
ナヴィドは倒れたシアバッシュの首筋に剣を突き付けた。
シアバッシュは吹っ切れたように薄く笑うと、盾を地面に置いて両手を挙げた。
訓練場は割れんばかりの歓声に包まれた。賭けをしていない観客としては弱者が強者を倒す番狂わせほど熱くさせるものはない。誰もがもしかしてとの僅かな希望を抱いているが、その願いが叶うことはほとんどない。だからこそ目の前の奇跡に熱狂するのだ。
「ナヴィド、よくやった!」
リーンリアが満面の笑みでナヴィドに飛びついた。僅かな膨らみを押し付けられて平静でもいられず、周囲の目も気になってナヴィドはまったく勝利の余韻に浸る暇もない。抱き着いてきたリーンリアを落ち着かせると、肩を掴んで引きはがした。リーンリアの抗議は右から左に受け流す。
「よお、大丈夫か?」
ナヴィドは倒れているシアバッシュに手を差し伸べた。
「くそがっ、実力を隠していやがったのか?!」
差し出された手を握り返してシアバッシュは立ち上がった。
「いや、そういうわけじゃない。お前は目立つからな。模擬戦で戦い方は飽きるほど見ていた。大振りの攻撃は必ずバックステップでかわす癖とかな」
「自信ありげだったのは、そういうことかよ」
シアバッシュは忌々し気にナヴィドを睨み付けた。
「約束通り俺たちの分隊に入ってくれるよな?」
ナヴィドは人の悪そうな笑みをシアバッシュに向けて約束の履行を迫った。
「男に二言はねえよ」
若干恨みがましい目をしているが、シアバッシュは意外とあっさり了承した。
「よし、これでシアバッシュは俺たちの仲間だ」
「これで3人か!? で、シアバッシュには何の役割をしてもらうんだ?」
リーンリアの問いを聞いてナヴィドとシアバッシュは、二人とも驚きで目を丸くした。
「えっ、壁役に決まっているじゃないか」
「だが、壁役は一番腕が立つ者がなるんだろう? シアバッシュは負けたばかりじゃないか。ナヴィドの方が適任だ」
「いやいや、あれは一回限りの奇策みたいなものだから! この後、10戦したら10戦ともシアバッシュが勝つに決まっている」
納得していないリーンリアをナヴィドは慌てて説得する。シアバッシュを壁役以外で分隊に入れるなんて宝の持ち腐れもいいところだ。何のためにナヴィドが苦労したのかわからない。
「戦場では相手がセオリー通りに戦ってくれなくて負けましたでは済まされないんだぞ」
リーンリアは鼻息も荒く、正論を大上段に構えてナヴィドの反論を切り捨てた。ナヴィドは咄嗟に答えを返せず、呆気に取られている。
「オレ、コイツと一緒にやっていけるか、かなり心配になってきたぜ」
珍しくシアバッシュから泣き言が入った。
――大丈夫だ、シアバッシュ。俺も同じことを思っていたところだから。
何故か男同士の友情が深まった。