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キミと始める再生の旅を、今ここから  作者: Jint


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第64話 嵐の前の静けさ

「いらっしゃい。ご注文は何にしますか?」

 ナヴィドは給仕服を身に着け、客の応対をしていた。特注の銃をたった一試合でおしゃかにしてしまったのだ。修理代には今まで任務で貯めてきた金が吹き飛んだ。このままでは食費が月末まで持たない。背に腹は代えられずオルテギハに頭を下げて働かせてもらっているのだ。


 任務に出れば手当が支給されて懐も潤うのだが、しばらく命令が下されるような気配もない。それには理由があった。壊滅した村の後始末で借り出されて以来、同期の中には精神的苦痛を訴えて休学している者が少なくない人数出ている。やはり血の流れないクリーンな戦場と血と臓物と死臭に満ちた廃墟では、受けるダメージが違ったのだろう。王国軍としてもこれ以上、新兵が減ることは許容できず、しばらく任務から遠ざけることにしたようだ。


 困ったのは任務の手当てで食っていたナヴィドたちのような貧乏学生だ。いつもカツカツの生活をしている彼らはすぐに干上がった。副業で稼がないと学業にも支障が出る。ナヴィドは浪費家ではなかったが、自分の道具にはお金をかけるタイプだった。今回はそれが仇となった。


「おう、にいちゃん見ない顔だな。今日のおすすめはなんだ?」

「いい鹿肉が入っていますよ。肉汁たっぷりのステーキなんてどうですか」

 注文をとっていれば何度も聞いたような質問を受けてもナヴィドは愛想よく答えた。

「それは美味そうだな。エールもはかどりそうだ」

「付け合わせのキノコも染み出た肉汁を吸って絶品の味ですよ」

「お、おい、こっちは腹が減っているんだ。早く持って来てくれ」

 ナヴィドのセールストークに男の腹の虫が自己主張を始めたようだ。

「毎度、今日のおすすめにエールひとつ」


 ナヴィドは厨房にいるオルテギハの父親に注文を伝えた。父親は始終不機嫌そうな顔をしている。それがいつもの顔なのか娘が連れて来た同期の男を煙たがっているのかは、無口な人柄からうかがい知れなかった。


 ――煙たがられていたとしても俺は縋り付くけどな。


 ナヴィドの困窮度合いはオルテギハの父親の消極的な妨害程度では止められなかった。


「やっぱり、手慣れてる。ナヴィド、このまま働いたら?」

 オルテギハはしきりにナヴィドを店で働かそうと誘ってくる。

「何言ってんだよ、看板娘が。俺とは人気が段違いだろう」


 値段も手頃な下町の酒場だ。客層の八割方は男が占めている。むさい男が注文を取りに来るよりも、可愛い女の子が来てくれた方が嬉しいにきまっている。


 ――まあ、生活費の前では、客の気持ちなんか気にしている余裕はないけどな。


 オルテギハはこの酒場の女性用の給仕服を着ている。いつもの勇ましい軍装からかけ離れて艶めかしい雰囲気だ。リーンリアより上背があって話していても視線が下に向かないことが、この状況ではありがたかった。


「看板娘って、そんないいものでもない。お尻触られるし。ナヴィドの方が売り上げはいい。アタシが行っても、注文もしないで、お尻触ってくるし」

 同じ話を二回も繰り返しているのは、よっぽど嫌なことだったんだろうなとナヴィドは苦笑した。酔っぱらいに自制を求めても大して意味があることとは思えない。あまり気にするなと言いかけて、自分が尻を触られる情景をイメージしてみた。ナヴィドの全身に鳥肌が立った。


「わかった。今度、見つけたら俺が止めてやる!」

 突然、ナヴィドが頼もしくなったのを感じて、オルテギハは戸惑いながらも嬉しくなった。

「ホント? ナヴィド、信じるよ」


「ほら、新しいお客さんが来ているわよ。早く案内してあげたら?」

 カウンターで話をしていた二人にヴィーダが注意を促した。ヴィーダはすっかりこの酒場の看板娘に収まっている。それほど大きくない酒場だ。いつもはオルテギハと父親で切り盛りができる規模に、二人も余分な労働力を抱えている。ナヴィドとヴィーダを雇っているのは半分ボランティアみたいなものだった。


「ヴィーダは大丈夫なのか?」

「何がですか?」

 今日はナヴィドが給仕をしているので、ヴィーダは厨房で父親を手伝っていた。ナヴィドもオルテギハも調理器具に触らせてもらえないにも拘らず、ヴィーダだけが許されている事実を見ても、オルテギハの父親からの信頼が厚いことがわかる。


「酔っぱらいだよ」

「ああ、大体わかりますよ。何かしてくるお客さんは、決まっていますし」

 流石に視野が広いと言うべきか、たくましいと言うべきか。ヴィーダは酔客のあしらい方を心得ているようだった。


「ヴィーダの方がよっぽど酒場の娘らしいな」

 人見知りの激しいオルテギハが接客をしていることだけでも、かなり頑張っていると言えるのだが、息をするのと同じようにそれをこなしてしまう人間もいるということだ。

「そんなことより……」

 ヴィーダは中央の席に座る中年の男に視線を向け、あの客に気をつけてくださいと続けた。


「あのおっさんがどうかしたのか?」

 ヴィーダの視線を追ってナヴィドも店内に視線を彷徨わせた。

「いつも酔った振りをして触ってきますから」

「あいつがオルテギハの悩みの種か」

「しっかり守ってあげてください。頼りないナイトさん」

 人の悪い笑みを浮かべたヴィーダは素っ気ない返事を返した。


「ねえちゃん、注文いいか?」

「はーい、すぐに行きます」

 客に呼ばれたオルテギハがテーブルの間を軽やかに抜けようとしたところに後ろから中年の男が手を伸ばしてきた。戦場でのオルテギハを見ている身としては男の安否の方が心配になるが、今は彼女を助ける方が先だった。


「きゃっ、もう、どこ触ってるんですか!」


 媚びを売るような台詞を発したのはオルテギハではない、ナヴィドの低い声だった。中年の男の手とオルテギハの間にするりと割り込んだナヴィドは自らの身体を盾にした。酒に酔って赤ら顔だった男の顔は今や青くなっている。手には固く引き締まった筋肉の感触が残っていた。青い顔をした男はふらふらと立ち上がると、テーブルに勘定を置いて早々に店を立ち去った。


 ――くそっ、俺だって気持ち悪くて鳥肌が立ったぞ。二度と来るんじゃねえ。


「ナヴィド、その、ありがとう。約束守ってくれて」

 潤んだ瞳で見つめてくるオルテギハに胸の鼓動が少し高まった。おっさんに尻を触られて、同期の可愛い女の子に感謝を受けるならプラスマイナスゼロかとナヴィドは苦笑しながら頭をかいた。


「よお、にいちゃん、やるじゃねえか。俺には手を出すんじゃねえぞ」

「まったく大したナイトっぷりだぜ。まさかそっちの気はないだろうな」

「しっかり嬢ちゃんを守ってやんな。もう二度と気持ち悪い声を出すなよ」

 常連の酔客どもの野次がひどくうるさい。ナヴィドはぞんざいな態度で手を振って客を解散させた。


 それからしばらくナヴィドは店で人気になった。一部の男性客に。オルテギハの苦悩を身をもって知ったナヴィドは迷わず副業からの逃亡を選んだ。背に腹は代えられたのだ。


 ――空腹は限界まで我慢できる!





 


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