第43話 地を這う者たち
「マジかよ……」
目の前で繰り広げられる地獄絵図にシアバッシュは絶句した。
「……こんなのに勝てるのでしょうか」
ヴィーダは膝から崩れ落ち、地面に座り込んでしまった。
「無理、もう駄目」
オルテギハはすでに後ろ向きな様子だ。絶望のあまり諦めたような顔をしている。
「ナヴィド……」
リーンリアは分隊メンバーの動揺にあてられてか、不安そうな目をナヴィドに向けた。
――リーン、らしくないだろう。いつもの強気な態度でこんな湿っぽい空気を吹き飛ばしてくれよ。
「みんな、顔を上げろよ。俺たちはまだ戦ってすらいないじゃないか」
毅然とした態度でナヴィドは分隊メンバーに声をかけた。
「相手がドラゴンだ、高ランク魔獣だ? だからどうした。俺たちはこの部隊でもっとも下の立場だ。つまり俺たちが倒れたところで誰も困らない。なら部隊のみんなに見せてやろうじゃないか。人族がどこまでできるのかってことを!」
ナヴィドの言葉は破れかぶれの精神論でしかない。だが、百の戦術よりも四の五の言わずに武器を取って戦わなければならないときがある。ナヴィドはそれが今この時だと直感していた。
「ったく人使いが荒いってんだよ」
「それって、わたしたちに死ねって言ってますよね、ね?」
「ナヴィドの鬼、悪魔、鬼畜」
文句を言いながら武器を構え直した分隊メンバーの目は静かな闘志を燃やしていた。
「私は……、私の全力を持って、ナヴィドの期待に応えるぞ!」
周りの空気を読まないリーンリアの宣言を聞いて、胸の奥がじんと熱くなったナヴィドは思わず苦笑した。
「よし、奴に飛んでいられては、こちらの攻撃が届かない。先ずは地面に引きずり下ろすぞ!」
ナヴィドは思いつくままに分隊メンバーに指示を与えていった。
リーンリアは燃え残っている倉庫の屋根に上っていた。ドラゴンは目についた兵士に対して無作為にブレスを放射している。被害を少しでも減らすために、囮となってドラゴンの注意を引きつける必要があった。だが、ドラゴンにとって人族は、蟻のように小さな存在だ。指でも噛んでやらないと気付いてもらえない。
リーンリアはドラゴンの目に向かってスローイングダガーを投げつけた。ダガーは目を覆う薄い被膜に弾かれて、傷一つつけることなく落ちていった。だが、鬱陶しい蚊を追い払うかのようにドラゴンの頭がリーンリアに向けられる。
「かかったな」
リーンリアはドラゴンの動きを見て倉庫の屋根を走り、地面に飛び降りる。同時に放たれたブレスがナイフでケーキを切るように倉庫を両断した。爆音を背にしながらリーンリアは後ろを振り返ろうともせずに走った。
ドラゴンは翼を羽ばたかせて巨体を空中に浮かせたままリーンリアの後を追いかける。側を通り過ぎただけで巨大な翼が巻き起こす風圧が倉庫の残骸を吹き飛ばした。瓦礫と土埃を巻き上げながら巨大な影が迫ってくる。リーンリアは背後に迫る重圧を感じながら目的の場所まで駆け抜けた。
オルテギハは監視塔を支える支柱に最後の一撃を放って叩き折った。鈍い振動と共に重量を支えきれなくなった監視塔は、受け口となるようあらかじめ崩しておいた方向に倒れていった。ドラゴンが空中に浮かんでいる方向へと。
崩れ落ちる監視塔を身体に受けてドラゴンは体勢を崩した。翼を何度も羽ばたかせて地面に落ちそうになる身体を支えようとする。木と石組みの構造物を以ってしてもドラゴンの身体に傷を負わせることはできなかった。
「俺にありったけのマナを送ってくれ!」
ナヴィドは銃でドラゴンを狙いながら、背中に手を当てているヴィーダに指示を飛ばした。
「シアバッシュさん、行きます」
「ああ、やってくれ」
ヴィーダは左手でシアバッシュからマナを吸い出し、右手で自分のマナと共にナヴィドへと送り込んだ。三人分の膨大なマナがナヴィドの身体の中を暴れ回る。これまでに感じたことのないような巨大なうねりを精神力で押さえつけながら、力の奔流を銃に向かって導いた。
ナヴィドの銃から一条の閃光が放たれた。力を受け止めきれずに溶け出した銃がナヴィドの手を焼けただれさせる。放たれた閃光は太く力強いものではなかったが、細く圧縮された光の糸はドラゴンの強靭な翼の被膜を貫いた直後、削り取るように大きな穴を開けた。
ドラゴンが悲鳴のような呻き声を上げて地面へ落下した。身体の下敷きになった建物は何もかもが形を維持できずに崩れ去る。ドラゴンは再び飛び上がろうともがき続け、辺りの瓦礫を吹き飛ばした。
瓦礫を避けながらドラゴンまでたどり着いたオルテギハは渾身の力で腹の部分を斬り付けた。一筋の傷からマナの光が淡く漏れ出した。オルテギハは全力の攻撃で、この程度の浅い傷しかつけられないことに絶望しそうになる心を無理矢理奮い立たせた。
「今は、これが、私の、全力!」
オルテギハは右に左に渾身の力で何度も斬り付けた。猫が柱で爪を研いだようにドラゴンの身体に何条もの傷が刻まれていく。傷から漏れ出すマナの光は淡いままだが、傷の数は増えていった。ドラゴンは飛び上がるのを諦め、身体を起こして立ち上がろうとする。
「させませんよ!」
パルヴィッツが呪文を唱えると、空中に大きな氷塊が生まれ、無傷だった翼の上に落ちた。氷塊の重みで折れた翼の骨が、肉を突き破ってマナをまき散らす。両翼を失ったドラゴンは、ついに地上を這いずる人族と同じ土俵に立ったのだ。
生き残りの兵士たちが墜落したドラゴンへと殺到した。さながら投げ入れた餌に群がる魚のようだ。手当たり次第に攻撃すると、ドラゴンは無数の傷で覆われて、身体中からマナの光が立ち上った。
「好き勝手に暴れやがって、こいつはやられた仲間の分だ!」
カンビズの大剣の一振りが前足を大きく切り裂いた。体重を支えきれなくなったドラゴンは斜め前に倒れ込んだ。巨体が地面とぶつかった衝撃が辺りを揺らした。
暴れまわっていたドラゴンの動きが徐々に緩慢なものに変わっている。無尽蔵のように思われたマナも枯渇しつつあるのだ。力なく振り回される尻尾に、折れた翼に、空を切る四肢に、そして力を失いつつある双眸を持つ頭部に兵士たちはなおも群がった。
ドラゴンは最後の力を振り絞って大きく息を吸い込むと、胸に赤い光を帯び出した。マナが流れ続ける頭を苦しそうにもたげると、大きく開いた口に赤い光が収束する。
「これ以上、させないと言ったはずですよ」
ドラゴンの顎を下から巨大な氷の槍が貫いた。パルヴィッツの呪文がブレスを放射する前にドラゴンを攻撃したのだ。頭を氷の槍で貫かれたドラゴンは断末魔のように上空に赤い熱線を放って全ての動きを止めた。身体の先端から塵に変わり、後には巨大な山が生まれた。
「勝ったのか、俺たちは」
誰からともなく兵士たちの口からそんな言葉が漏れ出した。水面に広がった波紋のように、実感が湧かずに呆然としていた兵士たちの間に呟きが広がっていく。それはやがて大きな歓声へと変わっていった。
兵士たちがお互いの健闘をたたえ、背中を叩き合う姿を見てナヴィドはようやくドラゴンを倒したことを実感した。シアバッシュとヴィーダに目を向けると、二人とも笑顔で頷いた。
――なんだ、まだ信じられない。俺たちはやり遂げたのか。
ナヴィドは気を抜くと崩れ落ちそうになる身体を気力で支えて顔を上げた。駆け寄ってくるリーンリアとオルテギハが姿を見つけて、ようやく肩に乗っていた重みが軽くなったような気がした。
 




