第36話 強襲作戦
ナヴィドはパルヴィッツ少尉に呼び出されて王国軍本部に出頭していた。案内された部屋に入ると、優しげな笑顔がナヴィドを迎えた。パルヴィッツは戦場を離れると、一層軍人に見えなくなる。軍服が唯一の判断材料となっているぐらいだ。
「パルヴィッツ少尉、お久しぶりです」
ナヴィドは右手の拳を心臓の前に当てて敬礼した。
「息災で何よりだ。私の方はほらこの通りだ」
パルヴィッツはにこやかな笑みを浮かべながら、階級章を指差して見せた。
「失礼しました、中尉。昇進されたのですね。おめでとうございます」
「君たち別動隊のお陰だよ」
パルヴィッツは照れくさそうに苦笑した。
「いえ、我々はトロールを排除したまでです。しかし、あの大軍をよく押し止めましたね」
「機動力の高い魔獣ばかりだったからね。砦の城壁に拠れば、防御自体はなんとかなるさ」
パルヴィッツはツバメが低く飛べば雨になるとでも言うように、特別なことではないような態度で話した。
――簡単なことのように言っているが、倍以上の敵を押し止め、援軍を迎え入れて撃退するのは並大抵のことじゃない。中尉に昇進するのも当然か。
「ところで今回、我々を呼んだのはどういった理由で?」
ナヴィドは呼ばれた理由を聞かされていないが、微かな期待を抱いていた。
「新しい任務だ。今回はこちらから魔族の拠点を叩くことになった。その作戦に君たちの分隊も参加して欲しいのだよ」
「強襲作戦ですか」
新しい任務に喜びを抑えきれないように、ナヴィドは前のめりになって尋ねた。
「まあ、そんなところだ。もちろん参加するのは君たちだけではない」
パルヴィッツの顔もどこか晴れやかだ。防衛では一歩も引けない重苦しさが付きまとうが、今度はこちらからの攻撃だ。同じ任務でもどこか空気が異なった。
「了解しました」
「明朝、ブリーフィングの後、作戦を開始する。準備をしておいてくれ」
ナヴィドはパルヴィッツに敬礼すると、部屋を後にした。
翌朝、ブリーフィングルームに集まった面々はどこかで見た顔ばかりだった。
「軍曹も参加されるのですね」
ナヴィドはカンビズ軍曹の顔を見つけて声をかけた。
「当り前だ。中尉に付いて行けば昇進も狙えるしな」
カンビズは口の端を上げて、にやりと笑ってみせた。
「よお、お前たちもまた一緒か。中尉は意外に験を担ぐんだな」
軍曹に続いて准尉も一緒となれば、パルヴィッツは部下を自分が信頼するメンバーで固めたがるタイプなのだろう。
「准尉、またご一緒できますね」
「前回はお前たちの戦いを見ることができなかったからな。今度はじっくり拝ませてもらうぜ」
准尉は右手を差し出してきた。ナヴィドが握手を返すと、強いグリップで握られた。
「さて、集まってもらっていきなりで君たちには悪いが、今回の作戦では敵の補給拠点を叩くことになった。前回と攻守を入れ替えた形となる」
パルヴィッツから今回の作戦の説明が始まった。
「ということは我々も少数での潜入ということになりますか?」
集まっている分隊のリーダーの人数もそう多くはない。こちらから攻撃を仕掛けるといっても大規模なものではないだろう。
「部隊は中隊規模だ。40分隊を二つに分ける。第一中隊は私、第二中隊は准尉が指揮を執る。今回は魔族領に深く進攻しての作戦だ。途中で敵に気付かれるなよ。目的地に着く前にケツを蹴られて放り出されるぞ」
パルヴィッツの軽口に小さな笑いが起こる。
「それでは各自準備ができ次第、魂送陣へ移動してくれ」
パルヴィッツは集まった全員に出撃を命令すると、准尉と軍曹を連れて部屋を出て行った。
ブリーフィングから戻ってきたナヴィドを分隊メンバーが迎えた。
「どうだった、ナヴィド。任務の内容は?」
「補給拠点を強襲する。魔族領に深く入ることになるな」
ナヴィドは説明を受けた作戦内容を自分の中で租借した。
「今度はこっちが攻める番か。いいねえ、そういうのは身体がうずうずするぜ」
シアバッシュはどうやら自分の役割を完全に忘れてしまっているようだ。今度、寝ている時にでも耳元でお前は壁役だと囁いてみようとナヴィドはほくそ笑んだ。
「魔族領に深く入るなんて、帰って来られるんでしょうか」
ヴィーダは作戦が始まる前から、もう帰還のことを心配していた。
「そうだな、作戦を成功させた後は、速やかに撤退する必要がある」
「静かに潜り込み、速やかに撤収。言うのは簡単」
オルテギハは任務の難易度が高いことを気にしていた。確かにこの作戦の難易度が高いことは疑いの余地がないだろう。補給拠点を叩くことは魔族の侵攻を止めるためにも必要だ。だが、何故この時期にこの作戦が計画されたのかだ。
――何か俺たちが知らない情報があるのかもしれないな。
ナヴィドたちが魂送陣で飛ばされてきた場所はセレーキアの西にある砦だった。魔族領とは北側を山で隔てているセレーキアは海側からの暖かい風が雲を運ぶ、温暖で多雨な気候の地だ。茶の産地として有名でもある。
セレーキアから魔族領へ抜ける道は山越えの細い間道しかない。通常ならどちらの領からの侵入もすぐに察知されるはずだ。それはいくら中隊規模であっても同じだろう。
「中尉は魔族領への侵入ルートについて何か思惑があるのか?」
リーンリアは砦から見える山並みを見上げてため息をついた。
「まあ、そこは元々、王国軍にも考えがあったみたいだ」
「できれば楽なルートがいいぜ……」
シアバッシュの愚痴を聞いて、ナヴィドは何とも言えない気持ちになった。どこから山越えをするのかはすぐにわかる。そしてシアバッシュの希望は叶えられないだろう。
「ナヴィドくん、中尉がお呼びですよ」
息を切らせたヴィーダが呼び出しを伝えに来た。大きく息をする度に胸の部分がはち切れんばかりに膨らんでいる。既製品だと合うサイズがないのかもしれないなどと益体もないことをナヴィドは考えていた。
「中尉、お呼びだと聞きましたが」
部隊への指示で忙しそうなパルヴィッツの前にナヴィドが現れると、そこには口周りに髭を蓄えたがっしりとした体格の中年の男が待っていた。
「ああ、ナヴィドくん、待っていましたよ。彼が今回の登攀ルートを案内してくれるガイドのタルジュさんです」
パルヴィッツは中年の男を右手で示した。
「タルジュだ。よろしく頼む」
タルジュはごつごつした太い指のついた手を差し出してきた。
「ナヴィドです。今回はお世話になります」
「ナヴィドくんの分隊には、タルジュさんの指示の下で登攀ルートの確保をお願いします」
ナヴィドはやっぱりかと心の中で予想通りの展開に嘆息した。ナヴィドたちは今回の部隊の中で最も階級が低く、失っても痛くない駒である。身軽さが売りのリーンリアを抱えているともなれば、白羽の矢が立つのも無理からぬことだろう。
「了解しました」
ナヴィドはそんな葛藤を表に出さず、平然とした顔でパルヴィッツに敬礼した。
「装備はこちらで用意しています。活躍を期待していますよ」
パルヴィッツは意味ありげな笑みを浮かべて、ナヴィドの目の前に人参をぶら下げた。
――まったく、中尉は人たらしだな。




