第31話 戦士の休息
前日は准尉たちの祝勝会に連れて行かれて、浴びるほど酒を飲まされたナヴィドはずきずきと痛む頭を抱えて待ち合わせの場所に向かっていた。今日はリーンリアの買い物に付き合った後、分隊メンバーで祝勝会を開く予定になっていた。
「遅いぞ、ナヴィド。なんだそのしけた面は」
「リーンリアさん、あまり大声で話さないで、頭に響くから」
ナヴィドはリーンリアの大声に顔を顰めた。水を飲んだぐらいでは、ちっとも良くならない。
「シアバッシュを見習え、ほら、いつも通りだぞ」
普段と変わりないシアバッシュが立っていた。准尉たちの祝勝会ではナヴィドたちより下の階級はいない。結果、あちこちのテーブルに呼ばれて、飲まされ続けることになる。女性陣を先に帰した英断を褒めてもらいたいぐらいだとナヴィドは思っていた。
「シアバッシュ、二日酔いはどうした?」
「実家の職人連中に良く飲まされていたからな。酒には強いんだ」
ナヴィドは自分の体質を呪った。そして大酒飲みたちに災いあれと心の中で呟いた。
しかし、頭は痛むが、准尉におごってもらったので懐は痛んでない。リーンリアの買い物に付き合うことに問題はなかった。
「それで、何を買いに行くんだ?」
「王都に越してきたばかりで、正直一人暮らしに必要な物が、何もかも揃っていない」
リーンリアは漢らしい答えを返した。
――本当にこのお嬢様は生活力が枯渇しているな。
「家具は寄宿舎に備え付けられている。飯は基本的に食堂だし、文房具は軍学校で買えるな。服はどうしていたんだよ、リーン」
「制服があるじゃないか」
「制服以外にないのかよ……、もしかしてタオルもないのか?」
ナヴィドはリーンリアの返事に頭を抱えた。
「失敬な。ちゃんと寮母から一枚もらったぞ」
「もっともらっておけよ!」
――このお嬢様、思った以上にポンコツだな。
「他に何か必要なものはないか?」
ナヴィドは戦力外のリーンリアを外して、他のメンバーに尋ねた。
「ティーセットとかは? お客さんが来たときに、いつでもお茶が飲めるでしょ?」
ヴィーダが女性らしい答えを返した。
――なんだよそれ、俺の部屋にもないぞ。
「枕は外せないな」
シアバッシュがわけのわからないことを言い出した。
「枕なんて寄宿舎に備え付けがあるだろう」
「バカな。健康的な生活を送りたいなら、自分に合った枕を買うんだ」
シアバッシュの目はわかっていないなお前と語りかけてくるようだった。
「日記帳は必要」
オルテギハが呟いた。
――呪いの書になっていないだろうな……。
「ちゃんと書くのかよ。三日坊主になること請け合いだぞ」
ナヴィドはそんなマメさをリーンリアに期待していなかった。
「よし、雑貨屋と家具屋と服屋か、いい店があったら教えてくれ」
ナヴィドは王都に来てからは孤児院育ちだ。知っている店はほとんどない。
「雑貨屋なら、アタシが案内する。品揃えがいい」
オルテギハが珍しくやる気を見せている。なんだ興味があることなら主張できるじゃないかとナヴィドは見直した。
「家具屋はオレのおすすめがある」
シアバッシュはどうしても枕を薦めたいようだった。
「じゃ、じゃあ、わたしは服屋かな」
ヴィーダ以外に適任者が想像できなかった。
ナヴィドたちは早速、買い物をしに王都の商業区へ繰り出した。
オルテギハの薦める雑貨屋なんてどんな魔女の店が出てくるのかとナヴィドは身構えていたが、普通というか女性向けの可愛らしい小物も扱う雰囲気の良い店だった。
「これ、これ、超かわいい」
オルテギハが薦めるのは猫のコップだった。猫の絵が描かれていて、くるっと持ち上がった尻尾が持ち手になっている。同じ柄のティーポットもセットになっていた。
「こっちもかわいいです。これ買いましょうよ」
ヴィーダが薦めるのは熊のブックエンドだ。熊が片手で本にもたれかかっているものと、腕組みをして背中を預けているもののセットだ。
「うーん、どちらもいいな」
リーンリアは腕組みをして考え込んでいる。
ナヴィドはひたすら実用品を揃えていた。
「タオルに爪切りに、ハンガーっと、後はなんだ?」
「スプーンとか調味料入れとか、ケトルはどうだ?」
シアバッシュを連れて来て良かったとナヴィドはしみじみ感じていた。
「ああ、それも必要だな」
「掃除用具はあるのか?」
「それは寄宿舎で共用だな」
「そろそろ決まったか?」
ナヴィドは待つことに疲れて話しかけたが、女性陣はまだあれがいい、これがいいと目移りしているようだ。
「やめておけ、女の買い物を邪魔すると、ろくなことがない」
「シアバッシュ、お前、彼女でもいるのか!?」
ナヴィドは驚きのあまり目を見開いた。こんな口が悪いくせに彼女持ちとは、どんな聖女が出てくるか見てみたくなる。
「バカ野郎、いるわけがない。姉貴だ。いつも荷物持ちとして付き合わされる」
「そうか、いや、なんだ苦労しているんだな」
ナヴィドは心の底から同情し、そして心の中でシアバッシュに謝った。
シアバッシュの薦める家具屋は基本的にオーダーメイドしか扱っていない高級店だった。
「これ、予算は大丈夫なのか……」
店構えを見てすでにナヴィドは腰が引けている。元々、貧乏な生活を続けていただけにこういう場所には忌避感がある。
「枕だけなら問題ない」
「そうか、なんだろう世知辛くて涙が出てくる」
「出世したら、ここにベッドでも買いに来いよ」
シアバッシュが珍しくナヴィドを慰めてくれた。
流石、高級店は枕一つでも手を抜かない。リーンリアを寝かせて最適の枕の高さを計ると、枕の好みを聞き出して一週間後に納品が決まった。
「シアバッシュ、俺もここに枕を作りに来るぞ」
「わたしも作りたくなりました」
「気持ち良く、寝れそう。アタシも欲しい」
突如、分隊に枕ブームが巻き起こった。
ヴィーダが薦める服屋は古着を扱う店だったが、丁寧に修繕されていて品揃えも豊富だった。やりくり上手のヴィーダらしい店だった。
「これなんかいいと思います」
ヴィーダが薦めるのは、ノースリーブのワンピースで、セルリアンブルーに白いブラウスが映える組み合わせだ。
「こっちも、結構いいかも」
オルテギハが薦めるのは、丈の長いフォレストグリーンのチュニックで、紐できつく結んで身体に密着させるベストの組み合わせだ。
「ナヴィド、どっちがいいと思う?」
――お前、どっちを褒めても角が立つ状況で、俺に振るのか!?
「うーん、そうだな、ワンピースは動きに合わせて広がるスカートが可愛らしいんじゃないか。チュニックはベストがアクセントになっていて女性らしいラインが出て綺麗だな」
「ふむう、そうだな。そう言われると、どちらも欲しくなってきた」
ナヴィドの評価を聞いてリーンリアは満更でもなさそうな顔をしている。取り敢えず大役を無事にこなせて、ナヴィドは胸をなでおろした。背中には嫌な汗が流れ落ちている。
「私服は何着かあっても邪魔になりませんよ」
「その日の気分で着替えればいい」
女性陣からの援護射撃もあってリーンリアは二着とも購入するようだった。
「ヴィーダ、後でリーンの下着を買うのも付き合ってやってくれ」
ナヴィドは小声でヴィーダに頼んだ。父親になったような気分を感じてナヴィドは戸惑った。
「え、ええ、わかったわ」
ヴィーダが若干、身体を引いたように見えた。これで変態扱いされたらリーンリアに文句を言ってやるとナヴィドは固く心に誓った。
購入した荷物は全て男性陣が運び、夕方にリーンリアの部屋に集合となった。酒は小さめのタルをシアバッシュが小脇に抱えている。つまみはオルテギハが実家から持ってきた。
初めからわかっていたことだが、リーンリアの部屋は殺風景だった。私物が何もないのだ。このまま誰かが越してきてもおかしくない。ルームメイトはナーデレフが止めているようだが、この調子ではずっと一人で部屋を占拠することになるだろう。
女の子らしい部屋を想像していたわけではないが、ナヴィドは初めて入った女の子の部屋が、自分の部屋とそう変わらないことに落胆の色を隠せなかった。
椅子も足りないので、木箱を椅子代わりに持ち込んだ。全員に買ったばかりのコップが行き渡ったところでナヴィドが話し始めた。
「俺たちの分隊も初任務を無事に成功させ、一歩前に進んだわけだ。これからも色々なことにぶつかるだろうが協力して乗り越えて行こうぜ」
ナヴィドが真面目なことを言うだけで、分隊のみんなからブーイングが飛んだ。
「乾杯」
みんなが思い思いにコップをぶつけ合った。エールは生温かったが、任務を成功させたことが今更のように実感となって表れて、格別な美味さを感じた。
――ああ、俺たちはこのメンバーで任務をやり遂げたんだな。
みんなも気の置けない仲間と一緒に飲む酒は、また違ったものに感じられるのだろう。始終、表情が緩んでいた。
「そうそう、リーン。みんなからプレゼントがあるの」
ヴィーダは袋から手鏡を取り出した。
「これを私にか?!」
「そう、そんなに高い物じゃないから普段使いにして」
「ありがとう、大切にする」
リーンリアは手鏡を胸に抱きしめた。
オルテギハは裁縫道具のセットを送った。
「これがあれば、ボタンもつけられる」
「む、善処する」
ナヴィドはリーンリアが裁縫をできないことを悟った。
シアバッシュは小物入れを送った。箱には可愛い模様が彫り込まれている。
「うちの職人連中に作らせたんだ」
「シアバッシュの実家は木工職人なのか?」
「いや、大工だ」
シアバッシュの無茶振りに付き合ってくれた職人にお礼を言いたいとナヴィドは思った。
ナヴィドは櫛を送った。リーンリアの艶やかな空色の髪が手入れされていないことが残念に思っていたからだ。
「ちゃんと毎朝、梳かしてくれよ」
「そうだな、ナヴィドの命令だ。聞かざるを得ない」
リーンリアは満面の笑みでナヴィドに笑いかけた。
その日は遅くまでリーンリアの部屋から楽し気な声が響いていた。




