第30話 死に戻り
ナヴィドは魂の射出によって王都の魂送所へ死に戻りしていた。模擬戦のときの死とは違う何かを喪失したような感覚が身体中を苛んでいた。魂が擦り切れて戻らなくなるまで後何回の猶予があるか。戦士なら誰もが考えることだ。だが、それを知る術はない。突然、訪れる死に怯えるようにして戦わなければならない。そしていつか選ぶ日がくるのだ。士官となって前線から退くか、戦士のまま戦い続けるかを。
「よお、お前も死んだのか」
シアバッシュが青い顔をして現れた。死ぬまでの感覚は記憶している。喉笛を潰されるのはナヴィドとしても二度と味わいたくない感覚だった。
「どうやって死んだんだよ」
「やめろ、思い出させるな」
シアバッシュはこれ以上この話題を続けたくなさそうな、うんざりしたような表情を返した。シアバッシュの様子を見て、後でヴィーダに聞いてみるかとナヴィドはほくそ笑んだ。
「それにしても模擬戦での死とは違うものなのか?」
ナヴィドは素体での死を経験したのはこれが初めてだった。こうして元の身体に戻ってくるのは魂送陣で解除するときと同じはずだ。だが、今は確実に何かが失われたと感じられる。
「ああ、練習場は全体が魂送陣で覆われているんだよ。あそこで魂が射出されても普通に元の身体に戻るのと何も変わらねえ」
魂の射出が素体の維持に必要なマナが失われて強制的に行われるか、魂送陣の機能で任意で行うかは、魂が擦り切れてしまうのとは関連性がないということだ。
――砦を魂送陣で覆えば死に放題じゃないか。いや、戦場全体を覆って、そこに魔族を呼び込めば……。
「あー、大体何を考えているか、なんとなくわかるが、魂送陣は貴重なものだからな。置ける場所には限りがあるぞ」
ナヴィドが考え始めた様子を見て、シアバッシュが呆れたように声をかけた。
「お前は本当に夢のない奴だ、シアバッシュ」
「その夢見がちなところはどうにかした方がいいと思うぜ、ナヴィド」
お互いの腹を殴り合って、二人はにやりと笑った。
ナヴィドたちが魂送陣の部屋から出ると、分隊の女性陣も集まっていた。
「分隊は全滅ってわけだな。最後に残ったのはリーンか?」
「そうだな。だが、ディミトリエにやられた」
リーンリアは大して気にしていないように敗北を認めた。
「ということは、俺たちの戦果は銀髪の男を倒したぐらいか」
「ああ、すがすがしいぐらいの完敗だったな」
分隊の力はディミトリエに全く及ばなかった。だが、あくまで現時点の力だ。魂送を使えばチャンスは一度きりではない。何度でも再戦を挑めるということは、成長の機会を得られるということだ。ナヴィドたちはなんとはなしに反省会の流れになった。
「すみません、シアバッシュさんが痺れて動けないときに回復が間に合わなくて」
ヴィーダは分隊が崩れた原因がシアバッシュの死にあったと考えていら。
「ん、しゃあねえだろう。あんな技を隠し持っていちゃな」
「ですけど、シアバッシュさんは股……」
「あー、オレがいいって言ってんだ。気にすんな!」
シアバッシュが被せるようにヴィーダの言葉を遮った。シアバッシュはヴィーダの肩を軽く叩く。
「ヴィーダ、最後にもらったマナはありがたかったぞ!」
リーンリアは力を出し切って負けたのだろう。笑顔には陰りがなかった。
「えっ、そう言ってもらえると嬉しいわ、リーン。肩の荷が下りたみたい」
分隊の命を預かる回復役は常に心理的負担を担っている。回復役が責任を問われるときは、分隊が負けたときだ。そして勝ったときに回復役は称賛されない。聖母のような滅私の気持ちがないと務まらない役目かもしれないとナヴィドは思った。
――ヴィーダのことは何か小さいことでも褒めるべきだな。
「俺もヴィーダの回復をもらって助かったよ。お陰で銀髪の男を倒せたようなもんだ」
「まったくナヴィドくんは無茶ばかり要求して、いきなりあんなことを言われても困ります」
ヴィーダは腰に手を当て、厳しい眼差しでナヴィドを睨んだ。
「ああ、悪かったよ。きちんと連携に組み込もう」
ナヴィドは頭をかきながら、ヴィーダに曖昧な謝罪をした。
――褒めたつもりだったのに、俺が小言をもらっていないか。何故だ、解せぬ。
「おい、オルテギハ。勝手に突っ込むなって言ったよな」
旗色が悪くなったナヴィドは話題の矛先を変えた。
「ん、ごめんなさい、何も考えられなくなって」
オルテギハは自分の失態を自覚しているようだった。落ち込んで顔を伏せていると、前髪が顔にかかって表情もはっきりわからない。
「その癖、止められないのか?」
「いつも、止めようと思っているんだけど、どうしても止まらないの」
「暴走しているときって、何を考えているんだ?」
「お母さんが、私をかばって、殺されるところが、ぐるぐると繰り返されるの」
いつもは無表情なオルテギハが今にも泣き出しそうな子供に見える。
「もう気が済んだだろう、ナヴィド。ゆっくり解決していけばいいじゃないか」
リーンリアはナヴィドのために落としどころを作ってくれたようだった。ナヴィドもこんなところでオルテギハを吊し上げたいわけではない。
「そうですよ。そんなすぐには変われませんし……」
脛に傷を持つ者同士だ。同じ失敗を繰り返すわけにはいかないが、過度な萎縮もナヴィドの望むところではなかった。
「まあ、暗え話はこれぐらいにして、初任務の祝いでもしようや!」
シアバッシュが雰囲気を変えようと飲み会の提案をしてきた。シアバッシュに気を遣われるなんて明日は雨かもしれないとナヴィドは苦笑した。
「砦がどうなったか気になるんだ。もう俺たちにできることはないが、報告を待ちたい」
砦が陥落すれば、その先に住んでいる人たちが犠牲になる。援軍を送るにしても離れた拠点からになってしまうからだ。最悪を想定してすでに王国軍が動いてはいるだろうが、砦が陥落した場合は被害が避けられない。ナヴィドはとても祝う気になれなかった。
「そりゃ、そうだな。気が早かったか、悪りい」
生まれたときから王都で育ったシアバッシュにはまだ他人事のように感じられるのだろう。シアバッシュはらしくないことをしたかと、頭をかいてバツの悪そうな顔をした。
「君たちも死に戻りか、これで別動隊は全員だな」
別動隊の指揮を執っていた准尉が声をかけてきた。
「准尉、分隊は赤毛の男に?」
「ああ、どういう理屈かわからんが、あの男には全ての攻撃を防がれた」
准尉の分隊がディミトリエに負けたということは、リーンリアは相当頑張って時間を稼いだのだなとナヴィドは改めて驚いた。
「相当、強い魔族だったのですね」
「うむ、だが、最後まで残った部隊がトロールを全滅させたそうだ」
准尉は困難な任務を達成して晴れやかな顔をしている。
「では、我々の任務は成功したといこうとでしょうか」
「そうだ。胸を張れ、ナヴィド。任務は成功だ」
そう言って准尉は笑いかけ、ナヴィドの胸を拳で軽く叩いた。
「砦はどうなりました?」
「まだ、状況はわからん。だが、精鋭200名が派遣されたのだ。数の差はあれど守り切れるだろう。信じて待つしかない」
准尉の考えはシンプルだ。それぞれがベストを尽くせば、結果は自ずとついてくる。自分の力が及ばないことをとやかく悩む必要はない。それが過度にストレスを貯め込まない准尉なりの生き方のコツかもしれない。
准尉の周りには別動隊のメンバーが集まって来ていた。じりじりと時間だけが過ぎていく。別動隊のメンバーはそんな時間でさえも各々が思い思いに過ごしていた。ナヴィドははっきりしない結果を待ちくたびれて、苛々した気持ちを抑えるように座ったまま貧乏ゆすりを始めた。リーンリアもそんな様子のナヴィドに声をかけるのをためらった。
一人の兵士が飛び込んで来て、周囲に聞こえるような声で准尉に報告した。
「砦を守り切ったそうです。魔族は撤退しました」
別動隊のメンバーから割れんばかりの大きな歓声が上がった。




