第3話 混乱する戦場
「よかろう、リーンリア。キミも自分の価値を証明したいだろう。戦うべき場所と相手は俺が提供してやる」
「それなら私は全力で戦いましょう。私自身の価値を証明せねば、この国に受け入れてもらえないでしょうから」
フェレイドンが浮かべた不敵な笑みに対して、リーンリアは一歩も退くことなく全ての壁を貫くような強い決意を返した。
ここまでナヴィドは二人のやり取りを黙って見守るだけだった。全てを飲み込む荒れた海と全てを破壊する巨大な嵐に挟まれて、翻弄される一艘の小舟だ。そこには自分の意志もなく、流されるままにたどり着く場所を探している。だが、雲の合間から陽光が降り注ぐように突然、ナヴィドにスポットライトが当たった。
「そこの少年、キミだ、キミ」
「ハ、ハイ。なんでしょうか」
突然、声をかけられたナヴィドは背筋を伸ばして返事した。
「リーンリアを連れてきたのはキミだろう。最後までお守りをしてやれ」
「彼女に付いて行けと?」
「強さについては折り紙付きだが、こうして常識にははなはだ欠けるところがある。フォローしてやってくれ」
リーンリアの顔が興味津々といった態でナヴィドに向けられている。
「名前は何という?」
「ナヴィドです」
「では、ナヴィド、命令だ。リーンリアと共に北西方面の中隊を助けて来い」
将軍から直々の命令だ。断る自由はナヴィドに残されていなかった。
「了解しました!」
右手の拳を心臓の前に当てて敬礼を返した。
フェレイドンは二人を連れて作戦会議室に戻ってきた。控えていた青年将校に声をかける。
「簡易式の魂送陣はあるのか?」
「はい、非常用として用意されています」
「ならば、その少女に使わせてやれ」
「はっ、了解しました」
「ついでに女性用の軍装も用意してやれ」
青年将校は頷くと、天幕を飛び出していった。
「ナヴィド、お待たせ」
王国軍の軍装に着替えたリーンリアをつま先から頭の天辺までナヴィドは眺めた。アッシュグレイのフィールドジャケットにモスグリーンのトラウザーズ、編上靴といった様相だ。服で手足を隠してしまったリーンリアは少年兵といっても見分けのつかないような姿をしている。長い布を頭に巻いて艶やかな空色の髪を後ろに垂らしている以外、少女との共通点はなかった。ナヴィドは幾分がっかりしたような気持ちを抱えた。
「……それじゃ、行きますか」
「なんだか、ナヴィドのやる気が伝わってこないぞ」
不満そうに頬を膨らませるリーンリアからは、とてもグレイウルフを倒したような、強者の風格は感じられなかった。
「ソンナコトハナイサ」
「怪しいな、私は嘘には鼻が利くんだ」
「おじ様には騙されたくせに」
「あ、あれは、まだ幼かった頃の話だ。今ならおかしいと気付く」
慌てて言い訳をする姿は、どこにでもいる普通の少女と変わらない。とてもグレイウルフを5体も倒した強者とは想像できないだろう。こんな可憐な見た目でありながら、これまで見た兵士の中でも群を抜いた強さを秘めた少女と肩を並べる日が来るとはナヴィドは思いもよらなかった。何か新しいことが始まるのかもしれないと、心が湧き立つような予感を感じる。
「よし、行こうぜ、相棒!」
ナヴィドは気合を入れるために、リーンリアの背中を軽く叩いた。
「相棒……、相棒か。うん、悪くない」
気が抜けたような笑顔を浮かべてリーンリアはナヴィドの後を追いかけた。
北西方面は新兵を中心に編成されている。本来なら戦闘で矢面に立たない後詰の部隊だったが、前線が崩壊した結果、彼らのいる場所が最前線となっていた。ほとんどの小隊が満身創痍の状態で、パッチワークのように生き残った者たちを集めた寄り合い所帯となっている。
「第23小隊、全滅です」
「被害甚大のため、第25小隊が後退します」
「第13小隊から救援要請。何と返答しますか?」
「こちらからも救援要請を送り返してやれ!」
中隊長は次々に報告される戦況の悪化に苛立っていた。新兵を連れて戦場の空気を味合わせようというピクニック気分の参戦だったが、今やここが激戦区の真っただ中だ。死んでいった新兵たちの何割が恐怖を乗り越えて王国軍に残ってくれるかを考えると頭が痛い。だが、その前にこの戦いに勝利して魔族どもを排除しなければ、人族の版図は大きく後退してしまうことだろう。中隊長は生き残った兵士たちをまとめて北西方面の死守するため、矢継ぎ早に指示を送った。
「すみません。本部から派遣されて来ました」
ナヴィドは慌ただしく出入りする伝令に道を譲りながら、指令所と思われる天幕に入った。
「何、援軍だと! 何人、来てくれた?」
「俺と、……彼女の二名です」
「馬鹿な、何を考えているんだ、本部は! 二名程度の増員で何ができると!」
中隊長はひとしきり状況認識の甘い本部に対して悪態をついた後、ナヴィドに命令を出した。
「北にいる第13小隊に合流しろ。トロールどもを片付けなければ、ここもそう長く持たない」
「了解です!」
ナヴィドはこれ以上何かを言われる前に敬礼を返して、さっさと天幕を後にした。
「想像以上に戦況が悪いようだ」
ナヴィドは苦虫を噛み潰したよう顔でリーンリアに報告した。
「カンテミル家が本気を出したようだな。虎の子の高ランク魔獣も投入していると聞いている」
「リーンリアなら勝てるか?」
「高ランクにか? いや、8割方負ける。しかし、ここは戦場だ。私一人で戦うわけではないだろう?」
リーンリアは意味ありげな目でナヴィドを見つめた。
「俺は弱いんだから、あまりアテにするなよ」
「私を守ってくれると信じているぞ、相棒」
第13小隊は塹壕の中でじっと息を潜めていた。前方のトロールたちは巨体と強靭な腕力を使って、次々に大岩を投げ込んでいた。ガンナーたちが隙をついて応戦するが、分厚い皮膚を貫通するまでには至らない。手の施しようがないまま、じりじりと追い詰められていた。
「リーンリア、投石は避けられるか?」
「3体程度なら何とかなりそうだ」
「よし、左から奴らの気を引いてくれ」
「了解だ」
リーンリアは塹壕の左側を回り込むようにしてトロールに駆け寄る。接近に気付いた魔獣は雄たけびを上げて、新たな敵の存在を仲間に知らせた。
空気を切り裂いて迫りくる大岩をリーンリアは最小限のステップでかわして接近していく。トロールが巨木のような腕を振り回すが、彼女のスピードを捉えきれない。そのままの勢いで背中を駆け上がると、延髄にダガーを突き刺した。
トロールは身体を大きくゆすりながら腕を振り回し、背中につかまるリーンリアを振り落とそうとして、隣の魔獣を巻き込んで地面に倒れ込んだ。
ナヴィドは注意がリーンリアへ向いている間に、右側から気付かれないように回り込んだ。足元に近づいて膝裏に剣を突き刺す。トロールの分厚い皮膚も関節には及んでいない。魔獣は巨体を支えきれずに膝をついた。
――っと、無理はするなよナヴィド、お前は弱いんだ。止めは後でもいい。
リーンリアは八面六臂の活躍だ。次々に巨大なトロールたちを屠っている。だが、まったく同じことがナヴィドにもできるとは思っていない。将来的には目指すべき到達点なのだろうが、今はできることをやるしかない。ナヴィドは気持ちを切り替えると、すぐに次の標的を求めて走り出した。
5体のトロールを塵に還してなお、リーンリアの動きから疲れは感じられない。むしろ身体が温まって、動きにキレが出てきたように見える。魔獣の繰り出した拳を宙返りで避けると、数本の髪の毛が拳の風圧で飛ばされた。彼女はそのまま腕を駆け上がり、首筋を切り裂いた。
リーンリアの死角からトロールが大岩を抱え上げていた。ナヴィドは魔獣に駆け寄ると踵の上を斬り付けて投石の妨害をする。大岩を支えられなくなった魔獣は、頭の上に岩を落として仰向けに倒れた。リーンリアがダガーを高く掲げて感謝の意を示した。
第13部隊の小隊長は、目の前で繰り広げられる殺戮の宴を呆然と見守る。塹壕の中で冬眠する亀のように手も足も出ずに身を潜めていた兵士たちが、春の訪れのように塹壕をはい出し、首を伸ばして戦いを見つめていた。
――なんだこれは、本当に同じ人族の力なのか?!
彼らとて最初から手をこまねいていたわけではない。教練通りに鈍重なトロールを複数人で囲んで倒そうとしたが、魔獣の数が余りにも多過ぎた。囲んでいる間も周囲から投石が止まず、目の前の敵に集中することができない。さらに巨体と分厚い皮膚を持つトロールは容易に致命傷を与えられない。手間取っている間に、一人、また一人と櫛の歯が欠けるように戦友たちが倒されていったのだ。
翻ってナヴィドとリーンリアの二人はそもそも人数が少ない。だが、リーンリアの圧倒的なスピードはトロールが捉えきれるものではない。投石も密集した陣形に使うなら威力も高くて有効だが、的の小さい相手にはコントロールが甘く、けん制程度にしかならなかった。
目立つ囮を眼前に置いて注意を惹き、ナヴィドは援護に徹している。トロールも攻撃の通り易い弱点を丁寧につけば、まったくダメージを与えられない訳ではない。
偶然にも二人の戦術はトロールたちにハマったのだ。
やがて周囲に動く敵の姿は消え、残された塵だけが風に飛ばされていった。
固唾を飲んで戦いの行方を見守っていた第13小隊の生き残りから爆発的な歓声が挙がった。塹壕から次々に飛び出して行くと、ナヴィドとリーンリアに駆け寄って、背中を何度も叩いて過激な歓迎を行った。揉みくちゃにされながらも二人の顔には困難なミッションをやり遂げた心地よい達成感が浮かんでいた。
「いや、助かったよ。もう俺たちはこれまでかと、腹をくくっていたからな」
小隊長の顔は重圧から解放されて晴れ晴れとしている。
「間に合って良かったですよ。本部もかなり混乱していましたから」
「ああ、本来なら俺たちみたいな新兵が前線で戦うなんておかしな話だからな」
「いつもの様子見ではなく、敵は本気で侵攻してきているようですね」
「魔獣たちの陣容が違うからな。ともかく助かったよ」
小隊長はそう言って右手を差し出してきた。ナヴィドはその手を強く握り返す。
「お役に立てたなら、俺たちも嬉しい限りです」
「そちらのお嬢さんも、ありがとう」
小隊長はリーンリアにも握手を求める。ナヴィドはその様子を見て、少し警戒して身構えたが、リーンリアはにこやかに握手を返しただけだった。
「……私だってきちんと学習する。警戒し過ぎだ、バカ」
リーンリアが笑顔を張り付けたまま小声で文句を言い、ナヴィドの足を軽く蹴った。