第29話 死闘の先に
銀髪の女は攻撃の手を緩めなかったが、シアバッシュの方は蹴り技を主体にした攻撃に慣れつつあった。動きの起点は足さばきと腰にある。下半身に注意していれば、防ぐことは難しくなかった。余裕ができたシアバッシュは反撃で銀髪の女の太ももに浅い傷をつけた。
「はっ、次はその鬱陶しい足を切り落としてやるぜ」
銀髪の女は三日月のように口の両端を上げると、掌に電撃を纏わせた。右腕を振ると電撃が一筋の線となってシアバッシュの身体を貫いた。
「ガハッ、マジかよ。くそがっ」
身体の自由が利かないシアバッシュは、その場で盾と剣を握ったまま両手をだらりと下げた。銀髪の女は足音も立てずにシアバッシュへ近付くと、躊躇する様子もなく股間を蹴り上げた。シアバッシュは声にならない叫び声を上げてその場に跪く。何かが失われたような気がした。
銀髪の女は片足を上げると、頭を下げたシアバッシュの首を目がけて踏み抜いた。首の骨が折れたシアバッシュはその場で塩の塊に変わった。
シアバッシュがあっという間に倒されてしまった場面を見てヴィーダは放心してしまった。電撃で痺れている間に回復が間に合えば、シアバッシュは助けられたかもしれない。後悔先に立たずだ。だが、戦場ではそんなことを考えている暇はなかった。
銀髪の女がヴィーダの方に走り寄って来た。ヴィーダは助けを呼ぼうとするが、ナヴィドは倒れ、オルテギハは正気を失い、そしてリーンリアは激しい戦いの中にいた。
目を閉じたヴィーダはいつものように恐慌に陥りそうになる心を叱咤した。
――わたしにできることは、何。今、何ができるの?
ヴィーダは目を開くと、リーンリアに向かってありったけのマナを込めて譲渡呪文を放った。目の前に迫っていた銀髪の女は上段の回し蹴りで、ヴィーダの首を蹴り抜く。ヴィーダの頭は本来あり得ない方向に捻じれると、塩の柱になって崩れ落ちた。
ヴィーダからマナを譲渡されたリーンリアは身体に力がみなぎるのを感じた。いつも以上に身体のキレもいい。ヴィーダの力を胸の内に感じてリーンリアは戦いの決意を新たにした。
「行くぞ、ディミトリエ!」
リーンリアは一歩ずつ間合いを詰めると、ディミトリエに向かってダガーを振るった。軽く手甲で攻撃を防ぐと、ディミトリエはすぐさま反撃の拳を振るった。リーンリアは足を止め、上体を振って攻撃をかわす。リーンリアから単調な攻撃が何度も繰り返された。
何かがおかしいとディミトリエが気付いたときにはもう遅かった。手甲に亀裂が入り、砕け散る。リーンリアはダガーで手甲の同じ場所を何度も攻撃していた。
「あらあ、やるじゃない。軽いだけかと思ったら正確なのね」
ディミトリエに焦った様子はない。まだ、隠している力があるのだろう。
「ウサギにも牙があったということだ」
リーンリアはディミトリエに薄く笑いかけた。
「あまり、あなたたちに構っているわけにもいかないのよね。ここで終わらせてもらうわ」
「そうか、なら私が戦う分だけ、私たちは勝利に近付いているということだな」
リーンリアの言葉はディミトリエを激怒させた。余裕のある態度が崩れて本性が剥き出しになる。目は爛々と赤い光を放ち、形相が険しく変わった。地の底から響き渡るような低い声で呪いの言葉を吐き出した。
「生意気な娘め。邪魔をするな!!」
ナヴィドは地面に伏せたまま、ヴィーダが倒されるのを見ていた。ナヴィドたちに最早勝ち目はないだろう。だが、勝利条件は敵の全滅だけではない。
――ああ、一人でも多く道連れにしてやるよ。
ナヴィドは肩と左手で銃を固定すると、引き金に軽く指をかけた。銀髪の男はオルテギハと死闘を繰り広げている。オルテギハは腕の肉を喰い千切り、首を締めあげていた。銀髪の男はオルテギハの脇腹を何度も殴りつけている。肋骨はおろか内臓にもかなりのダメージを負っているのだろう。オルテギハの口からはマナの光がこぼれ落ちていた。
首を締めあげていたオルテギハの動きが止まった。力尽きて手の先から塩に変わって地面に落ちていった。銀髪の男は安堵のあまり地面に寝転んでため息をついた。
銀髪の男のこめかみを光弾が撃ち抜いた。タイミングを計っていたナヴィドの狙撃は狙いを違わず目標に命中したのだ。驚愕のあまり目を見開いたまま、銀髪の男は塵に還った。
「貴様あああぁぁぁっ!」
銀髪の女が叫びながらナヴィドのこめかみをつま先で蹴った。目の前に火花が散り、視界が歪んだ。ナヴィドはそれでも反撃を試みようと、地面を転がって銀髪の女の姿を探す。左側に何かが見えたと思った瞬間に脇腹を蹴られて身体をくの字に曲げた。
ナヴィドは銃を撃ったが、こんな闇雲な攻撃が当たるわけがない。銃身を蹴られて明後日の方向に銃が飛んで行った。仰向けに倒れたナヴィドの喉笛を銀髪の女が踏みつけた。息ができなくてナヴィドは宙を手でかいた。
「さようなら」
銀髪の女はナヴィドに別れの言葉を呟くと、喉笛にかけていた足を踏み抜いた。ナヴィドの身体は塩の塊に変わって地面に広がっていった。
ディミトリエの拳は一発一発が致命的な攻撃だ。リーンリアに防ぐことはできない。かわし続けるしかなかった。一度でも失敗すれば死が待っている。それは細いロープの上で綱渡りをするのと同じだ。リーンリアの精神は少しずつ削られていった。
――奴はどうやって攻撃を察知している。反射神経か。だが、死角からの攻撃にも反応している。私の心を読んでいるのか。だが、手甲を攻撃した意図を先読みしていなかった。攻撃をかわせているということは先が見えているわけでもなさそうだ。私の殺気を感じているのか?
リーンリアは試しに無心でダガーを振るってみた。ディミトリエは壊された手甲と逆の腕で攻撃を防いだ。その防御に迷いはない。
――こうなれば、何でもやってみるしかないな。
リーンリアは体勢を低くして突っ込むと、左手で地面から砂をすくった。左にステップして砂を投げつけた。ディミトリエは手で目を覆い、砂が目に入るのを嫌った。リーンリアはその隙をついて右に方向を変えると、ダガーを横薙ぎに走らせようとした。
リーンリアは腹部に強い打撃を受けて吹き飛んだ。地面を転がった勢いを殺さず、そのまま立ち上がった。ディミトリエは目を覆いながら、前蹴りでリーンリアを攻撃してみせたのだ。
――目で動きを追っているわけではなさそうだ。
腹部に受けたダメージはかなり大きい。少しでも動こうものなら痛みで顔が引きつるほどだ。だが、ディミトリエに感付かれるわけにはいかなかった。リーンリアはなんでもないような顔をしてダガーを構えた。
リーンリアは最後の一撃にかけるために脈打つような痛みをこらえた。息を深く吸い込んで吐き出す。思考から痛みを切り離せば、まだ身体は動いた。歩くような速度から、徐々に走り出してトップスピードに乗った。
矢のように走り出したリーンリアを見て、ディミトリエは微笑を浮かべた。同じことを繰り返して何の成長もない馬鹿な娘だと心の中で嘲った。
「戦いの中で学ばぬ者など死体に等しいぞ」
リーンリアはディミトリエの前で飛び上がると、頭上を越えて背後に回り、頭に蹴りを繰り出した。ディミトリエは悠々と腕で攻撃を防ぐと、振り向きざまに拳を叩きつけた。頭が弾け飛ぶほどの衝撃を受けて、リーンリアはエビ反りになって吹き飛んだ。その時、リーンリアの手からダガーが飛んでディミトリエの肩に突き刺さった。
リーンリアは空中を漂いながら塩に還っていった。身体が消えていく瞬間、ディミトリエの驚愕した顔を確かに見た。
――奴の防御の秘密はそういうことか……。




