第23話 初任務の日
「おはよう、リーンリア。昨日、学長と話してきたんだよな。亡命の件はどうだったんだ?」
翌朝、登校したナヴィドは教室でリーンリアを見つけて、挨拶をしながら近寄った後、耳に顔を近づけて小声で問いかけた。
「うむ、おじ様が王国側と話をつけてくれた。心配する必要はなさそうだ」
リーンリアの表情は晴れやかだ。いくらツテがあるとはいえ、そう簡単に亡命が認められるとは思っていなかったのだろう。リーンリア自身もこうして人族の国で何不自由なく暮らしているのが、時々、不思議に感じられる。
「フェレイドン将軍か、王国軍の出世頭だと何度も名前を聞いたことがあるが、リーンリアの知り合いだったとはな」
「私も驚いている。お姉様といい、二人ともあの頃と変わりないのだが」
リーンリアは二人と話をしていると、すぐに当時の関係に戻れてしまう。五年の月日が過ぎ去ったとは思えないぐらいだ。
「リーンリアと一緒にいれば、俺の名前ぐらいは覚えてもらえそうだ」
ナヴィドは軍での出世を目指している。友人のツテを頼りにするのはかなり格好が悪いが、可能性が少しでもあるなら掴みたかった。
「そ、そうだな。名前は覚えてもらったと思うぞ」
リーンリアはフェレイドンとの会話を思い出して、楽しそうに笑った。
「おはよう、リーンリア。いつになく美しい笑顔じゃないか。何かいいことがあったのかい?」
カランタリが教室に現れるやいなや、リーンリアに近付いて挨拶をした。
「おはよう、カランタリ。そうだな、心の片隅に引っかかっていた悩みが一つ解消した」
リーンリアは爽やかな笑顔でカランタリに挨拶を返す。
「それは行幸だ。どうだい、私の分隊に入ってくれれば、この爽やかな朝が更に気持ちの良いものになるのだが?」
「それは簡単に頷けないな。私の分隊はすでに決まっている」
リーンリアはカランタリの勧誘を笑顔で断った。カランタリの言動にあんなに怒っていたとは思えない変貌ぶりだ。戦闘狂たちは殴り合ってコミュニケーションを取るのかとナヴィドは邪推した。ナヴィドには一生わかり合えない領域だ。いつまでもずるずると確執を引っ張っているより前向きで良いことなのだが、一抹の寂しさをナヴィドは感じた。
「おいおい、カランタリ。俺の目の前で分隊メンバーを勧誘しないでくれ。大体、前回の模擬戦でお前たちは負けただろうが」
ナヴィドは一言釘を刺しておこうとカランタリに話しかけた。
「前回の模擬戦では何も賭けていなかったと思うが?」
カランタリは何の後ろめたさもなく、ナヴィドに言い切った。
「くっ、そうだけど。お前たちの分隊は今でも強いんだから、もう勧誘なんてしなくていいだろうが」
「私は常に上を目指したいのだよ。ちなみにシアバッシュとヴィーダにも声をかけている」
カランタリは楽しそうにナヴィドの知らなかった勧誘活動を報告してきた。
「ぶっちゃけ過ぎだろう。って、なんで俺は誘われないんだよ?」
ナヴィドは頭を抱えたくなった。トップチームからの勧誘で分隊が空中分解の危機だ。だが、その前にナヴィド自身が誘われないことも気になる。
「私だって一緒に分隊を組んだ後のことも考えている。ナヴィド、残念だが、キミと組んでも強くなるビジョンが湧いてこない。そうだな、マネージャーとしての参加なら大歓迎だ」
――まあ、名前を覚えられただけでも良しとするか……
「ったく、好き放題に言いやがって。俺が強くなったら見返してやるからな」
ナヴィドはため息をついた。カランタリは本音で話しているだけに質が悪い。しかし、この上昇志向は見習うべきところだろう。
「ははは、楽しみにしているよ。ではまたな、リーンリア」
なんとも捉えどころのない男だとナヴィドは思う。傲慢さが鼻に付くところもあるが、憎み切れないところもあった。
授業が終わってナヴィドは教官に呼び止められた。
「ナヴィド、君たちの分隊はまだ任務に出ていなかったな。おめでとう、初任務だ」
教官は懐から折り畳んだ紙を取り出してナヴィドに見せた。
――遂に来たか。オルテギハが参加したばかりで連携に不安があるが、いつかは通る道だ。
「はっ、謹んで承ります」
ナヴィドは右手の拳を心臓の前に当てて教官に敬礼した。
「分隊メンバーを連れて魂送所へ向かえ。キシュル砦で哨戒任務に就いてもらう」
教官は命令書をナヴィドに手渡して立ち去った。
「シアバッシュ、聞いていたな、初任務だ」
ナヴィドは命令書を読みながら、後ろに立つシアバッシュに話しかけた。
「ああ、腕が鳴るぜ」
シアバッシュも初任務のことが気になっていたのか、指の関節を鳴らしながらそわそわしている。
「ヴィーダに声をかけてくれ。俺はオルテギハを探す。リーンリアはここから動くなよ」
「人を拾ってきた子犬のように扱いおって、そんなふらふらと出歩いて迷ったりしないぞ」
リーンリアが不満げに頬を膨らませて抗議した。
「本当か? じゃあ、オルテギハを呼んできてくれてもいいんだぞ」
「いや、ここで待たせてもらおう。ナヴィドは自分の仕事をしてくれ」
ナヴィドは考えを切り替えてオルテギハの召集を頼もうとしたが、リーンリアにあっさりと覆されてしまった。まだ、リーンリアは校内に不案内なところがあるのだろう。
ほどなくしてヴィーダとオルテギハの二人が合流した。
「初任務ですか、胸が高まりますね」
ヴィーダは初任務と聞いて上気した顔をしている。
ナヴィドは軍装を押し上げるヴィーダの胸に目を奪われそうになったのを、慌てて引きはがした。
「……アタシも一緒に行っていいの?」
オルテギハが遠慮気味に尋ねた。分隊メンバーとして、まだほとんど一緒に活動していない。いきなり初任務に付いて行ったとしても、足を引っ張ってしまうのではないかとオルテギハは不安を抱えていた。
「分隊メンバーになったんだ。当たり前だろ」
ナヴィドの力強い肯定の言葉に、オルテギハは無言で頷いた。
「みんな集まったな。それじゃ、魂送所に行くぞ」
ナヴィドの先導で分隊メンバーは王国軍の魂送所へ向かった。
魂送所は身体から抜き出した魂を離れた場所にある素体に送る施設だ。元の身体を保管してもらう場所でもある。大きな戦闘があるときは戦場へ送られる兵士たちで賑わっているが、今は先の戦闘が終わったばかりで閑散としていた。
魂送所の受付にナヴィドは命令書を渡した。
「5325分隊です。命令を受けて任務に就きます」
53期生の25番目の分隊というだけの数字だ。すでに使われていない分隊ナンバーの方が多い。10年も勤め上げれば歴戦の勇士として扱われるだろう。
ナヴィドたちは受付に案内されるがままに中に入った。男女が別々の場所に分かれる。元の身体を保管してもらうのだから、それぞれの場所は同性の職員が受け持っていた。
「その台座の上で横になってください」
ナヴィドは職員の指示に従って魂送陣に設置された台座の上で横になった。すぐに魂送陣に描かれた古代文字が光り出した。
ナヴィドは眩しさのあまり目を閉じるが、瞼を閉じても光は遮られず、視界が一面真っ白に変わった。
視界を覆っていた光が消えると、ナヴィドは自分が寝ている姿を少し上から見ているような感覚に陥った。しばらく魂が抜けたように自分の身体を見つめていたナヴィドだったが、そのまま無理矢理上空に引っ張られると、目の前の景色が一瞬にして変わった。




