第22話 融和への道程
リーンリアは学長室でナーデレフと思い出話に花を咲かせていた。あれから五年もの歳月が過ぎ去ったが、ナーデレフたちと過ごした日々は宝石のように輝いている。リーンリアは時々、記憶から掘り起こしては、在りし日々を想い楽しんでいた。何故ならナーデレフたちと別れた後、リーンリアにとっては辛く悲しい記憶しかなかったからだ。
「フェレイドンの奴も先の戦争の後始末を終えて王都に帰ってきている。リーンリアの処遇も上層部にかけ合わなければならないしな。その報告も兼ねて、ここに呼んである」
ナーデレフは煩わしいお目付け役が来るような扱いで、フェレイドンの来訪を伝えた。
「えっ、おじ様もここへ?」
リーンリアの表情が明るくなる。
「向こうでは忙しくて積もる話もできなかっただろう。出世して忙しそうにしている奴にも、たまにはこんなのんびりした時間が必要だよ」
「確かに少し貫禄が付きましたね」
リーンリアは戦場で見たフェレイドンの姿を思い出して微笑んだ。
「偉くなって、若い奴らを顎で使っているからだ。同じ歳のくせに私のことを揶揄してお姉様などと呼びおって」
ナーデレフとフェレイドンの仲は相変わらずのようだ。軽口を叩け合えるというのは気心が知れているのだろう。出世をしてもそんな関係は変わらないようでリーンリアは安心した。
しばらくして学長室の扉がノックされてフェレイドンが入って来た。
「おお、リーンリア、無事だったか。あの男はちゃんと王都まで送り届けてくれたのだな」
フェレイドンは目を細めてリーンリアを軽く抱擁した。
「ナヴィドですよ。名前ぐらい覚えてあげてください」
リーンリアは苦笑しながら、ナヴィドの名前をフェレイドン将軍に売り込んでおいた。
「そうか、ナヴィドか。覚えておこう。それで、人族の国に来た感想はどうだ?」
フェレイドンはバツが悪そうに頭をかいた。
「元々、領地から出たことのない山出し娘ですから、王都は活気に溢れていて見るもの全てに驚いています」
リーンリアは正面からフェレイドンの顔をしげしげと眺めた。若々しかった五年前とは違い、苦労の跡が額に刻まれた皺となって表れている。お互いが重ねた年月を感じて感無量の思いでいっぱいになった。。
「こうしてまた会えるとは思っていなかったよ。人族と魔族が手を携えて生きていくことは、まだ実現できていないがな」
二度と会えないなどと言って別れた手前、フェレイドンは手放しで喜んでいいものか迷いが見える。ユースポス卿との約束は、まだ道半ばで達成できていないのだ。
「私もまだ先のことだと思っていました……」
「それで、何があった。君が亡命したということはユースポス卿に何かあったのか?」
フェレイドンは戦場で会ったときから、ずっと聞きたかった本題に斬り込んだ。
「父は、討たれました。兄の手によって、魔族の裏切り者として」
リーンリアが苦悶の表情を浮かべて、胸の奥から絞り出すように言葉を紡いだ。
「まさか、ユースポス卿が!?」
フェレイドンは驚きのあまり、本棚に手を突いて身体を支えた。
「兄は私も手にかけようとしました。兄から見れば私は裏切りの象徴なのです」
リーンリアは兄との確執を思い出していた。リーンリアの存在を認められなかったのだろう。あの時、兄はリーンリアのことを家族として見ていなかった。
「それで亡命というわけか、よくぞ無事でいてくれた」
「最後に父が私を庇ってくれたのです。全てを託して人族の国へ向かえと言い残して」
リーンリアの目には父との別れの光景が焼き付いている。父は最後までリーンリアのことを愛していてくれた。それだけで、どこにいようとも自分の足で立てるような気がした。
「そうだったのか、嫌なことを思い出させて、すまん」
フェレイドンは口を曲げて、また頭をかいた。
「いえ、父から伝言を預かっていますので、いずれ話さなければならないと」
リーンリアはフェレイドンの様子を見て、微かに微笑んだ。
「伝言だと、ナーデレフも一緒でいいか?」
「問題ありません。父はこう言いました『陛下は同意した』と伝えてくれと」
「なんだと!?」
リーンリアが伝えた言葉は、フェレイドンを驚かすのに十分な内容だった。
皇帝が同意した。何に同意したか、言わずもがなだ。フェレイドンとユースポス卿の間で、交わした約束は一つしかない。人族と魔族の融和についてだ。死の大地を魔族に譲る代わりに、人族との戦争を終わらせることに間違いない。
だが、不毛の地を再生する術はフェレイドンたちが知らない情報だ。しかもユースポス卿という皇帝につながる唯一のパイプも切れてしまった。
「父は一体、何をしようとしていたのですか?」
リーンリアは心配そうに顔を曇らせた。
「リーンリア、君だって何度も聞いていただろう。もちろん人族と魔族の融和だ。ユースポス卿はそのために根本的な原因を取り除こうとした。だが、それには魔族全体の意思統一が必要だ。それをやってのけたのだよ、君の父上は!」
フェレイドンは自分のことのようにユースポス卿の偉業を称えた。
「父がそんなことを……」
リーンリアは自分がまったく蚊帳の外に置かれていたことに驚くと同時に納得もしていた。ユースポス卿は事が失敗した際に、リーンリアに累が及ぶことを恐れたのだろう。
「そう、そのためにこの五年間、ユースポス卿は帝国内で活動を続けていた。もちろん我々も無為に過ごしていたわけではない。王国軍に根を張り、魔族との融和のための土台作りをしていた。内々では陛下から講和条約の了承も得ている」
フェレイドンにこれまでの成果を誇るような様子はなく、苦悩に満ちた表情だけがあった。
「すでに地固めは終わっていたのですね。そうなると父という駒が失われた後は」
「そうだ。我々は皇帝と交渉するためのルートがない。例え、ユースポス卿が不毛の地を再生する術を皇帝に伝えていたとしてもだ」
「どうにかならないんでしょうか。父が命を賭してやろうとしたことを、みすみす潰してしまうわけには……」
リーンリアは自分の無力さを感じて顔を伏せた。
「俺だって何とかならないかと考えている。ナーデレフはどうだ?」
フェレイドンは会話の行方を無言で追っていたナーデレフに尋ねた。
「親書を届けるしかないんじゃないか、帝都へ」
ナーデレフはさも簡単そうに無茶なことを言いだした。
「バカな、奪還作戦でさえあんな有様だったんだぞ。魔族の本拠地なんて至難の業だ」
フェレイドンはナーデレフに聞いた自分の愚かさに今になって気が付いた。
「こちらには魔族領のことを多少なりと知っているリーンリアがいる。少数精鋭で潜り込めばいい」
「帝都までは何とかなるかもしれない。だが、皇帝に会うにはその先があるのだぞ」
フェレイドンは少し本気で作戦が成功する可能性を考えてみたが、やはり無謀としか思えなかった。
「わかっているさ。なら、ユースポス卿のような稀有な存在をこれから探すと言うのか?」
「そんな奇特な魔族がいれば、苦労はしない」
「ふん、では皇帝から足を向けてもらうのはどうだ?」
「お前は何を言っている。皇帝を王国に呼ぶつもりか?」
フェレイドンはこれ以上ナーデレフに付き合いきれないとばかりに、両手を広げてため息をついた。
「王国でなくてもいい。戦場に引っ張り出すのさ。親征を行わせるんだ」
ナーデレフは極論に極論を重ねて、最初の案がまだマシに思えるようなことを言いだした。
「それならできるかもしれません」
リーンリアの言葉にフェレイドンとナーデレフの二人は驚いた。
「リーンリアまでコイツに毒されたのか?」
「ふふふ、そうではありません。皇帝は魔族たちから恐れられています。圧倒的な力を持っているが故に」
「ふむ、魔族にとって皇帝の権力は絶対だからな」
フェレイドンはかつてユースポス卿から聞いた皇帝という存在を思い返した。
「人族が勝ち続けることによって皇帝は戦場に出て勝たざるを得なくなるのです。皇帝として魔族たちに力を見せつける場を求めて」
リーンリアの目が怪しく輝いた。




