第17話 ある村娘の人生
「リーンリア、勝手に入ってはいかんと言ったはずだぞ」
ユースポス卿がリーンリアを追いかけて客間に顔を出した。
「ごめんなさい、みなさんにご挨拶しようと思って」
悪びれた様子もなくリーンリアはスカートの裾を両手で軽く持ち上げて片足を引いた。
「リーンリア・ユースポスです。みなさん、よろしくお願いします」
「ユースポスだと……、ユースポス卿、彼女はあなたの娘さんか?」
フェレイドンはまだ衝撃から立ち直っていなかったが、更なる事実に目の回るような気分だ。
「そう、リーンリアは紛れもなく私の娘だ。そして、この娘の存在が人族との融和を目指した理由でもある」
ユースポス卿はリーンリアの頭を優しくなでながら、懐かしむように目を細めた。
ユースポス卿の話はリーンリアの出生に纏わることだった。彼女の母親は人族の村からさらわれてきた女性だった。ナスリーンという名の16歳の少女は出身の村の名前さえ分からない。素朴で明るい性格だが、教育を受けた様子はない、ごく普通の村娘だったようだ。
さらわれた人族の者たちは、帝都カラクラックに送られて蓄魔管に封印される。封印された人族は眠ったまま食べることも考えることもなく長い時を生き続けるのだ。そうして死ぬまでの間、魂からマナが引き出され続ける。
魔族の生活の中でマナは様々なことに使われるが、主な用途は農業だ。平地の少ない魔族領では限られた土地から多くの作物を収穫するために、マナによる地力の再生が行われていた。
ユースポス卿とナスリーンの出会いはまったくの偶然だった。蓄魔管に封印されている人族は誰に見られることもなく、一生を終える。魔族たちの中で人族を見たことがあるのは戦争に行ったことのある者のみだ。
ナスリーンの封印されていた蓄魔管が雷に打たれて、彼女が目を覚まさなければ出会うことはなかっただろう。目を覚ましたナスリーンはかなり混乱した様子だった。周囲は魔族だらけなのだから、普通の村娘としては仕方のないことだ。
魔族にとって人族は高価で貴重な資源だ。特に山深い辺境の地にあっては、人々の暮らしを支える生命線とも言える。ユースポス卿はナスリーンを帝都に送り、再封印してもらうまでの間、彼女を丁重にもてなした。
ナスリーンにとってそれは夢のような生活だった。辺境での生活といっても、仮にも領主であるユースポス卿との暮らしだ。食べる物にも困らず、着る物は与えられ、寝るときは豪華なベッドの上だ。ナスリーンはみるみるうちに元気を取り戻し、城での生活に慣れていった。
ユースポス卿にとってナスリーンは興味深い観察対象だった。異人種であり、性別も異なり、身分もまったく違う。まったく共通点がないにも拘らず話の種は尽きない。猫の目のようにくるくる変わるナスリーンの表情は、彼女の魅力を際立たせた。
妻を病気で亡くし、息子を遠い帝都に留学させている独り身の生活に彩りが生まれ、重く息苦しかった城の中も華やいだ雰囲気に変わった。観察対象から恋愛対象に変わっていったのは自然なことだったのかもしれない。
ユースポス卿はナスリーンを手元に置くことを決心し、遺産を処分して作った金で、新しい蓄魔管を村に寄贈した。
やがてナスリーンはリーンリアを生んだ。
リーンリアは生まれたときから非凡な能力の片鱗を見せた。ユースポス家は真祖と呼ばれる皇帝の傍系にあたる。元々、魔族としては飛び抜けたマナを持つ家系だ。ユースポス卿自身もその能力を駆使して戦場で名を馳せていた。だが、リーンリアの持つマナの量はそれを遥かに凌駕した。
「この子はきっと強くなるぞ。私なんか足元にも及ばないだろう」
ユースポス卿はリーンリアを抱き上げてゆりかごのように左右に振った。
「あなた、お願い。この子に生き方を教えてあげて。きっといつか自分の生まれを悩むときが来るわ」
ナスリーンは大役を終えた安堵感と共に、我が子の行く末を案じて心を痛めた。
「わかっているさ、ナスリーン。この子は魔族と人族の懸け橋になるんだ。自分の力で大地に立てるよう、様々なことを教えよう」
ユースポス卿はナスリーンを安心させるように笑いかけた。
ユースポス卿の手によってナスリーンの存在は長らく秘匿されていた。魔族にとって人族は高価で貴重であっても、同じ『人』としては認識されていない。あくまで便利な燃料であり、長く戦ってきた敵だった。魔族たちの偏見から妻子を守るためにユースポス卿は二人を城から出さなかった。
ある日、7歳になったリーンリアは外の世界に憧れて、両親の目を盗んで城を抜け出した。目的地は城のから見える花畑だった。森の中の広場に短い夏の間だけ咲く、色とりどりの花が見えたのだ。リーンリアは大海原に漕ぎ出す船乗りのように冒険心に満ち溢れていた。
リーンリアが城を抜け出したことに気が付いたナスリーンはすぐに後を追ったが、我が子の姿はちょうど森の中に消えるところだった。ナスリーンが城を出たのは実に10年振りになる。薄墨を流したように不安が広がっていくが、我が子の無事には替えられなかった。
ようやくリーンリアに追いついて抱き上げたとき、運悪く居合わせたのは村の子供だった。村の子供は両親から聞いていた人族の姿をナスリーンに重ねて動揺した。何故、ここに人族がいるのか、リーンリアは何故抵抗しないのか、そんなことは頭の片隅から抜け落ちていた。
ただ、リーンリアを人族から助けるために、ナスリーンを殺してしまった。
知らせを聞いて駆け付けたユースポス卿は運命のいたずらに呆然と立ち尽くすしかなかった。事を収めるために何と言ったか、最早記憶に残っていない。気が付いたときには泣きじゃくるリーンリアを連れて城に戻っていた。
――あの子供が悪いのではない、人族に対する偏見がこの結果を生んだのだ。
ユースポス卿はこのまま立ち止まるわけにはいかなかった。ナスリーンの死が無駄になってしまう。彼女との約束を果たすために、リーンリアに教えなければならないことが山ほどある。それからのユースポス卿はリーンリアにとって父であり、先生であり、師でもあった。かなり厳しい教育だったが、多くのことを伝えたつもりだった。
そして、ユースポス卿は次の段階に進む決心をした。人族との直接的な接触だ。この交渉の過程で、リーンリアには魔族だけでなく、人族のことも知ってもらおうと考えていた。
「お嬢さんをどうするつもりですか?」
フェレイドンは緊張した面持ちだった。長い間、魔族と戦ってきたが、ユースポス卿の出方がまったく読めない。
「そうだな。私はあなたたちの任務に協力しよう。情報が欲しいのであれば、どんな質問にも答える。人族の救出が目的なら、協力もやぶさかではない。その引き換えに君たちに頼みたいのは……」
ユースポス卿はいたずら好きの悪魔のように口の端を歪めた。
「娘の遊び相手だ。手始めに話し相手になってくれないか」
フェレイドンは顎が外れたようにぽかんと口を開けたまま、言葉を紡げないでいた。




