第143話 願いを託して
パルヴィッツの指示で決死隊が組まれた。右翼部隊の半数を使って皇帝に直接攻撃を加える。理想的な展開としては、敵と味方が入り混じった状態で皇帝は規格外の威力を持つ攻撃呪文の使用を躊躇ってくれることだろう。自らが膨大なマナを消費して守った虎の子の精鋭部隊だ。
一方で皇帝が味方の犠牲も厭わずに攻撃してきた場合はどうか。決死隊は全滅するだろうが、護衛していた敵の精鋭部隊も損害をまぬがれない。どちらにせよ王国軍側にもメリットがある。問題は残った右翼本隊に皇帝が狙いを定めてきた場合だ。
こちらはもう打つ手なしだ。攻撃を受けてしまえば、防御も回避もできない。皇帝の呪文はそれほどの範囲と威力を兼ね備えている。精々、狙われても被害が最小限で収まるように散開して的を絞らせないようにするしかなかった。
すでに王国軍の右翼部隊は数の上で魔族軍の本隊を上回っていた。自然現象さえも利用して実行された広範囲殲滅複合呪文は劇的な効果をあげている。5万もの兵力がたった一撃で八割近くを失っているのだ。皇帝の力がいかに強大で奇跡のような現象を発生させようとも、魔族からすればたかがソーサーラーを数百人集めて同等の奇跡を起こす人族の恐ろしさの方が魂の奥底に深く刻み込まれた。
「ふっ、人族も私の首を取ろうと必死で縋りついてくる」
皇帝ヴィルヘルム・ジグマリンは人族との融和を目指しながらも戦場で多くの人族を屠るという相反する行動をしている自分に対して自嘲気味な笑みを浮かべた。
「悲惨な戦場というものを多くの者たちに感じてもらわなければなりませんからな」
周囲をはばかるように小声で答えるイオン宰相の顔は強張っている。
「どうしたイオン、顔が青いぞ。我々はまだ負けたわけではなかろう」
「もちろんそうです。陛下のお力で天秤を引き戻したのですから、それを無駄にはさせません」
かすれる声を誤魔化すようにイオンはごくりと唾を飲み込んだ。
魔族の中でもイオンは人族の脅威を最も強く感じていたひとりだ。このままでは帝国と王国、両国の軍事的な調和が崩れて魔族は滅亡の道を歩む。そう危惧したからこそ、人族との融和の企てに加担したのだ。それでも目の前の出来事は言葉を失うものだった。
――ただの兵士たちが寄り集まって陛下と同じ奇跡を起こすだと!? ありえん……。
この複合呪文が普及すれば、戦場という戦場はあっという間に王国軍によって塗り潰されてしまうだろう。なにせ神にも等しい皇帝と同等の力を顕現させるのだ。帝国には皇帝がひとりしかいないにも拘らず。この戦いで必ず融和への道筋をつけなければならない。イオンは強く心に誓った。
決死隊の特攻は熾烈を極めた。守りを固める相手は魔族の中でも精鋭の近衛兵たち。ひとりひとりが屈強な強者たちだ。数の力で押してはいても薄皮が剥がれるように多くの兵士が脱落していった。
それでも地中から顔を出す筍のように多くの兵士に押し上げられたナヴィドたちは、ついに目的地へとたどり着いた。人族が初めて目にする魔族の王。皇帝ヴィルヘルム・ジグマリンの姿がそこにあった。
緩く波打つ蜂蜜色の髪にあどけなさの残る顔。長く敵対してきた残忍で恐ろしい魔族の首魁とは思えない青年だ。だが、好奇心に満ちた瞳は赤く爛々と輝き、その耳は細く尖っていた。紛れもなく魔族の血を引いている。
「よくぞここまでたどり着いたな。人族の者たちよ」
落ち着いていてどこか親しみのこもった声でヴィルヘルムは語りかけた。
「あなたが、皇帝なのか?」
ヴィルヘルムの発する重く粘りつくような気配にナヴィドは圧倒されていた。
「そう、貴様らが首を取りにきた男だ」
「招待を感謝しよう。早速、その首を差し出して欲しいのだが」
傲慢不遜な態度に周囲を守る側近たちが気色ばんだ。
「くくっ、これはなかなかに楽しい展開だな。私は配下の者たちに見せねばならぬのだ。その忠誠心に相応しい王者の風格というものをな」
どこか楽しそうにヴィルヘルムは笑い声を上げた。相反して周囲を覆う気配は圧力を増した。
「セペフル、パリール、マーフドフト、カランタリ、周囲を抑えてくれ!」
自分でも無理な注文を言っていることをナヴィドは理解していた。
「まあ、任せておけ。後輩にいいいところも見せないとな」
セペフルはそんな状況でも軽口を返す。
「この光景を見られただけでも十分おつりが出ますね」
パリールは諦めたように口を開く。
「ふふん、これまでの総決算だと思えば、腕が鳴るじゃない」
どこにいてもマーフドフトは人生を楽しんでいた。
「まったくキミと一緒だと、退屈しないな」
肩をすくめたカランタリはそれでも微かな笑みを浮かべた。
近衛兵たちを抑えるために小隊の仲間たちは飛び出していく。この場に残ったのはナヴィドたちとヴィルヘルムだけだ。最後の戦いの舞台が整えられた。
「みんな頼んだぞ。その間に皇帝は俺たちが倒す!!」
ナヴィドの言葉を聞いて、驚いたようにヴィルヘルムは目を見開く。態々、仲間との会話を待ってくれるような余裕を先程から見せていた。だが、面と向かって倒すと言われれば、剣を取らざるを得ない。
「随分と安く見られたようだな」
「いや、あなたの強さは十分に身に染みている」
数百人を屠った力を目の当たりにしているナヴィドは静かに言葉を返した。
「ほう、それでも向かってくるのか」
「ここで背中を向ければ、俺たちをここまで運んできてくれた人たちに顔向けできないしな」
「なるほど覚悟はできているようだ」
納得したようにヴィルヘルムはひとつ頷いた。
「それにあなたにとって俺たちは相性の悪い敵じゃないか」
少し挑発的な視線を向けたナヴィドにヴィルヘルムはまた驚かされた。
「相性か。そんなことなど考えたこともなかったな」
「ハンマーを振り回して蚊を追う者はいないだろう」
「まさか自分のことを虫けらと言っているのか?」
「それぐらいの差があることは理解している」
感情的なのか理性的なのか捉えどころのない男だとヴィルヘルムは戸惑った。
「まったく面白い男だ。それでいて逃げもせずに立ち向かってくるのだからな」
「俺は勝ち目のない争いはしない主義なんだ」
心の底から信じているような目。それは仲間たちへの信頼の証なのだろう。
「ここまで来て、よくも言ってくれたものだ」
挑発したり、興味を引いたり、猫の目のように変わる態度にヴィルヘルムは驚かされっ放しだ。こうして会話を長引かせて時間を稼ぐことにも意味があるのかもしれない。ナヴィドへの評価を一段階上げてヴィルヘルムは剣を構えた。
のらりくらりとかわし続けるのもここまでだった。ヴィルヘルムは直接決着をつけることを望んだ。そうでなければ魔族たちを説得することなどできはしない。
これは魔族と人族が融和へ至る道筋の最後の壁。越えなくてはならない試練だった。




