第132話 審判の日
「魔族が率いる部隊が2つ、小隊規模だ。こちらへ向かってきている」
セペフルの報告に再び緊張が走る。
「一隊は友軍に任せよう。クーロス、伝令を頼む」
「心得た」
ナヴィドの指示を受けてクーロスが飛び出していった。
「リーンとマーフドフトは敵を誘導してくれ。リーン、敵を釣れるか?」
リーンリアに何ができるかナヴィドも把握しているが、こうして皆が聞いている前で言葉にすることに意味がある。
「敵の指揮官次第だが、やってみよう」
「上手くいったら隣の部隊に運んでやってくれ。彼らも腹を空かせているだろう」
ナヴィドの軽口に小さな笑いが起こる。すでにナヴィドたちの小隊は敵を3部隊も殲滅していた。喉から手が出るほど欲しがっていた戦果だ。少なくない敵を倒したことで緊張は適度にほぐれ、小隊としての自信が生まれつつあった。
こうして前線にいると、両軍の勢いには敏感になるが、全体の戦況はまったく把握できない。本部で各所から報告される情報を集約すれば見えてくるのだろうが、部隊を指揮する片手間でそれができるわけでもなかった。
――俺たちを活かしてくれるかどうかはパルヴィッツ少将にかかっているってわけか。
いくつもの戦場で指揮下に入ったナヴィドとしてはこれまでの振る舞いからパルヴィッツを信頼している。彼なら無意味に兵士を使い潰すこともないだろう。だが、戦況が悪くなれば、そうも言っていられない。乾坤一擲の作戦のために犠牲になることなど珍しくもないからだ。
「来たぞ。魔族は二人、マンティコアが三体だ」
セペフルの声にナヴィドは思索から引き戻された。
――小隊規模か。リーンの囮は上手くいったようだな。
「セペフル、魔族の応対を。他の者はいつも通りだ。マンティコアから倒すぞ」
ナヴィドの指示に反応して小隊が生き物のように動き始めた。
挨拶代わりにパリールたちの攻撃呪文が火を噴く。敵の頭上に数人のソーサラーたちで作り上げた火球が浮かび上がり、渦を巻くように広がった。だが、これは単なる牽制でしかない。敵のマンティコアの数が多い。攻撃呪文は相殺されてしまうだろう。
敵の目が上空に向いている隙にナヴィドたちが接敵した。遠隔攻撃をマンティコアの呪文に頼っている敵にとって迫りくる彼らを止める術はない。後は敵がこちらの攻撃呪文を相殺してくれることを祈ればいいのだ。
マンティコアたちから氷の塊が放たれて火球とぶつかり合い、空を覆う傘のような雲を発生させた。春雨と見紛うばかりの細い水の滴が辺りに降り注ぐ。地上に視線を戻したときには、もうアタッカーたちはすぐ傍まで迫っていた。
オルテギハとケイヴァーンのハルバードが左右から同時に振り下ろされ、マンティコアの前足を斬り落とした。巨体を支えきれずに地面に突っ伏すように倒れ込んだ。そこに飛び込んだクーロスの二刀が両目に突き刺さると、苦しむ間もなく塵に還った。
マーフドフトの分隊の剣士たちはマンティコアの周囲を囲むと、次々に攻撃を繰り出した。互いが囮となって死角から攻撃することで敵に狙いを絞らせない。マンティコアはなます切りとなって崩れ落ちた。
残りのアタッカーたちも順調に魔獣を屠っている。残ったマンティコアの頭をカランタリが狙撃で吹き飛ばした時点で大勢は決した。魔族とはまだ戦闘中だがディミトリエに比べれば、その力は数段劣る。数的優位を得た今、恐れることはなかった。
「どうやら終わったようだな」
急いで駆けつけたであろうリーンリアが声をかける。
「向こうは大丈夫だったか?」
「多少、損害も出たが、なんとか殲滅できた。一小隊では数も知れている」
「こうして戦力を小出しにしてくれるのはありがたいことだが」
「このままというわけにはいかないだろう。まだ魔族側には切り札が残っている」
リーンリアの言葉は頷けるものだった。
「ディミトリエにドラゴンか? 確かにアイツらが出てくると厄介だ。俺たちだけで太刀打ちできないしな」
こうして敵の戦力を削ぐことに意味がないわけではない。だが、最大の障害が取り除かれていないままだ。ディミトリエたちは右翼部隊を散々っぱらかき回すだけかき回した後、悠々と本隊へ戻っていった。回復を受けて万全の状態でまた出陣してくるだろう。
――ヤツの能力は脅威だ。マナの感知に加えて、あの反射速度。リーンを支援できる状況にもっていかなくては勝負にもならない。くそっ、どうやってヤツを仕留める?!
ナヴィドがディミトリエの対策を考えている間にも戦場の状況は刻々と変わっていた。敵陣深くに王国軍が最も恐れる存在が姿を現したのだ。その巨大な影は天に向かって一声咆えた後、ゆっくりと王国軍へと進軍を始めた。その数、20体。一定の間隔をあけて地平線に並ぶ姿は麦畑の収穫をする農夫のようだ。刈り取られる麦は人の形をしているが。
「ドラゴンだ。ドラゴンが現れたぞ!?」
ひとりの兵士の叫びは瞬く間に王国軍全体に広まった。
「ブレスが来る、散開しろ!」
密集していた陣形が蜘蛛の子を散らすように広がる。
兵士たちの思惑などお構いなしにドラゴンは大きく息を吸う。膨れ上がった胸は燃え上がるように赤い光を放つ。次の瞬間、一条の光線を吐き出しながらドラゴンは首を振った。光線が触れた地面は赤く溶解し、次いで爆発的な炎が噴き上がる。王国軍は一筆書きで描かれた炎の線で分断を余儀なくされた。
「これは……、マズイな。パリール、溝を掘ってくれ。深さは人が隠れられる程度でいい」
ナヴィドの指示を受けてパリールはすぐに詠唱に入る。軍学校で地盤を崩す戦法が流行っていたお陰で呪文による土木工事はお手の物だった。
「ほらほら、さっさと隠れて。ブレスの攻撃を受けるよ」
気の抜けた口調でマーフドフトが全体の行動を急かす。
「来るぞ!」
前方のドラゴンがブレスを吐いたのを確認してナヴィドは警告と共に溝の中に飛び込んだ。上空を光線が貫いた後、背後から炎が吹き寄せる。溝に蓋をするように障壁が張られ、透明なガラスの上を爆炎がほとばしる様子が見えた。
爆炎が通り過ぎた後、溝から首を出したナヴィドの目に飛び込んできたのは、そこかしこに散らばる溶けた塩の塊だった。それは人の形をかろうじて保っている。素体の成れの果てだ。
――この一帯の部隊は全滅か……。
周囲には兵士たちの姿はなかった。彼らが戦場に戻ってくるまで、それなりに時間がかかるだろう。残った戦力でドラゴンを倒さなければならない。ともかくここに踏み止まっても益はない。一小隊だけでは敵に踏み潰されて終わってしまうからだ。
その時、王国軍から青い光弾がドラゴンに向かって放たれた。新型銃による反撃が始まったのだ。その光弾は確かにドラゴンを貫いたかに見えた。だが、ドラゴンは一瞬、揺れただけでその姿は健在だ。攻撃は何の効果も与えられなかった。
「バカな、確かに命中したはずだ。どうなっている?!」
ナヴィドの疑問に答える者はいなかった。
魔族側と人族側はお互いに切り札を切ったが、その結果は火を見るよりも明らかだ。王国の未来に暗雲が立ち込めている。進むべき道はまだ見えなかった。




