第118話 打ち砕く力を
すり足で移動すると、ざざっと地面から擦過音が鳴った。周囲には敵も味方も気配はない。ここにはリーンリアとマーフドフトの二人きりだ。ナヴィドからの支援も随分前から途絶えている。だが、リーンリアは確信していた。彼が勝利のために最善の行動をすることを。ならば自分にできることをするだけだ。そのための第一歩は目の前の剣姫を倒すことだった。
「ダガーちゃんとは一度、本気でやってみたかったんだよね。今なら邪魔は入らないでしょ?」
自然体で構えたマーフドフトは本気とも冗談ともつかない言葉を投げかけた。
「奇遇ですね。私も先輩とは勝負をしてみたかったんですよ」
「お互い相思相愛かあ。それじゃ、後輩くんの邪魔が入らない内に語り合いますかっと」
気の抜けた言葉とは裏腹に気合のこもった斬撃がリーンリアを襲った。後ろにステップするように避けたリーンリアは剣姫の攻撃によるプレッシャーを受けて一歩、二歩と後ろに下がり続ける。
ダガー対ロングソード。得物はリーチの差で剣姫が有利だ。だが、不利であることも承知で敢えてダガーを使っているのは、リーンリアの十八番である素早さを阻害しない重量にある。リーンリアはそのメリットを発揮した。
大きく飛び退いて間合いを開けると、助走をつけて突っ込んだ。三歩も走ればもう最高速だ。剣の間合いに入る瞬間に空中に身を躍らせ、剣姫の頭上を回転しながら飛び越える。冷静さを失わない剣姫は曲芸のような派手な動きにも翻弄されず、振り向きざまに剣を横薙ぎに振った。
甲高い金属音が鳴り響く。神速の剣筋をリーンリアは事もなげに空中で刃を合わせて防いだ。その勢いを利用して横回転すると、着地から剣姫の懐に飛び込みダガーを振るう。この間合いであれば、スピードのあるリーンリアに軍配が上がる。
怒濤の攻めをマーフドフトは体捌きだけでかわしていった。剣を使おうにも相手が近すぎる。だが、大きく飛び退こうとしてもリーンリアはその度に同じだけ間合いを詰めた。ぴったりと離れない二人の距離に辟易する。
――剣士が嫌がることを熟知しているね。ホント、この娘は上手い。でもね……。
マーフドフトは攻撃を避けると同時にリーンリアの左肩を軽く拳で押した。一瞬だ。だが、その一瞬でほんの少しリーンリアの身体が泳ぐ。マーフドフトがイニシアティブを取り返すのに十分な時間が生まれた。
「はあああっ!!」
自然体の構えからリーンリアに向かって最短距離を剣が走った。リーンリアが避ける暇さえない。思わずダガーで受け止めはしたが、裂帛の気合と共に放たれた剣はじんと腕を痺れさせるような大きな衝撃を与えた。
右から左から上から下からと、あらゆる角度から斬撃を浴びせる。嵐の中舞い踊る木の葉のようにリーンリアは翻弄された。ひとつひとつが必殺の一撃だ。長く受け続けることは無理であろうと剣姫は予想していた。
それでもだ。そんな状況にあっても彼女の目は死んでいなかった。何かある。彼女は何かを隠している。警戒を強めた剣姫はなおも攻撃の手を休めなかった。
――おかしい。何なの、この手応えは?
リーンリアは軽装の小兵だ。重い斬撃を受ければ、自然と身体は勢いに押される。それが今では地に根が生えたように一歩たりとも動いていなかった。硬い岩に打ち込んでいるようだ。剣姫がそう思い始めた矢先に聞こえてきたのは深く息を吐く音だった。
次に打ち込んだ剣は逆に弾かれた。体勢が崩れるほどの衝撃を受けたのは剣姫の側だ。その理由を知って驚愕に目を見開く。それは速さでも技でもなかった。単なる力だ。渾身の一撃を弾き飛ばすほどの馬鹿力だ。
――例え膨大なマナを持っていたとしても、この力はでたらめ過ぎるよ!?
一合、二合と刃がぶつかり合う度に剣は弾き飛ばされ、剣姫の体勢は崩れた。リーンリアの刃は徐々に剣姫の身体に近付いている。このまま打ち合いを続ければ、いつか決定的な瞬間が訪れるだろう。
――仕方ないか。剣術でなくて奇術の類だけど許してね。
マーフドフトは上段に振り上げた剣を真っ直ぐに振り下ろした。当然、リーンリアは迎撃に入る。刃がぶつかった瞬間にマーフドフトは柄から手を離した。剣はダガーと刃が触れ合った部分を支点として縦回転し、再び手の中に納まる。リーンリアから見れば、ダガーの刃だけが剣をすり抜けたように感じただろう。間の抜けた顔をしているリーンリアが見えた。
突き出された剣はそのままリーンリアの身体に吸い込まれていった。背中まで貫いた刃から噴き出したマナの量は致命傷であることを確信させた。満面に喜色をたたえる剣姫。
その瞬間、リーンリアはダガーを手放すと、剣姫の右腕に飛びついた。足を首と胴に絡ませて身体を反らせる。ばきばきと腕の関節が壊れる音が鳴り、苦痛のあまり剣を手放した。
「あっ、ぐあっ!?」
言葉にならない声を上げて剣姫はうずくまった。右腕はだらんと垂れ下がり、力が入らない。ダガーを拾い上げたリーンリアは馬乗りになって延髄に刃を振り下ろした。ぱしゅっと乾いた射出音が鳴って魂が抜けると、剣姫の身体は塩に還った。
戦いの結果を見届けたリーンリアは空を見上げて微かに笑みを浮かべる。強く握られた拳が彼女の喜びの発露だった。少しだけ剣姫を倒した余韻に浸っていたが、やがて保有するマナが枯渇して素体を維持できなくなり、身体は塩となって剣姫に重なるように崩れ落ちた。
走るナヴィドの跡を追うように連続して光弾が地面に着弾した。転がるように障害物の陰に潜り込んで息を整える。カランタリとの狙撃勝負は分が悪い。狙撃するためには相手の位置を特定し、狙いを定めて撃つとの3つの工程がある。後はいかに早く精確にその工程を行うかだ。自分の役割を状況によって転々と変えてきたナヴィドと狙撃の技量を磨き続けたカランタリとでは練度が違い過ぎた。
――このままじゃマズイ、ジリ貧だ。こちらの位置を特定されないように隠れながら近付くしかないな。
相手に位置を知るための最も大きな要因は弾が飛んできた方向を探ることだ。その直線上に狙撃手は存在する。互いの位置がわかっているこの状態ではどちらが先に相手を見つけるかに勝負の鍵があった。その土俵の上であれば、ナヴィドにも勝つ可能性が残されている。
どちらも現在地からはすぐに移動するだろう。問題は移動先がどこかということだ。相手の動きを探ろうとするなら高所が有利になる。どこかに当たりをつけるか、もしくは必ず相手が通る場所で張り込むかだ。だが、ナヴィドには相手の位置を知るための奥の手があった。
安全地帯に移動すると、銃床を地面につけて銃口に耳を当てた。今、残っている者は然程、多くはない。リーンリアや剣姫の方向は除外していいだろう。ヒーラーたちは足を止めているはずだ。可能性として残ったのはひとつの足音。それは他より少し高い建物に向かっている。
――これだ。カランタリの奴、高所を取るつもりだ。
ナヴィドは高所を狙える位置に素早く移動すると、銃を固定して狙いを定めた。
――さあ、顔を出せ。その時がお前の敗北の瞬間だ。




