第110話 マッチメイカー
リュドヴィートは冷たい笑みを浮かべて拍手を送る。
「なかなか見事な演説だ。帝国臣民であれば、扇動者として処刑されていたかもしれないね。今回は王国側からのメッセージとして受け取ろう。しかし、キミの言葉はとても軽い。多くの命が失われる? どちらか一方が倒れるまで戦争が続く? そんなことは皆、とうの昔に覚悟している。何万人、何十万人死のうが一向に構わない。地を屍で埋め、血を糧に花を咲かせ、繁栄という実をもぎ取るまで我々は止まらないのだよ。それが戦争というものだ。誰もが勝利という狂気に突き動かされて死ぬまで踊り続けるしかない。その結果、魔族と人族がこの世界から消えたとしてもだ」
リュドヴィートの静かに語りかけるような言葉が紡がれると、部屋の中を静寂が支配した。
リーンリアと接して人族も魔族も常識的な価値観を共有しているとナヴィドは認識していた。だが、リュドヴィートの語る戦争はそんな話ではない。戦時には戦時のルールが存在するのだ。それはだらだらと賭け続けるギャンブルに等しい。これまでの負けを取り返そうと熱くなり、止め時を判断できなくなる。そしてその先に待つのは破滅だけだ。素体という痛みを伴わないシステムがその歪みを助長していた。
「皇帝は、同意したとうかがっていますが」
ナヴィドは控えめな反論を投げかけた。
「もちろん、陛下は遥かに先を見ておられる。神に等しい視点だ。しかし、残念なことだが、神の言葉は預言者によって簡単に歪められてしまうものだよ」
ふっと鼻を鳴らしたリュドヴィートは肩をすくめた。
――彼は何のために反論しているんだ? 両国のトップは戦争の終結に同意している。後は細かい条件を詰めるだけの話だろう? ここに来て前提を覆すということは宰相が融和派ではなかったということか? それなら何故、彼はここでこうして話している?
ナヴィドはリュドヴィートの発言の真意を探ろうと視線を落とした。テーブルの下では隣に座るリーンリアの強く握られた手が小刻みに震えているのが見える。志半ばで倒れてしまった父親が実現しようとしていた未来を頭から否定されたようなものだ。すぐに反論できなかった自分を心の中で責めているのだろう。彼女はそういう質だ。
リュドヴィートは押し黙ってしまったナヴィドとリーンリアに視線を向けたままテーブルに少し身を乗り出した姿勢で手を組む。
――彼は答えを待っている。何のために? この会談をまとめるためじゃないか。くそっ、俺たちは外交官でも何でもない、ただのメッセンジャーだぞ。この会談が期待外れに終わったからって責任は取らないからな。
ナーデレフの揶揄うような表情を思い出しながらナヴィドはおもむろに口を開いた。決して考えがまとまっているわけではないが、走り出すには助走も必要だ。
「リュドヴィート殿、あなたは会談に応じた。それが宰相からの命令だとしても私には融和の糸口を探っているように見える。戦争の継続がお望みであれば、我々をここで捕縛し、黙って王国との戦いを続ければいいだけの話だ」
リュドヴィートは肯定も否定もせずに続きを促した。
「なるほど戦争はそういうものかもしれない。十中八九、勝利する確信があるなら誰も反対しないでしょう。実際は五分五分、いや四分六かもしれない。崇高な目的もなく、そんな確率に命を賭けるのは自殺志願者か根っからのギャンブル狂ぐらいなものだ」
挑発的な言葉を投げかけたナヴィドはリュドヴィートの反応をうかがう。
「崇高な目的ならあるでしょう。民を飢えさせないという目的が」
リュドヴィートはナヴィドの言葉に感情を揺さぶられることなく淡々と答えた。
「そのために民が死んでいくのを眺めながらですか。飢えをしのぐために生きながら足を食う蛸と何ら変わりがない」
ナヴィドは吐き捨てるように言い放った。真っ先に犠牲になるのは力の無い者たちだ。その判断を下した者は多くの犠牲に涙しながら生き永らえる。
――本当にろくでもない未来過ぎて吐き気がする……。
「さて、それはどうですかね。自分の身体だと認識していれば、ただの蛮行ではありますが、他人の身体であればそうではない。伝説の怪物であるヒュドラならどうですか? 9つの首がそれぞれ意思を持って行動するならば、飢えをしのぐためにお互いの頭を食い合うこともあるでしょう」
リュドヴィートの態度はあくまで冷静だ。何かを探るような瞳はほの暗い光を帯び、深淵の奥底をのぞき込むような怖さを感じる。
迂遠な物言いにナヴィドは苛立った。リュドヴィートは何か言及を避けているようだ。
――彼は何を望んでいるんだ? 帝国側から言い出せない何かだ。こちらに決定的な言葉を言わせようとしているのか? 何故、蛸ではなく、ヒュドラなんだ?
その時、ナヴィドの頭の中でいくつかの歯車が噛み合ったように感じた。推論が正しければ確かに王国側には伝えられない。暗にそうだとこちらが認識していたとしても。
「お互いに戦争を終わらせるためには納得のいく幕引きが必要でしょう」
最初のつかみはゆっくりとしたペースで始めた。
「もちろん、その件については強く感じているよ」
軽く頷くリュドヴィート。この言葉自体はどうとでも解釈ができる。だが、彼の反応は悪くないものだった。共感していると言ってもいい。
「王国側からひとつ終戦のための条件を提示したいのですが」
少し踏み込んだ提案をして相手の出方をうかがう。チェスを指しているような感覚に陥ってやり難さを感じた。ナヴィドはチェスが弱かった。その時々で閃く手はあっても、長い局面を戦い抜くような大局観を持ち合わせていない。だが、ここで逃げるわけにはいかなかった。
「我々はまだ融和の入り口にも立っていないのですが、まあいいでしょう。その条件とやらを聞かせてください」
そんな稚拙な誘いを気にせずにリュドヴィートは話に乗ってきた。
「皇帝の首をいただきたい」
「なっ!?」
大慌てでリュドヴィートは席から立ち上がった。顔面は血の気が引いて蒼白となり、驚きのあまり目を見開いている。
「何を馬鹿なことを!?」
リュドヴィートはテーブルに強く拳を打ち付けた。グラスが音を立てて倒れ、中のワインがテーブルクロスに染みを作る。
激高するリュドヴィートを見上げながらナヴィドは心が落ち着いていくのを感じた。宥めるように提案を続ける。
「こちらにも釣り合うものを用意する必要があるでしょう。国王陛下の首ではいかがですか?」
「あなたは何を言っている?! 気でも狂ったとしか考えられない」
流石にナヴィドの暴言を看過できないリュドヴィートは言葉遣いを取り繕うことも忘れた。
「私は何も王権の打倒を目指しているわけではありません。国王陛下と皇帝には親征を行っていただきたいのです。お互いに素体であることは当然として」
ナヴィドの意図を瞬時に悟ったリュドヴィートはそれでも驚愕から脱しきれなかった。
「あなたは、いや、王国側はそれを行えるというのですか?」
「実現しなければお互いに納得のいく幕引きとはいかないでしょう。その戦いで雌雄を決するのです。これ以上もない尊い犠牲を前にしては、誰も戦争を継続したいなどと言えなくなる。たとえ融和に反対する者がいたとしても」
ナヴィドの言葉にリュドヴィートは力が抜けたように座り込み、椅子の背にもたれかかった。
王国は決して一枚岩ではない。王国軍だけではなく貴族にも宮廷にも融和派と主戦派が入り混じっている。国王陛下であっても全てをコントロールすることは難しい。皇帝を神のように崇める帝国であってもそれは変わらないのだ。皇帝ひとりの意思では変えられない現状がある。
それならば変えられる状況を作り出せばいい。戦場を舞台にして主演は国王と皇帝の二人。
――供物が自らの心臓なら自分勝手なヒュドラの頭も大人しくなるさ。




