第108話 領都の散策
「絶対安静だからね、リーン」
額に手を当てて熱を測っていたヴィーダは強い意志を込めて言い放った。
「わかっている」
毛布から半分だけ顔をのぞかせたリーンリアはバツの悪そうな表情をしている。
リーンリアが倒れた原因は精神的に極度の緊張状態が続いたためだろうと思われた。真面目過ぎる性格がそうさせたのか、自分から限界であることを吐露しなかった。結果、倒れるまで身体を酷使してしまったのだ。
いくらヴィーダがヒーラーとはいえ、精神的な疲労は治療できない。しばらくは心と身体を休めるしか手はないのだ。リーンリアが何かを訴えようともヴィーダはベッドから出ることを許さなかった。
「しばらくゆっくり休んでおけよ、リーン。宰相から返事が届くとしても、それなりに時間もかかるからさ」
「ん、リーンは頑張り過ぎ。ちょっとはアタシたちも頑張る」
「ったく、ちょっとってなんだよ。まあ、しばらくオレらに任せておけって」
シアバッシュは敬礼するように拳で胸をどんと叩いた。
ヴィーダを看病に残して三人はベッドから離れた位置で会議を始めた。
「で、だ、実際問題、どうするよ?」
声を潜めて問いかけたシアバッシュに少し前の頼りがいのある雰囲気は消え去っている。
「ノープランだったのかよ!」
「今は心配かけたくねえだろうが。先ずは不安の種を取り除こうとだな」
「いや、そうだな、悪い。シアバッシュの言うことはもっともだ」
苦笑を浮かべつつもナヴィドは彼の心遣いに理解を示した。
「部屋にこもるにしても、ずっとだと、宿の人に怪しまれそう」
オルテギハの懸念も頷かざるを得ないものだった。
「多少危険だが、宿泊の延長を伝えて食糧の買い出しに行くフリぐらいはしないとな」
「後は人選か?」
演技力には難がありそうなシアバッシュはすでに及び腰だ。
「目の色さえ見られなければ、どうとでもなるんだが」
「いっそ、何かで目を隠す?」
オルテギハは匙を投げたように適当な案を口にした。
「滅茶苦茶、怪しまれるだろうが」
眉をひそめたシアバッシュは人差し指でオルテギハの額を軽く小突く。オルテギハも結果はわかっていたというように額を手で押さえて恨みがましい目を返した。
「……いや、悪くないかもしれないぞ」
顎に手を当てて真剣に思案するナヴィドを見て周りの二人の方が驚いた。
ナヴィドは1階に下りると、宿のカウンターに立つ宿の主人に声をかけた。
「連れの者が少し体調を崩してしまって、5日ほど宿泊を延長したいのですが」
「それはお困りでしょう。部屋も空いていますし、こちらは大丈夫ですよ。大部屋でしたね。一泊で銀貨7枚ですから、銀貨35枚になります」
革袋から取り出した銀貨をオルテギハから手渡されたナヴィドはカウンターにそれを並べた。
「お客さん、その目はどうされたんで?」
銀貨を数えながら主人はちらりとナヴィドの顔に目を向けた。
「恥ずかしながら鍛冶屋の見習いでして、炉を見つめ過ぎて目がやられてしまったんですよ。神殿で目を治療してもらうため、こうして巡礼の旅をしています」
目に真新しい布を巻いたナヴィドは口元に微かな笑みを浮かべた。
魔族の中でマナの力を使える者は限られている。そのほとんどは貴族だが、市井の民として生まれた者は大別して2通りの道に進む。貴族に使えるか聖職者になるかだ。そのため人族の間では比較的使い手の多い回復呪文であっても魔族にとっては聖職者を頼るか魔石からマナを引き出して呪文を使える者を探すかしなければならない。旅の巡礼者が多いこともそれが理由だった。。
「なんとそうでしたか。それでは旅もなかなか大変でしょう。なあにモルダットの神官様なら元通り治してくれますよ」
ナヴィドの境遇に同情したのか主人はとても親身になって話を聞いてくれた。カウンターの下でナヴィドとオルテギハは固く手を握り合う。彼女の手は微かに震えていた。
「少し買い出しに行ってきます。この辺りで市は開かれていますか?」
「それなら大通り沿いに街の中心の方へしばらく歩けば、広場に出店が集まっていますよ」
ナヴィドは主人に礼を言うとオルテギハに手を引かれて宿を出た。
「ふう、まあ、何とかなったな」
ナヴィドは今になって震えてきた身体を誤魔化すようにつないだ手を離した。
「よくわからないけど、なんで、怪しまれなかったの?」
後ろで顔を伏せたまま会話を聞いていたオルテギハにはナヴィドはまごう事なき不審人物に見えた。だが、宿の主人は特に気にしていないような態度で逆に首を傾げたものだ。
「俺たちは魔族の街に人族が紛れ込んでいると知っているが、彼らはそんなこと頭の片隅でも考えていないだろう? 怪しまれるのは人族ではなく、犯罪に手を染めそうな不審者だ」
窮地を無事に切り抜けた安堵感からかナヴィドはしたり顔で策を説明した。
真面目に働いていた者が仕事で負った傷を治すために巡礼の旅に出る。そんなありきたりのカバーストーリーを宿の主人は信じた。この街の治安が悪くないということもあるが、犯罪に手を染めるような者がわざわざ顔を隠して宿に泊まることがないとの思い込みもあるのだろう。堂々とした態度をとって見せれば、相手が勝手に頭の中で理由を作り出して整合性を取ろうとするものなのだ。
ふうんと言ってオルテギハは興味を失ったように話を終わらせた。
「目が見えないんじゃ、アタシが手を引くしかない、よね?」
そう言ってオルテギハは離した手をもう一度握り返した。
目を布で覆っているとはいえ、薄い布越しに周囲の状況はおおよそ捉えられるし、隙間から見えている部分もあるので移動に支障はない。だが、目の見えない者がひとりでふらふらしていれば、怪しまれることもあるだろう。ナヴィドは素直にオルテギハの申し出を受けた。
スラティーナの街は全体的に石造りの重厚で質素な建物が多い。屋根にはややきつい勾配がついていた。華やかさはないが暮らし易そうな街だ。街を歩く人たちの表情も明るい。領主であるイオン宰相の統治が上手くいっているのだろう。
傍目にはそうは見えないがオルテギハは浮かれていた。異国の街をナヴィドと二人で並んで歩いている。目に映るもの全てが輝いて見えた。湧き立つ心を抑えきれないように弾むような足取りになる。彼女は魔族領で任務中であることも忘れていた。
市に着いた二人は出店を冷やかしながら歩いていた。
「ねえねえ、香ばしくていい匂い。この串焼き、何の肉?」
オルテギハはその答えを聞く前に店番のおじさんに支払いを済ませている。
「お、おい、何の肉か聞いてからにしないか?」
ナヴィドは自分の目が見えない設定を忘れて声をかけた。
「大丈夫、この匂い、間違いない」
何かを感じ取ったようにオルテギハは手にした串焼きに鋭い視線を落とした。
――何が『間違いない』だよ。素体は食事を必要しないし、無駄もいいところだ。
「そんなに警戒しなくても大丈夫だぞ。近くで獲れたオオフクロカエルの肉だからな。活きのいいのは折り紙付きだ」
豪快に笑った店番のおじさんの言葉は二人を凍り付かせるのに十分な内容だった。




