第101話 そして決着へ
――あーあ、ひとりになっちゃったか。ナイトくんに時間をかけ過ぎたかな。
マーフドフトは周囲に目を配って状況を把握すると静かに嘆息した。相手の分隊のエースも厄介そうなアタッカーも仲間が相打ちで倒してくれた。悪くない展開だ。惜しむらくは仲間のヒーラーが倒されてしまったことだろう。しっかりと障壁を張り、前方からの狙撃を警戒していたはずなのに。ナヴィドがいつの間にか戦闘から離脱していたことに気がつかなかった。
――まあ、残っているのは純粋なアタッカーじゃない。油断しなければ負けないんじゃないかな。
剣を構え直したマーフドフトはシアバッシュから距離を取ると、一気にナヴィドに向かって駈け出した。シアバッシュは虚をつかれて呆然と見送った後、慌てて彼女の後を追った。後ろからちくちくと嫌がらせをしそうなナヴィドの存在を嫌ったマーフドフトは真っ先に彼を倒すことに決めた。絶好の狙撃ポイントを得たつもりが、分隊から遠く離れた位置で孤立している事態になっている。ナヴィドは顔を顰めながらも、その場に座り込んで敵を迎え撃った。
光弾がマーフドフトの身体に向かって放たれる。だが、狙いの確かなナヴィドの銃撃はある意味読み易い。不規則な方向にステップを入れるだけで、光弾はマーフドフトを全く捉えられなかった。二人の距離はすぐに詰まる。
ナヴィドは後方に回転して立ち上がると、腰だめに構えた銃を地面に向けて乱射した。撃ち出された光弾は砂煙を巻き上げて視界を遮る。ナヴィドは銃剣を構えて突っ込んでくるマーフドフトを待ち構えた。
マーフドフトは瞼を閉じたまま、奪われた視界を気にすることもなく全速力で駆け寄った。やがて一陣の風のように砂煙をかき分けて姿を現す。ナヴィドが突き出した銃剣も易々と剣で払い除けた。そしてまるで見えているかのように返す刀でナヴィドの左肩を貫いた。
最初は焼けた鉄の棒を身体にねじ込まれたような熱を感じた。肩の傷からマナが溢れ出す。次に待っていたのは凍えるような寒さだ。止めようのない震えが全身を覆いつくす。熱という熱が奪われ、全ての活動が停止してしまったかのようだ。外側から徐々に暗闇に包まれていく視界の中で辛うじて見えたのは後ろから迫りつつあるシアバッシュを気にする剣姫の姿だ。
――どこを見ていやがる。俺はまだ死んじゃいないぞ。お前の敵はここだ、ここにいる。
だらんと垂れ下がり、ぴくりとも動かない左手は銃を持ちあげることさえできないでいた。右手は辛うじて動くが、片手一本では銃の重さを支えるのもやっとの状態だ。銃口はふらつき狙いもつけられない。それでも何かできないかとナヴィドは頭を巡らせた。
ナヴィドは右手を下げたまま、地面に向かって何度も引き金を引いた。光弾が地面を穿ち、タンタンタンと小気味よい音が響く。マーフドフトはそれを死の間際にみせる無意味な行動のひとつだと切って捨てた。意識はすでに次の戦いに向いている。
光弾が巻き上げる砂煙は厚さを増していた。やけに光弾が刻むリズムが耳に障る。とどめを刺しておいた方が良かったかとマーフドフトは少し後悔した。視界が利かない状況では五感を研ぎ澄ませて敵を探すしかない。長い息を吐いてもう一度、集中力を高めていく。
地を這うような擦過音と強い殺気を感じて思わず振り向いた。ナヴィドがふらつきながらも足を引きずってマーフドフトに近寄ってきている。すでに致命傷を与えているのだから放っておいたとしても、その内に死ぬだろうと思っていた自分の甘さをマーフドフトは恥じた。
――まったく、キミの執念には敬意を表するよ。
マーフドフトは一足飛びに間合いを詰めると剣を一閃させてナヴィドの首を落とした。頭が地面を転がって塩を撒き散らす。ナヴィドの身体は一瞬にして塩の柱と化した。と同時に塩の柱の陰からシアバッシュが飛び出す。
――えっ、なんでナイトくんがここに!?
マーフドフトの聴覚から逃れるために光弾が刻むリズムに歩調を合わせ、ぐるりと迂回してここまで近づいていたのだ。自分の五感に絶対の自信を持っていたマーフドフトは完全に隙を突かれた形となった。だが、目の前に突き出された盾の一撃は顔面で受け止めてしまったが、続くように下段から振り上げられた剣には剣を合わせて防いだ。そのまま流れるような動きでマーフドフトの剣先がシアバッシュの胸を貫いた。
「くそっ、マジかよ……」
後に続くおっかねえ女だなとの言葉は声にならず、シアバッシュの口から大量のマナが吐き出された。剣を通して感じていた抵抗がふっとなくなると、シアバッシュの身体が塩となって崩れ去った。
傷口から溢れ出したマナをマーフドフトは手の甲で拭った。盾を顔面で受けた際に瞼の上をかなり深く切ったようだ。右目に入ったマナが視界を塞ぐが、戦闘の継続には何の支障もない。残っている相手はヴィーダひとりだ。目を閉じていても勝てるだろうとほくそ笑んだ。
マーフドフトは全速力で元の場所へ戻った。だが、彼女の姿はどこにも見当たらない。奇襲でもかけるつもりかといぶかしんだが隠れている様子もなかった。そもそも大した攻撃手段を持たないヒーラーが襲いかかってきたところで返り討ちとなるだけだろう。
――何を考えているのかな、あの子。かくれんぼとか勘弁して欲しいんだけど。
狭くない闘技場を走り回ったマーフドフトは観客席と隔てる壁の近くにその姿を見つけた。杖を両手で抱えたヴィーダはマーフドフトを睨み付けている。自然と笑みがこぼれた。獲物を追いつめる狼にでもなったようだ。
マーフドフトは疾駆した。足が地面を蹴るたびにヴィーダの姿がぐんぐんと近づいてくる。一歩、一歩、勝利への階段を上っているような気分だ。戦う素振りも見せず慌てて逃げ出したヴィーダの姿が嗜虐心をそそった。
逃げ惑うヴィーダの杖の先が時折、光り輝いたのを見てマーフドフトは試合開始直後の追いかけっこを思い出した。剣を下段に構えて刃を地面すれすれに這わせる。案の定、何か触れるものを感じた。剣を振ると障壁が粉々に破壊される。初めから警戒していれば走りながらでも排除できる代物だ。マーフドフトにとっては脅威でもなんでもない。
――待って、そんな馬鹿なことが……。いいえ、絶対あり得ない。そんなはずない。
突如、恐ろしい予感が電撃のように身体を通り抜けた。この展開は試合前半の焼き直しだ。そしてその間、ナヴィドたちはマーフドフトの追跡を逃げ切ったではないか。どうして今度は追いつけると思っていたのか。甘い認識にマーフドフトは愕然とする。
回復呪文を受けなければ傷ついた素体から漏れ出すマナは止められない。そしてヒーラーはすでにいない。マーフドフトの傷を治すものは誰もいないのだ。傷から溢れ出しているマナはあとどれくらいで枯渇するのだろうか。10分か、20分か。さして変わらない身体の調子に引きずられて状況を見誤っていたことに気付く。
マーフドフトは慌てて闘技場を見渡した。闘技場は円形だ。ショートカットすれば、彼女に追いつけるかもしれない。すぐに到達地点を予測して走る方向を変えた。気ばかり焦って心は千々に乱れる。追いかける側から一転して時間に追われる側に陥ってしまったのだ。
闘技場の外周に近付いてヴィーダの姿が見えた。ショートカットした位置から一歩も動いていない。マーフドフトは思わず空を見上げた。
この後、ヴィーダとマーフドフトの追いかけっこは30分に渡って続けられた。マナを枯渇させたマーフドフトが倒れるまでの時間だ。マーフドフトは手を変え品を変え追い詰めようとしたが、最後までヴィーダは逃げ切った。
マーフドフトの身体が塩となって崩れ落ちたとき、闘技場は水を打ったようにしんと静まり返った。誰もが予想できなかった結末だ。そして一転して割れんばかりの喝采が巻き起こった。闘技場の中央でひとり残されたヴィーダは顔を真っ赤にしてあらゆる方位の客席にお辞儀をし、そそくさとその場を逃げ出した。




