第100話 勝利への布石
リーンリアが倒された光景を目の当たりにしたナヴィドは計算に狂いが生じたことに焦りを感じていた。エース不在の状況がこれまでにもなかったわけではない。しかも二人を道連れにしたリーンリアは十分に役割をこなしたと言っていいだろう。残る問題は剣姫の存在だ。
ナヴィドの分隊で剣姫を相手にできるのはリーンリアだけだと考えていた。シアバッシュが抑えてくれてはいるが、リーンリアかオルテギハが加勢しない限り剣姫を倒すことは難しいと踏んでいた。そこに飛び込んできたのがリーンリアの戦線離脱だ。剣姫の分隊が多勢になってシアバッシュが倒されるという最悪の展開はまぬがれたが、この均衡は微妙なバランスの上に成り立っている。
――ったく、どこから崩せばいいって言うんだよ。
誰に文句を言うべきかといえば、無意識とはいえまたリーンリアに頼り切っていた自分自身だとナヴィドは自覚している。だが、それを悔やんでみたところで何一つ結果は変わらない。どこかに剣姫を倒す突破口を見つけなければ、このまま負けてしまうだけだ。積み上げた積木細工を崩さずに抜き取る方法を考えつかなければならない。焦る心を押さえつけてナヴィドは頭の中で自分の持つカードを並べた。
オルテギハの役割はシンプルだ。目の前の敵を倒す。ナヴィドからの指示はそれだけだった。だが、その壁が高い。これまで戦ってきた敵と比べても上位に入るだろう。たかが1年先輩にこれほどの猛者がいるなら王国軍の未来も明るいと思える。それだけにこの先輩の上に剣姫が控えていると考えるとオルテギハは絶望的な気分になった。
――上がいる、さらに上がいる。左も右もいる。ホント、キリがない。
自分は強くなったとの自信があったとしても毎回のように死闘を演じている現状ではそれを拠り所にできなかった。というか戦闘のたびに結構死んでいる。果たして自分は強くなったのだろうかと立ち位置を疑いたくなる状況だ。これがステージが上がって見える景色が変わったということなら喜ぶべきことだが。
益体もないことを考えていたオルテギハは対峙していた先輩にあっさりと懐に入られて息もつかせぬ猛攻を受けていた。短く持ち直したハルバードの柄で振り下ろされる刃を受け止める。最初に斬り結んだときから感じていたが、先輩はハルバードを扱う癖を知っている。攻め方が実に嫌らしいのだ。もしかすると剣を持つ前はハルバードを振っていたのかもしれない。
深く踏み込んだ先輩は全身のバネを使って一気に跳び上がると顔に向かって剣を突き出した。オルテギハは頭を傾けて避けるとともにハルバードを下からすくい上げる。頬が刃でざっくりとえぐられた。傷口から奥歯が見えるほど深い傷だ。そして同時に斧頭は先輩の顎を砕いた。お互いに大量のマナを撒き散らしながら跳び退くと武器を構えてにらみ合う。
すぐにヴィーダから回復呪文が放たれてオルテギハの傷が塞がった。
「アタシ、ひとりで戦っている、わけじゃない」
先輩もヒーラーから回復呪文を受けて瞬時に傷が癒された。
「私もひとりじゃないんですけど」
言葉の応酬を交わした後、先手を取ったのはオルテギハだった。突き出された穂先を先輩は半身になってかわす。半ば予測していたオルテギハは手首を捻って斧頭の刃を寝かせると鋭く引き戻した。先輩は背後から迫ってきた刃をかがむように潜り抜ける。間髪入れず地面を這うように振るわれた剣をオルテギハは柄を立てて防いだ。
一進一退の攻防だった。互いに致命傷を与えられていないが、刃を合わせる度に傷ついた。だが、回復呪文を受け続ける限り傷は癒される。そしてマナが枯渇しなければ戦い続けられる。オルテギハは先輩の背後にいるヒーラーにちらりと視線を送った。
――一気に、止めを刺さないと、終わらなさそう。
一歩下がったオルテギハはハルバードを高く振り上げて地面に向けて勢いよく振り下ろした。当たりさえすれば、防いだ剣ごと粉砕する致命的な一撃となるだろう。だが、その攻撃は読み易く単純な軌跡を描いた。先輩は僅かに横に移動しただけでぶんと唸りをあげる斧頭を避けた。その目の前には大技を繰り出して隙だらけの獲物がいる。口元が緩むのも仕方なかった。
――焦り過ぎだっての。早くナイトを助けに行きたいってのが見え見え。
先輩が紙一重で攻撃を避けたのはそのまま流れるように次の行動に移るためだ。そしてその思惑は成功しつつある。剣を受け止めるための手段がオルテギハにはもう残されていなかった。重い斧頭は地面を深くえぐっている。すぐにそのベクトルを変えることは困難だった。だが、そんなことはお構いなしにオルテギハは自ら跳び上がると、ハルバードの柄の上に倒立した。
予想外の動きに先輩は呆気に取られてその姿を見送った。天から糸で吊り下げられたようにぴんと伸びた手足が美しいフォームを見せる。そのまま弧を描くように背後に着地した。その勢いのままに再度振り上げられた斧頭は横回転する身体を追うように今度は水平に振るわれた。
――後ろに跳ぶか? いや、振り向いた勢いが殺せない。剣で受け止めるか? いや、あの重さでは剣が持たない。かがんで避けるか? いや、それよりも先に刃が届くだろう……。
頭の中には幾通りもの選択肢が浮かんでは消えていった。長く感じられた時間も実際は瞬きするほどでしかない。そしてやがてひとつの結論に至った。決心すれば身体はすぐに反応した。オルテギハに向かって思い切り前に跳んだ。ハルバードの柄が脇腹を強かに打ち、ばきばきと肋骨が折れる音を感じた。もの凄い力で身体が横に吹き飛ばされ、水切りの石のように何度も跳ねながら地面を転がった。
剣を支えに膝をついて地面から立ち上がった先輩は、口からマナを零しながら凄絶な笑みを浮かべた。肋骨の何本かは折れて肺に刺さっているのだろう。さっきから呼吸する度にマナが泡立っている。だが、刃で真っ二つにされるより幾分ましな状況だ。そして目の前には右腕を失ったオルテギハが立っていた。あの一瞬の交錯で先輩の剣は右肩を貫いていたのだ。
位置が入れ替わり、互いの身体が邪魔をして回復呪文は飛んでこない。荒い息のまま二人は駈け出した。オルテギハは斬り落とされた右腕がついたままのハルバードを投げつけた。回転しながら迫るハルバードを剣でかち上げた。その後を追うように突っ込んできたオルテギハの目を見て先輩はぎょっとした。明らかに常軌を逸している。
歯をむき出しにした口の前に左腕を出したのは咄嗟にしてはでき過ぎだった。オルテギハの歯は左腕の肉を喰い千切った。腕でなければ喉笛を喰い千切られていただろう。だが、たかが腕一本だ。致命傷には程遠い。そして右手に持つ剣はオルテギハの胸を貫いていた。
背中まで貫かれた剣から多量のマナを噴き出した後、オルテギハの身体は塩となって地面に崩れ落ちた。先輩はふうっと息をつくと自分の傷ついた身体を眺めた。肋骨は折れて肺に突き刺さり、左腕は骨まで見えている。どこから見ても満身創痍の状態だ。
――だけど最後に立っていたのはこの私。あなたたちに勝利は譲らないんだから。
おもむろに顔を上げた先輩の目に映ったのは、狙撃されて頭を吹き飛ばされたヒーラーの姿だった。目の前の光景に一瞬だけ思考が止まる。
――えっ、ちょっとどういうこと?! あんな奴、どこにいたの?!
ナヴィドは相手の注意を引かないよう戦場を迂回して横合いから攻撃をしかけたのだった。先輩にとっては完全に意識から外れていた。そしてこの瞬間、先輩の死は確定した。傷からはマナが漏れ続けている。回復呪文を受けられなければ、身体を維持できない限界まできていた。
――ああ、もうっ、全然、納得いかないんですけど!!
先輩の身体が崩れて塩の柱が残された。




