カフェオレ(ただしミルク成分は少なめで)
母親に「出ていけ」と告げられたとき思ったのは、今回の罰はこんなものなのか、ということだった。
中学校時代はお母さんと二人っきりの生活だった。
もともと私を高校に行かせる気なんてなかったみたいだけど、中学校卒業の秋くらいにおばあちゃんがお金を出してくれた。お母さんは最後まで反対したけど、高校を出たら自立するって約束で渋々許可をくれた。ちょうどその頃は、何度も繰り返してた離婚と再婚がおとなしかったからって理由もあるみたい。
ともかく私は、花の高校生になることができた。でも進学してすぐに、私なはそんなバラ色の高校生活は無理なのだと悟った。
私が通う高校に、中学校のときからの友達はいない。同じ区域だった子たちは、自分よりちょっと高い偏差値の公立と滑り止めの私立を受けた。私は公立しか受けちゃダメって言われてたから、みんなと同じ高校を受けるなんて冒険はできなかった。偏差値が高いS高を受けたいなんて、言えなかった。
部活に入れなかったのも大きかったと思う。
新入生歓迎会で演奏する先輩を見て、私は吹奏楽に入ろうと決めた。さっそく入部届をもらい、その日のうちにお母さんに話した。
「いいわねアンタは。わたしが働いてる間も遊べて」
お母さんは、入部届の保護者の部分に名前を書いてくれなかった。遠くに住んでいるおばあちゃんにわざわざ頼む気にもなれなくて、次の日に部長さんに頭を下げた。
お母さんは働いてくれているのだから協力しないと。毎日布団のなかで自分に言い聞かせる。それがきっと正しいから。
なぜか時々泣きたくなることがあった。そしてそんなときに思い出すのはいつも同じ記憶。夕陽の赤さで誤魔化しながらした他愛ないもない約束。
友達は一応作れた。別に人見知りでも、他人にいじわるをしてきた覚えもないから。でも中学校のときの友達とはまるで違った。あくまで一緒にいれば話すといった程度で、わざわざ遊びに呼んだり休みに集まるほどの仲ではなかった。みんなが連絡を取るのに使ってるツールを私は持っていなかった。それになにより、放課後すぐに帰ってしまう私を遊びに誘ってもどうせ来ないだろうという空気もあった。
月日が流れて私は少し不思議な子という扱いを受け始めた。夏場でも長袖の私を男子がからかってくる。着替えるときは独りでトイレにこもる私を、他の女子は変な目で見てくる。
もしかしたら心配しすぎかもしれない。そんな風に思うたび、腕や胸、体のあちこちの痣を見て甘えを捨てる。
こんな体、誰にも見せたくない。
今日は叱られないようにしよう。私は学校でも自分に言い聞かせる。
世に言ういじめ。その原因は案外些細なものなんだな、と高校一年生の秋に知った。いじめられたのは私じゃないよ?
ターゲットにされたのはとある男子。テスト中に漏らしちゃったから。それだけ。漏らす方もなんで漏らした? って思ったけど、そのあと彼のことを数人がアンモニア臭のする変な呼び方をするのもどうかと思った。
いじめなんて、ニオイだとか体型だとかしゃべり方だとか、そういった小さいことで起きると知った。
わかっていた。わかっていたはずなのに。
私はクラス替えの終わった二年生の夏も長袖で過ごした。当然の帰結として、私も失礼な呼び方をされた。一年生のときに接点がなかった知らない人までが私を見て笑った。なんで、とは思ったけどなんてことはない。私が持ってないツールの中で、私へのあだ名が広まったのだ。
冬が近づいてホッとしたけど、どこか私を見下す空気は変わらなかったし、体の痣は増えていく一方だった。でもなぜかもうツライとかはあんまり感じなかった。この頃にはもう、自分にわざわざ言い聞かせなくても平気になっていた。
いつか交わしたはずの約束も、果たしてそれは本当に自分の記憶なのか曖昧になっていた。
高校生活三回目の春を迎えて、お母さんの帰りが遅くなる日が増えた。仕事じゃないのはすぐ気がついた。帰ってきたお母さんからは香水の匂いがしたから。
もうその頃の高校生活のことはよく覚えてない。毎日頭に靄がかかったみたいにぼんやりしてたし、なんとなく「私」という人物が中心のドラマを眺めている気分だった。
なんとなく同じことを繰り返してる学校生活よりも、家にいるときの方が意識がしっかりしてる気がした。
お母さんが私に「出ていけ」と言ったのは、いつの間にか修学旅行と球技大会が終わっていた十一月だった。
私がなにかするたびに罰を与えるのはいつものこと。軽い罰には納屋に閉じ込められるくらい。それは体が痛くないから平気。
帰りが遅くなったお母さんのために夕飯を作っておいたら顔を三回殴られた。グーじゃくてパーだから、叩かれたが正しいのかな。
「アンタなに? わたしの作るご飯はまずいってこと? だから自分はこんなに上手だって自慢したいわけ?」
温めておいたシチューを頭からかけられて、床にこぼれるそれを拭きながら「ごめんなさい」って謝った。三年生の春頃だ。
夜中にトイレに行ったら、その物音でお母さんを起こしてしまったことがあった。トイレの外で待っていたお母さんの手には、小学生のときに使っていた縄跳びと掃除機が握られていた。お母さんは私を便器に座らせたあと、縄跳びと掃除機のコードで私の体とトイレの蓋をぐるぐる巻きにした。なされるがままにされてた私は「ごめんなさい」って謝った。次の日のお昼前にはほどいてもらえたけど、しばらく肘より下の感覚がなかった。三年生の夏くらいか。
突然の「出ていけ」のあと、通学のカバンや靴、服とかと一緒に私は道路に投げ捨てられた。散らばった教科書を拾いながら思ったのは「今回の罰はこんなものか」ということ。ずっと理不尽を受け続けた私の感覚は、とっくの昔に狂っていた。
行く当てなんてない。私は荷物を抱えてふらふら歩き出す。目的もなく駅のホームにたどり着いた私は、自販機でカフェオレを買ってから誰もいない待合室で座り込んだ。
どれだけの時間そうしていただろう。ぼーっとしている頭に、どこかから子どもの高い声が響いた。
「やだぁ。ココアがのみたいの。いまのみたいの。あまいのほしいの」
「今はだめよ。おうち帰ってからね」
声のした方をなんとなく見つめる。母親がなだめているものの、子どもはなかなか静かにならない。
そっか。あの子はココアを飲んだことがあるのか。いいな。
久しぶりに真っ赤な夕焼けを思い出す。
「約束するよ。ココアがどれだけおいしいか教える」
きっとココアは甘くて温かい。だって甘くて暖かい家庭で飲むものだろうから。だから私はまだ飲めない。
わがままを言いながらも母親に抱かれる坊や。電車が来るまで彼は泣いていた。その光景はやはり、どこか遠い世界の出来事みたい。私は、電車が走り出すのをただぼんやり眺めていた。
母親に泣きじゃくる子どもの姿が脳裏を離れない。
追い出されたのに平然としている私は、もうどうしようもないくらいに歪んでしまっている。私は膝の上で荷物を抱えた。
ホットで買ったはずのカフェオレは、手の中で転がしても私を暖めてはくれなかった。