02
朝になって俺のベッドでぐっすり眠るクロルを起こすと、夜が明けてる!と慌て出す。
「早く川へ水を汲みに行かないと!!」
ここでは裏庭にある井戸で水を汲むから慌てなくて大丈夫だとなだめる。着替えて井戸に案内すると
「こんな穴の中に水があるんですか!?」
また驚いている。井戸自体を知らなかったのか。
シーソーの様な跳ねつるべ式で楽に汲める。その場で顔を洗い、部屋から持って来た桶に水を注ぐとクロルが器用に頭に乗せて運ぶので感心した。
隊員達は朝の訓練があるので、クロルは調理場へ行って料理長の手伝いだ。料理人は1人しかいないのに形式上、料理長と呼ばれている。熊の獣人だ。
手の洗い方、食器の洗い方、テーブルの拭き方、鍋の洗い方、野菜の洗い方。食材の切り方はまた後で、とクロルが知っている事も知らない事も料理長は事細かに教えてくれた。
クロルの朝食は薄めたスープ半分とパン4分の1とウィンナーの薄切り2枚。できるだけ油を使わずに作ってある。
この食事もそれはそれは幸せそうに食べて、みんなを和ませた。
食べ終わったらテーブルを拭いて皿洗いと鍋洗いをして食堂と調理場の掃除をする。
次の仕事は洗濯。シーツやタオル、みんなの衣類。それから詰所の前と建物の中の掃除。個人の部屋は自分でやるので、玄関と応接間と仕事部屋と廊下。トイレ掃除と風呂掃除は隊員達が持ち回りでやる。
クロルが調理場の掃除をしている間に隊長に服の事を相談しに行った。
俺の話を聞いた隊長が支給するはずの隊員服の代わりに服と靴を買ってくるように、と言った。仕立て服1着分の金額で洗い替えを含めた数着を購入するとなると、古着になるがクロルなら気にしないだろう。
代金を預かってクロルの所に戻ると、洗濯物を洗い場へ運ぶ所だった。
洗って濯いで搾って干す。作業を手伝い、掃除を後回しにして町へお使いに出るから付いてくるように、と言うと
「はい!」
と元気に返事をして付いて来る。
店が並ぶ一角を通ると、食料品店、飲食店、飲み屋、仕立て屋に古着屋、雑貨屋、宝飾店、靴屋。色々な店が並ぶ中、クロルが世話になるはずだった店がひっそりと存在した。ここは気のいい夫婦が営む安くて美味しいと評判の食堂だった。
町を守る警備隊でありながら気のいい夫婦を守る事ができなかった事が若いルーには苦い経験となった。
苦い思い出を心にしまい、目的地の古着屋へ行く。
クロルのシャツとズボンと寝間着を2着ずつ、下着を3枚、くつ下を3足。古靴も1足。
全て自分の物だと聞いて目を白黒させるクロル。
「下着は大人しか履かないし、くつ下ってなんですか?」
受け取れないと言うクロルに、ちゃんとした服装でないと相談に来た人が遠慮して帰ってしまうから、と説明した。
「ちゃんとした服…」
そう言われ何も言えなくなっている。村の服は布から手作りだそうでとても簡素で町の人達が着ている服とは質も形も違う。子供は下着なしでしゃがめば用が足せる股割れズボン、靴は草履か蔓植物の皮で編んだブーツ。それはここではちゃんとした服装とは言えないのだ、と。
「働くために必要な物だから報酬として受け取って大切にすれば良い。」
と言われたが報酬と言う言葉の意味をわかっていない。
「報酬ってなんですか?」
「働いた分だけ受け取る賃金や品物だ。」
「賃金?」
「給料だ。」
「給料?」
おそらくクロルにとって労働の対価とは最低限の衣食住の保証であるのだろう。
「詰所に戻ったら説明してやる。」
そう言って頷いたクロルと無言で帰った。
部屋に荷物を置いて一緒に隊長の所に行く。
隊長は蜂蜜色の髪に金色の瞳の大山猫の獣人でランクスと言う。雇用契約書の準備が先ほど出来たと言うので、字が読めないクロルに俺が読み上げた。
1.警備隊詰所勤務の雑務係として雇用する。
2.住み込みで住居費及び食費は無料。
3.給金は月20,000プル。
4.週休1日、年に2度の長期休暇は合わせて2週間まで。
その他、特殊休暇は3日〜5日、種族により応相談。
クロルは耳慣れない言葉の羅列にキョトンとしている。代わりに俺が口を開く。
「クロルは金と言う物を理解していません。おそらく休暇も特殊休暇の意味も知りません。それからこの金額では給金が少なすぎます。」
クロルは自分の事の筈なのにまるで理解できず首を傾げている。隊長がニヤリと笑って
「金を知らない者にはまず、勉強が必要だからお前が見てやれ。給金は50,000プルとするが、毎月30,000プルは商業ギルドで積み立てにする。貨幣制度を理解して金が必要になった時に渡す。」
住み込みで月50,000プルは見習い隊員の給金だ。つまり、最初からそのつもりでルーに丸投げできるかを確認してたのだ。
やられた…そう思ったが、この危なっかしい子犬を放っておく事は出来そうもない。
やはり正しい金額の雇用契約書がすでに準備されており、ここで正式に働くための約束が書いてあると教え、良ければ名前を書くように伝えるが名前も書けなかったので、拇印を押させた。
隊長、副隊長、派遣医師、料理長、平隊員5人、そしてクロル。
この日クロルは正式に詰所の10人目となった。
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貨幣制度の勉強として、まず通貨の説明をする。
この国で使われている貨幣を並べて見せる。
5cm程の銅の細い棒が1プル貨、それの両端に平たい丸が付いているのが5プル貨、直径1cmの円盤に数字の10が浮き彫りになっているのが10プル銅貨。真ん中に穴が開いて数字の50が浮き彫りになっている50プル銅貨。長方形に数字の100が浮き彫りされているのが100プル銅貨。100プル銅貨より大きくて500が浮き彫りにされていて四角い穴が開いている銀色の物が500プル銀貨。
1000プル銀貨は楕円形で5000プル銀貨は楕円形に丸い穴。金色で人の横顔のレリーフのある円盤が10000プル金貨だ。
初めて見る貨幣にお金にはいろいろな種類があるんだな、としか理解できてないように見える。
「とにかく手に入れたい物があったらこの貨幣と交換になる、と言う事だけ理解して買い物に行く時はここで働いている誰かに一緒に来てもらうように頼め。」
ここの隊員なら安心だ。クロルは大きく頷いた。
掃除は表の掃き掃除以外は時間内に終わる分だけで良い事になった。表の掃き掃除をして玄関掃除を始めたら窓ふきに時間がかかってそこだけで終わった。
クロルは村を出て初めて見たガラスと言う物は簡単に割れて、割れた物はとても鋭利だと知ったようだ。
ガラスの割れる音にやって来た隊員で犬の獣人のシアンがガラスを片付けてくれると言うので、礼を言ってクロルを医務室に連れて行った。ルナール先生は白髪まじりの金髪に金色の瞳の狐の獣人。切った指を丁寧に洗浄して包帯を巻いてくれた。
怪我をしているので洗い物はできず、夕飯の手伝いもできなかったが、後でテーブルを拭くだけで良いと言ってもらっている。
今日もパン4分の1と薄めたスープだが、スープの具が少し増え、薄切りのハムも1枚入っていた。
風呂は昨日より遅くして、寝間着を着がえとして持って行くように伝える。
風呂には髪を洗いたいシェーブルと蛇の獣人で熱い湯が苦手なピトンがいた。
「あの、シェーブルさんは何の獣人さんなんですか?」
クロルが疑問に思うのも無理は無い。緩く弧を描く角はヤギなのに髪は白くてクルクルしていて羊に見える。
「なぜか羊のような髪ですが、私はヤギの獣人です。」
崖を上るのが得意なんですよ、と胸を張るシェーブルをキラキラした目ですごいすごいと褒めまくる。実際、火災の時に屋根に登って降りられなくなった住人を救助した事は1度や2度ではない。頼りになる先輩だ。
今日は怪我をしているので髪はもちろん、体もシェーブルに洗われている。
その姿もまた和む。
温くなった湯はクロルにちょうど良いようで、とても気持良さそうに入っている。だが、切り傷から再度出血する可能性があるので温まりすぎないよう言われているので早めに上がった。
「昨日、のぼせたんだって?」
と、ピトンが水を持って来て飲ませる。飄々としているイメージだったが案外世話焼きなのだろうか?
体を拭き、髪を梳いてもらって寝間着を着るクロルが下着を持って来ていない…
忘れたんだろう、と思うが微妙な予感が頭から離れない。
部屋に戻って聞くと、
「夜は上衣だけで寝るから下は何も履かないよ?」
あたり前のことを言っているのは分かるが、他人のベッドに入るのに丸出しは無い。
「俺のベッドに入りたければ下着を着けろ。」
少し迷って下着を履く事を選んだようだが履き方が分からないらしい。
ふさふさのしっぽを尾通しに通し、左右の紐を前に持って来て結ぶ。垂れを股下を通して前で結んだ紐の内側から引き出して余った布を垂らす。
「トイレはどうしたら良いんですか!?」
と涙ぐむので、小はずらして、大は布を引き抜いてする、と教えた。
ほぉ〜、と感心しながら 人に向かってずらすな! しゃがむな!!
羞恥心も勉強しろ!
下着は越中ふんどしの後ろに尾を通す場所を作った形です。