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ミラー・イン・ザ・フール

作者: 数樹かんち

 僕の彼女は優しいひとだ。

 彼女は僕が何も言わなくても、いつも僕のことを分かってくれる。

 悲しいときは何も言わずに肩を寄せてくれるし、嬉しいときは一緒に喜んでくれる。食べたいものがあるときは作ってくれるし、抱きたいときは僕の好きなようにさせてくれた。まるで理想の中から出てきたような彼女だったが、一つだけ、たった一つだけどうしても気になることがあった。

 それは、彼女のきれいな顔の端っこ、右頬の耳の下に『ここからはがす』と書いてある赤いセロハンが付いていることだ。

 いつもニコニコと笑っていて、上品にしている彼女。だけど、僕は彼女に優しくされるたびに、その頬にくっついているセロハンが気になってしまって仕方がなかった。

 あれを剥がすと、どうなるのだろう?

 化けの皮が剥がれるのだろうか。あの小さくまとまった形のいい顔の下から、まったくの別人が現れるのだろうか。とんでもなく醜い顔が出てきたりしてしまうのだろうか。

 それとも、彼女の性格の皮が剥がれるのだろうか。あの優しくておしとやかな彼女の、ほんとうの性格がむき出しになるのだろうか。ほんとうは乱暴でごうつくばりだったりするのだろうか。

 今の生活に対してまったく不満はなかったのに、ただ『ここからはがす』と書かれたセロハンだけが、僕をどうしようもなく不安にさせた。

 そのことさえ度外視すれば本当に、彼女は理想のひとだった。僕は仕事がひと段落したら、すぐに結婚したいとさえ思っていた。

 だけど彼女は完璧すぎた。僕が嫌だと思うことは何一つしなかった。贅沢なことだと自分でも思うが、彼女はあまりに理想的過ぎて、僕は逆に不安になってしまったのだ。ときどき、自分の妄想が作り上げた恋人みたいに思えたのだ。

 だから僕は、やってしまった。ある日、彼女と旅行に出かけた夜、隣で気持ち良さそうに眠る彼女を見ていた僕は「セロハンを剥がしてみようか」という衝動に駆られたのだ。

 だけど、それは彼女を裏切ろうとしたわけではなかった。仮にこの『ここからはがす』と書かれたセロハンの下に、どんな彼女の本性が隠されていようとも、僕は受け止めるつもりでいた。むしろ、本当は荒っぽい性格であるとか、ぶさいくであるとか、そういった要素があった方が人間らしくて素敵だとさえ思えた。彼女のことは全て知っておきたいと思った。

 僕は、ゆっくりとセロハンを剥がしはじめた。

 ぴりぴりと小気味のいい音を立てながら、まるでシールが剥がれていくように、彼女の顔の皮が剥がれていった。皮の裏側は、きれいな象牙色をしていた。

 顔に沿って、僕は皮を剥がしていく。その下に何があるのかと、半ば恐怖と期待に混じった感情を抱いていた僕は、だんだんおかしいことに気付いた。

 彼女の顔、セロハンにそって皮を剥がした下には、光を美しく反射するきれいな皮があった。だが、それしかない。

 まず、口が見当たらなかった。僕は次に、鼻もないことに気付く。更にめくっていくと、目もなかった。彼女のセロハンを剥がしたその下には、鏡のように艶やかな肌しかなかったのだ。

 そして、そこに映っていたのは、他ならぬ僕の顔だった。

 僕は形容し難い恐怖に駆られてひどく焦り、すぐに剥がした皮を戻そうとした。だが、いちど剥がした皮は元通りにはくっつかなかった。粘着力が弱まったテープみたいにへろへろになって、まるで貼りつき損ねた保湿マスクのような顔になってしまっていた。

 僕は事務用のノリを鞄から引き出してきて、彼女の皮をのっぺらぼうの顔にむりやり貼り付けた。なんとかしわを伸ばしてなるべく元通りに見えるようにした。だが、どうやっても、皮の間に入り込んだ空気が抜け切らなかった。僕は諦めて、そのままにしておくことにした。

 翌日、彼女はいつも通りに笑って目を覚ました。何事もなかったように振舞う彼女を尻目に僕はその頬に目をやった。

 セロハンのなくなった彼女の頬では、中途半端に固まったノリがつなぎ目から飛び出して、薄く透明になっていた。

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