クーデター
クレアが連れ去られた事件から一週間が過ぎた。
もう、今日はエメラルディアとの和平の成立を記念する式典だというのに新聞にはよろしくないニュースの見出しが一面を飾る。
『盗まれた聖双剣。未だ行方分からず』
クレアが連れ去られたあの日。騎士団はこの事件で蜂の巣をつついたような状態だったらしい。
聖双剣とはフローライティアの国宝であり、ライオールを倒すのに使われ、その後、彼を封印する要となっていると言われている――読んで字のごとく――二本一組の聖剣のことだ。
とは言え、あくまでそれは伝説であって、本当にライオール討伐に使われたか否か諸説ある剣だったりする。ただ、その性能の方は折り紙つきであり、かつてフローライティアの騎士団はその力を持って先代の魔女王の暗殺に成功したのである。
その為、犯罪に悪用されないかと危惧されているのだ。
そしてもう一つ。
『また、変死体。ブレッシングとの関係』
おそらく、あの時の男と一緒である。
更に事の真相は不明であるがブレッシングが原因で怪物となった者達による暴行や殺人事件がいくつか起こっているらしい。
これらにより騎士団は人員不足となって警邏隊への参加を禁じられていたあたしも、また、元の任務に戻れることとなった。
「200から300の整理券を持っている人はこちらの方にお願いします」
あたしは声を張り上げ来場者を誘導する。
警邏隊に戻れることとなったとはいえ、あたしは今回の式典の警備任務に関する訓練はほとんど受けていないので、与えられたのは比較的簡単な仕事だ。
もっとも、不満には思っていない。人に必要とされるのは正直嬉しい。ただ、今回、多少人手不足でも二度も問題をおこし、更に三度目も問題視されている自分にはいくら騎士団が人手不足とは言え、重要な式典の警備への協力要請など無いだろうとたかをくくっていたのでアニスたちと一緒に見物に来る予定でいたのだ。それをキャンセルせざるを得なかったのはどうしても悔しい。
「アビー。調子はどう?」
あたしが職務に励んでいるとあたしと同じスタッフの腕章をつけたミニョが声をかけてきた。
今回の式典は国とこのところ台頭してきた商人たちの組合、そして教会の主導で行われており、彼女は教会から派遣されたスタッフの一人としてここにいるのだそうだ。
「ミニョの方はもう終わったの?」
あたしは何気なく彼女に聞く。
「あたしが任されたのは準備関係だったからね。ほとんど、昨日のうちに終わって、さっき最終チェックしてきたところ」
「そうなんだ」
「うん。だから、アビーのこと邪魔しようかと思って」
「おい」
そしてミニョはあたしのツッコミなど意に介さず、出店で買ったのだろう、レタスとトマト、それからチーズだろうか?それらを挟んだバケットサンドを紙袋から取り出し、ぱくつく。
「しっかし、よく中止とか場所の変更にならなかったよね」
「そうね」
あたしは今朝の新聞の内容を思い出し言う。
「もし、盗んだのが反エメラルディアの人達だとしたらテロの可能性とかありえるのに」
「だよねぇ。まあ、中止にならなかったのは色々と大人の事情があるみたいだけど、あたしにはつまらない意地に見えるよ」
「同感ね」
エメラルディアの現女王モリガン二世やフローライティアの現聖王ルナティア二十三世を始めとした多くの要人が参加する式典でもあるため、議会では中止や延期などの議論はあったそうなのだが、エメラルディアになめられてはいけないという理由とスポンサー達の投資額が簡単には引き返せない額になっており、式典は強行されたのだそうだ。
「まあ、あたしたちはなにもないことを祈りましょうか」
「今からウチの修道院の聖堂にお布施をおいて行ってくれると大助かり」
「仕事ほっぽり出していけるわけ無いでしょ」
「じゃあ、式典が終わってからでもいいよ」
「うん。意味ないから」
ミニョの阿呆にツッコミを入れ、あたしは任務に戻る。
とはいえ、もうすぐ式典が始まる時間であるため、人もだいぶ少なくなってきている。
「ねえ、アビーもサボって式典会場に行ってみない?」
ミニョがあたしにしょうもない申し出をしてくる。
確かに見に行きたいのは山々ではあるがあいにく任された仕事はしっかりとこなしたい。会場への案内があたしの役目であるのだが、会場周囲に不審者が現れないか監視することなども任務の一部だ。僅かな意味しかなかたり、あたしの自己満足かもしれないが今回の式典成功のため、あたしは力になりたいのである。
「そんなことできるわけ無いでしょ」
あたしはそう応え、しばし黙り、ふと気づいたことについて聞いてみる。
「ねえ、ミニョ?」
「ん?」
「ひょっとしてなにかサボってここにいるとか?」
あたしがそう問い正すと、ミニョは「あははは」乾いた笑いを浮べて何処かへ行ってしまった。
会場の方で大きな爆発が起きたのはその数分後である。
大勢の人が大雨の後の濁流のように押し寄せる中、あたしは懸命に会場の方へと向かった。
最初は一体何が起きているのか分からなかった。
取り得えず逃げてきた人の一人を掴まえて聞いみる。彼は怯えながらもエメラルディアとフローライティア両国の王が和平の宣言をしようとしたところ、騎士団のメンバーが彼らに攻撃魔術を放ち、クーデターを起こしたという事を話してくれた
そしてどこからもなく見たこともない怪物が現れ、来場者達やクーデターの話を知らなかった騎士たちや他のスタッフたちに牙を向いたのだという。
逃げ惑う人たちの流れに逆行するあたしはおそらく相当疎ましく思われただろう。逆にあたしが彼らのことを鬱陶しく思っていたのだから間違いない。
ただ、そんなことはどうでもいいことで会場に来ているアニス達とスタッフとしてどこかにいるミニョの姿をまずは確認したくて、あたしは会場へと向かった。
勿論、彼女たちは既に会場の外へ避難しており、あたしの行動は無駄なのかもしれない。
それならそれで構わない。
また、逃げ惑う人たちを安全なところ、それがどこなのかは考えなかったが非難させるのも本来ならば役目である。
しかし、あたしはそんなことは無視して会場となっているスタジアムへと向かう。
もし、アニスとレジーの二人が逃げ切れていなかったら。ミニョが大変な目に合っていないか。自分の力ではどうにもならないかもしれないけれども、それでもあがくことができるならばあがきたかったし、それでなんとかなるならば最高である。
自分にとって不愉快なことが自分の手の届かないところで起きているのがあたしは嫌だ。
会場のグランドをぐるっと囲む観覧席の建物。その入り口からはまだ多くの人が出てくる。
そして人々と一緒に絹を裂くような絶叫。
彼らをゆっくりと3メートルほどの筋肉の塊のようなバケモノが追ってくる。
毛らしきものは一切生えておらず、肥大したツルンとした頭部に目は隠れ、裂けた口からはよだれを垂らしている。
そいつはおもむろに腕を振り上げると近くにいた被害者を杭のような腕で串刺しにする。
それを見てあたしは足元に敷き詰められた砂利をひとつかみ取り、意識を集中させて呪文を唱える。
余波は亜空間へは逃さない。
相手は人間でなければ郊外の森などで稀に遭遇する凶暴な獣でもないまったく未知の化け物だ。魔力の余波を感じられるか否か。知性があるのか。危険に対してどこまで本能的に感じられるのか、何もわからぬまま戦うのは危険だ。
もっとも、相手にが100の力を出す前に片を付けるのが理想だ。
「石杭よ!」
あたしの言葉に従い、砂利は無数の鋲へと変化し、怪物へと襲いかかり、その頭部を吹き飛ばす。
あたしは怪物が動かなくなったのを確認すると屋内へと入り、スタッフ用の通路を通ってグランドに向かう。
途中、怪物に何度か出くわし、時には応戦し、時には隠れてやり過ごす。
時々、強力な魔術を使ったと思われる魔力の余波が撒き散らされ、爆音が聞こえる。それは式典の会場のステージが設置されたグラウンドに近づくほどにどんどん強くなり、激しい戦闘がそこで行われていることを伺わせた。
そこでは殺し合いが行われている。
イマイチ実感が沸かない不安。いや、あたしの脳がどういうことか理解を拒んでいるのだろう。
反エメラルディアを唱える自分と同世代の人達のことを影で平和ボケをこじらせた国家主義などと呼んでいたものだが、これでは人のことを言えない。どうにかしてクーデターを犯した人たちを止めようとかけ出したのだが、自分でも心がすくんでしまっているのがわかる。
ただそれでも、ここで引くことをあたしはすべきではない。
結果がどうあれ、多分、後悔する。
友人たちが無事ならば幾らかはマシだし、こんなこと起きないに越したことはないので、ここで飛び出す勇気なんて魔術学校への進学を決めているあたしには無くてもいいのだろう。けれど、友人たちが無事な補償はないし、何よりここで引くのは彼らに屈したことになる気がして不愉快なのだ。
恐怖とプライドに似た何かがあたしの中で不快にうごめいてジレンマを起こす。
それを強引に押さえつけグランドの前に辿り着いたあたしの前には傷つきながらもルナティア二十三世を守ろうとする魔女王・モリガン二世の姿があった。
長い黒髪に30代前半というには若い容姿――あたしと同世代と言ってもらったほうがしっくり来るだろう――彼女は血をにじませ、ボロボロになったドレスを纏ってクーデターを起こした騎士達を睨みつけている。
辺りには式典の来賓達や彼らを守ろうとした騎士や魔女王が連れてきた護衛の人たちが死体になって転がっている。
「アビー逃げろ……」
聞き覚えのある声があたしにそう告げる
今にも消え入りそうなその声の方を見ると騎士学校の制服を真っ赤に染めたイーガ先輩が倒れていた。
……少し意外だった。
彼は明らかに反エメラルディア側の人間のはずだ。だからこそクーデターに加わることを期待されて会場の警備を任されていたのだろう。けれども、生真面目な彼は武力によってことをなさんとすることを良しとはせず、来場者や来賓達を守ろうとしたのかもしれない。
「許すべきことではない……だが、俺達では……くっ」
イーガ先輩はそう言うと激しく咳き込んだ。
それを聞いてクーデターを起こした騎士たちの何人かがあたし達の方を向く。
やるしかない。
あたしは呪文を唱える。余波は亜空間に逃す方式を利用しているので、こちらがどんな術を使おうとしているかはもとより、そもそも攻撃の意志があるかどうかすら分からないだろう。
「雷槌よ」
あたしの放った雷撃が騎士達に襲いかかる。
多少の訓練は受けているものの、所詮は学生と侮った騎士たちの何人かが痙攣を起こして倒れる。しかし、何人かの騎士たちによって用意されていた防御結界によってあたしの術の半分以上は防がれてしまう。
「爆炎よ」
一瞬にて強大な術が練り上げられ熱い爆風があたしの皮膚を叩く。
クーデターを起こした騎士たちのすきを突いて、魔女王が放った術だ。
今のでいったい何人の人が死んだだろうか?
おそるおそる爆炎の止んだ光景にあたしは愕然とした。
誰も倒れてはいないのだ。
「やっぱりか……」
「ミニョ!?」
不意にした声にあたしは驚く。
「聖双剣。あらゆる力を自らのものとする「盾」とそれを放つ「銃」あれはやばいよ」
その視線の向こうには両刃の剣と片刃でどこかブーメランのような形をした奇妙な曲刀を持った警邏隊のエリオット隊長がいた。どうも彼がこのクーデターの首謀者らしい。
「アビー。逃げて。さすがにこの状況じゃ、どうにもならない」
何人かの騎士たちが警邏隊の隊長、いや、元隊長の指示を受けて剣を振りかぶってあたしたちに襲いかかる。
「雷槌よ」
あたし急いでで呪文を唱えて放つがそれは読まれており、容易く防がれてしまう。
パンパンパンパン
乾いた音があたりに響く。発生源はミニョがこの間あたしたちに押し当てた金属の塊だ。そして何人かの騎士たちが倒れていて、ミニョの持った物体からは火薬が爆発したあとのような臭がする。
「教会の秘密兵器でね。あまりむやみに使っちゃいけないんだけど、相手が相手だからね」
そう言いながら彼女は再び金属の塊から音を発生させ、音が発生するたびに反乱の騎士たちは血を流したり、その場に倒れたりする。
「物理防御の結界だ」
誰かが叫ぶ。
そして結界が張られたかと思うと今度は熱衝撃波があたしたちに放たれ、つぎは雷撃、冷気の槍。
一つ一つであればそれぞれ対応する結界を張ることで防ぐのは容易だが、こうも次から次へと異なる術を使われては防ぎようがない
仕方ない。
あたしは覚悟を決め呪文を唱える。
人を殺すかもしれない。
本来、それは騎士団に入る時点でしなければならない覚悟だ。いくら警邏隊志望とはいえどこかと戦争になった時には徴兵されることだってあるし、刑事隊になり凶悪犯を追い捕まえることは、相手が何者であろうと絞首台に送ることで人を殺すことにはかわらない。
あたしは別に人殺しが悪いことだとは思わない。だからこそ容易に覚悟は出来ていると思っていた。しかし、蓋を開けてみればどうだろう?此処に来る時は半分躊躇しながらだし、クーデターを起こした騎士たちに魔女王が放った魔術を見て、それがもたらすかもしれない結果に怯えた。
ミニョが乾いた音とともに放った何かによって倒れた騎士たちを見て、助けに来てくれたミニョに対して実のところ嫌悪を感じてしまっていた。
多分、あたしにとって殺人というのは本能的な恐怖の対象なのだろう。無意識のうちにいつか自分も殺されるかもしれないと思っているのだろう。
しかし――気づいた時には視界の7割が消えていた。厳密にはあたしの放った破壊魔術はクーデターを起こした騎士たちのみならず、視界にあったものの半分以上を吹き飛ばし、競技場の客席を砕き、その向こうにあった街並みをも吹き飛ばしていた。
完全に術の暴走である。反逆者達を倒し、友人たちを守るつもりがひょっとすると自らの手で彼女たちを殺してしまったかもしれない。
あたしはただ呆然とする。頭が真っ白になってキリキリと閉まるような不快感を覚え、体の底から何か不快な感覚がこみ上げてくる気がした。
あたしの固まった視界の中では魔女王がルナティア二十三世と自身の身を何らかの魔術で辛うじて守り、警邏隊の元隊長は左手で持った剣をかざすことであたしの魔術を防ぎきったようだ。彼らの後ろには破壊の痕跡はない。
「アビゲイル・テネブライか……自分が何をしたのか分かっているのか?」
元隊長が言ってくる。
勿論、分かってはいる。だけどあたしの頭はそれを理解することを拒んでいる。そしてまた、この男が棚に上げたこと、この男がこのクーデターで殺した罪のない人たちのことについて糾弾したいが、今、あたしにはその資格は既にない。
自らの身を守るためとはいえ、放った破壊魔術による被害に比べたらこの男が出した死者など微々たるものだ。
このまま倒れてしまえたらどんなに楽だろう?
あたしの中にある形ばかりの倫理観が死んで詫びるべきだと告げる。でも、これだけの惨状を引き起こしておいて、尚、生きたいと思う矛盾した気持ちが、あたしに再び破壊の魔術の呪文を唱えさせる。
しかし、結局あたしはその術を放つことはなかった。
プシュ、という音とともに視界には煙が広がり、鼻や喉に痛みが走る。
「アビー、逃げるよ」
あたしはミニョに腕を惹かれ、そのまま意識が乱され練っていた魔力は霧散して、あたしは訳もわからずただミニョに手を引かれるまま式典の会場を後にした。
それが正しい選択だったのかはあたしにはいまいちわからない。ただ、ミニョの手が暖かかったからあたしはそれに従ったのだと思う。先ほどまで彼女のことを恐れていたのになんとも虫のいい話だろう。
会場の外に出て振り返るが追っ手は無いようだ。あたし達などよりも魔女王にとどめを刺すことを選んだのだろう。しかしそれでも、あたしはただミニョについてひたすら走った。聖堂地区を抜け、普段通らないような複雑な路地や地下道を抜けて正直どこをどう走ったのかは覚えていない。
気づいた時にはだいぶ街の中心から外れた丘の上ですぐ目の前には石造りの建物があった。
「さ。中に入るよ」
あたしは促されるままに建物に入り、そのままミニョについて行く。中に入ると何人かミニョと同じ修道衣姿のシスターが居て、その中でも少し年配のシスターのところへ連れて行かれた。
「ミニョン、そちらの人は?」
彼女はまゆを寄せてあたしのことをあたしのことを尋ねる。
まあ、これは仕方ない。教会と騎士団の関係は昔からあまり良くなく、主に魔術の扱いなどいくつかの価値観の違いから対立することがあるのだ。
とはいえ、当然、全ての人が相手に敵愾心のようなものを持っているわけではなく相手に一定の理解を示す人間も多い。
彼女があたしをどうとらえたかは分からないが、まあ、仕方ないだろう。
「この娘はあたしの幼なじみでアビー、アビゲイル・テネブライ。ちょっと訳ありでして、しばらくうちに泊めてももいいでしょうか?」
「見たところ、騎士学校の生徒さんのようだけど……やっぱり、街での事件に関係があるのかしら?」
そう言うと彼女はあたしの方をじっと見つめる。
シスターというとどこか優しげなイメージがあるものだが彼女の視線は冷ややかでなんとも言いがたい圧力のようなものがあった。シスターというとミニョのことは置いておいて、地元の教会を任されていた人を思い出すのだけど彼女とはだいぶ違う。
「シスターマリエール、彼女についてはあたしが責任持ちます」
ミニョの言葉にマリエールと呼ばれたシスターは考えこむように手を口元にしばらく当てる。
「……まあ、いいわ。でも、彼女を休ませたあと、あなたがちゃんと事情を話して頂戴」
「ありがとうございます。
……アビー、こっちへ来て」
ミニョはそう言うとあたしの手を引き寝室へと案内する。
「体の方は大丈夫?」
「?」
どういうことか分からなかった。
大きな魔術を使ったことや結構な距離を走ってきたために決して体調は万全とは言いがたいが、まだ、大丈夫な範囲ではある。
「まあ、なんともないんならばいいんだけどね。でも、念のためこのベッド使って休んどきなよ。ほら、これ見てみなよ」
ミニョに促され、あたしは枕元においてあった鏡を覗き見る。そこには両目に隈を浮べ、真っ白な白髪頭となったあたしの姿が映し出された。
一瞬、それが誰なのか分からなかったが、よくよく見てみると自分の顔なのだ。しかし、どことなく存在感が希薄になっていて、一瞬でも気を抜くと誰だかわからなくなってしまう。
……おそらく、魔術の副作用なのだろう。
大きな魔術を使ったために世界に異分子として認知され、存在が消えかかっているのだ。基本、安静にしていれば体力の回復とともに元に戻るのだけれども、たしかにこれは休まないとまずい。
「……それじゃあ、ちょっと休ませてもらうね」
あたしはそう言うと布団に潜り込み少し休むことにした。
疲れていないつもりではいたが、おそらく感覚が希薄になっていたのだろう。目を閉じると沈み込むようにあたしの意識は落ちていった。
ここはどこだろう?
いつもとは違う感覚にあたしは戸惑うがすぐにこれまでのことを思い出す。
それにしてもなんか妙に狭くて鬱陶しい気がする。腰やらお腹になにか重いものが乗っておりそれがなんとも言えぬ不快感をあたしに与える。
原因となっているそれを慎重に掴み、あたしは魔術の明かりを呪文で弱めに調整して灯し、覗き見る。
まだ、十分に頭が起きていないので最初はどこの変質者だろうと思ったのだが、見てみればなんてことはない。おそらくこのベッドの本来の主であろうミニョだった。
彼女を起こさないようにそっと起き上がるとあたしはまず鏡を手に取り除き見る。髪の毛はさすがに白いままだけど、映ったその顔はたしかにあたしであり、目の下の隈もとれている。さすがに色素が抜けてしまった髪は白いままだけど、数ヶ月もすれば元に戻るだろう。
あたしは外へ出て街を見下ろす。
今すぐにでも街へ戻り、レジーとアニスのことを確認したい。あの後どうなったのだろうか?
ウィンディス内だけでことが収まっていればいいが、もし、今回の反乱が国中に広まっているのであれば、昨日、いや、一昨日か、医療としとも言われるボーマンの病院に移ったクレアの身にも危険が迫っている可能性がある。
「気になるかい?」
振り向くとミニョがいた。
「とりあえず、中に入ろ。さすがにずっと外にいると冷えるよ」
「……そうね」
ミニョに促され中に入る。
ミニョの魔術。いや、フォルトゥナ教の術式だから法術か、その明かりで照らされた礼拝堂の席に座り、ミニョが作ってくれたジンジャーホットミルクをチビリと口に運ぶ。
「どうかな?本当はマリエールに教わったホットワインごちそうしたかったんだけど、空きっ腹にお酒はよくないし、夜食も美容の大敵だからね」
「うん。ありがとう。美味しいよ」
あのまま食事も取らずに寝てしまっていたのでミニョの言うとおり、ワインよりもこちらのほうがありがたい。じんわりとお腹の底から全身に力が行き渡り、それと同時にまだまだ自分の体力が十分に回復していないことをあたしは悟る。
「まず、街の様子だけど、教会の調査の限りでは完全に彼らクーデターを起こした人達に制圧されている」
「レジーとアニスはどうしているの?」
街の様子も気になりはするがあたしにとっては、まず、第一に重要なのは二人の安否だ。
あたしが放った魔術に巻き込まれていないか?例えそうでなくてもあの怪物や反逆を起こした騎士達に殺されたり、ひどい目に合わされていないか心配だった。
「二人については今のところ無事なはずだよ。それはあたしが保証する」
「今のところ?」
ミニョの言葉が引っかかりあたしは問いただす。
「待って、順をおって話すからね」
そう言うとミニョは自分のカップを口に当ててゆっくりとミルクを飲む。
「まず、アビーに謝らなくちゃいけないことがいくつかあるの。
今回のクーデターの件だけど、教会はずいぶん前から騎士団にそういう動きがあるって怪しんでいてね。色々調査をしていたんだけど、防げなかったことを謝らないといけない」
「それってどういうこと?」
あたしはよく分からず、ミニョに尋ねる。確かに一部の修道院では修行の一環として武術や戦闘向きの法術の訓練などを行っていると聞くが、治安を守るのは本来なら騎士団の役目であり、ましてや一介のシスターであるはずのミニョに謝られる道理はない。むしろ、末席とはいえ騎士団に属していながら、今回の事態をどうにもできなかったあたしのほうこそ謝らないといけないはずだ。
「気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど、教会はアビーが思っている以上に騎士団のことを信用していないんだ。
なにせあたしらが生まれる前の話だけど、初代魔女王暗殺の時に騎士団が聖双剣持ち出す時に一悶着あったし、もともとフォルトゥナ教は、あの戦争中さえもエメラルディアと友好的な関係を築こうとしていたぐらいだからね。
今でこそ、騎士団にもアビーみたいにエメラルディアに興味持ってくれる人がいるとはいえ、まだまだ首脳部は反エメラルディアの人たちが中心だし、教会としては警戒せざるをえないんだよ」
フォルトゥナ教が戦時中からエメラルディアに対してそういうスタンスを取っていたと聞くのは初耳だった。ただ、確か当時行われていた徴兵から逃げた人達を匿うなどはしていたと聞くのだけれど――
「まあ、フォルトゥナ教にとってエメラルディアは聖地の一つだからね。フォルトゥナ様……厳密にはフォルトゥナ様と同一視されるようになったエメラ・ラピスラズリって人が建国に大分協力したらしい」
「エメラ・ラピスラズリ……」
その名前には聞き覚えがあった。確かライオールの日記に書かれていた彼の思いの人だ。彼が覇王と呼ばれるきっかけとなった事件よりも少し前に仲違いしてしまい、その後はフローライティアを建国したと言われる初代聖王ルシフェ一世とともに彼と敵対することとなったらしい。ルシフェ一世は女神フォルトゥナから託された聖双剣の力を持ってライオールの魂を封印したと言うのがこの国の神話に記された一節だけど――
「話がそれたね。
とにかく、教会は教会で騎士団の動きに注意を向けていたんだ。
最近出回っていた脱法ドラックの資金の流れとか、騎士団でも反エメラルディアの人達の行動とかね。
……ただ、向こうも感づいていたみたいでさ、お金に目が眩んだ人達をスパイとして利用されて完全にこちらの動きは封じられちゃってね、式典はあのざまだよ」
「ミニョは謝る必要ないよ」
力なくうなだれる彼女にあたしはそう言う。
「まあ、あたしがただのシスターならそうなんだけどね。これ見て」
どこからとも無くあの式典会場で見せた金属塊をあたしに見せるミニョ。
「プロメテウスって言ってね。教会で開発された武器なんだけど、火薬で金属の礫を飛ばす武器なんだ。フォルトゥナ様からの恵みである法術を使って人を殺すのは教えに反するって理由で異端審問官に支給されている。
あたしはあのテロを防がないといけない義務があったの」
そしてミニョはどこか寂しげな顔をする。
「とにかく二人は無事なのね?」
「うん。それは保証する」
「そっか、ありがとう。ミニョ」
そう言うとあたしはひとまず寝ることにする。
ミニョとともに彼女のベッドに潜り込み目をつぶって朝までもう一眠りする――つもりだった。
「ミニョ、一体何のつもりよ」
あたしはベッドを転がるように抜けだして抗議する。
「いや、一緒のベッドで寝るってことはねぇ?」
あたしの服の下のあちこちをまさぐった手をいとおしそうに口元にあてて大きく「すーはぁ」と呼吸をする。
「向こうで休ませてもらうわ」
まさかあたしが寝ている間もなんかしやがってはいないよな?
あたしは乱れた服を直しながら、先ほどの礼拝堂の方へと向かう。少し冷えるが床やミニョのベッドで寝るよりもマシだろう。
「アビー。冗談だってば」
後ろからミニョの呼び声が聞こえるが無視するに限る。蛇か何かを思わせる手の動きはとても冗談にはとても思えなかった。
翌朝、体の節々が少し痛かったが、ミニョに操を奪われるよりはましと自分を納得させることにした。
◇◇◇
夜が明けあたしは街へと繰り出した。
昨日の式典で行われたクーデターを機にこの国は大きく変わってしまった。
反エメラルディア派の、特に騎士団が動いたのは和平式典の会場だけではなく、国中に及び、フローライティア再生軍を名乗って、たった一日でこの国を制圧してしまったというのだ。
「アビー、無茶はしないでね」
街の様子を見に行くあたしにミニョは心配そうに言った。
「そうね。そういう事態にならないよう気をつけないと」
一晩寝ておおよそ体調の方は戻ったが万全とは言いがたい。力はおおよそ戻った感じはあるのだけど、軍用レベルの魔術を使うのはムリだろう。自分の存在感が未だに希薄なのだ。使い慣れた電撃の魔術ですら無理だし、魔術の基本といえる発火と発光の魔術すら日常生活レベルならともかく、戦闘となると使用して大丈夫か怪しい。
「静かなものね」
街の様子にあたしはポツリと感想を漏らした。修道院からここまでほとんど人に会っていない。
一応、バスは動いていたし、お店もやっているところは、ぽつらぽつらと存在するのだがどこも開店休業といった状態だ。
多分殆どの人達が変化に戸惑っているのだろう。それでもいつもどおりを取り繕うとする。もしくは必要としてくれる人がいるかもといつもどおりの仕事をしようとする人たちには頭が下がる部分がある。
時々、フローライティア再生軍の人達が街を見まわっており何度か呼び止められる。
「そこの君。少しいいかな?」
「はい、いいですよ」
変に焦ったり緊張してもしょうがない。こういう時は堂々としているのが一番なのだ……クラフトさんの家で勉強した帰りによく警邏隊のメンバーに捕まって「あまり遅くまでで歩くな」と怒られてきた経験の賜である。
彼らに聞かれるままに名前を――と言っても、前もって決めていた偽名だが――を名乗り、持ち物を見せる。
あたしが持っている鞄には手土産に買ったクッキーが入っている程度で取り立てて不審な部分は何もない。財布なども見せるよう言われたが、名前を書いてあるカードのたぐいは全て抜いてあるので何も問題なく終わる。
「どなたか探しているんですか?」
単純に彼らに楯突く者がいないか見まわって警戒をしているのかもしれないが、今は情報が欲しいので軽く質問してみる。
あたしの質問に彼らは、一瞬、訝しげな表情を浮かべるが、すぐに表情を緩めて答えてくれた。
「我々の行動に理解をしてくれない者がいてな」
「まあ、我々も少々強引な行動に出たから仕方ない部分もあるのだが、その中でかなり強力な魔術を扱うものが居て、エメラルディアから秘密裏に侵入していたスパイか何かではないかと我々は見ている。あまり手段も選ばない凶悪なやつらしくてな。
君も気をつけ給え、ちょうど君ぐらいの歳だと聞いている」
「そうですか、ありがとございます」
あたしはそう言い彼らと分かれる。何度か職務質問を受けつつも集めた情報によれば、どうにもあたしは指名手配を受けているらしい。ただ、あたしに対する人物像は一定しておらず、今のようにエメラルディアからのスパイとして疑われていたり、単に親エメラルディアの過激派運動家、そういったのとはまったく関係のない通り魔的な異常者など様々だ。
また、あたしの髪が魔術の反動で白くなってしまったことも捜査のポイントにも入っているらしく、一度そのことについて軽く忠告を受けた。
まったく、髪を染めてきて正解であった。
そしてレジーのアパートにたどり着くと、あたしは金属製の階段を一歩一歩踏みしめて慎重に登る。別になにか危険があるような場所ではないのだけど、金属の階段というものは微妙にしなっているような気がしてどうにも苦手だ。しかも、三階まで登らないといけない。まあ、それでも大きな建物がないこともあって少し景色が良くなりそれは悪くない気がした。
あたしはバルコニーを進み、階段から三つ目のドアの前に立って呼び鈴を鳴らす。
反応はない。
そしてその部屋にかぎらず、どうにも静かでアパートには「誰も居ないのでは?」というような錯覚に陥る。
あたしはもう一度呼び鈴を鳴らす。
ただ、先ほどのようにお行儀良く鳴らすのではなく、ボタンを連写してひたすらけたたましく、「ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴん、ぽん」とだ。
ミニョがよくふざけてやっていた鳴らし方である。あたし自身嫌いではないのだがどうにも気恥ずかしい。普段ならば絶対やらないのだけど、中の人物にフローライティア再生軍フローライティア再生軍をの人間ではないと伝えるために仕方なくだ。
ベルの音に反応して部屋の中でごとりと音がする。そしてドアアイから漏れる光の様子が変わり、中からこちらの様子をうかがってくる。しかし、その注意深い行動に反してドアはガチャリとすぐに開かれ、住人が姿を見せる。
「アビー……無事、だったんだ――」
そう言うとレジーは両瞳に涙を浮かべて抱きついてきた。
心配してくれたのは嬉しいし、あたしも彼女が無事であることが何よりも嬉しくてうっかり泣きそうになる。
ただ、いつまでも玄関先でこうしていてフローライティア再生軍に難癖をつけられるのも面白くはない。
「中に入ってもいいかしら?」
「う、うん。散らかっているけどいいかな?」
案内された部屋は四畳半から五畳ほどで小さなちゃぶ台が置かれており、また、奥にある同じくらいの部屋にはベッドと洋服ダンスらしき物が置かれていた。
「アビー。そこに座っててよ。今、お茶入れるから」
少し上ずった感じで嬉しそうに彼女はそう言うと急須に茶葉とお湯を入れる。
「そうだ。これ買ってきたんだけど食べる?」
「あっ、スゥクレ堂のクッキー」
あたしがかばんから買ってきたクッキーを出すと驚いたように彼女は声を上げた。
「どうしたの?」
「いや、普通に買ってきただけだけど」
「そうなんだ。まさかやっているとは思わなくてね。プロってすごいわねぇ」
「そうね」
彼女の気持ちには大いに同意だし、先程まで同じように思っていたはずなのに急に冷めたので適当にあたしは同意する。
目の前に出された紅茶から花のような香りが立ち上り、どこか街の再生軍に支配された街が嘘のような気がする。地元にいた頃はレジーとミニョと一緒によくお茶を楽しんだものだ。
「この国どうなっちゃうんだろうね……」
レジーが不安そうにつぶやく。
「そうね――」
レジーの不安にあたしでは満足には答えられそうにない。
「一応、あの人達が嫌っているのはエメラルディアだけだから急にどうってことはないと思うけど」
彼らはそのエメラルディアの王であるモリガン二世を捕え、処刑しようとしている。
かつての戦争の時の恨みでだ。
ただ、そうなればエメラルディアは黙っていないだろう。いや、既にもう何らかの動きを見せているはずだ。
しかし、そういった情報はあたし達一般人のもとにはまだ入ってきていない。国内はもとより、国外にも多くの支部や支社を持つアメシスト社の朝刊になら多少のことは書かれていることになるのだろうが、昨日の号外を最後に再生軍に発行禁止にされたらしい。
「ねえ、アビーはどうするの?」
レジーが心配気に問いかけてきた。ひょっとしたらあたしが手配されているのを知っていていってきてくれているのだろうか?そうでなくても騎士団は明らかに今までとは違うものになっていることから単純に心配してくれているのかもしれない。
指名手配のことがなくても、このようになってしまったのではこれからも騎士学校に通い続ける気はないし、魔術学校の方もあたしの意に沿うようなものではなくなっているだろう。
「そうねぇ……ミニョを頼ってあたしも修道院に入れてもらうのも手かもね。政治的にも中立なはずだし、フォルトゥナ教は色んな所で信じられているからその伝手で国外に……」
しかし、そこまで言うとあたしは言葉を止める。
「そうよね。それがきっと一番安全かもね。でも、やっぱりお母さんとお父さんが心配だしね……」
レジーがつらそうに言う。
「一応、昨日、ミニョがやってきてね。あたしにそれ教えてくれたんだけど、やっぱり心配だから」
「うーん。そうだね、ごめん」
自分のことしか考えていなかったことに恥ずかしくなりながらあたしは謝る。
「でも、アビーは何処か別の国に逃げたほうがいいんじゃないかな?
このアパートに住んでいる学校の先輩と話したんだけど、どうにも再生軍の人たちアビーっぽい人探しているみたいなの。
もし、多分大丈夫だとは思うけど、もし、アビーに何かがあったらね」
「そう。ありがとう」
あたしはレジーの言葉に嬉しくなり感謝する。しかし、それと同時にこれ以上ここにいるのは彼女に何らかの迷惑をかけてしまうのではと不安になった。
そろそろ行くわね。
そう言おうと、口を開こうとした時、外から悲鳴のような声が聞こえてきた。
「助けてくれ」
そう叫ぶ声の主を囲み、再生軍の騎士らしき男たちが声の主を拘束する。あたしの記憶が正しければ、声の主は昨日の和平に伴ってエメラルディアの商品を仕入れていた店の店主だ。店主を助けようと彼の家族達が引きとめようとするが乱暴に振り払われる。
やるせない思いをぐっとこらえ、あたしは見つからないようにそっと窓から離れる。そして周囲が静まるのを待ってからあたしはレジーの部屋を後にし、寮に向かった。。
分かれ際、レジーが心配そうに
「アビー、無茶とかはしないで気をつけてね」
と、言ってくれた。
寮ではアニスには声をかけて無事であることを伝えたかったが、それは我慢することにした。あまり隠し事が得意ではない質の彼女にあたしが会ったとなっては余計な迷惑がかかってしまうかもしれない。
とりあえず、あたしの無事は寮母さんにそっと無事であることを報告する。これでレジーか寮母さんが折を見て上手く伝えてくれるだろう。そう納得してあたしは修道院への帰路につく。
こんな状況下でもやっているバスに乗って、数十分。そして乗り換えて更に四~五分――のはずなのだがバスは一向に来る気配がない。
さすがにダイヤはいつもと違っているのだろう。あたしはそう思い直し、バスはあきらめて修道院まで歩くことにする。街外れにあるとはいえ、ここからならば一時間程の道のりだ。大した距離ではない。
修道院へ向かう道は他と同様に静かで、歩いているのは再生軍のメンバーぐらいで他に人影はほとんど見ない。
何気なく修道院のほうを眺める。
行きのバスから確認したのだけど、ここからなら修道院の時計塔が見えるはずだ。
しかし、時計塔は位置や視線の高さを少し変えたりしても見えない。
バスよりも視線が低いからかな?
と、自分を言い聞かせあたしは再び帰路を歩む。しかし、嫌な予感があたしの中でざわめき続けて、あたしはそれにせかされ歩みを早める。
そして、修道院についた時にはすでに終わった後だった。
いや、あたしがレジーと会っていたり、寮のそばまで行っている間にはすでに何もかも終わっていたのかもしれない。
修道院は荒らされ、壊され、あたしが何気なく見上げた時計塔はぽっきりと折れて修道院の屋根にささっていた。
ミニョはどうしたのだろう?
あたしは彼女の姿を求めて中へと入る。
すっかり誰もいなくなったようで、ここを襲った犯人たちがまだどこかに潜んでいないとも限らない。正直、まだ、魔術は十分には使えないし、だからと言って武器の類はむしろ不審がられるので一切身につけずに出たので持っているわけでもない。そもそも、あたしは体術や白兵戦は苦手なので持っていたとしても大した意味はなかっただろう。ただ、用心しておけば多少は逃げる時などに有利に働くだろう。
ごとり。と、背後で音がする。
即座にあたしは振り向くがそこには何もない。
「にゃー」
ネコが一匹、瓦礫の中から出てきて、あたしを一瞬見つめるとすぐにどこかに行ってしまった。
警戒心と希望がどっと抜け、あたしは呆然とする。
修道院の人たちがどうなったか何か手がかりになるものがないか調べてみるが何も見つからない。
あたしは街へと元来た道引き返し、一番最初に目についた民家のベルを鳴らす。
6回目のベル――諦めて他の家に聞こうと離れかけた時、家主と思しき男の人が怪訝な顔をして顔を見せてくれた。
「あんた、なんだい?」
その声はひどく刺々しい。
「どんな用だか知らないがさっさと帰ってくれ。再生軍のことは知っているだろ?」
声を荒立て言う彼の言葉は守るべき家族のことを思ってだろう。彼と彼の一家のことを思うならば、あたしは関わらないのがベストなのだろうが、こちらはミニョのことを知りたい。
「こんな時にすみません。友人が修道院にいるので先ほど行ってみたのですが、荒らされていまして、何かご存知ではありませんか?」
あたしの問いに男は一瞬黙り、慎重そうに言葉を選んで答える。
「関係あるかどうかは分からないが、昼ぐらいだったと思う……武器を持った再生軍らしき人達が修道院の方へ行くのを見た――関係あるかは知らないがな」
「そうですか……ありがとうございます」
あたしは彼に礼を言う。
もし、あたしが再生軍のスパイか何かだったら、彼は何らかのペナルティを受けるとまでは流石にいかないだろうが、答え方次第ではこれからの生活に支障をきたすかもしれない。
「なあ、嬢ちゃん。まだ、学生だろ?
友達のことは心配かもしれないが、早く家に帰った方がいい。嬢ちゃんのことを嬢ちゃんと同じくらい心配している人達がいる」
少しだけ気を許してくれたのか男はあたしにそう言ってくれた。
「そうですね。帰ることにします」
そうは答えるものの、あたしはせっかくの男の気遣いに従うことはできない。
もし、連れ去られたのだとしたら、今、助けられるのはあたしだけだろう。
最悪のケースは、考えたくない。
しかし、どこかに連れ去られたとしたらどこだろうか?一番、ありそうな場所は警邏隊の詰め所だ。あそこは留置所があったはずだ。それにひょっとすると昨日捕らえられたというモリガン二世もいるかもしれない。もし、彼女を助けることができるならば、交渉次第では彼女の国に亡命するなり、もう一度この国をひっくり返すことも可能だろう。
暴力で暴力をどうにかすることには変わらないがエメラルディア憎しで、教信者じみた思想に固まった再生軍に比べたら、マシだと思う。また、無事ならばルナティア王も助けたほうが色々うまく行くかもしれない。
もっとも、まずミニョだ。しかし、出来る限りモリガン二世とルナティア王も助けたい。そうと決まるとあたしは自分の状態を確認する。
軍用魔術を編んで行使するの行使はほぼムリだろう。できなくはないけど、使うならば最後の手段だ。
もう数日、時間があれば問題ないラインまで回復できるだろうがあいにくそこまで待ってもらえるかわからない。
基本的な魔術と寮母さんが私の部屋からこっそり持ちだしておいてくれたいくつかのアイテム、修道院を調べた時ついでに拝借した数枚の護身用術符――教会と騎士団では若干方式が違うためどこまで使いこなせるか分からない――のみだがやれるだけのことはやりたい。
詰め所へとたどり着いた時には日が傾き、西の空に沈みかけた太陽の光で詰め所は冷たく紅く染まっていた。
あたしは見つからないように見を潜ませ詰め所の裏口へと向かう。詰め所はもともと騎士団の会議や事務仕事をするための場所であって要塞ではないので侵入自体は容易だ。ただ、留置所はあたりまえだけど頑丈だし、モリガン二世が捕まっているならばその警備は厳しいものとなっているだろう。
あたしはそっと事務所を覗きこむ。
運良く席を外しているのか誰もいない。あたしは中に入ると研修に来た時たまたま覚えていた牢屋の鍵を取り出す。
「誰だ」
しまった。
おもわず舌打ちしてしまう。
いくら体術が苦手とはいえ相手は一人だ。やりようによっては何とかならなくはないだろう。しかし、その間に応援が来てしまっては仮に彼一人をしのいだところで意味が無い。あたしは窓を開けると外に身を投げ出す。
しかし、数分もしないうちにそれが失策だったことを思い知らされる。あたしが詰め所に侵入したことはウィンディス中の小規模の詰め所や自宅待機していた再生軍の騎士たちに伝わり、あたしはあっという間に包囲されることとなる。
鋭い雷撃があたしを襲い、何もかもが裏返るような衝撃があたしの中を走る。1回2回は修道院から持ちだした呪符で凌いだが多勢に無勢。焼け石に水だ。
めまいに吐き気。少しでも苦痛から開放されようと本能的な衝動に駆られて吐いたりちびったりしたかもしれない。
それらが幾ぶんか収まり、わずかながら体の底からこみ上げる不快感を残しつつも状況を判断できるようになった時、あたしは腕を後ろに回され手錠をはめられていた。無意味と知りつつも少しでも抵抗しようと両腕同士引き合うが、硬質なリングが両手首に食い込むだけでどうにもならず、なけなしの魔力を用いて鍵開けの魔術を行使しようとするにも手錠に施された魔術封じの回路から宙へ魔力は霧散し、意味を成すことはない。
「さあ、立って我々に同行してもらおうか?」
逃走の手段を必死に考えるも良い案は浮かばず、あたしはその言葉に従うしかなかった。