私の名前
「うわ、すげぇかわいいなぁ。」
キッチンでコーヒーを入れていると、隣の部屋でテレビを観ていた晃がつぶやいた。
マグカップを渡しながら、私もソファに腰を下ろす。
テレビでは、動物特集のバラエティ番組が放送されていた。
四匹の子猫が、コース仕様にしきられた柵の中で、目の前のおもちゃめがけて、トコトコと歩いている。どうやら子猫にレースをさせて、一番の猫を当てようという企画らしい。
今人気のグラビアアイドルや、お笑い芸人が、それぞれアルファベットの書かれたフリップを持っていた。
AコースとBコースには、真っ白な子猫が待機している。アナウンサーの説明による二匹は兄妹らしい。Cコースにはグレー、Dコースには三毛猫がそれぞれ入れられていた。レースはすぐに始まったが、子猫たちは周りの応援も気にせず、おもちゃのほうに歩いてみたり、スタート地点に戻ってみたり、思うままに動いている。
確かに、テレビの中の子猫たちは、見るからにふわふわしており、大きな瞳にアンバランスなほど小さな体、キョロキョロとあたりを見回している姿は可愛らしい。
「晃って猫好きだったんだ。」
そう問いかけると、晃はカップをテーブルに置き、ソファに体を沈めながら答えた。
「うん、結構好きだよ。おれさ、昔猫飼ってたんだ。」
「その話初めて聞いたよ。」
「そうだっけ?まぁ、高3の夏に死んじゃったから、もう八年ぐらい前の話だけどね」
晃はまた視線をテレビのほうに戻す。
ほんの五メートル程の距離なのに、レースは全く進んでいない。唯一、Bコースのルル君だけが、ゴールとスタート地点の半分程の距離まで進んでいた。
「ねぇねぇ、晃はどの猫が一番かわいいと思う?」
んー、と考えているそぶりはしているが、体はそっぽを向いたままだ。結局、テレビから目を離さずに答えた。
「そうだなぁ。ララちゃんとルル君みたいな、真っ白い猫ってのもかわいいな。」
「へー。白猫が好きなの?」
今度はチラっとこちらを見た。
「いや、そういうわけじゃないけど、かわいくない?」
軽く肩をすくめながら聞いてくる。
「あたしは、この中だったらあのグレーの子がいいかなぁ。」
「あぁ!この子もかわいいよな。まぁ、子猫なんてみんなかわいいんだけどさ。」
「確かにねぇ、子猫ってさ、ずるいくらいかわいいんだよね。」
すでに、テレビの方に向きを戻していた横顔が、そのままの向きでハハっと笑う。
「ここでずるいがでてくるのか。それで、真紀は?猫は好き?」
私は少し考えてから答えた。
「そうだねぇ。犬か猫なら、猫派かな。猫の中なら黒猫が一番好き。」
私がそう答えると、晃は目を見開きながら、やっとこちらに体をむけた。
「本当に!おれが飼ってたのも黒猫だったんだよ。」
「そうなんだ。」
「うん。キキっていう名前でさ、真っ黒で、目が黄色で。8歳の頃からずっと一緒だったんだ。」
少し目を伏せた晃の顔は、笑っているのになぜか寂しげにみえた。
私は晃との距離を詰めて、彼の肩に頬をのせた。
「なんだよ」
私に視線を落としてふっと笑う。
「ねぇ。キキってさ、どうしてキキっていう名前だったの?」
見上げると、晃は言葉を詰まらせ視線を宙にさまよわせた。
「どうしたの?」
笑う私に、もごもごとはっきりしない口調で答えた。
「姉ちゃんがさ、魔女の宅急便からとったんだよ。」
「魔女の宅急便の猫はジジでしょ。」
「だから、間違えたんだって。」
バツの悪そうな顔に、思わずこちらの口元がゆるむ。
「ふーん。そうなんだ。それってさ、本当にお姉さんが間違えたの?」
ギクっと一瞬顔をこわばらせた。その反応なら、私でなく誰がみても、彼の言っていることが嘘だとわかるだろう。
「そうだよ。姉ちゃんが間違えてたの。」
「へえー。」
「なんだよ。」
「ううん。別にー。」
「あ、レース終わってるじゃん。」
話題を変えるように晃が慌てて言う。
いつの間にか、Dコースの三毛猫がゴールのおもちゃで遊んでおり、Dコースのフリップを持った、グラビアアイドルの女の子が、手をたたいて喜んでいた。
「三毛猫ちゃんが勝ったんだね」
「うん。」
「ねぇ。晃?」
「何?」
「さっき、ララちゃんとルル君がかわいいって言ってたでしょ?」
「ああ。」
「キキとさ、この2匹とどっちがかわいい?」
晃と目を合わさずに問いかける。
「どうしたの、急に?」
「どっちがかわいいのかなーって思って。」
「なんだよ、それ。」
顔をみなくても、晃が笑っているのがわかる。
くだらないことを聞いているというのは、自分でもよくわかっているから。
「いいからどっち?」
「そんなの決まってるよ。」
晃は、まだ私の方をみている。
「十年も一緒に暮らしてたんだ。キキは特別だよ。」
ぱっと顔を上げると、晃の目は愛しさに溢れていた。
それはキキに向けられているのか、私に向けられているのか。
どちらにしても私は満足だった。
期待、ではなく、返ってくるであろうことがわかっている答えだった。
しかし、例え予想している言葉であっても、実際に口にされると安心できるものだ。
それにしても、自分がジジとキキを間違えていたのを、この年になっても隠すなんて。
思わずまた笑みがこぼれる。
「なんで笑ってるの?」
「別に。」
まぁそれもしょうがない。あの当時、晃はお母さんとおねえちゃんに、相当からかわれていたから。
半年経った頃でさえ、喧嘩をするたびに
「キキちゃーん。あんたはほんとはね、ジジって名前のはずだったんだよー。」
なんて、お姉ちゃんに反撃のネタにされていた。
その時の、真っ赤になってそっぽを向く晃の顔が、懐かしい。
本当は、私にとって、自分の名前なんて、ジジでもキキでも、どちらでもいいことだった。
大事なのは、晃がその名前を私にくれたということ。
あの時、私は晃のもので、晃も私のものだった。
もちろん、それは私の名前が真紀になった今でも、そして、これから先も変わらない。
「だからなんで笑ってるんだよ。」
「別に。」
訝しがる晃の首に腕を回して、私は彼の腕の中で喉をならした。
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