電波なエリーと小人と素敵な靴屋OF THE DEAD
一応ホラーですので、御注意を
曇天。空は厚い雲に覆われ、辺りは夜のように暗く、風も強い。小鳥たちは太い木の枝につかまって、風が止むのを只管に我慢している。強風に煽られて揺れる看板にガタガタとその身を打ちつけられているのは、よくある町の、よくある煉瓦造りの家。とうとう雨も降ってきたのか、家のなかにはトントンと窓に水滴のぶつかる音が響き始める。
暖炉の前。外のことなどまるで意に介さぬように、陽気に歌を口ずさんでいる老人が一人。イスに腰掛けて、膝の上で何かを縫い合わせている。
「おじいちゃん」
そこへ声をかける小さな少女が一人。小さい人形を大事そうに抱えながら、老人へ話しかける。しかし、楽しそうに歌を口ずさむ老人は、彼女のことなどまったく気がついていない。強風によって看板が震える音も、窓に雨が叩きつけられる音も、そして少女の声も、この老人にとっては等しくバックミュージックぐらいの意味しかないのかもしれない。
「おじいちゃん」
諦めずに少女は声をかける。しかし、老人には届かない。老人の口ずさむ歌は、2番に入ったようで、ますます楽しそうに歌いだす。それに合わせるようにして、手に持った針の動きも段々加速し、滑らかになっていく。その姿は、とても……とても楽しそうで、嬉しそうで、邪魔すると何か罰が下されそうなくらい、それくらい幸せそうだった。
「おじいちゃん!」
しかし、まだ年端もいかぬ少女には、そんなことは理解できない。3度目の声かけによって、やっと老人は少女がそこにいたことに気がつく。口ずさんでいた歌がピタッと止まり、手に持っていた何かが、隣の作業台の上に無造作に置かれる。―べちゃっ。まるで湿りすぎた雑巾みたいな音を立ててそれは台の上を占領した。
「おぉ!エリー。ワシの愛しいエリーじゃないか。どうしたんだい。風の音が怖かったのかな?」
少女の方を振り向く老人。大げさに広げられた両手から、何かの液体が滴り落ちる。
「ママとパパが居ないの……エリーとかくれんぼしてたのに、いきなりいなくなっちゃたの。エリーが鬼でね。言いよって言うまで探しに来ちゃだめだぞって。だからね。エリーずっと言いよって聞こえるまで待ってたのに言ってくれないの……我慢できなくなって一生懸命探したんだけど見つからないの。おじいちゃん……一緒に探してくれる?」
長い時間必死に探したのだろう。その声からは、疲労の色と、そしてこの家を熟知している祖父ならばきっと見つけてくれるだろうと、そういう期待がうかがえる。
「あぁ。可愛いエリー。すまんのう。もう無理なんじゃ。すまんのう。すまんのう」
しかし、少女の期待は裏切られる。老人はそう言うと、不憫そうな顔をして少女をそっと抱き寄せた。手についた何かの液体で、少女の服が汚れてしまうが、二人とも気にしない。 少女は思いもよらぬ老人の言葉に落胆するが、この老人がそう言うのだからきっと無理なのだろう。
仕方ない―パパとママは諦めよう―
「うん。わかったわ。おじいちゃん。それじゃあ、一緒にお歌を歌ってくれる?いつもおじいちゃんが歌っているやつ!」
少女は気を取り直すと、花のような笑顔を老人へと向ける。老人も皺だらけの顔をまるで使い古した紙屑のようにクシャクシャにして微笑むと、少女を自分の膝にのせて、身体をゆっくり揺らし始める。
―トンテン、トンテン、皮なめし~。チクチクチクチク針を刺す~。シクシクシクシク何故泣くの?おなたの靴が無くなった?それなら、私がつくりましょう。さぁ、さぁ、皮剥ぎ、身を出し、つくりましょう。あなたのためだけ、世界で一番きれいな靴を。あなたのためだけ、気持ちを込めて。真っ赤な、真っ赤な素敵な靴を。あなたのためだけ染め上げて。トンテン、トンテン……♪
「……トンテン、トンテン~♪」
「あんた。その歌好きねぇ」
その声に、少女の歌が途切れる。ふと店の入り口を振り向くと、いったい何時からそこにいたのか、少女より少し年上の女性が呆れたような顔をして突っ立ている。
「アリエッタさん!?来たなら声かけて下さいよ。恥ずかしい」
「?声かけたじゃない。今」
「そういうことじゃなくてですねー!」
恥ずかしそうに頬を赤らめて抗議するのは、この靴屋の看板娘、エリー。彼女は、祖父の営んでいるこの靴屋で手伝いをしている。両親はエリーが小さい頃に亡くなってしまい、以来ずっと祖父と二人っきりで生活してきた。気立てのいい、街でも評判の娘だ。
「はいはい。わかった。わかった。それで?頼んだものはできているかしら?」
マリエッタが笑いながら、エリーのことを軽くいなす。反応が素直なため、ついついからかってしまう。
「あっ!はい。貴族様用の皮靴ですね。今年は皮の質が良くて、とても良い仕上がりですよ。ほら、ちょっと押してみて下さいよ」
嬉しそうにニコニコと笑うエリーに言われて、アリエッタが靴の表面を指で押さえる。指先に吸い付く感触と、この弾力。間違いなく依頼主である貴族も喜ぶだろう。
「うん。さすがねエリー。とても14の娘が仕立てたとは思えない出来だわ」
満足そうにうなずくアリエッタの言葉に、少し頬を赤らめるエリー。どうやら照れているようだ。この娘ほどの腕があれば、すぐにでも貴族専属の仕立て屋になれるだろうに、この控えめな性格がそれを邪魔しているらしい。器量だって悪くないのに……本当にもったいない話だ。
アリエッタは心底そう思うが、すぐに首を横に振って今の考えを否定する。エリーが表に出たがらないからこそ、仲介役としてアリエッタにお金が入ってくるのだ。それをどこぞの貴族に取られては、こづかいが無くなってしまう。
アリエッタの百面相を不思議そうな顔で見つめるエリー。
「どうかしたのですか?」
「なっ!何でもないのよ。あはは。それにしても、さっきの歌。ほんといつも歌ってるわねぇ」
エリーの問いかけに、アリエッタは無理やり話題を逸らそうとする。持ちつ持たれつの関係といっても後ろめたいことには変わり無い。本人が望んでいることとはいえ、仲介役など置かない方がエリーの儲けは大きくなる。生活だって少しはマシになるだろう。
「あー。さっきの歌ですか?あれは私の家に伝わる。小人さんの歌なんですよ」
「小人?」
あの気味悪い歌が?と続いて出てきそうになるのを、マリエッタは喉もとで堪える。そう、いつもエリーが口ずさんでいるあの歌。アリエッタはそれに何とも言い表すことのできない不快感を覚えてしまうのだ。この普段からのんきなでおっとりした娘が口ずさむには相応しくない歌……アリエッタはいつもそう感じていた。
しかし、当の本人が気に入っているのだから仕方がない。この歌を口ずさんでいるエリーは、それは、それは楽しそうなのだ。それこそ見ているこちらが呆れてしまいそうになるほどに。
「小人ねぇ。初めて聞いたわね、その話し。よかったら詳しく聞かせてくれない?」
アリエッタの言葉に嬉しそうに頷くエリー。こんなに喜ぶのならもっと早くに興味を持ってあげたらよかったな。そう思いながら、アリエッタはエリーの語りに耳を傾けるのだった。
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「おっと、もうこんな時間!?いけない。早く仕上がった靴を持って行かなくっちゃ」
壁に書けてある時計が、夕方の6時を指しボーンとくぐもった音が響く。何時の間にやら、エリーの話に聞き入ってしまったらしい。早く依頼主に靴を持っていかなくては、何をされるか分かったものではない。アリエッタは経験上、貴族とは、そんなろくでもない奴らばかりだということを、骨身に染みるほどよく理解していた。
「ごめんエリー。長居して。お茶美味しかったわよ。それと素敵な小人さんの話もね」
「ううん。いいのよアリエッタ。私も人に話すの初めてだったから、とても楽しかったわ。まるで、長年隠していた宝箱の蓋を開いたような気分よ」
エリーの相変わらずよく分からない例えに、アリエッタは苦笑する。でも、まぁ楽しんでくれたのならよかったと、ホッと胸をなで下ろす。
「それじゃ、気をつけてねアリエッタ」
「えぇ。あなたもねエリー。最近、ここら辺で神隠しが起こっているらしいから、小人さんに守ってもらえるように祈ってなさい」
「あら、そうなの。ありがとうアリエッタ。そうね……あなたにも小人さんのご加護があるように願っているわ」
エリーのその言葉に、アリエッタは軽く声を出して笑うと、足早に店を去っていく。その後ろ姿をじっと見つめるエリー。その背中が豆のように小さくなり、蠅のようになり、塵のようになり、遂には見えなくなってしまったとしても。じっと、じーっと見つめ続ける。
「大丈夫よ。アリエッタ……小人さんはあなたを見捨てたりはしないわ」
彼女の可憐な声が夕焼けに溶けていく。完全に日が沈んでしまえば、ここはもう人間たちの世界じゃない。
―トンテン、トンテン、もうすぐ、もうすぐ。チクチクチクチク楽しいなー。あれあれあれあれ、なぜ泣くの?もうすぐ舞台の幕が開く♪
闇を舞台に、紅い月のスポットライトを浴びる。人ならざる者たちの饗宴の世界。そこでは、人なんて観客にすぎない。哀れで、無力で、愛しい観客だ……
―紅い紅い幕の下、今日は何の花が咲く?あの子の皮は綺麗かな?あの子の骨は丈夫かな?紅い紅い月の下。みんなが紅く染まってる。トンテン、トンテン、支度をしなきゃ。もうすぐ、もうすぐ幕が開く♪
かわいそうなアリエッタ。今日の観客は彼女。きっと愛されて、愛されすぎて、ぼろ雑巾のように捨てられるのだろう。あぁ、その時のことを考えると震えが止まらない。ほら、小人さんたちが待ち切れずにそこら中に集まってきた。
「あぁ。愛しのアリエッタ……待っていて。もうすぐ舞台の幕が開くわ。うふふふふふふふふふうふふふふふふっ、はっ!!あーっ、はははははははははははははははははははははあっははははは!!!!」
夜の帳が完全に降りたころ、森の中を走る人影が一つ。
「ったく!あのクソ貴族。本当に腹立つわ…‥」
いけすかない依頼主の顔を思い出し、舌打ちをするアリエッタ。遅くなったことへの文句を長々と言われ続けたせいで、すっかり暗くなってしまった。
「明りぐらい持たせろってのよ!!うら若い乙女を何だと思ってんのよ。ったく」
貴族ってやつらは、プライドばかり高くて本当に気の利かない木偶の坊ばかりだ。腹が立ちすぎて頭が沸騰しそうだが、もういい。きちんと儲けはもらったのだから、今日は早く休んで、明日の朝にでも美味しいお茶を買おう。エリーに今日のお礼をしなくてはいけない。
「うん。そうときまれば、クッキーも焼いた方がいいわね」
彼女は家路を急ぐ。その表情は、明日のお茶会のことを考えているためか、とても幸せそうだ。
―あぁ、アリエッタ。そうね。私もあなたとお茶がしたい……血のような真っ赤な真っ赤な紅茶が良いわ……
「えっ?」
アリエッタの足が止まる。突然、背中に怖気が走り、頭のなかに恐怖が広がる。周りは草むら以外何も見えない。しかし……何かの息遣いが聞こえる。何かが居る。何かが居る。人ならざる何かが近づいてくる……!?
ガサガサガサガサガサガサ……
―……♪……♪
草むらをかき分ける音と同時に歌が聞こえる。楽しそうな、心の底から楽しそうな歌声。それが、たくさん。まるで蜜がたっぷりの花を見つけた蜂のようにたくさん、まるで飴玉を見つけた蟻の群れのようにたくさん、アリエッタ目がけて侵攻してくる。
「ひっ……!?なに?なになになに?」
狼狽しつつも、感情から切り離されたアリエッタの冷静な部分が働き始める。この歌。どこかで聞いたことがある。気持ちの悪い歌。でも……どこで、それを聞いたのだろう?最後に聞いたのは?誰が口ずさんで……ワカラナィ……!?
―……トンテン、トンテン、皮をはごう♪
せっかく働き始めた理性も、闇夜の恐怖には敵わない。桜の花より儚く、アリエッタの理性は散ってしまった。
ガサガサガサガサガサガサガサガサガサ……!!
「あぁっはぁ、ぁぁあぁあぁ」
迫りくる異変に身体が震えて、まともに立っていられない。顔が恐怖で引きつり、奥歯がガチガチ音を立てる。―ガチガチガチガチ騒がしく音を立てる。しかし、それでも歌は聞こえてくる。陽気で楽しそうな歌が、段々、徐々に、少しずつ……
近づいてくる恐怖に耐えられなくなったアリエッタは、泣きながら神に祈るようにして呟く。
「ごめんなさい……ゆるして……ごめんなさい、ごめんなさい」
―シクシクシクシク何故泣くの?あなたの靴が無くなった?それなら小人に任せなさい。あなたのためにつくりましょう。世界で一つ。あなたのことを思った靴を……
「あなたの身体でつくりましょう?あーははははははははははははははははは!!」
響き渡る狂笑。夜空には、今にも垂れてきそうなほど充血した紅い月。
―きっと明日も良い靴ができるわ。
えっ。オブ・ザ・デッドがおかしいって?タイトルなんて飾りです。もしくはおじいさんがゾンビ(てきとう)です。
いつもは思い付きで書く短編なのですが、今回はホラーということでいつもよりきちんと考えました。本当は連載で、色んな仕掛けをしながら書こうかと思ったのですが、中途半端になりそうなので止めました。また、機会があれば書こうと思います。きっと、全然違う結末になると思うので。
ホラーとか書くの初めてですし、感想・ご指摘いただければありがたいです。ちなみに今回は、「ゾクゾクする表現」がテーマだったのですが、どうだったでしょう?