中編:死刑実行
そして――ついに死刑執行日の朝がやってきた。
部屋の中に、呼び鈴の音が響く。誰かが来たようだ。
いや、俺は誰が来たかを知っている。俺の準備も整っている、身だしなみもきちんと整えた。食事は食べることができなかったが。
俺は、玄関まで行きドアを開けた。
そこには、黒いスーツを着た男が2人立っていた。いや……、これは喪服だ。
「おはようございます。神谷一樹様。我々2人が死刑執行場までご案内致します」
丁寧にあいさつをした2人に連れられて俺は、彼らが用意していた車の後ろの席に乗り込む。
――これから、死刑施行場へと移動するのだ。
すると2人の男のうち1人が俺に紙を手渡した。そして、紙に書かれている内容を話し始めた。
「神谷様、まずあなたにはこれから死刑執行場にて死刑囚と一時間ほど話をして頂きます。基本的には明るい会話で最後の時を過ごしてもらうようにしていますが、希望を与えるようなことは言わないでください」
俺は、紙に書いてある内容と合わせながら男の話を聞いていた。
「一時間の会話が終わりましたら、死刑囚を死刑台へと案内してあげてください。そして死刑囚を椅子へと座らせて足枷と手枷をつけてください。それが終わりましたら、椅子の前においてあるバケツから水に濡れたスポンジを取り出し、頭に乗せ、最後に頭に電気拘束具を取り付けてください。それで準備は終了です」
男は紙に書いてあることをほぼそのまま言っている。どうやら内容を完璧に把握しているようだ。
「準備が整ったら同じ部屋に設置してある赤いスイッチを押してください。スイッチを押せば電気拘束具から高電圧の電気が流れ、死刑囚を死に至らしめます。その後は死亡を確認して頂き、確認されれば終了となります」
よほど言いなれているのだろうか。平然な口調でさらりと言ってのける。言っている内容はとても怖いことなのにこんな言い方をされると怖さもあまりない。
「他に質問はありますか?」
その問いに俺は首を横に振った。分からないことがないわけではない。なにがわからないことなのかさえも分からないのだ。
それを言い終わると、男はその後一言も話すことがなくなり、車内に沈黙が走った。
しばらく、走った後、急に車は停まった。
「着きました。神谷様」
その言葉を聞いた俺は、車のドアを開けて車外に出た。
俺の目の前には、鋼鉄で張り巡らせれた、まさに鉄壁とも言うべき建物が姿を現した。
――ここが、死刑執行場。
死刑執行場に到着した俺は、喪服を着た2人に案内され、中へと入っていく。いまからここで人が死ぬのだ。
中へと入ると、窓もなく、なんの塗装もされておらず、鉄の色がむき出しとなっている。所々錆びていて、古臭い匂いと雰囲気を漂わせている。
その建物を奥へ進むと、少し広めの個室へと出た。
個室には中央に机があり、椅子が2つ用意されている。そこには数人の男と女がいた。部屋の右を見ると、モニター室らしき部屋がある。パソコンやらモニターなどの機械類がたくさん置いてあることからそれはモニター室で間違いないだろう。
次に俺は、部屋の左側に視線を移動させた。
――そこには、死刑台が置いてあった。
かなり大きな機械だ。こんな異様な雰囲気を漂わせたものを俺はいままで一度も見たことがない。
それを見た俺は、心臓の鼓動が早くなり、喉が乾いていく感覚に襲われた。手には汗をかき、背中を汗が流れ、背筋が凍る。鉄に囲まれ錆びに匂いのするこの個室から発せられる匂いはまるで死刑をされたものの死体の焼け焦げた匂いだとさえ感じられた。
この死刑台により、いままで何人の人間が死刑となったのだろう。ここには無念にも死刑となったものの魂が数多く宿っているような気がした。
俺が部屋の様子を、恐る恐る伺っていると1人の男が話しかけてきた。
「はじめまして、神谷一樹さん」
その男は、眼鏡をかけている初老の男だった。周りにいる人間とはまったく別ものの異様な雰囲気を持っている。男の目を見ていると、暗示にでもかけられた気分になる。
「私は、この死刑執行場の責任者のYと申します」
「Y?」
俺は、いままでなかったはじめてのタイプの名乗り方に思わず聞き返してしまった。
「えぇ、我々は名も無き人間なのです。人の命を奪うものですから、ご理解ください」
確かにここにいる人間は男も女も、一般人のそれとは違う雰囲気を持っているようだ。だが目の前にいるこのYという男はそれすらも凌駕した雰囲気を持っている。
「車でここへ向かう途中説明を受けたと思いますが、これからあなたには死刑囚と一時間程度の会話をして頂きます。っとその前に……、最初あなたの元へ送らせて頂いた黒い封筒の中身は全て読まれましたか? この死刑執行に関する内容が書かれた紙です」
俺は、言葉は発することなく大きくうなずいた。
「そうですか、ならば大丈夫ですね」
大丈夫……、俺はYの言った言葉の意味がよく理解できなかった。なにが大丈夫なのだろうか。俺の精神面の話のことだろうか。
「それでは、入ってきてください。牧村大輔さん」
その言葉に俺は思わず顔を上げる。牧村大輔……、俺の大好きだった由奈を殺した異常殺人鬼。
Yが言葉を言い終わった後、右のモニター室から手錠をした男が入ってきた。その男は裸足で、紺色のツナギを着ている。そして、一言も言葉を発することなく、用意されていた椅子に座った。
その顔は、牧村大輔の資料と一緒にあった牧村大輔の顔の写真と一致していた。そうこの男は間違いなく牧村大輔なのだ。
「それでは我々はモニター室に行きますから、神谷さんはそちらの椅子へと座り、牧村大輔との会話を始めてください」
俺は、そう言われると恐る恐る椅子へと近づき、椅子へと腰を降ろした。それを確認した彼らはモニター室へと移っていく。
今、俺の目の前には由奈のカタキが座っている。牧村大輔という異常殺人鬼が……
この男となにを話せばいいのか。話す内容は決めてきた。俺がこの男に聞きたいことと言えば1つしかない。由奈のことだ。
だが、この周りの雰囲気に呑まれて第一声をだすことが出来ない。
そうやって、俺が躊躇していると目の前にいる男が声を出した。
「あんたが、俺を殺す男か……」
その男の目には、何日も寝ていないのかクマがはっていた。目も虚ろで焦点があっていない。
「……、あんたに聞きたいことがある」
男の第一声によって壊された雰囲気により、俺はようやく声を出すことが出来た。
「なんだ?」
「殺した人達のことは覚えているのか?」
俺は、今殺人鬼と話しているのだ。なんだか不思議な気分だ。
「あぁ、全員覚えている」
男の話し方は淡々としている。質問に答えるだけで多くを話そうとはしない。
「……葵由奈という女の子を覚えているか?」
「名前は知らない。俺が食べた身体の部分を言ってくれれば分かる」
牧村大輔のその言葉に、俺の背筋は氷付いた感覚に襲われた。額からは汗を流し、心臓の鼓動がより一層早くなる。
そして、俺は息を呑み答えた。
「右腕だ……」
いやな答えだ。由奈のあの時の光景が思い出される。
あの――無残な姿で死んだ由奈の亡骸の姿が。
あの時、あの光景を造りだしたのは、今目の前にいるこの異常殺人鬼なのだ。
「右腕か……、あの駅の裏路地で殺した女だな」
本当にこの男は、食べた部位だけでそれを言い当てた。
「あの女は、極上だったな……、実に美味かった。襲ったときに発した声もなかなかそそられた」
由奈の右腕を食べた。いまの男の発言で俺はそれをハッキリ自覚した。
その言葉と同時に、怒りと俺の中の復讐という炎が大きく燃え上がった。またこんな男から由奈を守れなかったのが死ぬほどに悔しかった。
由奈は襲われたときどんな気持ちだったのだろうか……。
あの時、俺は近くにいた。よく耳を澄ませば由奈の助けの声が聞こえたかもしれない。けど俺は、いつまでも現れない由奈に多少のイラつきさえ感じていた。
由奈が殺されそうになっていることも知らずに……。
俺が由奈を殺した気分になった。その後しばらく沈黙が続いた。
『神谷さん、話をしてください』
突然室内にマイクでの音声が入る。さっきの初老の男だ。だが今は話す気にはなれない。
『神谷さん、あなたは牧村大輔の両親に会ってきたでしょう?』
俺は、その言葉にハッとした。なぜそのことを知っている……、誰にも言ってはいないのに。
「な、なんでそのことを?」
『知っていますとも、我々はあなたがこの制度に選ばれた日からずっとあなたを監視していましたから』
人権など無視なのか。いや、人を殺す仕事をしているやつ等だ。そんな常識など関係ないのだろう。
「あんた、俺の両親に会ったのか?」
牧村大輔が俺に話しかけてきた。俺はその問いに静かにうなずいた。
「そうか、なにか言ってたか?」
「……、母親も父親もあんたのことを心配してた。あんたがどんな人間だったのか聞きに言っていたんだ」
「そうか……、親父にもお袋にも迷惑かけているんだな。俺はとんでもない親不幸もんだな」
牧村大輔の顔は、悲しむに溢れた。
この男にも感情があるんだと思った。
「でも、仕方ないさ。俺は自分の欲求を抑えられない。どうしても殺してしまうんだ。人の肉を食べたいがために」
いままで多くを語ろうとしなかった。男の口数が増えてきた。
「はじめはそうでもなかった。なんとか抑えることが出来たんだ。でも、あの時のことを思い出してしまう」
あの時というのは恐らく山での遭難事件のことだろう。
あの遭難事件でこの男は変わってしまった。
周りの部員達が、死んだ部員の肉を食べているときもこの男は食べなかったらしい。そうして部屋の片隅で震えていた。そんな牧村大輔が次の食料に選ばれるのは自然の成り行きだったのかもしれない。
殺される……、そんな極限の状況でとった男の行動は本能的には正解なのかもしれない。しかしその反動で理性はどこかへと消えてしまったんだろう。
牧村大輔は襲ってきた部員達、全員を返り討ちにし、殺した部員達の肉を食べ、救助隊がくるまでを生き延びた。
極限は人を変える。それは俺も同じだった。
俺は、法律によりこの死刑執行人制度に選ばれた。
この法律という逃げ場のないものは俺を変えた。
そして、いままでは関係ないと思い無関心だった出来事に真剣に目を向け、多くの人の話を聞き、多くを調べ、時には由奈の言葉に耳を傾け、友達に相談し、自分で考え、行動してきた。
きっと人生の中で、これほど動いたことはないだろう。
俺は、この死刑執行人に選ばれたことで人の命とはどういうものかをしっかり考えることが出来た。
由奈の死。殺した男。残された俺。
その全ては、俺が命の大切さを知るために必要な流れだったのかも知れない。このうちの1つでもかけていればきっと一生気が付かなかった。
――命の重みに。
もう俺の答えは決まっている。
「Yさん、ここから出してくれ」
『どうしました?』
「俺の答えは決まっている。俺は……、この男を死刑に出来ない」
『……、どうしてですか?』
俺は椅子から立ち上がり、モニター室のほうを見て話始めた。
「この男のしたことを許したわけじゃない。でも、死刑なんかでは罪は償えない。俺はこの牧村大輔は生きて罪を償うべきだと思う」
牧村大輔のほうに視線をやると驚いたような表情をしている。俺は再びモニター室に目線をやった。
「この男が殺した人たちのためにも、この男は生きて、社会に貢献し多くの人を救うために生きるべきだと思うんだ。そうすることが本当の意味での罪を償うということに繋がるんじゃないのか? 死なんてのはただ逃げているだけだ」
俺は、手に汗を握っていた。こんな状況で自分が言っていることを誰もが不思議に思うだろう。しかし、俺は意見を変えるつもりはない。
『その男は、あなたの恋人だった葵由奈さんを殺しているのですよ?』
「由奈は……、今も俺の中で生きている。最初は、由奈の復讐が出来ると思った。牧村大輔を殺して、由奈のカタキを取れば由奈も報われると思った。それが由奈の願いなんだと。でもそれじゃあ俺も同じなんだ!」
俺は、声を張り上げている。
「牧村大輔にも自分の息子のことを真剣に心配する両親がいる。裁判で死刑に決まったからって諦めているようだったけど、心の底では元気に帰ってきてほしいと願っているはずだ。そして立派な人間になってほしいと願っているはずだ。俺はこの男の両親の話を聞いてそう思った」
俺は、今どんな表情をしているのだろうか。きっと誇りに満ちた顔をしているはずだ。
「死刑なんかでは、なにも解決にはならない。だから俺はこの男を死刑にすることは出来ない!」
『……、分かりました。気持ちは変わらないようですね。では、牧村大輔の死刑は取りやめにします』
俺の心は達成感で満ちた。
きっと由奈もこうなることを願っていたはずだ。由奈は誰よりもやさしくて、誰よりも命の大切さを知っているんだから。
『それでは、おねがいします』
Yの言葉の後に先ほどの喪服を着た男が2人個室に入ってきて、俺の両腕を掴んだ。
「え?」
俺はその行動の意味が理解できず、されるがままだった。
俺は2人の男に引きづられ、死刑台のある部屋へと入っていった。
そして、死刑台の椅子へと座らされ、手枷と足枷を付けられた。
「ちょ! どういうことだよ?」
『おや? ちゃんと封筒の中身は読まれたんですよね? 書いてあったはずですよ』
その言葉に俺は封筒に書いてあったことを思い出していた。
『死刑執行時に死刑実行を拒否される方は変わりに死刑となります……と』
その言葉に俺の心臓は激しく脈打ち、俺は必死に封筒の中身の内容を思い出そうとしていた。しかし、どんなに記憶を探してもそんな記述は思い出せなかった。
『……、もしかして裏面はお読みになってはいないんですか?』
裏面……、裏面なんてしらない。俺は表面だけだと思い、裏面なんかまったく見てはいない。それにあの時は裏面があるなんて気が付ける状況じゃなかった。
「ま、待ってくれ! 裏面にも書かれているなんて知らなかったんだ」
『いえ、もう遅いです。あなたはちゃんと読んだと言った。あの時点でこの制度からは逃れられなくなっていたんです』
その瞬間、喪服を着た男に口にガムテープを張られた。声を言葉にすることができない。
『神谷一樹さん、あなたは……死刑です』
その言葉と共に水に濡れたスポンジが俺の頭に置かれ、電気拘束具が取り付けられた。そのため視界のほとんどをさえぎられたのだが、わずかに見える隙間からは男が立っているのが見える。
男は赤いスイッチの前に立っている。
――それは、牧村大輔だった。
俺は、必死に抵抗し、手枷や足枷をはずそうとするがビクともせず、外れない。このままでは本当に死んでしまう。
俺の額からは汗が噴き出し、目は痛いくらいに充血しているのだろう。手からも汗がにじみ、喉は渇き、口から出来ない息は鼻からの循環をより強くしていた。声は言葉にならず唸るだけ。
「神谷一樹だっけ?」
男の声が聞こえた。この声は牧村大輔だ。
「俺の命を救ってくれてありがとな。あんたには感謝しているよ」
俺は必死になって、助けを求めようと暴れる。だが手枷と足枷、さらに頭の電気拘束具が邪魔で自由に身体を動かすことができない。
「でも俺が生き残るためには、あんたを死刑にしなきゃいけないらしい」
牧村大輔の声など、もはや俺の耳には届いていなかった。
「だから、死んでくれ。俺……まだ生きたいんだよ」
かすかに見える隙間からは、牧村大輔が見える。
その手は、確実にスイッチのほうへと振り下ろされていく。
そして、牧村大輔の手はなんの狂いも躊躇いもなく、スイッチを押した。
それが――俺の見た最後の光景だった。




