冬の過ち、晩夏の嘘
ずっと心配してくれていた。
直隆はその切れ長の目で、じっと俺を見つめた。
「あんたの目、怖い。すごい虚ろで、暗すぎ」
直隆は富永の実子の中で、最も父親の血を色濃く受け継いでいた。彼が真剣な顔つきになると氷のように眼光が鋭くなる。そこが彼の父親似と言われる主な所以で、俺は、そんな瞳をされるとどうしてもつらくなる。義父は同じような瞳で、俺の何もかもを見透かした。
嘘は利かなかった、どうしても。
俺は目を閉じた。
記憶がよみがえる。
今年の晩夏。
まだ引越しして間もない頃。
たまたま窓辺でボーっとしていたときに、正晴がここを訪れた。
夜なのに電気も点けずに風に当たっていた俺を見て、彼は泣いた。
両手を顔に押し付けて、声を殺して。
それでも嗚咽は聞こえた。
義兄はもう限界だったのだ、俺を見るのが。
俺は冬のあの時以来、心配する義兄の前では気丈に振舞おうとしていた。
彼はそれに気づいていた。
だから、俺はもう取り繕うのをやめた。
俺も疲れていた。
俺は、義兄を一瞥しただけで何も言わなかった。
「冬のあの時は外見に何の変化もなかったから、それよりはマシなんだろうけど、やっぱりキツイよ」
昨年の冬。
珍しく、その日は雪が降っていた。
俺はなぜか、近所の公園のベンチに座っていた。
そして、ずっと空を、雪の降るさまを眺めていた。
花弁のようだった。空からふわりと落ちてくる。
氷の匂いを、ずっと嗅いでいたような気がする。
キーンとした感じ。冬の凍った匂いだと思った。
気が付いたら、俺は病院のベッドの上にいた。
傍らにいた正晴は、憔悴しきった目をしていた。
『おまえ、何をする気だったんだ』
抑揚のない声だった。
『まさか、――……』
正晴は口を噤んだ。
その先の単語を言いたくなかったのだろう。
俺は笑った。
『俺はただ、花を見ていただけです。空から降ってくるのを、眺めていただけです』
正晴は俺の額に手を当てた。
『寒くなかったのか?』
『いいえ、全く。……今はとても、気分がふわふわしています』
そのとき、俺は高熱を出していた。
義兄の冷たい手が心地好かった。
偶然、外を歩いていた直隆が雪に埋もれかけている俺を発見し、救急車を呼んだ。
病院のベッドで俺が目覚めたとき、すでに搬送されてから三日が経過していた。
あの冬の日以来、義兄はよく俺の様子を見に来てくれた。
でも、心配はかけたくなかったから。
俺は嘘をついた。
大丈夫だと。
笑った。
そしたら、義兄は泣いた。
『どうしてやることもできないのか』
正晴は廊下の光の中で悔しそうに呟いた。
暗い夜風の中で聞いたその声が、ずっと胸を締めつけている。
自分に嫌気が差す。だから何も考えないように努めてきた。
でもどれだけ仕事に没頭しようと、どうしても埋まらないのだ。
穴が、冷え切った喪失感が、未だ胸を貫いて埋まらない。
彼女はもう、どこにもいないのだと知っているのに。
どこにも、いないのに。
読んでいただきありがとうございます。
『冬の過ち』が
『季節観』の最初の冬と『六花』にリンクします。
『晩夏の嘘』が
『季節観』の夏にリンクします。
(作者目線でも)中々立ち直れない良介を、静かに見守っている富永の家族はやさしいなと思いました。