第1話「深夜の報告書」
時事ネタ?社会風刺?いずれにしろ、この作品はフィクションであり、実在の企業・団体・個人とは一切関係ありません。キリッ
第一話「深夜の報告書」
2025年1月某日、午前二時十七分。
内閣官房の執務室に、橘慎一郎は一人だった。
廊下の蛍光灯だけが白く光っている。秘書はとうに帰した。警備員の巡回が遠くで聞こえて、また遠ざかった。
机の上に広げられた報告書は五つ。
ウクライナ前線でのドローン消耗戦に関する防衛省の分析。ガザ停戦合意後も再燃リスクが消えない紅海航路の海運情報。尖閣周辺の中国海警船の行動記録。台湾海峡の通航データ。そしてGCAP開発遅延に関する防衛省内部文書。
バラバラに見えた。三ヶ月前までは。
橘はコーヒーカップを持ち上げた。すでに冷めていた。それでも一口飲んだ。深夜の執務室では、冷めたコーヒーを飲むことが考える時間を作る唯一の儀式だった。
全部同じ問題だ。
金のかかる正規の手段が、金のかからない非正規の手段に負け続けている。数百万円のドローンが数億円のミサイルを無駄遣いさせ、無人艇が黒海の大型艦を追い詰め、一時停止しているだけの海峡の火種がいつ再燃するか誰も分からない。そして日本は正しい手続きで、正しい予算で、正しい装備を調達しようとして、その間にじわじわと詰められていく。
二十年、それを見てきた。
防衛費をGDP比二パーセントに増やすと決めた。正しい判断だと思う。しかし金額ではない。何を買うかが間違っている。高価な装備を少数調達して維持費に予算を食われ、肝心の弾薬が足りない。部品が届かない。動かせる装備が足りない。数字の上では二パーセントでも、実態は空手形が積み上がっているだけだ。
二十年、それも見てきた。
橘は報告書を重ねて、引き出しに入れた。
明後日、ドランプが大統領に戻ってくる。第一次政権の記憶がある者は全員分かっている。今度は前回より露骨にやってくる。在日米軍の経費負担、同盟のコスト、防衛力の実態——全部テーブルに乗せてくる。
その前に動けるか。
動けなければ、また誰かの決断を待つことになる。
スマートフォンが震えた。
画面を見た。望月邦彦からの着信だった。
党最高顧問がこの時間に直接かけてくる。それだけで意味は分かった。
橘は電話に出た。
「橘君、今すぐ来られるか」
「はい」
それだけだった。望月は説明しない。橘も聞かない。二十年、そういう関係だった。
橘はコートを手に取り、冷めたコーヒーを一口だけ飲んだ。カップを置いて、電気を消した。
廊下に出ると、霞が関の深夜が広がっていた。




