最終話 Dancing All Night ─ラスト・ダンス、そして目覚め─
王座の栄光も、数万人の熱狂も、今はもう遠い。
優勝の祝宴から抜け出した二人が辿り着いたのは、出会ったあの日と同じ、静かな月の光が差し込む街外れの広場だった。
夜風が、九条みゆの髪を優しく揺らす。
「ねえ、みゆ。ちょっと付き合ってよ」
ティナが、月明かりをスポットライトにして、いつものように不敵に、けれどどこか寂しそうに笑った。
「賞品も、判定も、観客もいらない。ただの……本当の『二人だけのダンスバトル』」
みゆは何も言わず、ただ深く頷いた。
言葉はいらなかった。二人の間に流れる空気は、すでに最高のビートを刻み始めていたから。
魂の共振:二人だけのバトル
どちらからともなく、ステップが始まった。
音楽はない。ただ、二人が刻む足音と、荒い呼吸の音が夜の静寂をリズムに変えていく。
ティナが、広場に立つ古い石柱をポールに見立てて舞った。
かつてみゆを圧倒した『妖艶円舞曲』。だが今のそれは、誰かを誘惑するためのものではなく、自分自身の喜びを爆発させるような、純粋で力強い螺旋の軌道を描く。
みゆがそれに応える。
『フリースタイル』
彼女のフリースタイルには決まりが無い。
その時の気分ですべて決まる。
能の静寂、ヒップホップの衝動、バレエの気品。この世界で出会ったすべてのライバルたちから学んだリズムを、一つの流れ(フロー)に編み込んでいく。
「あははっ! すごい、やっぱりあんた、最高よ!」
ティナの蹴り出す風を、みゆがターンの遠心力で受け流す。
二人のオーラが激しくぶつかり合い、広場は黄金と桃色の光の渦に包まれた。
一切の手抜きなし。互いの限界を引き出し、魂を削り、一瞬一瞬を永遠に刻みつけるような必殺技の応酬。
ダンスという名の会話の中で、二人は確かに繋がっていた。
種族の違いも、世界の壁も、そこには存在しなかった。
境界線上の約束
ダンスが最高潮に達し、二人が同時に最後の一歩を刻もうとした、その時。
「……っ、あ……」
みゆの足元が、おぼつかない。
見ると、指先から少しずつ、淡い光の粒となって消え始めていた。
「時間が、来ちゃったみたい」
ティナの動きが止まる。その瞳に、月光とは別の涙が溜まっていく。
「……あんた、本当に凄いわ……。ねえ、みゆ。いつか、あんたの世界のダンスも教えてよ。もっと、もっとたくさん……一緒に踊りたいことがあったのに」
みゆは透き通っていく手を伸ばし、ティナの頬に触れようとした。
指先は空を滑ったが、その温もりだけは確かに届いた気がした。
「……うん、いつか必ず。私、ティナと踊れて、本当に良かった。……大好きだよ、ティナ」
その瞬間、ティナはふっと息を吸い、まるで最後のステップを踏むような、迷いのない動きで自分の手首に触れた。
月光を受けて鈍く輝く、いつも身に着けていた銀のブレスレット。
それを外すと、ティナはそっと、しかし確かな意志を込めて、みゆの細い手首へと重ねる。
本来なら触れ合えないはずの二つの世界の境界で、
その瞬間だけ、時間が息を止めた。
冷たいはずの銀が、鼓動を持つように温かい。
ブレスレットが嵌った瞬間、二人の間に流れていたリズムが、確かに一つになった。
「……約束だから。次は、あんたの世界で」
ティナはそう言って、泣き笑いのまま親指を立てた。
みゆの体が、眩い光に包まれる。
ティナの、必死に涙をこらえながら、それでも最後まで踊り続けようとする顔が、少しずつ遠ざかっていく。
最後に見えたのは、ティナが一生懸命に手を振りながら、自分たちの勝利を祝うような最高のステップを踏んでいる姿だった。
夢の終わり、生の始まり
――ピッ、ピッ、ピッ。
規則的な、無機質な音が聞こえる。
それは異世界の太鼓でも、モンスターの地響きでもない。
病院の心電図の音だった。
「……あ……」
重い瞼を押し上げる。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた白い天井。そして、消毒薬の匂い。
「みゆ!? みゆ、わかる!? 先生、みゆが目を覚ましました!」
泣き崩れる母の声。慌ただしく駆け寄る医師の靴音。
九条みゆは、十九歳の大学生として、この世界に戻ってきたのだ。
トラックとの衝突。数週間に及ぶ昏睡状態。
医者は「奇跡だ」と言った。脳死に近い状態から、彼女の心臓はある時から力強いビートを刻み始め、まるで何かに導かれるように自力で戻ってきたのだと。
リハビリが必要な、鉛のように重い体。
けれど、みゆの左手には、何かが握りしめられていた。
看護師が驚いてそれを見つめる。
「九条さん……それ、どこで手に入れたの? 事故の時は持っていなかったはずだけど……」
みゆが震える手を開くと、そこには古びた、けれど誇り高く輝く銀色のブレスレットがあった。
表面には、見たこともない文字でこう刻まれている。
『Ghysch77A3216』
「……これ、私の『住所』なんだ。……もう一つの」
みゆは、まだうまく動かない足の指先で、ベッドの上で小さくリズムを刻んだ。
意識不明の「夢」にしては、あまりにも魂が熱い。
あちらの世界で刻んだステップの感覚が、筋肉の一点一点に焼き付いている。
ふと、枕元に置かれたスマホが、通知を知らせて光った。
画面には、事故以来触れていなかった音楽プレイヤー。
そこには、自分が作った覚えのないプレイリストが一つだけ、輝いていた。
『Tina's Theme -Eternal Link-』
みゆはイヤホンを耳に押し当て、再生ボタンを押した。
流れ出したのは、重厚な地鳴りのようなベースと、官能的なサキュバスの囁きを思わせる、切なくも美しい旋律。
「アンコールには、早すぎるかな」
みゆは涙を拭い、窓の外に広がる東京の空を見上げた。
いつか、再びあの異世界の親友に会える日まで。
九条みゆは、この世界でも、最高のステップを刻み続ける。
その一歩一歩が、遠い異世界の空へ、感謝のビートとして届くことを信じて。
■エピローグ:カーテンコール
数ヶ月後。
リハビリを終えた九条みゆは、新しいアイドルグループの振り付け現場にいた。
「みゆ先生、今日の振り付け、なんだかいつもより『野性的』ですね!」
「それに、なんだか見ているだけで、すごく安心するっていうか……」
生徒たちの言葉に、みゆは優しく微笑む。
その手首には、いつも銀のブレスレットが輝いている。
彼女がステップを踏み出すたび、スタジオの空気は黄金の光を帯びる。
それは、魔法を忘れたこの世界でも、確かに「躍動」という名の奇跡を起こし続けていた。
(完)
※九条みゆはまだ知らない。
あのブレスレットが、二つの世界を再び繋ぐ「拍」になることを。




