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第8話 Billie Jean─共鳴する魂、境界線上のフィナーレ─

「ワールド・ビート・トーナメント」決勝戦。

 

 会場となる天空闘技場は、もはや一つの生命体のように脈動していた。数万の観客が放つ熱気は雲を散らし、幾千の魔導灯が夜空を昼間のように照らし出す。


『ついに……ついにこの時が来た! 異世界の異端児か、伝統の魔力か! 決勝戦、九条みゆ&ティナ組 vs ディビナ&リラ組、運命のゴングだぁぁ!!』


 対峙するのは、ティナと同じ種族でありながら、より純血に近い妖艶なサキュバス・ディビナ。そして、古式舞踏魔術を無音で起動させる若き魔女・リラ。

 彼女たちがステージに立つだけで、空気は甘く、そして重く沈殿していく。


「……ディビナ」


 ティナの眼の前にいるサキュバスは

 2年前の優勝者。


「……久しぶりね、ティナ」


 その声だけで、二年前の空気が蘇る。

 甘く、逃げ場のない、支配の匂い。


「あれから随分腕を上げたようね。あの時とオーラが違うわ」

「……それって褒めてるの?」


 ティナが歯を食いしばる。


「違うわ。事実よ」

「あなた、あの時“勝ちたい”って踊ってたもの。だから自分を見失った。型を失くした相手を相手にするのはそんなに難しくないから」


 ディビナは微笑んだ。

 それは嘲りでも、挑発でもなかった。


「私はね――“奪う”ために踊ってた。

 観客の鼓動も、期待も、相手の焦りも。全部。

 ……同じサキュバスなのに。」


「ええ。同じ種族。でも、向いてる方向が違った」


 ディビナの視線が、みゆへと流れる。


「今回は、面白い相棒を見つけたみたいね」

「……あの子は」


 ティナは、一拍置いて答えた。


「勝つために踊ってない。

 多分、絶対に負けない為に踊ってる」


 ディビナの唇が、わずかに歪む。


「そう……。

 凄く楽しみ♡良い試合になりそうね。」


 ディビナは不敵な笑みを浮かべた。


「でも、ここから先は『技術』の領域じゃないわ。『魂の侵食』の領域よ。あんたの清廉なステップ、泥々に溶かしてあげるわ」


 呪縛のデュエット:ルージュとスペル


 試合開始と同時に、リラが一歩、床を踏み抜いた。


 フラメンコにも似た鋭いステップ。

 だが音は鳴らない。

 足裏で刻まれたリズムが、空間そのものを歪めていく。


 空中に浮かび上がるのは、幾何学的な魔法陣。

 思考に直接干渉する、無音の舞踏魔術――『スペル・ステップ』。


 だが。


「……来るよ、みゆ」


 ティナは、構えない。

 むしろ一歩、みゆの半歩前に出た。


 腰を落とし、翼をわずかに広げる。

 甘さも、誘惑も削ぎ落とした、静かなステップ。


 それは“魅了”の踊りではない。

 同系統の魔力を持つ者だからこそできる魔力の打ち消し。

 

 そして、ティナが領域の開放をする。


 呪いの波動が触れた瞬間、

 それは“敵意”を失い、ただのリズムへと変換された。


「……効かない?」

「違うわ」


 ティナは息を整えながら答える。


「受け止めて、流してるだけ」


 その間に――

 ディビナが、動いた。


 圧倒的だった。


 甘美でも、官能でもない。

 そこにあったのは、**神の領域**。


 一歩。

 一旋回。

 指先の角度、視線の高さ、間の取り方。


 見る者すべてに、

「神聖さ」を与えるほど完成された演舞。


 圧倒的な存在感。


 だが、ティナは真正面から受け止めない。

 領域を“守る”のではなく、角度をわずかにずらした。


 甘さを削ぎ、

 引力だけを残す。


 侵食は、支配へと変わらず、

 二つのダンスオーラは拮抗したまま、重なり合う。

 ティナの領域がディビナの神掛かったオーラに侵食されそうになる。

 

「……ッく」

 ティナの踊りが防御へと転じる。

 踏み出すたび、みゆの周囲に見えない壁が重ねられていく。

 ティナが一歩、リズムをずらす。

 侵食されかけた領域が、わずかに踏みとどまった。


 観客が、言葉を失う。


 リラの魔法陣ですら、ディビナの動きに同調し、脇役へと退いた。


「……勝てる気がしない」


 みゆは、初めて負けを意識した。

 あの、路上でのストリートダンスに負けた日も、最後まで負けるとは思っていなかった。寧ろ、勝つという気持ちが強かった。

 だが、今は違う。

 みゆは初めて戦いの最中に自分が『負けるかもしれない』という恐怖と戦っていた。

 

 まだ小学校に上がったばかりの頃。

 ダンスの先生は、いつも同じことを言っていた。


――冷静でいなさい。


 観客の視線、張り詰めた空気、リズムの揺らぎ。

 焦りも、不安も、プレッシャーも、

 全部が踊りを乱す。


 何度崩れても、

 そのたびに、同じ言葉が返ってきた。


――冷静でいなさい。


 今の私ならそれが出来る。

 あの頃は、負ける気なんてなかった。

 勝てると、疑いもしなかった。

 その後、負けない為に練習を重ねた。

 そして今、この異世界のダンス大会で

 私は冷静になることが出来た。

 私は負けない。

 誰にも。

 もちろん自分自身にも。

 •

 •

 •

 その時、ほんの少しの違和感に気付く。


(この人……“勝つ”ために踊ってない)


 冷静になると見えてくるものがある。


 ディビナのダンスは、

 誰かを打ち負かすためのものじゃない。


 **自分が負けないため**

 **自分の完成形を壊さないため**


 ――私と、同じだ。


 みゆは、悟った。


(技術じゃない)

(魔力でもない)


(どっちの“執着”が強いかだ)


 完璧。

 神の領域。

 だが――神は、疑わない。


 みゆは、イヤホンに触れなかった。

 音にも、理屈にも、すがらない。


 思考を止める。

 呼吸だけを残す。


 身体を、

 意識から解き放つ。


 自然に任せた動き。

 意味を持たないステップ。


 すると――


 ほんの一瞬。

 針の穴ほどの“ズレ”が、見えた。


(……あった)


 完璧だからこそ生まれる、

 無意識の固定化。


 同じ入り。

 同じ重心。

 同じ終わり方。


 みゆは、そこだけを踏む。

 ティナも、気付いた。


「……そこね」


 二人は、示し合わせることなく、

 同じ一点を、何度も、何度も、執拗に刻んだ。


 壊さない。

 否定しない。

 ただ、揺らす。


 神がかった舞に、

 **ほんの小さな亀裂**が走る。


 ディビナの瞳が、初めて揺れた。


 隔絶された世界の音楽

 ディビナたちが勝利を確信し、とどめのステップを踏もうとしたその時。

 みゆの手が、震えながらも耳元のイヤホンに伸びた。


「……私の世界にはね、あなたたちの呪いも、誘惑も……届かない場所があるんだよ」


 みゆはイヤホンを外した。

 音を断つためではない。

 音に頼らないためだ。


「私は考えない。私は私を支配しない。身体を意識から開放させる!」

 

 みゆがそう言うと、不規則なステップを踏み始めた。タップダンスのようでもあり、フラメンコのあの足捌きのようにも見えるが違う。バレエの優雅な動きから入るブレイクダンスとも思える激しい動き。全く理に適っていないようにみえるが全てが美しくも見える。

 観客はみゆのダンスに圧倒され静まり返り、

みゆのステップ音だけが会場に響く。


 みゆが叫ぶ。

「ティナ! 私の手を掴んで!!」


 ティナはみゆのダンスを冷静に見据えていた。

 その瞬間を逃さず、手を伸ばす。

 二人の指が絡み合った瞬間、みゆの溢れるリズムが、ティナの魂にも直接流れ込んだ。

 究極の共鳴領域レゾナンス・フィールド


「見せてあげる。これが、私たちのダンスよ!」


 二人は同時にステップを踏み出した。

 みゆの「フリースタイル」による不規則な躍動と、ティナの「エロテロリスト」による引力が、二人の手を支点として完全に融合する。

 二人の周囲に、かつてないほどの輝きを放つ黄金と桃色の混合オーラが渦巻いた。

 それは、相手を弾き飛ばすための「力」ではない。

 半径九メートル、さらには会場全体へと波及していく、圧倒的な**『究極の共鳴領域』**。


 その時、ディビナのステップがほんの0.01秒遅れた。

 視線が一度だけ泳ぐ。

 みゆは見逃さなかった。

 それでもディビナは呼吸を整え、身体の芯に意識を戻しながら、自分の型を探し直す。

 みゆは一気に畳み掛け、渾身のダンスをぶつけた。


「な、何……この感覚……。ダンスがこんなに熱いものだったなんて……」


 最前列で見ていた屈強な戦士が、思わず涙をこぼした。

 絶望も、呪いも、種族間の差別も、そのオーラに触れた瞬間に溶けていく。

 みゆたちが刻むリズムは、戦うための鼓動ではなく、生きていることそのものを祝福する「安心感」に満ちていた。

 呪術の魔法陣は光の粒となって消え、サキュバスの誘惑は純粋な憧憬へと変わる。


 もはや、どちらが勝者かを決める必要すらなかった。

 会場を包む万雷の拍手と、観客全員がスタンディングオベーションで踊り出した光景が、全てを物語っていた。


『……信じられない! ステージから放たれたのは、暴力でも魔法でもない! 全ての生命を一つにする、愛と平和のグルーヴだぁぁ!! 優勝、九条みゆ&ティナ組ーーー!!』


 ディビナとリラは、完敗を認めるように膝をついた。


「……負けたわ。あんたたちのダンス……心臓を直接、抱きしめられたみたいだった」


 みゆとティナは、互いに支え合いながら、最高の笑顔で客席に応えた。

 割れるような歓声。

 床を踏みしめる足裏に、確かな重さがあった。

——勝った。

 その実感が、遅れて胸に落ちてくる。

 だが、その瞬間。

 みゆは、わずかな違和感に気付いた。

 床の感触が、ほんの少しだけ、遠い。


「……あれ?」


 視界の端で、自分の指先が、淡く透けている。


「……身体が、薄くなってる……?」


 この世界で刻んできたリズムが、静かに役目を終えようとしていた。

 それは、終演を告げる——静かなアンコールだった。

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