第1話:Dancing Queen ―異世界の路上から始まる、最強のダンスバトル―
気がついた時、九条みゆはアスファルトの上に座り込んでいた。
空は見たことのない色をしていて、街路樹の葉はやけに大きい。通りを行き交う人影を見て、さらに混乱は深まった。人間に似ているが、耳が長い者、獣の顔をした者、明らかに人のサイズを超えた巨体。――モンスター、エルフ、獣人、巨人。
……どこだ、ここ?
財布はない。
バッグもない。
あるのはポケットに入っていたスマートフォンだけだった。
電源は入る。
通信は――圏外。
つまり、無一文で異世界らしき場所に放り出された、ということらしい。
しばらく街を歩き回って、みゆは一つの光景に目を留めた。広場の隅で、ボロ布をまとった人影が座り込んでいる。通行人が足を止め、硬貨のようなものを落としていく。
――ホームレスだ。
ぐるるるるるるるるぅ。
突然みゆのお腹が鳴る。
(お腹すいたな。でもこの世界のお金なんて持っていな……。)
!!
その瞬間、閃いた。
お金をもらう。
稼ぐ方法はこれだ!
みゆはスマホを取り出し、保存していた音楽を再生した。スピーカーから流れるリズムに合わせ、体を動かす。通りの端に落ちていた皿を拾い、足元に置く。
ダンスなら、できる。
最初は誰も立ち止まらなかった。奇異な視線だけが投げられ、硬貨は一枚も落ちない。それでも踊り続けた。音を止めなかった。
――その時だった。
「ねえ、あんた♡」
甘ったるい声がかかる。振り向くと、ほんの少し紫がかった髪と艶やかな肢体を持つ女が立っていた。角は小さく、背中には薄い翼。どう見ても人間ではない。
「ダンス、上手いじゃん。バトルしない?⤴♡」
なんか魔族っぽい女の人だ。でも物凄い色気を放っている。しかもマイクロビキニ?
「ルールは簡単♡ 相手のダンスを見て、それにダンスで返すだけ。勝ち負けは――ほら♡」
周囲を指差す。いつの間にか、通行人が輪を作っていた。
「みんなが決めるの♡」
ラップバトルの、ダンス版。
なるほど理解はできた。
みゆは少し考え、頷いた。
「……後攻でいい?」
「いいよ⤴♡」
相手の力量を見たい。どんなダンスをするのか知りたい。対策を立てる時間が欲しかった。
サキュバスは音もなく動き出した。
腰をくねらせ、指先で空気を撫でる。情熱的で、艶やかで、どこか妖しい。ベリーダンスを思わせる動きに、観衆の視線が吸い寄せられていく。
――なるほど。
みゆは一歩前に出た。
同じリズムを拾いながら、動きを分解し、組み替える。腰の動きはクラシックで洗練させ、腕はバレエのラインを借りる。足運びにはヒップホップの軽さを混ぜた。
即興だった。けれど、体は迷わなかった。
空気が変わる。
ざわめきが歓声に変わり、最後の一拍が終わった瞬間、勝敗は明らかだった。
「……負けたわ⤴⤵♡」
「あんた、ダンス上手いね! わたしの名前はティナ。サキュバスのティナ♡ ダンス歴は――っと、年齢がバレるからナ・イ・ショ!♡ ダンス好きってことで、よろしくね⤴♡」
サキュバスは楽しそうに笑いながら言った。
「私は九条みゆ。19歳、大学生」
少し照れながら、自己紹介する。
「ダンス歴は……16年くらい。一応、クラシックからヒップホップ、伝統芸能まで。最近はアイドルの振付師の仕事もしてる」
「え!? 16年!?」
ティナは目を丸くした。
「私より長いじゃん! てか、どこに住んでるの?」
みゆは一瞬、言葉に詰まった。
「……気づいたら、ここにいたんだ。帰り方も分からなくて」
「住所は?」
「……東京都世田谷区」
「……トーキョートセタガヤク?」
(え? 通じない?)
「住所はね、例えばここだとGhysch77A3216っていうの♡」
「……そうなの?」
しばし沈黙。
「あれ♡ もしかして、異世界から来た人?」
「……たぶん」
ティナは肩をすくめた。
「前にもいたよー。別の世界から来た人。だいたい、死んだか、ゲートをくぐったかなんだって♡」
「……私、死んだのかな」
「うーん、さあね♡」
その瞬間だった。
ぐるるるるるるるぅ。
妙に元気な音が、みゆのお腹から鳴り響いた。
「…………」
「…………あ」
みゆは思わずお腹を押さえる。
今日、何も食べていない。そもそも、この世界に来てから、口にしたものは水すらなかった。
ティナは一瞬きょとんとしたあと、吹き出した。
「なにそれ、かわいすぎでしょ♡」
そして、にっこり笑って、みゆの肩を叩く。
「でもさ、住む場所ないでしょ? それに――お腹も空いてるんだし、あたしの部屋においでよ。ここで野宿してたら、モンスターに食べられちゃうよ♡」
少し躊躇っていると。
「安心して♡ あたし、男の人専門だから。女の子に手ぇ出したりしないよ」
「……そう、なんだ」
こうして九条みゆは、サキュバスと暮らすことになった。
これは、まだ始まりにすぎない。
――ダンスが世界を揺らす物語の、序章である。




