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6. けびょう。

とある日曜日。正午を少し過ぎた頃。

日間賀家のリビングでは、夫妻が揃って食後のコーヒータイムを楽しんでいるところです。


日間賀そういちさん<50歳>と日間賀あけみさん<55歳>。今年で結婚25年目を迎えるオシドリ夫婦です。

実は彼らには一人娘がおり、名前をひまわりさんといいます。いつも勤勉で賢い父と社交性が高く仕事もできる母、二人の優秀な遺伝子を受け継ぎ生まれてきた子。

それはそれは優秀で──


「なあ、あけみさん。ひまわりはどうしたんだろうね。もう昼過ぎだってのに、いっこうに部屋から出てこない」


「さぁ。まだ寝てるんじゃないかしら。あの子、お寝坊さんだから」


「そうか。確かに」


…全然、”優秀”じゃなかったんです。これが。


ひまわりさんはもう25歳になるというのに、ロクに働きもせず今だにご両親の厄介になっています。三年前、大学を卒業してからずーっとです。

しかも、就職はおろか食い扶持を探そうという気概すら見せず、毎日ダラダラゴロゴロアニメポテチゲーム。この上なく救いようのないダメニートなのです。


そういちさん&あけみさんの優れた遺伝子は、いったい何処にいってしまったんでしょう。生まれてくる前にうっかり落っことしちゃったんでしょうか。

謎は深まるばかりです。


そういちさんはコーヒーカップを傾けながら、独り言のように呟きました。


「しかし、あんまりグウタラしているのも感心できないね。あの子にもそろそろ自立してもらわないと」


「そうかしらね。私はひまわりちゃんが元気でいてくれればそれで…」


「また君はそんなことを言って。もし私たちがいなくなったらどうするんだ。あの子は一人っきりでちゃんと生きていけるのかい?とにかく、今のままでは心配だよ」


ええ。そういちさんのご意見は最もです。

あけみさんはイマイチ納得しておられない様子ですが、我が子を甘やかしてばかりいてはいつかきっと痛い目を見ます。本当に我が子のことを想うのなら、親から自立させることが肝要です。

かわいい子には旅をさせよ、とはよくいったものですし。


「少し、ひまわりの様子を見てくる」


「なにもそんな早まらなくても…。あんまりキツく叱ったりしないでよ。あの子、結構デリケートなとこあるんだから。誰かさんに似て」


む。

あけみさんの言葉に一瞬、眉を顰めたそういちさん。

卓上のカップに残ったコーヒーをすっかり飲み干すと、静かに部屋を出て行きました。


仕事で疲弊した体に鞭を打ってまで階段を上がり、そういちさんが向かう先はもちろん彼処しかありません。

かの、ぐうたらニートの住処です。


「おーい、ひまわり。起きてるかい?」


軽くドアをノックしたのち、声を張り上げて呼びかけるそういちさん。

しかし、何度呼びかけても部屋の中からの応答はなく、居留守を使う娘に微かな苛立ちを感じているご様子です。


「本当は起きてるんだろう?ガソゴソいってるのが聞こえてるぞ」


「……」


「開けてくれないなら、勝手に入っちゃうけどいいのか?」


「ダメ」


「なら、せめて顔だけでも見せなさい。私もあけみさんもお前を心配してるんだ」


「……ケホッ。ゲホッゲッホッ!」


「な、どうした。大丈夫か?」


「ゴホッ…ちょ、ちょっと風邪気味で…ゲホッ」


いやいや、ひまわりさん?

そんな大根芝居の仮病がありますか。誰がどう聞いたってウソっこの咳じゃないですか。

ただ喉を鳴らせばいいってものじゃないんですよ。


まさか、こんな大嘘に付き合うそういちさんじゃないとは思いますが。しかし。


「だいぶ咳が酷いじゃないか!流行りのインフルエンザかもしれない、熱を測らないと。待ってなさい、いま体温計を持ってくるから」


「ま、待って…いいの。そんなに熱はなさそうだし、大丈夫だから。心配かけてごめんなさい。ゲホッ、エッホン!」


「なにを言ってるんだ。インフルを甘く見ちゃいけないぞ。悪くすれば死んじゃうことだってある。私は何年生きてきたと思っているんだ。まだヒヨッコのお前よりも数段、病気には詳しい」


おやおや。

どうやらそういちさんは立派に社会人でありながら、心はヒヨッコなようです。


実は以前、ひまわりさんが悪徳な訪問販売業者にウォーターサーバーを契約させられるという”事件”があったのですが、この時もそういちさんはウォーターサーバーの到着を娘と一緒に心待ちにしていました。

結局その後、事態の異変に気がついたあけみさんの尽力によってどうにか解約できたのですが、危うく父娘そろってカモられるところでした。


ひまわりさんの騙され体質は、どうもお父様譲りであることが発覚しましたね。驚愕の新事実です。


「ほ、ほんとに大丈夫だから!そ、それに、万が一うつしちゃうと大変だし、ね」


ひまわりさんは仮病がバレるといけないので、必死にそういちさんを追い返そうとします。

しかし、娘の容態が気がかりで仕方のないそういちさんは、”氷嚢を用意する”だの”リンゴの摺り下ろしを作る”だのすっかり看病モードです。

変に心配性な人というか、あるいは単なる”親バカ”かもしれません。


「いいかい、そのまま安静にしてるんだぞ。あけみさんに頼んで掛かり付けの病院を予約してもらうから」


「え、え…!?そんなの必要ないってば!ねぇ、お父さん!」


おーーい!!

部屋の中からひまわりさんが呼びかけますが、すっかり気が急いでいるそういちさんの耳には届きません。娘の一大事をあけみさんに伝えるべく、早くも階段を降りようとしています。


よもやこれはマズい、と。

ひまわりさんは慌てて部屋のドアを開け放ち、父の背に向かって叫びました。


「お父さん、ごめん!!本当は風邪でもインフルでもなんでもないの!私、嘘ついてた」


「え?」


「だ、だから、ほんとはただの仮病…」


と、そこまで言いかけて、ひまわりさんは思わず閉口しました。こちらを振り返ったそういちさんも驚愕の表情を見せています。


いったい何が起こったというのでしょうか──。


「な、なにこれ…鼻血…?」


自身の鼻先に違和感を覚えたひまわりさんは、そこを指で拭うと顔面蒼白になりました。

真っ赤な血がべったりと付いていたのです。


至急娘の元へと駆け寄ったそういちさんも、その鼻から垂れる鮮血に激しく動揺し、叫びにも似た声を張り上げました。


「た、大変だ…あけみさん、あけみさぁぁぁん!!ひまわりが、ひまわりが…血を流して…!!きゅ、救急車だぁ!!!」


狂ったような足取りで階段を駆け降りると、そういちさんはリビングルームへと向かい固定電話の受話器をひったくりました。

決死の形相で”119番”をプッシュしようとする夫の様子に、あけみさんは目を丸くしています。


「ちょ、ちょっと、そういちさん!?一体どうしたの?」


「き、君!ひまわりが、ひまわりが血塗れで咳をしてて、重症のインフルで…」


「ええ?それじゃ全然わからないわよ。いったん落ち着いて」


「落ち着いてなんかいられるか、インフルはな怖いんだぞ。悪くしたら死ぬかもしれないんだぞ!そうなったらどうするんだ!!」


ふぅ、とあけみさんは溜息を一つ溢しました。

どうやら日間賀家において、こういった”パニック劇”は日常茶飯事のようです。

賑やかで楽しい家庭ですね。


「いいから冷静になって。要するに、ひまわりちゃんが鼻血を出してるんでしょう?またすぐ救急車だなんて大袈裟。取り敢えずはいつもの病院へ連れて行きましょう」


パチンと手を合わせ、あけみさんは落ち着き払った様子で言いました。

ひたすらオロオロしているだけのそういちさんに対し、あけみさんは何とも頼り甲斐があります。

まさに母は強し、です。


その後。

病院にてキチンと診察してもらった結果、鼻血の原因は『日頃の不摂生による栄養不足』とのことでした。


まったく人騒がせな。


※鼻血はときに重大な病気のサインである可能性があります。長時間出血が止まらない、その他自覚症状がある場合等には医療機関の受診をお勧め致します。

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