5. よふかし。
草木も眠る丑三つ時、なんていうと少し気味が悪いですが。
深夜2時半。東京都日野市のとある住宅街ではほとんどの家の明かりが消え、しんとした静寂に包まれています。
しかし、そんな中。
日間賀家だけは違いました。いえ、”日間賀家の2階だけは”と言い直した方が正確でしょうか。
そこからは──カーテンこそ閉め切っていますが──とても真夜中とは思えぬほどの煌々としたLED照明の光が漏れ出ています。
「ふふーん、ふっふふーん♪ふーん、っふふーん♪…」
絶妙に音の外れた鼻歌を奏でながらベッドに寝そべり、スマートフォンを横向きにしてアニメを鑑賞するヲタク女子。
彼女は、日間賀ひまわり。いつまでも実家というぬるま湯に浸り続ける25歳です。
このままでは、インターネットスラングでいうところの『子供部屋おばさん』に成れ果ててしまう日もそう遠くはないでしょう。
「ふふーん、ふっふふーん♪ふーん、っふふーん♪…私たちはぁ〜♪めくるめくぅ運命のなぁかで〜♪」
ベッドの上でゴロゴロするひまわりさん。決して上手いとも下手ともつかない歌声で、お気に入りのアニメ『魔法少女グレア』の主題歌『Broken Witch』を口ずさんでいます。
下階で就寝中のご両親に配慮してなのか、あるいは人並みに近所迷惑でも憂慮しているのか。いづれにせよ、歌唱のボリュームはずいぶんと控えめです。
まったくそんな心配をしながら夜更かししているくらいなら、さっさと寝ればよいものを。
「──ふぅ。やっぱり神曲だなぁ。歌ってて気持ちいいや」
小声ではありながらも、がっつりフルコーラスで歌い切ったひまわりさん。表情は上気しており、その満足っぷりや達成感が窺い知れます。
まったく自己陶酔もいいところ。絶妙に音の外れた残念な歌をたっぷり3分間聴かされたこちらの身にもなっていただきたいです。
とはいえ、これでひまわりさんもひとしきり夜更かしを満喫したことでしょう。
すでに現在時刻は午前3時過ぎ。いい歳をした大人がいつまでもダラダラ起きていてはいけません。今すぐ就寝して、明日から就職活動でも始めましょう。
さぁ!善は急げです。
「お。ルナちゃんが”Broken Witch”のカバー動画あげてる!!今すぐ聴かなきゃっ」
…どうしたものですかね、これは。困りました。
どうにもインターネットの世界というのは、人を寝かせないように出来ているみたいなのです。下手な夜伽よりも恐ろしい存在です。
ひまわりさんが大ファンな、魔法少女系YuzuTuber(?)のルナルナさん。そんな彼女は定期的に様々な動画をアップしているのですが、たったいま新たな動画が公開されたようです。
それはいわゆる”歌ってみた”動画というヤツで、『Broken Witch』をルナルナさんがカバーしているという内容です。
これは、ひまわりさん狂喜乱舞のヤーツです。
♪〜
推しの歌声を堪能しようと、再生ボリュームを上げるひまわりさん。おかげで、耳に装着しているイヤフォンから歌声が漏れ聞こえてきます。
「私たちは〜♪めくるめく運命のなかで〜♪何度もめぐり逢い♪…」
ルナルナさん、かなり歌がお上手です。
どこぞのニートの歌唱と比べると、それはそれは雲泥の差。上手い人が歌うことで、『Broken Witch』もちゃんとした曲として聞くことができます。
というか、この曲確かにいいですね。私も最初からこちらを拝聴したかったものです。
「あれ?あ!ルナちゃん、エンディング曲の方もカバーしてるじゃん!!聴かなきゃ、聴かなきゃ!!」
興奮した様子で別の動画の再生し始めるひまわりさん。
正直、こんな時間に動画を投稿しまくる配信者はいかがなものかと思いますが、それを再生するファンもファンです。それはきっと、ひまわりさんだけではないのでしょう。
この国の将来が思いやられますね。
その後もひまわりさんはルナルナさんのカバー動画に夢中なまま、やがて窓の外が明るくなってきてしまいました。
時刻は午前7時に達し、あろうことか世間一般では多くの人々が活動を開始するお時間です。
「…すー…ずー…ぅー…」
ひまわりさんは、実に気持ちよさそうな顔でスヤスヤと眠っています。
服を着替えることもなく、歯を磨くこともなく、その両耳にはイヤフォンが填められたまま。YuzuTubeの動画だって流しっぱなし。完全な”寝落ち”です。
だらしがない、本当にだらしがないです。
と、そこへ。
ハタハタと一つの足音が近づいてきます。寝ているであろうひまわりさんを気遣ってか、非常に静かな足取りです。
「ひまわりちゃん?…て、そりゃ寝てるわよね」
声の主はひまわりさんのお母様こと、日間賀あけみさん。
御歳55歳とは思えぬほど若々しい外見に、柔和な微笑がよく似合う美人です。
いちおう、ひまわりさんもそのルックスだけで言えば人並み以上と評価できますが、きっとお美しいお母様譲りでしょう。
もっとも現状、それは宝の持ち腐れでしかないですが。
ガチャ。
緩慢な動作でそっとドアを開け、あけみさんは娘の寝室に入ってゆきました。
「あらあら…」
漫画雑誌やゲームコントローラなどが床に散乱しているのを目の当たりにし、あけみさんは小さくため息を吐いています。
きっと娘のあまりの自堕落っぷりに呆れておられるのでしょう。親としては当然の反応です。
「仕方のない子ね。服も着替えず、スマホの画面は付けっぱなし。もう…」
寝相悪く眠る娘を、冷ややかな眼差しで一瞥したあけみさん。
そうです。ひまわりさんだってお叱りを受けなければならない時が来たのです。そうしないとこの”子供部屋おばさん予備軍”はいつしか本物になってしまいます。
今こそ、お母様の愛のムチを食らうときです。覚悟なさい。
「風邪を引いちゃったら困るわ。私だって仕事があるんだし、付きっきりで看病なんてできないもの。布団くらいは自分でかけて寝てほしいものね」
一人呟くと、あけみさんは部屋の隅に落ちていた毛布を拾い上げ、それをひまわりさんの体の上へかけました。
「じゃ、お母さんお仕事行ってくるね。お留守番、頼んだわよ」
相変わらず呑気に寝息を立てているひまわりさんの髪を優しく撫で、あけみさんは穏やかな表情で微笑みかけました。
そして、そのまま踵を返して部屋から出て行ってしまいました。
…え、終わり!?
いやいやいやいやいやいや。あけみさん、それは甘やかしすぎではないでしょうか!?
なんてったって、貴方の娘さん。夜通しYuzuTubeを見て、音痴な歌歌って、果てにはスマホを片手に寝落ち。
そんなチャランポランを野放しですか?働かせもせず?おろか、就活もさせずに??
「…んぅ…わたひたちはぁ…めくるめくぅ……」
寝言でも音の外れた『Broken Witch』を口ずさむひまわりさん。
彼女は今日もご両親の脛に齧りつきながら、のんべんだらりと一日を無意義に過ごすのでしょう。
そして、両親もまたそれを許しています。娘に寄生され、あらゆるものを吸われていくのを良しとしてしまっているのです。
もはやこの家はひまわりさんにとって、”ぬるま湯”というより”底なし沼”なのかもしれません。社会のどん底へ向かってズルズルと堕落していく、そんな恐ろしい場所です。
ひまわりさん、いい加減に起きてください。
もう朝ですよ。




