4. あいてぃー。
IT。Information Technologyの略称。
それは情報化が進んだ現代社会において、おそらく最も重要で必要不可欠な技術・産業といえるでしょう。
「ITパスポート、か」
東京都日野市、とある一軒家にて。
一般的な社会人であればキチンとしたスーツ姿でデスクに向かっているはずのこの時間に、ヨレヨレのパジャマ姿のままベッドの上で寝そべりながらノートパソコンを開く25歳がいます。
皆さまご存知、日間賀ひまわり氏──別名”永遠に咲くことのないヒマワリ”です。
“”ITパスポートの過去問にチャレンジ!”。
そう書かれたウェブサイトを開いて、ひまわりさんは短く息を吐きました。
どうやらようやく重い腰を上げ、国家資格を取得しようという気になったようです。これは大変な成長ですね。もしかすると、ひょっとすると、万の一つくらいは”咲く”可能性もあるやもしれません。
「どれどれ、どんな問題かちょっと見てみよ」
眠たそうに欠伸を繰り返しながらも、どうにかやる気を出し、過去問へのリンクをクリックしたひまわりさん。
しかし、画面に問題の内容が表示された途端に絶句。
あら大変、フリーズしてしまいました!オーバーロードです!エラー、エラー!!
「プロバイダ責任制限法に基づくプロバイダの…。企業が経営戦略に用いるKPI…。SWOT分析における”O”を…。って、ナニコレ???」
ひまわりさんの頭からは湯気が上がっています。もはや故障寸前。
どうやらお勉強アレルギーかつ横文字嫌いの彼女にとって、ITパスポートの問題はあまりに負荷が大き過ぎたようです。
図らずも、その脳のスペックの低さが露呈する形となってしまいました。
「分かるわけないじゃん、こんなの。え、ITパスポートってこんなに難しいの?”簡単に取れる国家資格”って、どっかで聞いた気がするんですけど!?」
ひまわりさん。その情報はきっと、お勉強が得意な人によるものですよ。何でもかんでも鵜呑みにしてはいけません。
彼女にはもう少し、”疑うこと”を覚えていただきたいものですね。
「やっぱ無理かぁ…。そりゃそうだよね、私が国家資格なんて。初めから無謀だったんだ」
そう呟くと、ひまわりさんはブラウザのバツ印を押し、ITパスポートの過去問演習ページを閉じてしまいました。
あゝ。こんなに早く諦めてしまうなんて。
継続は力なり、千里の道も一歩から。毎日コツコツ勉強していけば、きっとひまわりさんにだってサクラサク日がやってくるはず。
なのに、こんなスタートラインにも満たないところで投げ出してしまうなんて。本当に成長しないというか、何とも彼女らしいというか。
いずれにしても、もう少し応援し甲斐のある姿を見せていただきたいものです。
ですが。
ひまわりさんはITパスポートのことなどもはや忘れたような様子で、YuzuTubeの動画を見始めてしまいました。
すっかりお気に入りの配信チャンネルに釘つけです。
「みなさん、ごきげんヨーゼフ!魔法少女系ユズチューバーの”ルナルナ”です☆」
ひまわりさんが見惚れている画面の向こうで、その名の通り魔法少女風の衣装に身を包んだ若い女性が元気よく挨拶しています。
初っ端なの”ごきげんヨーゼフ”というワードは謎ですし、”魔法少女系ユズチューバー”というのも初耳です。そもそもそんなカテゴリが存在するのでしょうか。
流石はインターネットの世界。自由です。
「かーっ!ルナちゃぁん、今日もお美しい&お可愛いが満ち満ちですな…。得体の知れない国家資格のせいで傷ついた私の心。癒してくれるのは、ア・ナ・タだけ!!」
念の為、ここで申し上げておきますけれど。
『ITパスポート』は”得体の知れない国家資格”などではないですし、傷ついたのはひまわりさん自身の勝手です。彼女による根拠のない責任転嫁です。
『ITパスポート』はIT技術の知識のみならず、ビジネスにおけるストラテジやマネジメントの領域までも幅広く網羅した大変有用な国家試験であり、社会的に通用する立派な資格です。
以上。読者の皆さまにおかれましては、くれぐれも誤解のなきようお願いしますね。
「はい、ちゅーもーっく!今回。私からみなさんに、一つご報告したいことがあります。それはー…」
魔法少女のYuzuTuberことルナルナさん。続く言葉を溜めに溜め、派手なテロップを添え、動画を視聴しているチチンプイプイなファンの注目をコレでもかと煽ります。
むろん、ひまわりさんもそんなチチンプイプイなファンの一人です。
「なになに…”ご報告”ってなに!?CDとか出すの?それともまさかの声優デビューとか!?早く教えて!」
目を爛々と輝かせ、パソコンのモニターを食い入るように見つめるひまわりさん。瞬きすら忘れて動画に夢中です。
その情熱を、少しは資格試験にも向けてほしいものですが。
ドゥルルルルル…ジャァァンッ!
派手なドラムロール演出とともに、カメラ目線のルナルナさんが告げたのは──
「私、この度『ITパスポート』という資格に挑戦いたしまして、なんと合格しましたーーー!!」
テーレッテレーッ!ヒュー!パチパチパチ…。
昔ながらのハッピーな効果音が流れ、ルナルナさんは『ITパスポート』の合格証をカメラに向かって示しました。
どうやら彼女は先月、資格を取得したようです。
「え…ルナちゃん…?あいてぃーぱすぽーと…受かったの…?きっとアレだよね…魔法かなんかで」
「もちろん、”魔法”の力を使ったわけじゃないからね!?そんなのただの不正行為だし、そんなことしたら魔法少女失格だし!ちゃーんとお勉強して、合格しました!!私、頑張ったんだよーー☆」
「…うん。ルナちゃんはエライエライ……」
あらら。
せっかく花開きそうだったヒマワリが、どんどんと枯れてゆきます。画面の向こう側の魔法少女に生気を吸い取られ、急激に老いていっているかのようです。
誰か、ひまわりさんにお水を!早く!!
「もう…駄目。終わり。なにもかも。誰も彼も、みーんな、私を笑い者にしてるんだ。きっとそうだ…」
パタン。
ノートパソコンを閉じ、瞼も閉じ。
ひまわりさんは静かに夢の中へと吸い寄せられていきます。少しの抵抗も見せません。
『IT』──Information Technologyの略称。
それは、ひまわりさんにとって二度と聞きたくない単語になってしまったことでしょう。
アバダケダブラ。まさに死の呪文です。




