有意義な時間へ
ゆっくりと玄関のドアを開けると嗅ぎ慣れた家の匂いが鼻をくすぐる。四季は噛み締めるようにその場に留まり、しばらくすると靴を脱ぎ捨てリビングへと足を運ぶ。見慣れた空間に静寂が流れている、やけに心地いい。
「兄貴、帰ってきたの?」
背後から忍び寄る影、ぎゅっと四季を抱きしめながら安心した顔を浮かべる。彼は四季の弟のゆらぎだ。
「もう。離してよ。明日から署内に住み込みで働くからちょっと寄っただけだよ。」
サッとゆらぎの腕から抜け、服を整える四季だが目には濃い喜びが浮かんでいた。たった一人の兄弟であるゆらぎを見る四季の瞳は優しさに包まれている。
ゆらぎは再び四季にしがみつき、離れずにそっとつぶやいた。
「つれないな…兄貴は…。明日から家にいないなら最後くらいいいじゃん。」
"最後"その言葉に胸が落ちる。ゆらぎの言う最後と四季が思う最後の意味は違う。四季の最後には深い意味があり、最後ではなく最期かもしれない…と顔に悲しみの影がよぎる。
「……たぶん…また帰ってくるよ。永遠に警察署暮らしって訳じゃないから。…多くは帰れないだろうけど帰れるときは帰ってくるから。」
ゆらぎは嬉しそうに頷く。本当はそんな日が来るのかもわからない。四季は乱暴にゆらぎの頭を撫で、くすぐったそうに笑うゆらぎの姿をしっかりと目に焼きつける。
「…母さんは?」
「寝室にいると思うけど。あ、待って、俺も行く。」
寝室のドアを開ける音に反応し、振り返った母は軽く微笑む。しかし四季の顔を見ると一瞬で真顔になってしまった。ゆっくり立ち上がり四季に近づくと肩に手を置き視線を合わせる。
「四季…まさかあなたも警察官になるなんてね。お父さんがみたらきっと泣いて喜ぶわよ。さすが俺の子だ!ってね」
クスッと笑う母の声には隠しきれない悲しさが滲んでいた。そんな母の手をぎゅっと握りしめ深く目を見つめて口を開く。
「…僕は父さんの代わりにはなれないけど父さんと同じくらい家族が好きだよ。母さんもゆらぎも、僕にとって最大の宝物だから父さんみたいに立派になって僕も家族を守る。…父さんの代わりにね。」
「…全く。本当にあの人にそっくりね。でもね、四季、約束して。私はもう誰も失いたくないの。警察官は危険を伴う仕事よ。だから……いえ…あなたならきっと大丈夫よね。」
母の言葉に力強く頷く。そして母は首にかかったネックレスを取ると四季の首に優しく付ける。
このネックレスは父が生きていた頃大事にしていたものだろう。ぎゅっと握りしめ黙祷する。
「…きっとあの人が守ってくれるわ。あなたは一人じゃない。辛くなったら…寂しくなったらいつでも帰ってきなさい。あなたの居場所はここにあるから。」
母は四季を腕に抱き、優しく語りかける。このまま時が止まればいいのに。そう思いながら目を閉じる。
しかし確実に進む時間。秒針の音が大きく響く。
この幸せな瞬間は二度と訪れないのだろうか。不安と悲しみが同時に押し寄せる。
「兄貴、今日の晩御飯俺が作るからちゃんと食えよ。最後に俺の飯が食えるなんて光栄だろ?」
ニヤッと笑うゆらぎはこの重苦しい空間を和ませようと必死に見えた。誰もがこの空気を好まないだろう。四季は母から離れ、ゆらぎに向かって手を伸ばす。
「一緒に作るよ。僕と作れるなんて光栄だね。」
一瞬驚きを浮かべながらゆらぎは四季を連れてキッチンに向かう。家族との時間を有意義に過ごした彼の表情は幸せそのものだ。
みんなで仲睦まじくご飯を食べ、残り少ない一日を過ごす。あっという間に日が落ちみんなが寝静まった夜。四季は机に向かいペンを走らせる。
きっとこれは自分にとっても家族にとっても生きていた証となるだろう。
拝啓
母さん、ゆらぎ。手紙を残すなど柄でもないことをしてみます。たわいもないいつもの日常。こんなにも素晴らしい日。この日常が、この時がずっと続きますように。
愛する家族が永遠とここに存在しますように。
次に会えるその時までどうかお元気で。
敬具




