097.だから、今は走る
そうして、フェルシオンの魔法の確認は一通り終わった。
焼け焦げた木人形の残骸と、まだじんわりと熱を残す地面を一瞥し、ヴァンはゆっくりとこちらへ向き直る。
そして――口の端を、にやりと吊り上げた。
「よし。次だ」
その瞬間、嫌な予感しかしない。
ヴァンは親指で、訓練場の外周を指した。
「走れ」
「……やっぱりか」
思わず、頭を抱える。
フェルシオンは一瞬きょとんとした顔をし、ムイは状況を察していたのか、特に表情を変えなかった。
「走れって……まさか」
「そのまさかだ」
即答だった。
「魔法も武器も、結局は体が動かなきゃ意味がねぇ。
フェルシオン。誰もいないときに、自分の身を守れるのは自分だけだ。
“詠唱してたから”なんて理由で死んだら、笑い話にもならねぇ」
「……否定はできないな」
フェルシオンは素直に頷く。
ヴァンは次に、ムイへと視線を移した。
「ムイは身体能力そのものは悪くない。動きも判断も速い」
一拍置き、少しだけ声を落とす。
「だから次は、持久力の確認だ。
撤退戦、長期間の護衛、夜通しの警戒――そういう“いざ”って場面で息が上がったら、それだけで死に直結する。
フェルシオンの後ろを守るってなっても、集中力が切れてたら意味がねぇからな」
ムイはその言葉を真っ直ぐに受け止め、静かに頷く。
「ご指摘の通りです。主を守るためにも、最後まで動ける身体である必要があります」
そして、最後に俺を見た。
「ミハネ」
「……ああ」
「お前は正直、まだ全部が中途半端だ」
容赦がない。
「新しい魔道具の左手で戦略が増えるのはいい。だが体力も剣術も、まだ足りねぇ。
稀人としての力も、“必殺”と呼べる域には届いてねぇし、傷を塞ぐために使うにしても、消耗がでかすぎるだろ」
そう言って、俺の肩に手を置き――にっこりと。
「だから、一番走れ」
「ひどい!」
抗議の声も虚しく、ヴァンはすでに背を向けて歩き出していた。
「外周三十周。開始!」
「鬼かよ……」
「鬼だな……」
フェルシオンもぼそりと呟く。
ぼやきながらも、俺たちは並んで走り出す。
土を蹴る音が重なり、次第に呼吸が荒くなっていく。
一周目を終えたあたりで、フェルシオンの息が目に見えて乱れ始めた。
肩が上下し、魔法を詠唱するときの落ち着きは影も形もない。
ムイは歯を食いしばり、苦しそうではあるが、速度だけは崩さない。一定の歩幅、一定の呼吸で実直に前に進む。
俺はというと――正直、ヴァンの言葉が胸に刺さっていた。
確かに、どれだけ剣を振れても、最後まで動けなければ意味がない。
剣で押し切れなければ、魔法も使えない今の俺に残る手札は、ほとんど無いに等しい。
それこそ、身体を弄って無理やり勝ちを掴むような手段は――最後の最後だ。
そんなものに頼らずに、立ち続けるために。
誰かを守るために、そして自分が倒れないために。帰るために。
だからこそ、少しでも強くなる。
だからこそ、負けない身体を作る。
――だから、今は走る。
背後から、容赦のない声が飛んでくる。
「フェルシオン! 魔法使いだからって甘えるな! 倒れたら終わりだ!」
「ムイ! ペースを守れ! それがお前の強さだ!」
「ミハネ! まだ余裕あるだろ! なら少しでも前へ出ろ!」
走る。
ただ、走る。
汗が滲み、肺が焼けるように痛む。
視界が狭まり、足が重くなる。
それでも――誰一人、立ち止まらなかった。
「よし、よく走ったな」
ヴァンの一言に、張り詰めていた空気がようやく緩む。
フェルシオンは訓練場の土の上に、外聞も構わず突っ伏していた。肩が大きく上下し、息を整える余裕すらない。
一方ムイは、肩で大きく呼吸をしながらも背筋を崩してはいない。その様子から、限界近いながらも踏みとどまっているのが分かる。
その二人を眺めながら、俺も呼吸を整える。
少し前に思い描いていたフェルシオンがヴァンにしごかれる未来が、こうして現実になっていることが、どこかおかしくて――少しだけ笑みが漏れた。
俺たちの様子を一通り見渡し、ヴァンが口を開く。
「フェルシオンは火力担当だ。ただし、守られる前提は捨てろ」
地に伏したままのフェルシオンに、容赦なく言い切る。
「ムイは後衛支援。判断を他人任せにするな」
次いで、ムイへと視線を移す。
「ミハネは繋ぎ役だ。前にも後ろにも顔を出せ」
一拍置いて、はっきりと言葉を落とした。
「これが当面の陣形だ。これを軸に、今後は鍛錬を進めていく」
「あ、ああ……」
フェルシオンが、息を荒げながらも応じる。
「承知いたしました」
ムイは短く、しかし迷いなく。
「わかった」
俺も頷いた。
「じゃあ、今日はここまでだ」
ヴァンは踵を返しながら続ける。
「ミハネは魔道具を作りに行くんだろ。無理すんなよ。――また明日だ」
その言葉に、フェルシオンが顔を上げる。
「私も……同行してもいいか?」
疲労に滲んだ声音だったが、その瞳には、はっきりとした意志の光が宿っていた。
その問いに、ヴァンは足を止めた。
ちらりと振り返り、フェルシオンの顔を一瞥する。
「……魔道具作りにか?」
「ああ。私としても興味がある」
息を整えながら、フェルシオンは身を起こす。
「魔法を“使う”だけじゃなく、“形にする”ところも見ておきたい。今後のためにも」
ヴァンは少しだけ考える素振りを見せ、それから肩をすくめた。
「止める理由はねぇな。むしろ見とけ」
親指で俺を指す。
「ミハネは、技術はまだまだだが、発想で生き延びてきたタイプだ。
魔道具を見る目も、作り手と話すときの勘も、無駄じゃねぇ」
「買いかぶりすぎだろ」
「そうでもねぇさ」
ヴァンはニヤリと笑う。
「生き残ってるって事実が、何よりの証拠だ」
その言葉が少し嬉しくもあり、俺は小さく肩をすくめる。
「フェルシオン。付いて来てもらってもいいんだけど、今日は一人で行かせてくれ」
「ああ……」
フェルシオンは一瞬だけ考える素振りを見せてから、静かに頷いた。
「無理にとは言わない」
「この前少し話したやつだ。少し距離を置いてた相手だからな。最初くらいは、腰を据えて話したくてさ」
「……そうか」
納得したように、フェルシオンは息を吐く。
「なら、私のことは気にしなくていい。先方の許可が下りたら、その時は改めて関わらせてくれ」
俺はその言葉に、しっかりと頷いた。
フェルシオンは向きを変え、ムイを見る。
「よし。では私のほうも、旅に向けて装備をいくつか新調しよう。ムイ、同行して整えてくれるか」
「承知いたしました」
その様子を見届けてから、ヴァンがまとめるように口を開いた。
「決まりだな。今日はもう解散だ。
身体はしっかり休めろよ。特に――フェルシオン」
視線を落とし、言い含めるように続ける。
「明日からは、今日よりキツくなるぞ」
「……覚悟はしている」
フェルシオンはそう答え、静かに立ち上がった。
ムイはフェルシオンの半歩後ろで静かに仕える。
左腕の先、何もないはずの場所を無意識に見下ろす。
ここに“手”が戻るわけじゃない。だが、使える何かが増える。
それだけで、これから先の選択肢は大きく変わる。
「……ちゃんと話をしに行くか」
避けてきたわけじゃないが、向き合うには理由が要る相手だ。
今は、その理由がある。
夕暮れの光を背に受けながら、俺は歩き出した。
まだまだ拙い部分も多い作品ですが、
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いつも読んでくださり、ありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。




