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異世界人間師  作者: 白黒 シろ
3章.傷だらけの世界で、歩き出す
91/110

特別幕間「在りし日のバレンタイン」

バレンタインということで、

本来は本編更新の合間ではありますが、この時期らしい小さなエピソードを書きたくなり、特別な幕間を投稿することにしました。

いつもとは少し違う雰囲気のお話ですが、楽しんでいただけたら幸いです。

 二月十三日。

 まだ寒さの芯が抜けきらない朝、俺はこたつに潜り込んでいた。

 視線を落とすと、腹を枕にするように澄羽が転がっている。

 当たり前みたいな顔で、ぴたりとくっついて。


「ねえ、お兄ちゃん」

「どうした?」

「明日は何の日でしょ~か?」

「バレンタインだろ」

 即答すると、澄羽は不満そうに頬をふくらませた。

「もっとこう……ワクワクした感じで言ってよ」

「いや、事実だし」

「つまんな~い」

 そう言いながらも、離れない。むしろ体重を預けてくる。

「でさ。どんなものが欲しい?」

「うーん……やっぱりこういう日だし、チョコが食べたくなるよな」

 軽く答えると、澄羽はにやりと笑って、スマホの画面を俺の目の前に差し出した。

「はい、これ」

 画面には、“贈るお菓子に込められた意味一覧”なんて記事が表示されている。

 チョコレートは本命。

 クッキーは友達。

 マカロンは特別な人。

 マフィンはあなたは特別。


「……ふーん」

「お兄ちゃんは私から本命チョコが欲しいってこと?」

 澄羽はそう言って、俺の腹に頬を押しつける。

 こたつの中で足まで絡めてきた。

「さあ、問題です。私はお兄ちゃんにどれを送るでしょうか?」

 わざとらしく首をかしげる。

 けれど、目だけはじっとこちらを見ている。

 俺は少しだけ考えてから、肩をすくめた。

「澄羽が作ったやつなら、なんでもいいよ」

「あ! それ一番言っちゃダメなやつなんだから」

「なんでだよ」

「ちゃんと意味を考えてほしいのに!」

 むくれながらも、頬は離さない。

「それだけ、毎年くれるのが美味しいってことだよ」

 少し誤魔化すように、頭をぽん、と撫でる。

 指先に、柔らかい髪の感触。

 澄羽は一瞬だけ黙って、それから小さく息を吐いた。

「……まあ、そういうことだったら、いいけどね」

 声は、思ったよりも嬉しそうだった。

 

 澄羽が「うーん」とか「どうしよっかなぁ」とか唸っているのを横目に、俺はぼんやりとテレビを眺めていた。

 次の瞬間、聞き覚えのある単語に、澄羽こたつから体を起こす。

 映っていたのは、近所のデパートのニュース。

 画面は赤やピンクで埋め尽くされ、大きく躍る文字。

 ――バレンタインフェア開催中。


「そういえばやってたなぁ……お、ここのお菓子美味しそう。チョコレートクッキーシュークリームか。これも良いなぁ」

 正直、チョコ売り場なんて混雑する未来しか見えない。

 でも、画面越しに映る艶のあるチョコや焼き菓子を見ていると――その面倒くささを上回る幸福感があるのも事実だった。

「……行きたいか?」

 何気なく聞いたつもりだった。

 その瞬間、澄羽の目がきらりと光る。

「うん。それにこれ、明日までだよ」

「ほんとだ……ってか、二月十四日までかよ。バレンタイン終わったら即終了って、なんか寂しいな」

「そうだね。気づけてよかった~。じゃあ明日は一緒にお出かけだね」

 もう決定事項らしい。

 そのとき、横のこたつに入っていた父が、恐る恐る声をかける。

「あのー……澄羽? お父さんには……?」

 ちらり、と澄羽が父を見る。

「お父さんは甘いもの、そんなに好きじゃないでしょ。チョコのお酒でも買ってきてあげる」

 澄羽は悪びれもせずに言って、こたつ布団の端を指でつまんでくるくると弄った。

 言い方はそっけないのに、父の好みをちゃんと覚えているところが、いかにも澄羽らしい。

「手作りが良かったな……」

 父は情けない声を出して、肩を落とす。

 そのしょんぼりした背中だけがやけに目立った。

「わがまま言わないの」

 澄羽の即答は、冬の空気みたいにきっぱりしていた。

 父はそこで、さらに深く沈む。

「弥羽とは何が違うっていうんだ……」

 ぼやきがこたつの天板に落ちて、ぺしゃりと潰れる。

 それを見て、澄羽はふん、と鼻を鳴らした。

 ――小さな勝ち誇りと、少しだけ照れが混じったみたいな音。

「お兄ちゃんは、私があげないと誰からももらえないんだから」

 自信満々に言い切る。

 こたつの中で、俺の足に寄せた澄羽の足が、じわりと温かい。


「いや、もらえるけど」

 反射的に返した瞬間、澄羽の視線がすっと細くなる。

 その目だけで、「へぇ?」って言ってる。

「……何それ。誰にもらってるの? 私、知らないんだけど」

 声は落ち着いているのに、問いの刃だけが妙に鋭い。

「いや、普通に会社の人とか。友達とか、大学でお世話になった先輩とかからだけど」

 言い終わったあと、なんとなく喉が渇いた。

 澄羽の目が、まだ細いままだったから。

「でもそれって、義理チョコでしょ?」

「そりゃあそうだろ」

 澄羽は一拍置いて、結論を出すみたいに頷く。

「じゃあ、いいかな」

 許可が出た。

 空気が少しだけ緩む。

「私からのが一番、愛がこもってるからね」

 言い切ってから、澄羽はわざとらしく胸を張る。

 そのくせ耳の先がほんのり赤いのが、髪の隙間から見える。

「私に次ぐのは……みーちゃんくらいだよ」

 その名前が出た瞬間、こたつの中の温度が、ほんのわずかだけ別のものに変わった。

 甘い話の隙間に、冷たい影が一筋だけ混ざる。


「というか、昔はあいつと澄羽のせいで、周りから少し距離置かれてた感はあるからな」

 冗談めかして言ったつもりだった。

 でも、澄羽は否定しなかった。

「しかたないよ」

 澄羽は小さく息を吐いた。

「みーちゃんの溺愛っぷりには、私も面食らうときがあったから」

 ぽつり、と続ける。

「時々、私たちのためなら、本当に人を殺しそうな雰囲気、あったもん」

 冗談みたいな言い方なのに、思い出の輪郭だけがやけに鮮明で。


 人の輪から、ほんの半歩だけ外れた位置にいる子だった。

 混ざれないんじゃない。あえて混ざらない。そんな距離を、自然に保っていた。

 澄羽を怒らせて。

 俺を呆れさせて。

 それをどこか満足そうに眺めている。

 でも――本気で俺たちを傷つけることだけは、絶対にしなかった。

 意地悪で。

 面倒で。

 厄介で。

 それでも、俺たちの隣にいるときだけは、世界を掌に載せたみたいな顔で、静かに笑っていた。


「ああ……あったな……」

 俺がそう返すと、澄羽は一瞬だけ黙って、俺の服の裾をつまむ。

 引っ張るでもなく、離すでもなく。

 ただそこに、いることを確かめるみたいに。

「じゃあ今年も」

 澄羽が、努めて明るい声を作る。

「みーちゃんの分も含めて、二倍の愛を贈るね」

 胸の奥が、きゅっと縮んで、それからほどけた。

 その言い方が、澄羽なりの優しさだと分かるから。

「楽しみにしてるよ」

 そう言うと、澄羽は満足げに目を細めた。

 こたつの中で、俺の腹に押しつけられた頬が、少しだけ強くなった。


 ◆


 駅前のデパートは、遠目からでも分かるくらい浮かれていた。

 入口のアーチは赤とピンクの装飾で埋め尽くされ、ガラス越しに見える特設会場は人で溢れている。

 手を引かれたまま、俺は人混みに足を踏み入れる。


「はぐれないでね」

 澄羽が、当然みたいに俺の手を握る。ただ自然に。

「迷子になるのは澄羽のほうだろ」

「え~? 私、お兄ちゃんより方向感覚あるよ?」

「初詣で逆方向歩いたの誰だよ」

「あれは屋台の匂いが悪い」


 なんてもっともらしい顔で言い訳をしながら、澄羽はショーケースに顔を寄せる。

 艶のあるチョコレートが整然と並んでいる。照明を受けて、まるで宝石みたいだ。

「これ可愛くない? 見て、この小さいハート」

「ああ、綺麗だな。でもさ、こういうこと言うのはダメなのは分かってるんだけど……正直、味の違いそこまでわからないよな。

 食べ比べしようにも、一粒あたりの値段がな……」

 値札を見て、思わず現実に引き戻される。

「だからこその今日なんだよ」

 澄羽は胸を張る。

「今日なら“イベントだから”って言い訳できるでしょ?」

「なるほど。言い訳前提か」

「人生は言い訳の積み重ねだよ」

「どこでそんな知恵をつけたんだよ……」

 くすくす笑いながら、澄羽は一粒入りの小箱を手に取り購入した。


 試食の案内を見つけると、澄羽はすかさず列に並んだ。

「お兄ちゃん、あれ。ビター系だって」

「俺は甘い方がいいな」

「甘いのもあるよ。両方もらお。私と半分こね」

 そうして受け取った小さなチョコを、澄羽は当然みたいに真ん中で割る。

 澄羽からもらったチョコは、指先が触れて、ほんの少しだけ体温が移っていた。

 一口。

 カカオの香りが先に広がり、遅れて甘さが追いかけてくる。

 舌の上でゆっくり溶けていく感覚が、じわっと心地いい。

「どう?」

「……美味しい」

「でしょ?」

 澄羽は満足げに笑う。

「お兄ちゃん、プリンとかケーキとか、最後の一口ぜったいゆっくり味わって食べるよね」

「観察しすぎだろ」

「大事な人のことはちゃんと見てるの」

 さらっと言い捨てて、隣の試食へ向かう。

 こっちはその一言の余韻に、少し遅れてついていくしかない。


 今度は俺がチョコを受け取り、慎重に二つに割る。

「はい、澄羽の分」

 差し出そうとした瞬間、澄羽が一歩近づいた。

「あーん。半分こなんだから、ちゃんとね?」

 いつものことだと思いつつ、指でつまんだ欠片を口元へ運ぶ。

「はいはい。ほら、あーん」

 ぱく、と。

 柔らかい感触と、温度。

 わざとか偶然か分からない絶妙な距離で、唇が指先を包み込む。

「……お前」

 澄羽はもぐもぐと咀嚼しながら、悪びれもなく言う。

「うん、おいしい」

 にやにやしている。絶対わざとだ。

「……指ごと食べるな」

「お兄ちゃんの指、チョコで汚れてたから掃除してあげたんだよ。

 バレンタインだもん。甘いのはちゃんと最後まで味わわないと」

「お前な……」

 呆れ半分、でも怒れない。

 指先に残る熱が、やけに長く残っている。

 澄羽はくすっと笑って、今度は俺の腕に絡みついた。

「ちゃんと一緒に味わってるでしょ? 半分こなんだから」


 そのまま、試食をつまみながら売り場を回る。

 甘い香りと人の熱気が混ざって、フロアは少しだけ浮ついていた。

「お兄ちゃんってさ」

「うん」

「甘いもの好きなのに、自分から買わないよね」

「一人でチョコ売り場はハードル高い。こういう大義名分がないと買えない」

「意外と繊細だよね」

「ほっとけ」

 澄羽は楽しそうに笑って、さらに腕を抱き寄せる。

「だから、私がいるんでしょ」

 当然みたいに言う。

 迷いも照れもなくて、むしろこっちが困る。

「でもなぁ。澄羽がいると出費が増えるからなぁ」

「でも、なんやかんや言って買ってくれるくせに。出費は二倍でも、幸せも二倍でしょ」

 その言葉に、反論はできなかった。

「ほら、これも見て。限定フレーバーらしいよ」

「澄羽って、“限定”って言葉に弱いよな」

「お兄ちゃんもね」

「否定できない」

 袋が少しずつ増えていく。

 財布は軽くなるけど、確かに、心は満たされていった。


 途中で、少し高級なブースの前で足が止まる。

 ガラスケースの中、深い艶のチョコレートが整然と並んでいる。

「……高っ」

「でも綺麗だよ」

「ここまでくると芸術品だよな」

「芸術品は食べるためにあるんだよ」

「でも、食べたら消えるだろ」

「消えるから、今が大事なんだよ」

 さらっと言うから、言い返す言葉が遅れた。

「ねえ、お兄ちゃん。もし今年、私がバレンタインあげなかったらどうする?」

「どうもしない」

「え」

「澄羽ならくれるだろ」

 ぽかん、と口を開けて。次の瞬間、耳まで赤くなる。

「え~、信頼が厚いなぁ~。私困っちゃうよ~」

 なんて、照れ隠しみたいに大げさに言う。

「今年はちゃんと、すごいの作るから。期待しててね!」

「去年もすごかったぞ」

「去年を超えるもの作るから。今年はね、去年の百二十%増し!」

 ふんす、と鼻息が聞こえるような顔で宣言した。

「いや、それだと二倍以上だけど……」


 澄羽は俺の小言を聞き流して、次は材料コーナーへ突撃する。

 カカオ、バター、粉糖、ナッツ、型、飾りのチョコペン。

 慣れた手つきで籠に放り込みながら、楽しそうに鼻歌まで歌っていた。

 そうして俺たちは、袋を抱えてバレンタインフェアを後にした。


 ◆


 帰宅後。

 当然のように澄羽の後ろについてキッチンへ向かった俺は――

「立入禁止で~す」

 ぴしゃり、と目の前で扉を閉められた。

「え、手伝うけど」

「ダメ」

「味見くらいは」

「もっとダメ」

 取り付く島もない。

「サプライズって大事なんだから。お兄ちゃんはリビングで大人しくしてて」

「……晩御飯どうするんだよ」

「今日は特別。キッチンは澄羽王国です」

 内側から鍵のかかる音まで聞こえた気がした。


 ほどなくして、かちゃかちゃとボウルや泡立て器の音が響きはじめる。

 砂糖を混ぜる音。オーブンの予熱の音。

 ときどき「あっ」とか「うわ」とか聞こえてきて、そのたびに様子を見に行こうとすると、

「来たらお父さんのバレンタインがなくなるからね」

 と謎に父のバレンタインが人質にされた。


 仕方なく、ソファに沈む。

 テレビはついているが、内容はほとんど頭に入らない。

 甘い匂いだけが、家の中をゆっくり満たしていく。

 溶けたチョコの香り。焼ける生地の匂い。

 それだけで、胸の奥がくすぐったくなる。


 ときどき、足音が近づいてくる。

 扉の前で止まり、気配だけがこちらをうかがう。

「……なに」

「ちゃんと待ってるかなって確認」

「犬じゃないんだけど」

「いい子いい子」

 ひょい、と扉を少しだけ開けて、頭をぽんと撫でると、またすぐ閉める。

 その繰り返しだった。


 ◆


 二月十四日。

 その日は家中に満ちる甘い匂いで目が覚めた。

 砂糖が溶ける匂い。カカオの少しほろ苦い香りが、朝の空気に溶け込んでいる。


 まだ少し眠たい目をこすりながら、体を起こして横を見た瞬間。

「え……?」

 声が、間の抜けた音になった。

 部屋のど真ん中。

 明らかに部屋のサイズと合っていない巨大な箱が、どーんと鎮座している。

 しかも無駄に綺麗にラッピングされている。

 赤いリボン付き。

「……十中八九、澄羽だよな……。

 去年の百二十%増しって、嘘じゃないのかよ……」

 ぼやきながら、恐る恐るリボンをほどき、蓋を持ち上げる。

 ――ぱかっ。


「ハッピーバレンタイン!」

 勢いよく飛び出した声に、心臓が跳ねた。

「私よりお兄ちゃんへ! 愛をこめて、澄羽のプレゼントで~す!」

 箱の中。

 そこに入っていたのは――当然のように、澄羽本人だった。

 服の上から、赤いリボンがぐるぐると巻かれている。

 胸元には小さな包み。手作りチョコらしい。

 そして、両手で綺麗なハートマーク。

 ポーズは完璧。

 でも――

 耳はほんのり赤く染まっていて、得意げな顔をしているくせに、明らかに照れている。

 そのアンバランスさが可笑しくて。

 気づけば、ふっと笑いが漏れていた。


「……何してんだよ、お前」

「さ、サプライズだけど?」

「方向性がおかしいだろ」

「でも、でも、去年よりパワーアップしたでしょ?」

 どや顔。

 でも目はちょっと泳いでいる。

 たぶん、朝早くからこれを準備して、箱の中で息を潜めて、俺が起きるの待ってたんだろう。

 そう思ったら――

 なんかもう、怒る気も呆れる気も失せて。

 ただ、胸の奥が、やけにあったかくなった。

「……風邪ひくぞ。とりあえず出てこい」

「先に受け取って!」

「ほら」

 笑いながら手を差し伸べると、澄羽は少しだけ安心したみたいに、その手をぎゅっと掴んだ。


 箱から出てきた澄羽は、リボンをほどかれながらも、どこか誇らしげだった。

「はい。改めまして」

 胸元に置いていた小箱を、両手で差し出す。

「澄羽特製、生チョコタルト。去年の百二十%増量版」

「増量って、何がだよ」

「愛情と手間と材料費」

「最後いらないだろ」

 受け取った箱は、思ったよりずっしりしていた。

 蓋を開けると、艶のある小ぶりの生チョコタルトがいくつも並び、上には薄くココアパウダーがかかっている。


「おぉ……美味しそう」

「でしょ~」

 澄羽は腕を組んで胸を張る。

 けれど視線は、ちらちらと俺の顔をうかがっていた。

 ひとつ摘まむ。

 口に入れた瞬間、柔らかくほどけて、カカオの香りがふわりと広がった。

 甘さはしっかりあるのに、くどくない。ちゃんと計算して作った味だ。

「どう?」

「……美味しい」

「ほんとに?」

「去年より美味しいよ。ありがとうな」

 そう言って、澄羽の頭を撫でる。

 次の瞬間、澄羽の顔がぱあっと明るくなった。

「えへへ……」


 そのまま二人でリビングへ移動する。

 廊下の冷えた空気が、キッチンから流れてくる甘い匂いで少しだけやわらいでいた。

 澄羽は両手で大事そうに箱を抱え、やけに慎重な足取りで歩いている。

 その背中を見ながら、俺は少しだけ笑った。


 テーブルに箱を置き、澄羽は少し照れた顔で、俺の隣に座った。

 テレビはついているけれど、内容はほとんど耳に入らない。

 代わりに、箱から立ちのぼるカカオの甘い匂いと、隣の体温だけがはっきりと分かった。

「じゃあ、一緒に食べるか」

 そう言うと、澄羽は一瞬きょとんとした顔をしてから、少しだけ唇を尖らせた。

「え、全部あげるつもりだったのに」

 言いながらも、声はどこか嬉しそうだ。

「半分こ。昨日言ってただろ。幸せは二倍だって」

 澄羽の目が、ゆっくり丸くなる。

 それから、ふわっとほどけるように笑った。

「……うん!」


 ああ。

 ――やっぱり俺は、この時間が、たまらなく好きなんだな。

 バレンタインなんて、ただの口実だ。

 俺にとっては。澄羽と、甘いものを半分こできる日。

 こうして隣で笑っている時間そのものなんだろう。

 それだけで、十分だった。


まだまだ拙い部分も多い作品ですが、

ひとつでも心に残る場面があれば、ブックマークや★評価で応援していただけると励みになります。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。


引き続き、どうぞよろしくお願いします。


澄羽のバレンタインイメージイラスト

挿絵(By みてみん)

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