089.女神を信仰する者にのみ許された魔法
フェルシオンは一度カップに視線を落とし、気持ちを切り替えるように顔を上げる。
「では、話を戻させてください。
お二人は、超越魔法の行使後も、根源魔法の行使後も、魔力が尽きて、まったく動けなくなる、という状態ではありませんでした」
思い返すように、ゆっくりと言葉を重ねる。
「行使の様子を見る限り……もしかしてですが、お二人で、魔力を分け合っているのではありませんか?」
「よく分かったわね」
アルシエルが、少しだけ得意そうに口角を上げた。
「そうよ。たぶん、私たちどちらか一人だけじゃ、根源魔法は使えないわ」
ルミエルが、静かに補足する。
「分け合っているとはいえ、使用後にまったく影響がないわけではありません。
手先の痙攣などは、残ります。ただ……超越魔法であれば、一人でも問題なく行使は可能です」
フェルシオンの目が、わずかに見開かれる。
「……魔法の行使を、二人で分担する。ミハネ以外で、初めてです。
それは、神聖魔法や根源魔法特有の性質なのですか?」
アルシエルは、あっさりと首を振った。
「いいえ。そんなことはないわ。やろうと思えば、初級魔法でもできるし」
一瞬、沈黙。
「なるほど……」
フェルシオンは、ゆっくりと息を吐いた。
「だとすれば、魔法の種類ではなく、お二人の関係性……あるいは」
視線が、二人の間を行き来する。
「双子特有のもの、という可能性もありますね」
「そうかもしれないわね」
アルシエルは少し考えるように視線を宙へ向け、それから隣のルミエルを見る。
「儀式として魔法を使うとき、祈りの動作の一環で二人で手を繋いだでしょう?
それが、最初のきっかけだった気がするわ」
ルミエルは静かに頷いた。
「何度か繰り返すうちに……気づいたときには、いつもより疲れていないと言いますか、魔力を分け合っているような感覚になりました」
「それがあったから、根源魔法も覚えることができたのよ」
さらりと言われたその一言に、フェルシオンが小さく息を詰める。
好奇心と戸惑いが、同時に顔を出していた。
「あ、あの……」
言葉を選ぶように前置きしてから、慎重に続ける。
「根源魔法とは、いったい……」
「魔法組合の文献にも、名称や効果の断片はあっても、そもそも神聖魔法とは何か、通常の魔法と何が違うのか。正直に言えば、私には測りかねています」
アルシエルは即座に首を振った。
「だーめ」
人差し指を口元に当て、片目を閉じる。
「根源魔法は、教会の中でも最重要機密なんだから」
軽い仕草とは裏腹に、言葉はきっぱりとしていた。
「はい」
ルミエルも小さく苦笑する。
「詠唱の一節でさえ、本来は知ることを許されないものです」
「だよなあ……」
俺は天井を仰ぐ。
「そりゃあ、あんなのを人前で使ってたら高位神官に怒られるよな……」
フェルシオンは一瞬だけ目を伏せ、そして静かに息を吐いた。
「……理解しました。ならば、踏み込みすぎることはしません」
一拍。 だが、そのまま引き下がる人間ではない。
「ですが、神聖魔法とは何か、それだけは教えていただけないでしょうか」
声は静かで、押しつけがましさはない。
ただ、長年魔法を学んできた者の、純粋な問いだった。
「女神の加護による奇跡。
教会に属し、女神を信仰する者にのみ許された魔法。
それが、この世界でだれもが知る“神聖魔法”です」
フェルシオンは言葉を選ぶように、続ける。
「ですが……本当に、そうなのでしょうか? 光の女神ルーメリア様とは、一体どういう存在なのか……
“信仰”とは、“契約”なのでしょうか? それとも……」
そこまで言って、口を閉じた。
答えを強要するつもりはない。
だが、問いそのものは、深く、鋭い。
アルシエルはすぐには答えなかった。
指先でカップの縁をなぞり、少しだけ視線を落とす。
カップに残った珈琲を一口含み、ゆっくりと飲み下す。
「……契約、ね」
小さく笑う。
「少なくとも、私たちはそうは思ってないわ」
ルミエルが、静かに言葉を継ぐ。
「契約であれば、条件があります。代価、義務、違反した際の罰。
ですが、私たちが受け取っているのは……そういった形ではありません」
「では、何なのですか」
アルシエルは肩をすくめた。
問いかけに、アルシエルは肩をすくめた。
「……わからないわ」
「……え?」
「はい」
ルミエルは否定せず、穏やかに頷いた。
「私たちも、日々祈り、その答えを探しています。少しでも、ルーメリア様を感じ取れるように」
フェルシオンは、わずかに身を乗り出す。
「ですが……お二人の《世界を繕う御手》はまるで、女神の手そのものが降りてきたように見えました。
女神の手に包まれているような……そんな感覚がありました」
アルシエルは、そこでふと話題を切り替える。
「ねえ、フェルシオン」
「あなたは、魔法ってどうやって使っている?」
「……現象を思い浮かべて、詠唱でそれを固め、魔力を放出して、具現化します」
「それと、何も変わらないわよ」
アルシエルは、あっさりと言った。
「神聖魔法も同じ。女神を想い、詠唱を行う。《世界を繕う御手》も、結局は私たちの“想像”」
少し間を置いて、言葉を選ぶ。
「こうであってほしい、って願い。ルーメリア様なら、きっとこうやって包んで癒してくれる、って信じること」
「違いがあるとすれば……」
ルミエルが、静かに引き取る。
「主を想い、この身を捧げるという気持ち。相手を、心から癒したいと願う気持ち。その“向き”の違いだと思います」
そして、はっきりと言う。
「神聖魔法は、強さの証ではありません。在り方そのものを問われる力だと思います。
神聖魔法に、害を与える魔法はありませんから」
アルシエルが続ける。
「だからこそ、私たちは学び続ける。より良い光を、与えられるように努める」
ルミエルは、少しだけ視線を伏せてから続けた。
「ですが、それは特別なことではありません。他の修道女や神官と、何も変わらないのです。
教会に属する方ほど、どこかで“救われたい”という気持ちを抱いています。
女神のおかげ、運命だった……そう語る方もいます」
柔らかく、しかし否定せずに。
「それも、正しい祈りの一つです。心を預ける対象がなければ、人は壊れてしまうこともありますから」
だが、と。
「それが、すべてだとは思いません」
アルシエルとルミエルがまっすぐにフェルシオンを見る。
「私たちが、何を選び、どう祈り、どう生きるのか」
「女神に見られて、恥ずかしくないように」
「もしお声をかけていただいたときに、後ろめたくないように」
「――あなたの御力で、大切なものを守ることができましたと」
「少しでも、女神に誇れる自分であるために」
一拍。
「「それが、私たちの信仰の形」」
フェルシオンは、しばらく言葉を失っていた。
魔法組合で学んできた理論とも、教会で語られてきた教義とも違う答え。
朝の光が、卓の中央に落ちる。
フェルシオンは深く息を吐き、ゆっくりと頭を下げた。
「……ありがとうございます。今日の話だけでも、魔法組合の蔵書数十年分に値します」
その声には、誇張も皮肉もなく、純粋な敬意だけが込められていた。
話がひと段落し、俺は一息つくようにカップを持ち上げた。
喉を潤している間に、アルシエルはもう話は終わったと判断したのだろう、遠慮なく菓子に手を伸ばしている。
先ほどまでの少し張り詰めた姿とは打って変わって、お菓子を頬張るその様子が、どこか微笑ましかった。
「ルーメリア様に見られているなら、お菓子の食べすぎには注意しないとな」
揶揄うようにそう言うと、ルミエルが一瞬きょとんとしてから、くすっと小さく笑う。
「ふふっ……そうかもしれないですね」
だが次の瞬間、アルシエルは何でもない顔で、もう一つ菓子を摘まんだ。
「それはそれ、これはこれよ」
口の端に、ほんの少し食べかすを付けたまま、アルシエルは悪びれない笑みを浮かべる。
「私たちの想像のルーメリア様も、お菓子ならいくら食べてもいいって言ってるわ」
「……アルシエル様。それは、少し都合の良い解釈ではありませんか」
苦笑交じりに、フェルシオンが呟いた。
「人が人のことをすべて理解できないように、ルーメリア様が何をお考えかは、誰にも分かりません。
もしかしたら、お菓子がお好きかもしれませんし、そうでないかもしれない」
そう前置きしてから、穏やかな声音で続ける。
「ですが――人が好きなものを、頭ごなしに否定されるお方ではない。私は、そう思っていますよ」
ちらりと、アルシエルのほうへ視線を向ける。
「ただ……私たちは人前に立つ機会も多い身ですから。あまり、だらしなく見えてしまうのは、少しだけ避けたいですね。アルシエル」
「うっ……」
その一言が刺さったのだろう。
アルシエルはルミエルを見ると、無意識に自分のお腹に手を当て、それから俺のほうをちらりと窺った。
「……私って、そんなに太ってる?」
さっきまでの余裕はどこへやら。
少し不安そうなその表情が、先ほどの無邪気な顔とあまりにも違っていて、思わず笑ってしまう。
「ははは。大丈夫だよ」
そう言って、アルシエルの口元についた食べかすを指先で拭い取り、正直に告げる。
「二人ともよく動いてるし、それくらいなら全然問題ないだろ。
それに……美味しそうに食べてるアルシエルを見るの、俺は好きだからさ。そのままでいいと思う」
その言葉に、アルシエルは一瞬きょとんと目を瞬かせ、次いで、ゆっくりと頬を染めて視線を逸らした。
「……もう」
小さく零す声は、呆れたようでいて、どこか嬉しさを隠しきれていない。
「でも、私に比べるとルミエルはずるいわよね。何を食べても、全然変わらないんだもの」
そう言われ、ルミエルはアルシエルをじっと見つめる。
少し考えるような間のあと、控えめに口を開いた。
「でも……ミハネさんにそう言ってもらえるアルシエルも、ずるいです……」
「じゃあ、おあいこね」
アルシエルはそう言って、ルミエルに小さくウインクを返す。
そのやりとりに、張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。
さっきまで卓を覆っていた重さが、朝の光に溶けるように、ゆっくりと薄れていくのを感じる。
――と。
アルシエルが、ふと何かを思いついたような顔をする。
「ねえ、フェルシオン」
アルシエルが、何でもないことのように切り出す。
「教会に所属しない?」
「「……は?」」
思わず、フェルシオンと俺の声が重なった。
「もし神聖魔法が使えるようになれば、ミハネの旅も安泰だもの」
悪びれもせず、続ける。
「それに、ミハネも魔法、使えるようになってほしいわよね。どうにかできないかしら?」
「いや待て待て」
俺は即座に割って入った。
「話が一気に飛びすぎだろ」
フェルシオンも、さすがに困ったように咳払いをする。
「……アルシエル様。教会への所属というのは、そう軽々しく決めるものではありません。信仰とは、生き方そのものです」
「だから聞いてるのよ」
アルシエルは肩をすくめる。
「自分で体験してみるのも一つだと思うわ」
フェルシオンは、言葉に詰まる。
否定しきれない、というより――
その可能性を、今初めて真正面から突きつけられた顔だった。
まだまだ拙い部分も多い作品ですが、
ひとつでも心に残る場面があれば、ブックマークや★評価で応援していただけると励みになります。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。




