087.主と侍女
カップの中が空くと、いつの間にかムイが近づき、無言のまま新しい茶を注いでくれた。
音も気配も最小限。会話の流れを断たない所作だった。
「それで、これからどうするんだ?」
「ああ。そのことをミハネに相談しようと思って、冒険者組合に行ったんだが」
フェルシオンは言葉を切り、視線を机の上へ落とす。
「正直なところ……まだ、何も決めきれていない」
自嘲するような笑みが、ほんのわずかに浮かぶ。
「冒険者になると決めたのはいい。だが、どこから始めるべきかでな。
一人で依頼を受けるべきか、誰かに教えを乞うべきか。
それとも、最初から固定の隊に入るべきか」
選択肢を並べるほど、迷いが滲む。それでも、逃げ腰には見えなかった。
「無茶はしたくない。無茶と無謀は違うからな。だが、守られてばかりでは意味がない」
フェルシオンは、そこでようやく俺を見る。
助言を乞う視線ではない。
同じ場所に立とうとする者の目だった。
俺は少しだけ考え、椅子の背にもたれる。
「なら、答えは一つだろ」
「一つ?」
「俺と一緒に行こう」
即座に言い切る。
フェルシオンは一瞬だけ目を見開き、それから困ったように——だが、どこか安堵したように笑った。
「……実はな。そう言ってくれるのを、待っていた。
誰かと組むなら、ミハネしかいない。そう思っていた」
「そう思ってくれるのは、俺も嬉しいよ」
素直にそう返してから、指を一本立てる。
「だけどな。一つ、先に話しておかないといけない」
フェルシオンが、表情を引き締める。
「俺は、エルヴァンって冒険者と組んでる。
こっちに来てから最初に助けてくれた人で、冒険者のイロハを教えてくれてる、師であり、先輩であり、仲間だ」
言葉を選びながら続ける。
「だから、フェルシオンと一緒に動くにしても、あいつの意見は聞かないといけない。それに……」
一拍置く。
「ヴァンと俺の目的は、稀人の残した遺産の探求だ。それについて、フェルシオンはどうだ?」
フェルシオンは、意外そうに目を瞬かせた。
「前にも話したと思うが、私も遺物や遺産の探求はしている。興味は深いし、まだ見ぬ魔法に触れられる可能性もある」
少し考えるようにしてから、付け加える。
「それに……今日、エルヴァンとは少し話をした。まさか、ミハネとそこまでの関係だとは思わなかったがな」
「お」
思わず声が漏れる。
「そうだったのか」
肩の力が抜け、笑みがこぼれた。
「じゃあ、今度また三人で話そう。フェルシオンも、ヴァンに鍛えてもらったらいい。良い経験になるだろ」
「手加減は、してもらえるのか?」
「どうだろうな」
フェルシオンが訓練場でうつ伏せで倒れてるのを想像し、少し笑いながらながら答えた。
そんなやり取りを交え、フェルシオンとの話はひとまず区切りを迎えた。
深刻さだけが残ることはなく、言葉の端々に、これからの時間を思わせる軽さも混じっていた。
気づけば、外はすっかり夕暮れに近づいていた。
「……そろそろ、食事にしようか」
フェルシオンがそう言うと、控えていたムイが自然な動きで支度に入った。
声を掛けるまでもなく、すでに流れは決まっているかのようだった。
ほどなくして、居間の卓に料理が並ぶ。
派手さはない。
だが、湯気の立ち方や盛り付けの整い方に、丁寧さが滲んでいる。
焼き色のついた肉、香草を添えた温野菜、澄んだ色のスープ。
香りだけで、空腹を自覚させる出来だった。
ムイは一つひとつを確かめるように置き、最後に軽く一礼する。
そのまま一歩下がり、壁際に控えた。
俺は卓を見渡し、少し揶揄うように口を開く。
「……さすがは貴族様だな。今まで食べてきた中でも、特に美味そうだ」
フェルシオンは一瞬だけ困ったように眉を上げ、それから苦笑した。
「ああ、いや。実はな。これは、ほとんどムイが凄いだけだ。
実家には専属の料理長がいるが……正直、そっちよりも美味い」
そう言われても、ムイは表情を変えない。
ただ、わずかに視線を伏せたまま、静かに立っている。
「……本当か」
半信半疑で口に運び、次の瞬間、思わず息を吐いた。
「……おお。美味しい!」
味は濃すぎず、しかし物足りなくもない。
素材がそもそも良いというのもあるが、それを殺さず、手間だけを惜しまずかけた味だった。
フェルシオンは、その様子を見て少しだけ肩の力を抜く。
「だろう。だから私も、あまり外で食べたりはしない。正直に言えば……毎日のこの時間は、私の至福のひとつだ」
「へえ」
俺は笑い、揶揄うようにムイへ視線を向ける。
「屋敷を出てからこの家を整えてくれたり、一人だけついて来てくれたり。随分、愛されてるな」
ムイが、控えめに口を開く。
「お口に合ったようで、何よりでございます」
声音は淡々としていたが、腹の前で重ねられた手は、ほんのりと赤みを帯びていた。
俺はその様子を横目に見てから、フェルシオンへ視線を戻す。
「冒険者になったのはいいとして、ムイとこの家はどうするんだ?
ヴァンとも話してたんだけどな。ナウガウ交易市に行こうって話が出てるし、これからは、探求の旅に出ることも多くなると思うぞ」
そう言い終える前に、静かな声が割って入った。
「付いてまいります」
即答だった。迷いも、逡巡もない。
今まで一切口を挟まなかったムイの声には、かたくなな決意だけが宿っていた。
フェルシオンが、少し慌てたように彼女を見る。
「だが、ムイは冒険者ではないだろう」
「では、登録いたします」
間髪入れずに返される。
言い訳も、感情も挟まない。
必要だから、そうする——ただそれだけの口調だった。
「戦える力はないだろう」
「恐れながら」
ムイは一歩も引かず、静かに続ける。
「身体能力であれば、フェルシオン様よりも動けます」
一瞬、部屋の空気が止まった。
「……え?」
思わず、俺の口から間の抜けた声が漏れる。
フェルシオンも、言葉を失ったまま瞬きをしていた。
「日々の護衛訓練と、実務の都合上」
ムイは淡々と説明する。
「長距離の歩行、荷の運搬、最低限の護身については問題ございません。
戦闘を担うつもりはありません。ですが、足手まといにもなりません」
その言葉は、自己主張ではなかった。
事実を並べているだけだ。
フェルシオンは、しばらく黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
「……昔から、そういうところは変わらないな」
困ったように言いながらも、その声音に拒絶はない。
むしろ、諦めと信頼が混じっている。
俺は腕を組み、二人を見比べる。
主と侍女という言葉では収まりきらない距離感。
「なるほどな」
そう呟いてから、口角を少し上げた。
「フェルシオン。どうやら、お前が一番適わない相手は、最初から決まってたみたいだな」
ムイは何も言わない。
ただ、視線を伏せたまま、そこに立っている。
だが、その背筋は、どんな冒険者よりも真っ直ぐだった。
フェルシオンはしばらくムイを見つめていた。
叱るでも、制するでもない。言葉を選ぶ前の沈黙だった。
「……分かった」
やがて、静かに言う。
「付いて来ること自体は、止めない」
一拍置き、続けた。
「だが条件がある」
ムイの背筋が、わずかに伸びる。
「私自身もそうだが、付いていけるかどうかは、ミハネとエルヴァン次第だ。
そして、仮に同行が認められたとしても、判断に迷う場面では、私かミハネ、エルヴァンの指示に従うこと」
さらに、声を低くする。
「そして——危険だと判断した場合は、私の命よりも、自分の命を優先しろ」
「最後のことだけは、承りかねます」
即答だった。迷いの入り込む余地はない。
「……っ」
フェルシオンが、ほんの一瞬ひるむ。
それほどの決意が、言葉の奥にあった。
俺はそのやり取りを聞きながら、腕を組む。
「正直に言うぞ。俺としては、付いて来るべきかどうか、判断が難しい」
視線を落とし、言葉を選ぶ。
「補給と整備が回るだけで、生存率は確実に跳ね上がると思う。
だけど、迷宮に潜るような場面じゃ、全方位に神経を張り詰める必要がある。
誰かを守る余裕が、あるかどうか……正直、分からない」
ムイは一度だけ俺を見ると、短く頭を下げた。
「もしもの場合は、捨て置いていただいて構いません。
ただし、そうならぬよう、全力は尽くします。
どうしても危険と判断された場合のみ、後方の宿などで待機いたします」
覚悟を語っているのに、声は淡々としていた。
だからこそ、重い。
「……うーん」
俺は小さく唸る。
「まあ、それなら……検討の余地はある、か?
何にしても、俺も遠出の経験はない。最終的には、ヴァンの意見を聞いてからだな」
フェルシオンが小さく苦笑する。
「……いつの間にか、話が決まっていくな」
その声に、諦めと苦笑いが混じる。
ムイが一歩前に出た。
「家の管理につきましては、ご不在の間も問題ございません。必要な手配は、すでに整えております」
「いつの間に……」
「以前から、想定しておりましたので」
フェルシオンは額に手を当て、短く息を吐いた。
だが、その口元はどこか穏やかだった。
そうして。
料理に舌鼓を打ちながら、今後の話を重ね、最後にムイへ礼を告げて、俺はフェルシオンの家を後にした。
「また明日の朝に」
短く言葉を交わし、扉が閉まる。
夜の空気が、ゆっくりと肺に入る。
決まったことと、まだ決まっていないこと。
その両方を胸に抱えながら、俺は歩き出した。
明日は、きっと忙しくなる。
まだまだ拙い部分も多い作品ですが、
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いつも読んでくださり、ありがとうございます。
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