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異世界人間師  作者: 白黒 シろ
3章.傷だらけの世界で、歩き出す
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087.主と侍女

 カップの中が空くと、いつの間にかムイが近づき、無言のまま新しい茶を注いでくれた。

 音も気配も最小限。会話の流れを断たない所作だった。


「それで、これからどうするんだ?」

「ああ。そのことをミハネに相談しようと思って、冒険者組合に行ったんだが」

 フェルシオンは言葉を切り、視線を机の上へ落とす。

「正直なところ……まだ、何も決めきれていない」

 自嘲するような笑みが、ほんのわずかに浮かぶ。

「冒険者になると決めたのはいい。だが、どこから始めるべきかでな。

 一人で依頼を受けるべきか、誰かに教えを乞うべきか。

 それとも、最初から固定の隊に入るべきか」

 選択肢を並べるほど、迷いが滲む。それでも、逃げ腰には見えなかった。

「無茶はしたくない。無茶と無謀は違うからな。だが、守られてばかりでは意味がない」


 フェルシオンは、そこでようやく俺を見る。

 助言を乞う視線ではない。

 同じ場所に立とうとする者の目だった。

 俺は少しだけ考え、椅子の背にもたれる。

「なら、答えは一つだろ」

「一つ?」

「俺と一緒に行こう」

 即座に言い切る。

 フェルシオンは一瞬だけ目を見開き、それから困ったように——だが、どこか安堵したように笑った。

「……実はな。そう言ってくれるのを、待っていた。

 誰かと組むなら、ミハネしかいない。そう思っていた」

「そう思ってくれるのは、俺も嬉しいよ」

 素直にそう返してから、指を一本立てる。

「だけどな。一つ、先に話しておかないといけない」


 フェルシオンが、表情を引き締める。

「俺は、エルヴァンって冒険者と組んでる。

 こっちに来てから最初に助けてくれた人で、冒険者のイロハを教えてくれてる、師であり、先輩であり、仲間だ」

 言葉を選びながら続ける。

「だから、フェルシオンと一緒に動くにしても、あいつの意見は聞かないといけない。それに……」

 一拍置く。

「ヴァンと俺の目的は、稀人の残した遺産の探求だ。それについて、フェルシオンはどうだ?」

 フェルシオンは、意外そうに目を瞬かせた。

「前にも話したと思うが、私も遺物や遺産の探求はしている。興味は深いし、まだ見ぬ魔法に触れられる可能性もある」

 少し考えるようにしてから、付け加える。

「それに……今日、エルヴァンとは少し話をした。まさか、ミハネとそこまでの関係だとは思わなかったがな」

「お」

 思わず声が漏れる。

「そうだったのか」

 肩の力が抜け、笑みがこぼれた。

「じゃあ、今度また三人で話そう。フェルシオンも、ヴァンに鍛えてもらったらいい。良い経験になるだろ」

「手加減は、してもらえるのか?」

「どうだろうな」

 フェルシオンが訓練場でうつ伏せで倒れてるのを想像し、少し笑いながらながら答えた。

 そんなやり取りを交え、フェルシオンとの話はひとまず区切りを迎えた。

 深刻さだけが残ることはなく、言葉の端々に、これからの時間を思わせる軽さも混じっていた。

 気づけば、外はすっかり夕暮れに近づいていた。


「……そろそろ、食事にしようか」

 フェルシオンがそう言うと、控えていたムイが自然な動きで支度に入った。

 声を掛けるまでもなく、すでに流れは決まっているかのようだった。


 ほどなくして、居間の卓に料理が並ぶ。

 派手さはない。

 だが、湯気の立ち方や盛り付けの整い方に、丁寧さが滲んでいる。

 焼き色のついた肉、香草を添えた温野菜、澄んだ色のスープ。

 香りだけで、空腹を自覚させる出来だった。

 ムイは一つひとつを確かめるように置き、最後に軽く一礼する。

 そのまま一歩下がり、壁際に控えた。


 俺は卓を見渡し、少し揶揄うように口を開く。

「……さすがは貴族様だな。今まで食べてきた中でも、特に美味そうだ」

 フェルシオンは一瞬だけ困ったように眉を上げ、それから苦笑した。

「ああ、いや。実はな。これは、ほとんどムイが凄いだけだ。

 実家には専属の料理長がいるが……正直、そっちよりも美味い」

 そう言われても、ムイは表情を変えない。

 ただ、わずかに視線を伏せたまま、静かに立っている。

「……本当か」

 半信半疑で口に運び、次の瞬間、思わず息を吐いた。

「……おお。美味しい!」

 味は濃すぎず、しかし物足りなくもない。

 素材がそもそも良いというのもあるが、それを殺さず、手間だけを惜しまずかけた味だった。

 フェルシオンは、その様子を見て少しだけ肩の力を抜く。

「だろう。だから私も、あまり外で食べたりはしない。正直に言えば……毎日のこの時間は、私の至福のひとつだ」

「へえ」

 俺は笑い、揶揄うようにムイへ視線を向ける。

「屋敷を出てからこの家を整えてくれたり、一人だけついて来てくれたり。随分、愛されてるな」

 ムイが、控えめに口を開く。

「お口に合ったようで、何よりでございます」

 声音は淡々としていたが、腹の前で重ねられた手は、ほんのりと赤みを帯びていた。


 俺はその様子を横目に見てから、フェルシオンへ視線を戻す。

「冒険者になったのはいいとして、ムイとこの家はどうするんだ?

 ヴァンとも話してたんだけどな。ナウガウ交易市に行こうって話が出てるし、これからは、探求の旅に出ることも多くなると思うぞ」

 そう言い終える前に、静かな声が割って入った。

「付いてまいります」

 即答だった。迷いも、逡巡もない。

 今まで一切口を挟まなかったムイの声には、かたくなな決意だけが宿っていた。

 フェルシオンが、少し慌てたように彼女を見る。

「だが、ムイは冒険者ではないだろう」

「では、登録いたします」

 間髪入れずに返される。

 言い訳も、感情も挟まない。

 必要だから、そうする——ただそれだけの口調だった。

「戦える力はないだろう」

「恐れながら」

 ムイは一歩も引かず、静かに続ける。

「身体能力であれば、フェルシオン様よりも動けます」

 一瞬、部屋の空気が止まった。

「……え?」

 思わず、俺の口から間の抜けた声が漏れる。

 フェルシオンも、言葉を失ったまま瞬きをしていた。

「日々の護衛訓練と、実務の都合上」

 ムイは淡々と説明する。

「長距離の歩行、荷の運搬、最低限の護身については問題ございません。

 戦闘を担うつもりはありません。ですが、足手まといにもなりません」

 その言葉は、自己主張ではなかった。

 事実を並べているだけだ。

 フェルシオンは、しばらく黙り込み、やがて小さく息を吐いた。

「……昔から、そういうところは変わらないな」

 困ったように言いながらも、その声音に拒絶はない。

 むしろ、諦めと信頼が混じっている。


 俺は腕を組み、二人を見比べる。

 主と侍女という言葉では収まりきらない距離感。

「なるほどな」

 そう呟いてから、口角を少し上げた。

「フェルシオン。どうやら、お前が一番適わない相手は、最初から決まってたみたいだな」

 ムイは何も言わない。

 ただ、視線を伏せたまま、そこに立っている。

 だが、その背筋は、どんな冒険者よりも真っ直ぐだった。


 フェルシオンはしばらくムイを見つめていた。

 叱るでも、制するでもない。言葉を選ぶ前の沈黙だった。

「……分かった」

 やがて、静かに言う。

「付いて来ること自体は、止めない」

 一拍置き、続けた。

「だが条件がある」

 ムイの背筋が、わずかに伸びる。

「私自身もそうだが、付いていけるかどうかは、ミハネとエルヴァン次第だ。

 そして、仮に同行が認められたとしても、判断に迷う場面では、私かミハネ、エルヴァンの指示に従うこと」

 さらに、声を低くする。

「そして——危険だと判断した場合は、私の命よりも、自分の命を優先しろ」

「最後のことだけは、承りかねます」

 即答だった。迷いの入り込む余地はない。

「……っ」

 フェルシオンが、ほんの一瞬ひるむ。

 それほどの決意が、言葉の奥にあった。

 俺はそのやり取りを聞きながら、腕を組む。


「正直に言うぞ。俺としては、付いて来るべきかどうか、判断が難しい」

 視線を落とし、言葉を選ぶ。

「補給と整備が回るだけで、生存率は確実に跳ね上がると思う。

 だけど、迷宮に潜るような場面じゃ、全方位に神経を張り詰める必要がある。

 誰かを守る余裕が、あるかどうか……正直、分からない」

 ムイは一度だけ俺を見ると、短く頭を下げた。

「もしもの場合は、捨て置いていただいて構いません。

 ただし、そうならぬよう、全力は尽くします。

 どうしても危険と判断された場合のみ、後方の宿などで待機いたします」

 覚悟を語っているのに、声は淡々としていた。

 だからこそ、重い。

「……うーん」

 俺は小さく唸る。

「まあ、それなら……検討の余地はある、か?

 何にしても、俺も遠出の経験はない。最終的には、ヴァンの意見を聞いてからだな」

 フェルシオンが小さく苦笑する。

「……いつの間にか、話が決まっていくな」

 その声に、諦めと苦笑いが混じる。

 ムイが一歩前に出た。

「家の管理につきましては、ご不在の間も問題ございません。必要な手配は、すでに整えております」

「いつの間に……」

「以前から、想定しておりましたので」

 フェルシオンは額に手を当て、短く息を吐いた。

 だが、その口元はどこか穏やかだった。


 そうして。

 料理に舌鼓を打ちながら、今後の話を重ね、最後にムイへ礼を告げて、俺はフェルシオンの家を後にした。

「また明日の朝に」

 短く言葉を交わし、扉が閉まる。


 夜の空気が、ゆっくりと肺に入る。

 決まったことと、まだ決まっていないこと。

 その両方を胸に抱えながら、俺は歩き出した。


 明日は、きっと忙しくなる。

 

まだまだ拙い部分も多い作品ですが、

ひとつでも心に残る場面があれば、ブックマークや★評価で応援していただけると励みになります。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

引き続き、どうぞよろしくお願いします。

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