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異世界人間師  作者: 白黒 シろ
3章.傷だらけの世界で、歩き出す
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086.ただのフェルシオンとして

 カップから立つ湯気が、ゆっくりと細く揺れた。

 それを合図にしたかのように、フェルシオンは一度だけ息を整える。

 

「ミハネも、私が冒険者になるとは思わなかっただろう?」

 そう言って、胸元の無紋札へと視線を落とす。

 からかうほど軽くはないが、少しだけ反応を窺うような口調だった。

「ああ。正直、驚いたよ」

 少し間を置いてから、続ける。

「冒険者になったことじゃない。魔法組合を辞めたことに、だけどな」

 フェルシオンは一瞬、目を瞬かせた。

「魔法組合を辞めたのは、つい昨日のことだが、よく知っていたな」

「俺も、お前に会いに行こうとしてたんだ」

 カップを指で押し、机の上でわずかに位置を直す。

「冒険者組合に行く前に、魔法組合と……それから、ここにも寄った」

「なんだ、行き違いだったか」

 そう言ってから、首を傾げる。

「だが、この場所もよく分かったな。屋敷を出たばかりだったから、魔法組合の帳簿にも載っていなかったはずだが」

「それはな」

 俺は苦笑し、少しだけ視線を逸らした。

「フェルシオンを呼び出したつもりが、バイザード様が出てきた」

 その名を聞いた瞬間、フェルシオンの表情がわずかに引き締まる。

「お前がここを辞めた理由が何なのか、その真意が、どこにあるのか……知りたがってたよ」

 フェルシオンは何も言わない。

 ただ、指先が冒険者札に触れたまま、静止する。

「ちゃんと話しておけよ。師匠なんだろ」


「……バイザード様に会ったのか」

 フェルシオンは一瞬だけ視線を伏せ、苦笑に近い息を吐いた。

「まあ、少し話しづらくてな。魔法よりも冒険者という道を選んだこと、それと……我が家のことも、少なからず絡んでいるからな」

 家のこと。

 その言葉に、胸の奥で引っかかっていたものを思い出す。

「そうだ。それが聞きたかった」

 俺は身を乗り出す。

「下水道の一件で責任を取らされたとは聞いたけど、管理自体は、商業組合にも任せてたよな?」


 フェルシオンは少し考えるように、カップを手に取った。

 一口含み、ゆっくりと置いてから、語り出す。

「お互いに下水の後始末をつけようと別れてから、私はアークレイン家へと戻った。

 一連の事件の流れと、その規模。そして、それを解決したことを、家族に報告した」

 淡々とした口調だが、言葉は重い。

「祝祭の前日というのもあり、国にも報告を上げる必要があった。

 本来なら、そこで私の役目はほぼ終わるはずで、褒美にせよ、罰にせよ……大したものにはならないだろうと、そう思っていた」

 だが、と。

 そこで言葉が一瞬だけ止まる。

「商業組合との話し合いが、すでに家にも届いていたようでな、聖女が絡んでいる件だと伝わっていたようだ」

 その言葉に、胸の奥がわずかに冷えた。

 俺が最後に口にした――アルシエルとルミエルの名。

 それが、アークレイン家にまで届いていた。

「そこで兄が逸った。

 この件の解決に尽力した者が表に立てば、教会からの覚えも良くなる。アークレイン家として、大きな手柄になるとな」

 嫌な予感が、背中を這う。

「結果として——」

 フェルシオンは、静かに続けた。

「今回の一件は、王国としては『光の祝祭を救った功績』として扱われた。

 解決したのは、アークレイン家。だが、その手柄は兄のものになった。

 そして。

 起きた管理責任や諸々の後始末だけが、私の役目になった。……そういう顛末だ」


 胸の奥が、じわりと冷える。

 俺は、無意識に顔が固まっていくのを感じていた。

「それは……フェルシオンが三男だからか? そんな扱い、普通なのか……?」

 問いかけながら、ふと視線が横へ逸れた。

 壁際に控えるムイの手。重ねられた指先が、白くなるほど強く握りしめられている。

 表情は変わらない。

 だが、その手だけが、彼女が何を思っているのかを雄弁に物語っていた。

「三男というのもある」

 フェルシオンは否定しなかった。

「それに、魔法組合での立場もあるだろう。貴族も多く所属している魔法組合の中で、バイザード様の覚えが良い、という点もな」

 自嘲するように、肩をすくめる。

「実家を継ぐ立場ではないとは、私は思っている。だが、兄たちはそうは思っていない。父も……三男が家を継ぐよりは、という考えだろう」

「……そう、なのか」

 言葉が、重く落ちる。

 

 だが不思議なことに、フェルシオンの表情はどこか晴れていた。

「勘当されたわけではない。貴族としても、魔法組合での地位も、以前のままだ」

 そう前置きしてから、静かに言う。

「ただ、思ったのだ。そうして生き続けることに、どんな価値があるのかと」

 視線が、冒険者札へ落ちる。

「手柄を横取りされたことなど、どうでもいい。責任も、ある程度は私の管轄だ。仕方がない」

 だが、と。

「そうして力をつけていく兄たちの隣で。私は、何ができるのだろうかと」

 声は低く、しかし揺れていない。

「貴族としての役割は与えられていた。それが誇りでもあり責務でもあった。

 だが今の私は、ただの装置ではないかとすら思う。そこに、私自身の意思はあるのか、と」

 そして、少しだけ息を吐く。

「魔法組合に残っていても、同じだろう。下水の一件が、それをはっきりさせた。

 魔法を研究しても、それを使う場がない。誰かを救うために、直接手を伸ばすこともできない」

 フェルシオンは、俺を見る。

「私はずっと、用意された正解の上を歩いていた。間違えない代わりに、確かめることができなかった。

 守られている場所にいる限り、私は“責任”を、自分のものとして背負えない。だから、ここに来た」

 フェルシオンは、冒険者組合の方向を思い描くように視線を流した。

「命と選択が、すべて自分に返ってくる場所で、自分が何者なのかを、確かめたかった。

 言葉を選び、はっきりと告げる。

「貴族ではなく、肩書きでもなく、一人の人間として、ただのフェルシオンとして冒険者になりたいと思った」

 部屋に、静かな沈黙が落ちる。

 それは重苦しいものではなく、ようやく言葉になった決意が、そこに腰を下ろしたような間だった。


 俺はカップを置き、ゆっくりと言う。

「……らしい理由だな」

 フェルシオンは一瞬、言葉を探すように視線を泳がせた。

 すぐに何かを返すわけでもなく、ただ小さく息を吐く。

「そう言われると……少し、肩の力が抜ける」

 少し照れたような、だが安堵したような声音だった。

 俺は肩をすくめる。

「逃げでも、勢いでもない。ちゃんと考えた結果だろ。なら、俺はその気持ちを尊重するよ」

 フェルシオンは、無紋札に触れたまま、しばらく黙っていた。

「……そうか」

 そして、わずかに目を細める。

「……ありがとう」

「バイザード様からも、面倒を見てやってくれって言われてるよ。言われるまでもないけどな」

 そう言いながら、懐へ手を入れる。

 指先に触れた冷たい感触を、そのまま掌へ移す。

「……こんなものも、もらっちゃったし」

 バイザードから託された魔石を、そっと見せる。

 淡い光を宿した空色が、居間の静けさの中で息づいていた。

「それは……」

 フェルシオンは一瞬、言葉を失う。

「また、随分なものをもらったな」

 そして、次の瞬間には、ふっと力の抜けた笑みを浮かべた。


まだまだ拙い部分も多い作品ですが、

ひとつでも心に残る場面があれば、ブックマークや★評価で応援していただけると励みになります。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

引き続き、どうぞよろしくお願いします。

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