084.託されたもの
バイザードの視線が、まっすぐに俺を射抜いた。
問い詰めるでも、試すでもない。
ただ、確かめるような眼差し。
だが、次の瞬間——その鋭さは、ふっと和らいだ。
「もし、フェルシオンが望むなら……私も貴族としての立場を使い、かばい立てすることはできた」
静かに、しかし迷いのない声だった。
「だが、あやつはそれを良しとしなかった。
自分の責を、誰かの庇護で薄めることを選ばなかったのだ」
バイザードは一度、言葉を切る。
それから、ほんのわずかに目を伏せた。
「それほどまでに……此度の件は、フェルシオンにとって大きな経験だったのだろう」
次の瞬間。
彼は、椅子に座ったまま、俺に向かってほんの少しだけ頭を下げた。
「フェルシオンの師として——いや、一人の人間として。君には、感謝している」
その仕草は形式的なものではなかった。
長い年月を生きてきた魔法使いが、心から口にした言葉だった。
「そして……もし、可能であればだ」
バイザードは顔を上げ、穏やかながらも真剣な目で俺を見る。
「フェルシオンの力になってやってほしい。あやつはいずれ、冒険者組合の扉を叩くだろう。そのとき、君がそばにいて、導いてやってくれ」
「……そこまで、フェルシオンのことを」
思わず漏れた言葉に、バイザードは小さく笑った。
「当然だ」
迷いのない声音。
「私にとって、あやつは初めての弟子でね。
そして——私以上に魔法の才を持ち、貴族としての責務も背負っていた」
遠い過去を見るように、視線がわずかに宙を漂う。
「本来なら、ここに留まり、いずれは私の後を継ぐ存在だった。
副組合長として、魔法組合の中枢に立つ未来もあっただろう」
それでも、と。
言葉にしない部分が、空気に滲む。
「だが、あやつは別の道を選んだ。それを否定するほど、私は狭量ではないつもりだよ」
バイザードは、ゆっくりと息を吐いた。
「君が隣にいるなら……フェルシオンは、きっと自分の選んだ道を後悔しないだろう」
その言葉は、託すようであり、同時に見送るようでもあった。
俺は小さく息を吸い、正面から応える。
「俺は、まだまだ駆け出しの狼紋です。正直、導くなんて立派なことはできないかもしれません」
一度、言葉を区切る。
「でも……フェルシオンと繋いだこの絆は、俺にとってもかけがえのないものです。だから、任せてください」
そう言って、少しだけ肩の力を抜いて笑った。
「バイザード様のところにもたまには顔を出せ、って。ちゃんと伝えておきますよ」
その言葉に、バイザードは一瞬目を細め、やがて穏やかに口元を緩めた。
「……そうか。君らしい返答だ」
机に置いていた手を組み直し、深く頷く。
「成長したフェルシオンを見るのが、今から楽しみだね」
その声音には、期待と、わずかな寂しさが混じっていた。
だが、それ以上は何も言わない。
師として、組合の副組合長としてではなく——
ただ、一人の大人が、若者の未来を静かに見送る表情だった。
部屋に、短い沈黙が落ちる。
それは重たいものではなく、言葉が尽きたあとの、穏やかな間だった。
「……さて」
バイザードは椅子から立ち上がり、自然な所作で話題を切り替えた。
「今日の用件は、これで十分だろう。フェルシオンの行き先については……ここへ向かうといい」
そう言って、執務机の上に広げた羊皮紙に、迷いのない筆で文字を書き入れる。
短いが、具体的な場所と目印が記されていた。
それを丁寧に折り、俺の前へ差し出す。
「恐らく、今はそこに身を寄せている。君なら、余計な詮索をせずに会えるだろう」
「……ありがとうございます」
俺は羊皮紙を受け取り、胸元へとしまった。
するとバイザードは、ふと思い出したように執務机の引き出しへ手を伸ばした。
木製の引き出しが静かに開き、取り出されたのは——手のひらに包めるほどの魔石だった。
だが、これまで見てきたどの魔石とも違う。
内部に一切の濁りがなく、澄み切った空色をしている。
光を受けてきらめくのではなく、内側から淡く息づくように輝いていた。
ただの素材ではない。
長い時間をかけて精製され、慎重に扱われ、ここに保管されてきたものだと、ひと目でわかる。
「これを、君へ贈ろう」
思わず言葉を失いかけた俺に、バイザードは静かな声で続ける。
「これからフェルシオンと共に歩むのなら、決して無駄にはならん。
この魔石は、一般に流通しているものとは違う。使用者本人の魔力のみを、歪みなく溜め込む器として使える」
魔石を指先で軽く示しながら、さらに言葉を重ねる。
「あるいは……魔道具の核として用いてもいい。
余計な属性を持たず、使い手の性質をそのまま映す。扱う者次第で、形も役割も変わるだろう」
その声は淡々としていた。
だが、そこに込められているものは明確だった。
——弟子を託す者が、共に歩む相手へ渡す覚悟の証。
「本来なら、特別な魔道具や……私たちのような立場の者が使う杖の核に用いられる品だが」
そう前置きしてから、バイザードはわずかに口元を緩めた。
「だが、フェルシオンが選んだ相手なら、話は別だ」
俺は両手で、その魔石を受け取った。
小ぶりなはずなのに、ずしりとした重みが掌に伝わる。
腕へ、胸へと、その感触が静かに染み込んでいく。
「……大切に使います」
「うむ。それでいい」
それだけで、十分だった。
これ以上、言葉を重ねる必要はない。
バイザードは一歩だけ身を引き、扉の方へと視線を向ける。
「行きなさい。君たちの物語は、もうこの部屋の中にはない」
その背中に、俺は深く一礼した。
託されたものの重さを胸に刻みながら、俺は静かに部屋を後にする。
魔石の感触を確かめるように、そっと拳を握りしめた。
◆
魔法組合を出て、バイザードから渡された羊皮紙の地図を広げる。
記されている場所は、貴族区の外れだった。
足を運ぶにつれ、通りの空気が少しずつ変わっていく。
整然とした石畳はそのままだが、屋敷の規模が目に見えて小さくなり、装飾も控えめになる。
庭木は剪定されているものの、見せるためというより、住むための手入れといった印象だった。
やがて、地図の印と一致する場所に辿り着く。
そこにあったのは、周囲の貴族の屋敷と比べれば、明らかに慎ましやかな家だった。
二階建てではあるが外壁に派手な紋章はなく、門も簡素。
庭木は過不足なく手入れされ、石畳にも無駄な欠けはない。
必要なものだけを、必要なだけ揃えた——そんな実直さが滲む佇まいだった。
「……ここ、か」
表札には、小さく——《アークレイン》の名。
貴族の家であることを誇示するでもなく、隠すでもない。
その在り方は、どこかフェルシオン本人を思わせた。
俺は一度だけ深呼吸をしてから、門へと歩み寄った。
軋む音も立てずに門は開き、敷地へ足を踏み入れる。
玄関前に立ち、呼び鈴へと手を伸ばした。
軽く指先で触れると、澄んだ音が鳴る。
どうやらただの鈴ではなく、魔道具の類らしい。
家の奥へと、来客を知らせる音が静かに行き渡っていくのがわかった。
小ぶりとはいえ、さすがは貴族区といったところだ。
少し待つと、扉の内側で気配が動いた。
足音は控えめで、迷いがない。
やがて扉が開き、中から一人の女性が姿を現す。
整えられた侍女服。
黒を基調にした落ち着いた色合いで、装飾は最低限。
年の頃は若すぎず、かといって年配でもない。
淡い銀色の髪を低くまとめ、前髪は目にかからない長さ。
光を受けると、わずかに青味を帯びて見える。
視線は静かで、感情を必要以上に映さない。
だが、こちらを見た一瞬で、
来客である俺の立場と様子を把握したのがわかった。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか」
柔らかくも礼を失しない声音だった。
俺は一礼してから用件を告げる。
「フェルシオンはいらっしゃいますか?」
その名を聞いた瞬間、彼女はわずかに表情を動かしたが、すぐに首を横に振った。
「申し訳ございません。フェルシオン様は現在、外出されております」
「そうですか。ちなみに、行き先や戻る時間などはわかりますか」
問いかけると、彼女は少しだけ考える素振りを見せてから答えた。
「はい。今朝方、冒険者組合へ向かうと申しておりました。戻りは……遅くなるだろうと」
その言葉に、胸の奥で何かが腑に落ちる。
「なるほど……」
やはり、バイザードの言葉通りだ。
フェルシオンはもう、次の場所へ足を向けている。
「わかりました。ありがとうございます」
そう告げて一歩下がると、メイドは丁寧に一礼を返してくれた。
「もしお急ぎであれば、言伝をお預かりいたしますが」
その申し出に、俺は一瞬だけ迷う。だが、首を横に振った。
「いえ。直接会って伝えたいことなので」
「承知いたしました」
そう答え、軽く頭を下げる。
敷地の外までの距離はわずかだったが、丁寧に見送りを受け、門を出たところで立ち止まった。
ふと空を見上げ、小さく息を吐く。
「……冒険者組合、か」
フェルシオンの姿を思い浮かべながら、俺は踵を返した。
再び人の流れへと溶け込むように、王都の通りを歩き出す。
次に向かう先は、もう決まっていた。
まだまだ拙い部分も多い作品ですが、
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いつも読んでくださり、ありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。




