082.魔法組合
それからは、肩の力を抜いた、たわいない話を少しだけ続けた。
交易市の噂だとか、朝のお菓子は昼より甘く感じるだとか、特別な意味のない言葉ばかりが、不思議と居心地がよかった。
やがて、空気がゆるやかに「解散」の色を帯び始めた。
ルミエルがカップを置き、穏やかに微笑む。
「では……私たちは、そろそろ戻らないといけませんね。今日のところは、ここまでにしましょう」
「名残惜しいけど、仕方ないわね」
アルシエルは立ち上がり、外套の裾を整えた。
今日は祭事の後の休みではあるらしいが、それでも片付けや雑務をすべて他に任せるのは忍びないのだという。
結局、二人は教会へ手伝いに戻るそうだった。
いかにも二人らしい選択だと思う。
その代わり、また明日も同じ時間にここで会おうと約束を交わした。
別れ際、俺はひとつだけお願い事を伝え、リディアに挨拶をする。
リディアは俺たちの首元に揺れるペンダントへ視線を落とし、楽しそうに目を細めた。
「……あれ? ミハネさん。私には贈り物ないの?」
珍しくから揶揄うような声音だった。
「あれは、二人が祭事で頑張ったことへの贈り物ですよ。リディアさんは、昨日はずいぶん祝祭を満喫してましたよね」
「うん、そうだけど。よく知ってるね」
リディアは目を丸くしてから、くすりと笑った。
「実は昨日、ここにも来たんですよ。人が多かったので、少しゆっくりしようかと思って」
「あ、そうだったの? 昨日は祝祭を思いきり楽しむために、お店閉めちゃってて。ごめんね」
「いえ。遠くからですけど、ちらっと見えました。友人たちと一緒でしたよね。楽しそうでしたから」
そう言うと、リディアは少し肩の力を抜いて、懐かしむように頷いた。
「うん。久しぶりに、思いきり羽を伸ばせたよ」
それから、アルシエルとルミエルにちらりと視線を向ける。
「二人もここでは“お客様として扱ってほしい”って言ってたけど……一言だけ言わせて」
リディアは真っ直ぐに二人を見て、柔らかく笑った。
「とても素敵で、楽しい祝祭だったよ」
「ありがとうございます」
ルミエルが静かに頭を下げる。
「そう言ってもらえるなら、頑張った甲斐があったわね」
アルシエルも、少し照れたように笑った。
その流れで、リディアはふと思い出したように首を傾げた。
「それにしても……じゃあ、ミハネさんは誰と一緒にいたの?」
「ああ。修道女の子が、祝祭を案内してくれたんですよ」
「へえ……そうなんだ」
少しだけ間を置いてから、からかうように続ける。
「じゃあ、その子にも同じような贈り物したの?」
その言葉に、アルシエルがぴくりと反応した。
「あ、そうよ。ノルンにも同じもの贈ったの?」
「あー……」
俺は言葉を探すように視線を逸らし、ほんの一瞬だけ間を置いた。
「まあ、贈り物自体はしたんだけどな……」
それ以上を言うかどうか、逡巡する。
けれど、誤魔化すのも違う気がして、二人に送った羽を見ながら正直に続けた。
「でも、二人に贈ったものは別だ。これは……俺にとって特別だから」
一拍。
アルシエルとルミエルは同時に言葉を失い、次の瞬間、頬を朱に染めた。
その様子を少し離れたところで見て、リディアはふっと柔らかく笑う。
からかうでもなく、踏み込むでもない、穏やかな笑みだった。
「いいね。……そういうの」
そう言ってから、ほんの一瞬だけ視線を逸らす。
まるで、遠い昔の記憶を手繰り寄せるように。
「“特別”って言葉を、ちゃんと口に出せる人は案外少ないんだよ。
言わなくて、伝わらなくて……気づいたら、もうどこか遠くの場所に行っちゃうこともあるからね」
それが誰のことなのか、いつの話なのか。
リディアはそれ以上、語らなかった。
ただ、もう一度だけ三人を見て、少しだけ口元を緩める。
「だから、今こうして言葉にできてるのは……悪くないと思うよ」
穏やかな声音だった。
そうして、たわいない話に戻りながら、俺たちは金色の羽亭を後にした。
◆
店を出て二人と別れたあと、俺はそのまま魔法組合へ向かうことにした。
進路は北。貴族区のほうだ。
リュシアン子爵の屋敷へ潜入したとき、夜の貴族区に足を踏み入れたことはある。
だが、こうして明るい時間帯に歩くのは初めてだった。
ある地点を境に、街の空気がはっきりと変わる。
舗装された道路の色合いは一段階落ち着いたものになり、街灯は実用一辺倒ではなく、装飾を兼ねた意匠へと切り替わっている。
視線を奥へ向けると、王国騎士団と思しき者たちが一定の間隔で巡回していた。
行き交う人々の服装も、庶民区に比べれば明らかに上質で、仕立てや布の質に余裕があるのが一目でわかる。
俺と同じような身なりの者がまったくいないわけではない。
だが、それでもどこか——
ここは、本来いるべき場所が定められている区画なのだと、無言の圧が空気に滲んでいた。
魔法組合は、その貴族区の中ほどに位置している。
さらにその奥、視線の先には、物語の挿絵でしか見たことのないような、絢爛な王城がそびえ立っていた。
以前、リディアが言っていた言葉を思い出す。
——教会が王都の“心臓”だとするなら。
王城は“威光”であり、そして魔法組合は、その威光を守り、示すための象徴なのだろう。
「そういえば……この国の王様って、どんな人なんだろ」
ふと、そんな疑問が口をついた。
思えば、光の祝祭の場にも、王らしき姿はなかった。
教皇や聖女は前に立ち、祈りと奇跡は民に示されたが、王権そのものは、どこか一歩引いた場所にあるように感じられた。
魔物が跋扈するこの世界で、これだけの国をまとめ上げている王族。
しかも、その祖には稀人がいるとされている。
もしかしたら——
帰るための手掛かりが、そこに眠っているかもしれない。
だが同時に、そこへ踏み込めば、もう後戻りはできなくなる。
稀人であると知られた瞬間、俺は“ただの冒険者”ではいられなくなるのだから。
利益と危険。
希望と拘束。
どちらを取るかは、慎重に選ばなければならない。
俺は無意識のうちに息を整え、まずは目の前の目的へと意識を戻した。
魔法組合だ。
◆
魔法組合の建物は、系統が近いだけあって、魔術組合とどこか似た構造をしていた。
だが、その印象は大きく異なる。
魔術組合が機能性と防衛を最優先し、建物全体に魔術刻印を張り巡らせた研究施設であったのに対し、魔法組合は——明らかに見せることを意識した造りだった。
白い石材に、金と蒼を基調とした装飾。
柱や壁面には幾何学模様が溶け込むように刻まれ、それらは単なる意匠ではなく、常に微かな魔力を帯びて脈打っている。
魔法なのだろう。光を反射しているわけでもないのに、装飾の一部が淡く輝き、建物全体が呼吸しているかのような錯覚を覚える。
派手ではある。だが、成金趣味のそれとは違う。
長い年月をかけて積み上げられ、ここに在ることが当然だと人々に思わせる重みがある。
——力を誇示するためではない。
秩序として、規範として、王都に根付いた“魔法”そのものの姿。
入口へと続く石段を上るにつれ、空気がわずかに張り詰めていくのを感じた。
音が吸われるように静まり、足音さえも抑え込まれていく。
周囲を行き交う人々の服装も、自然と整ったものが多くなる。
無意識のうちに背筋を伸ばし、声を潜めている様子から、この場所が持つ威圧感が伝わってきた。
入口の前に立った瞬間、俺は理解する。
ここは、単なる研究者の集まりではない。
王都における“魔法の顔”。
権威を示し、理を示し、力を制御するための場所だ。
分厚い扉には、見慣れない幾何学模様が幾重にも刻まれていたが、威嚇するような気配はない。
むしろ、訪れる者を選別するための静かな眼のようだった。
俺は一歩踏み出し、その扉を押し開けた。
まだまだ拙い部分も多い作品ですが、
ひとつでも心に残る場面があれば、ブックマークや★評価で応援していただけると励みになります。
いつも読んでくださり、ありがとうございます。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。




